第百四十三話 壊せない正門
翌朝。正門は壊されていなかった。また壊す気配もなかった。
それを確認するとノブナガは女郎蜘蛛のランと共にここを離れた。
近くにいる魔族と挨拶をしてくると言って。
もちろん、他の魔族は残っており、今は騎士団と共に軽い運動をしている。
「やれやれ、勝手に戦場から離れるとは。それも配下を置き去りにして。もしも正門を壊し始めたらどうするつもりなのか」
そんなノブナガを、我が騎士団長は気に入らないらしい。
戦場を離れる指揮官がいるか、ということなのだろう。まあ、彼が正しいのだが、同時に想定が甘くもある。
「門が壊されることは当分ないだろう。門を壊すとすれば、夜のうちに準備を済ませ、日の出と同時に破壊活動を開始するはずだ。それをしなかった以上、門が壊されるとすれば最後の最後になるだろう」
守りの要である門を壊すのは一大決心であろう。この手の問題は悩めば答えが出るものではない。むしろ悩めば悩むほど、答えが遠くに逃げてしまう。
答えを出さなくても現状が変わらない。答えを出せば劇的に変わってしまい、後戻りは出来ない。ならばもう少し悩んでも良いのではないか、と考えてしまう。
そして答えを出した時には、すでに手遅れとなっている。
だからこそ、敵が即断即決した場合を警戒してノブナガは朝になるまでここにいた。敵が何も決められなかったからこそ、ノブナガはここを去った。
「辺境伯と同じく、あの魔王の行動も計算尽くですか。あの顔で、ねえ? そうなるとあの魔王は自分の配下の管理をこちらに投げて、更に帝都の監視までやらせていると? 面倒は全てこちらに丸投げですか」
「ふふふ、その辺りは文句を言いたいが、鳥人が優秀で何も言えないのだ。定期的に帝都上空や周囲を飛んで偵察し、夜間もその目で敵の動きを察知してくれる。鳥人は夜に目が見えないと聞いたことがあったが、あれは嘘だったようだ」
鳥人が優秀で本気で雇おうかと思ったほどだ。
いや、鳥人だけではない。ノブナガの配下は皆優秀で夜に敵を見つけたら、魔法で焼き払ったり、闇夜に紛れて弓の射程範囲まで近づいて射殺したりとやりたい放題。そして敵の死体はこっそりと回収して、どこかへと持ち去っているため、視覚的には優しい戦争だ。
持ち去られた死体がどうなっているのかを考えると、何とも言えないが。まあ、魔族側も死体を秘密裏に運んでいるので気付いている者はあまりいないだろうし、深く考えなければ問題はない。
「あとは、いつまでこの状態が続くかだな」
門を壊し、蓋をしたことで敵が出て来られない状況を作りだしたが、逆に言えばこちらも手が出せない。
……いや、鳥人がいれば手を出せるのか? 弓の射程外から石を落とすだけでも良いし、魔法使いを運んで空から魔法を撃たせる方法もある。撃ち落とそうにも腕の良い魔法使いである宮廷魔導士はいない。
ノブナガに対しては今までの籠城策が使えなくなるのか。いずれ対策を練らねばならない。
まあ、手を出せたとしてもそれはノブナガの配下の話でこちらからは手の出しようがないのは変わらない。今は長期戦を見越して食料を……。いや、待て。食料だと?
「人ー、人が来てるよー」
周囲の偵察をしてくれている鳥人の長、妖鳥人のホウが人影発見の報告に来た。
本来であればノブナガに報告するのだが、いないのでこちらに来たようだ。
つくづく魔族語を覚えてよかった。そして、ノブナガに面倒ごとを押し付けられただけなのだと実感する。
「ええっと、どこから、何人が、どんな様子で来ているのかな?」
人様、というか魔王様の配下なので悪いことは言いたくないが、鳥人の頭の性能はあまり良くない。
こちらが注意してもすぐに忘れてしまう。伝達も曖昧にしかできない。
ただ本能的なことに関しては優れており、敵味方の判別は当然として、陣の位置や弓の射程の把握、敵の動きの傾向などの察知などは並の兵より優れている。
それを上手く伝える能力がやや欠如しているのが問題なのだが。
「二人だから、連れてきたよ!」
故に時折こうやってとんでもないことをやらかす。
それからしばらくして空から鳥人に掴まれて、二人の人族が舞い降りた。
ああ、なるほど。鳥人が連れてくるわけだ。
「ああ、えっと? お久しぶりですファース辺境伯様。旦那、じゃなくて、魔王ノブナガはどちらに?」
「ノブナガ殿は周囲の魔族の挨拶に行かれた。君たちはどうしてここに? 工作活動が終わったら帰って良かっただろうに」
やってきたのはノブナガの配下にして、今回の重要な交渉を行ってくれたライルとスズリ。
確かに、ノブナガの配下なので危険はない。それに少し話を聞きたいと思ったので連れて来てくれたことには感謝する。しかしせめて、連れてくる前に一度報告が欲しいな鳥人よ。
「そうッス、じゃなくて。そうですけど、普通に帰るよりは合流して帰った方が安全かなって」
帰るよりも、魔王がいる戦場の方が、安全?
気を緩めると大声で笑いそうになる。巡回の騎士が減ったことで僅かに治安が悪くなった領内より、魔王がいる戦場の方が安全だと。
それは魔王への忠誠か、大悪鬼などの強力戦力への畏怖か、それとも我が騎士団への信頼か。
世渡りの上手い男が、一国の元姫君がそう判断したとすればおそらく間違ってはいないのだろう。
「え? あの? 今は帝都を攻略しようとしているんですよね? 何故魔王様は魔族に挨拶をしに? 援軍でも求めに?」
状況を知らないスズリがごく一般的な疑問を抱いている。まあ、普通に戦っていればこんな状況に陥ることはないだろう。
しかしスズリの賢さは噂通りか。ノブナガの魔族への挨拶の真意を読み取るとは。敵地での戦力の現地調達など人族からすればまずありえない離れ業なのだが、魔族の立場を理解しているからこそ、その発想に至れる。……もしかしたら。
何か良い意見が得られるのではないかと思い、ノブナガが行った策を教える。
「ああ、そうでしたか。それではもう敵は動けませんね」
その考えは正しかったようだ。
「何故だ?」
「私たち、いえライルの交渉の結果です。代官に帝都が危険と伝えて親類縁者を帝都から避難させるように警告しましたが、当然その親類縁者にも隣人、知人がいます。その人たちに一時的に避難を推奨すれば勘の良い商会や職人は帝都で何かがあると気付いて逃げ出します。戦争経験者であれば特に。だから今帝都には主だった商会の主や職人はいないと思います。それで先ほど門を壊すか悩んでいると言いましたが、それ以前に職人がいないんですよ? 門や城壁に詳しい職人が帝都から逃げ出してしまったので。門や城壁を作れるということは、効率の良い壊し方も当然知っています。兵士だけでは非効率的な壊し方しか出来ず、国が首都に相応しいものとして作ったのなら、壊すのはかなり大変かと」
スラスラと話すスズリに、俺は帝都の様子を想像しながら頷く。
兵士は多く、民は少ない。そして強制的な籠城を強いられて……。
これはもしかすると、予想以上に早くなるか?
「ここに来るまでにいくつか町を通ったと思うが、あれは見なかったか?」
「あれ?」
あれ、については詳細に話すとスズリは納得した様子で頷いてくれた。
「ええ、ありましたね。本来であれば帝