百四十六話 帝都炎上
一日で帝都を落とす。
ノブナガはそう宣言して全員に休むように伝えた。おそらく、夜襲を仕掛けるつもりなのだろう。
理屈としては分かる。城を一気に落とそうというのだ。相手の不意を衝く夜襲は決して間違ってはいない。
しかし何故だろうか、単なる夜襲で済ませるだろうか。あのノブナガが。
「どうされました? ファース辺境伯」
「レブド公爵か。……ノブナガ殿は夜襲を仕掛けるつもりだろうが、どうなると思う?」
「どうなるか、ですか? やはり正門が壊れている以上、城壁を上るしかないかと。今夜の城壁にはマモン侯爵の兵が当たると情報が来ています。マモン侯爵の兵は所詮金で雇われた傭兵ばかりですから、不利を悟らせればすぐに逃げるでしょう。梯子などを大量に用意すれば城壁はすぐに片が付きそうですが、持ってきておりませんから――」
ああ、違う。そうではないのだ。
勝つや負ける、などの話ではないのだ。
もっと別の、人族の発想では思い至らない何かをしてくる。そんな気がしてならないのだ。
しかしこんな話をしてもレブド公爵には分からないだろう。レブド公爵はまだノブナガの怖さを知らないのだから。
ああ、ノブナガは何をする気なのか。
分からない。だが、何があっても動じないように今から覚悟しておこう。
日が暮れたばかりの夜襲にはやや早い時間帯。
ノブナガが皆を起こしいつでも動けるように指示を出した。そして、私に聞き忘れたことがあると言って呼び出された。
何の用かと思い向かえば、そこにはノブナガだけではなく、複数の鳥人と肩から胴にかけて蜘蛛人の糸でぐるぐるに巻かれ、何とか両腕だけ自由に動かせる状態のイフリーナがいた。
そんなイフリーナから伸びている糸を鳥人たちが足元に持っていく。
簀巻き同然のイフリーナと、その簀巻きにした糸を足元に置く鳥人。
……まさか?
「おお、待っていたぞファース辺境伯。早速で悪いのだが、帝都で一番燃えそうなところはどこだ?」
やはり、そうか。
鳥人でイフリーナを空に運び、空から帝都に火を放つつもりか。
攻城戦で火を使うことはなくはないが、使った後の熱の所為で攻めにくくなり、燃えカスの町など価値はないので使用されることは少ない。
しかしノブナガの配下であれば、空から直接帝都に火を放り込むことで城壁に熱を伝えることなく、敵を混乱させ、消火活動に手を回させて敵の数を減らすことが出来る。
……いや、あれも出来てしまうのか?
「ノブナガ殿、まさか鳥人を使い城壁に兵を運ぶ算段で?」
「いや、それは出来ん。鳥人の数は少ないし、体力的な問題もある。城壁は普通に上ってもらうぞ。その準備に入りたいので、帝都のどこに火をつければ良いのか知りたい」
さすがに兵の運搬は不可能か。そこまで常識を覆すわけではないか。
しかし燃やす場所か。おそらく、ノブナガは帝都が灰になろうが、ギルゲイツ殿下を確保できれば良いのだろう。だから平然と私に聞いてくる。
しかしこちらは立場的にも、今後のことを考えても帝都が火に包まれるようなことはしたくない。
幸い帝都は石造りの町だ。火には強い。しかし町である以上、火に弱い場所はある。
例えば貴族の邸宅。庭園などは良く燃えるだろう。ここは帝城まで火が届いてしまう可能性があるので駄目だ。
そういう面倒がない場所となると、スラム街。帝都に夢を見て来た者が夢に破れて向かう先。もしくは、脛に傷のある者が自然と集まる町の闇。
あそこであれば木造が多いので燃えやすく、灰となっても困らない。そこの住人には悪いが、住処を失ってもらう。
「正門からすぐに左に行きまして帝都の隅の方になりますが、その辺りでしたら木造の建物が多いのでよろしいかと? ああ、注意してほしいのが、中央通りの右側に職人街がございます。様々な職人がいる場所です、火に反応する素材があるかもしれません。危険ですのでそちらには火が飛ばないように気を付けてください」
「なるほど、右側では火の取り扱いは控えた方が良いか。イフリーナ、話は聞いていたな? 正門から左奥の隅に火を放て。十分に火が広がったら戻ってこい。他に燃えそうな場所があっても右側に火が及ぶと怖いから絶対に何もせずに帰ってこい」
「左だな、分かった。それよりも本当に大丈夫なんだろうな! 落ちないだろうな! これで空を飛ぶのか! あ、なんか楽しそうに思えてきた」
豪胆というべきか、狂っているといえば良いのか、イフリーナはすでに覚悟を決めているようだ。
この後は。
「では全員に右側の城壁に集まるように指示を。ラン、準備は出来ているな。やることは事前に説明した通り。合図があるまで向こうで待機だ」
すでに決まっているようだ。
ノブナガ殿が何を、どこまで考えているのかは分からないが、ここはお手並みを拝見しよう。
その手並みを見て、レブド公爵を巻き込んで対策を考えさせてもらおう。
「レブド公爵、あれについての対策について聞きたい」
「え? ああ、そうですね。即時降伏とかどうです?」
ノブナガの策は見事だった。思わず目を背けたくなるほどに。
初手の鳥人を用いてイフリーナを空に運び、空からの連続放火。それにより帝都の左隅が火の海となり、空を昼同然に明るく焦がす。
これにより、敵の目は火災に釘付けとなる。その間に反対側の城壁を駆け上がる。
そう、城壁をあっさり上れたのだ。ノブナガの配下、蜘蛛人のおかげで。
城壁近くで待機していた蜘蛛人は、空の色が変わると同時に城壁を地面と同じように普通に走り、火災に気を取られていた守備兵を背後から襲い掛かり、外へとゴミのように投げ捨てて安全を確保。
そして上から蜘蛛人の糸で出来た網で垂らし、城壁を登るための足場を用意した。
人族には空を飛ぶことも、糸を吐き出して梯子の代わりにすることもできない。
魔族だから、魔王だから出来ることだ。人族に真似は出来ない。参考には出来ない。
だが対策は必要だ。もしものことを考えれば。
だが浮かばない。
「もちろん冗談ですよ。そうですね、鳥人を弓矢や魔法で狙うのはどうでしょう? 相手は空にいるんです。倒さずとも少し怪我をさせればすぐに降りるでしょう」
「悪くはないが、甘い。上から下に攻撃するのと、下から上に攻撃するのではどちらが有利か言うまでもない。それに、あの高さまで弓が届くかどうか。魔法でも飛距離と速度に自信のある魔法使いでなければ難しいな」
鳥人の偵察兵としての利便さは理解していたが、補助に回るだけでもここまで厄介になるとは。
戦闘能力だけでなく、もっと広い視野が必要か。
「やっぱり、そうですよね。城壁の守備兵についても何があっても警戒を怠るな、としか言えませんけど。その警戒を緩めるための火事ですから。今すぐに対策を考え付けというのは難しいです」
今後の課題か。いつか宮廷魔導士を集めて今回の対策を練らないとな。
魔族や騎士たちが城壁を上っていくのを見守る中、ノブナガやレブド公爵は指揮を執るために城壁を上って行った。
全体の指揮の為に城壁を上るのは私が最後になるが。あの二名を野放しして大丈夫だろうか。いや、ノブナガも、レブド公爵も目的は分かっている。大丈夫だと思うが。
「そろそろ移動の準備を」
「何? 随分と速いな」
「梯子と違い横にも広いので利用できる者が多いためかと。それと多少揺れはしますが、蜘蛛人の糸なので丈夫で千切れる心配がなく、安心感から無駄なく上れているのも理由の一つかと」
ここにも魔族の力が働くか。つくづく、陛下がノブナガとの友好的関係を築こうとしていた理由がよくわかる。
そして、そんな陛下の思いを無下にして敵対する殿下の愚かさも。
「父上、首を貰いに来ました」
帝都の正門近くにある普通の一軒家。そこに、我が父、元レブド公爵がいた。
もちろんただの一軒家ではない。今回の反乱が起きる以前より、帝都でのレブド家の隠れ家として使われてきた一軒家。
見た目の割に頑丈な作りで、兵を隠して置ける便利な場所。
「来たか。こちらの準備は全て整っている。しかし、事前に聞いていたよりも随分と派手なことだな」
「すみません、父上。あの魔王、あの皇帝が一目置いていただけあって頭が回り、魔族の所為か発想が人族と異なり想像だにしない方法を平然と使います。事前にあの魔王がこれほどの脅威だと知っていれば、父上をアルキー公爵側に付かせなかったのですが」
「気にすることはない。常に情報が万全などありえないのだ。限られた情報の中で保険をかけつつ最善を尽くせ」
常に情報を集めろ。情報から見えてくる僅か先の未来を考えて行動しろ。優先順位をつけろ。手段を選ぶな。必ず保険をかけろ。
他にも様々な言葉を、毎日のように父上から聞かされてきた。それこそ、うんざりするほどに。
しかしそれがもう、聞くことは出来ない。
何とか父上を救えないかと、つい考えてしまう。
「……何か変なことを考えているな。常に言ってきたはずだぞ。優先順位をつけろと。お前の優先すべきものは何だ。領民だ、領土だ、レブドという家だ。私を生かせばその優先すべきもの全てを危険にさらすことになる。愛しき息子よ、私は国を守れなかった愚かな王だ。だから、せめて、この命を民の為に使いたい」
全くもって不甲斐ない。父上がすでに覚悟を決めているのに、残る私が覚悟を決めていないとは。
父上に心配をかけるわけにはいかない。覚悟を決める。
「そうだ、それで良い。私が連れてきた騎士にはすでに話を通してある。お前が指揮をする兵が四、五倍に増えるだろうが、ファース辺境伯はその辺りを理解してくれる方だ。それと、帝都騎士団には話をつけておいた。私の首を刎ねたら教会の鐘を鳴らせ。それが合図で帝都騎士団が寝返る手筈になっている。合同訓練を重ねて説得しておいたぞ。マモン侯爵の兵はそこまで強くはない。ギルガル殿下の近衛は強いが数は少ない上に城から出てこない。だからアルキー公爵の兵にだけ気をつけろ」
そうだ、これが私の父上だ。
アルキー公爵のように野望に燃えるわけでも、マモン侯爵のように金に目が眩むわけでもない。強かに、策を巡らせる。
私の理想像。
「分かりました、父上。後はお任せください。父上が安心して逝けるように、私も父上のような強かな者に――」
「それは絶対になるな」
その理想像を、理想像に否定された。
「強かになどなるな。強かなど聞こえはいいが、結局は弱者が強者を相手に上手く戦った程度の誉め言葉。お前は、強くなれ。強かな者ではない、強き者になれ」
強かではなく、強き者。私の理想像が抱いていた、理想像。
まだ私には強かと強き者の差が分からない。だがいずれは理解できるだろう。その時に強き者に成れれば良い。
「分かりました、父上」
「うむ。では後は任せたぞ」
座る父上の後ろに回り、剣を抜く。
言葉は交わし終えた。残るのは別れの作業のみ。
私は剣を振り上げ。
「……そうか、ずっと見ていたのか。ギル――」
振り下ろした。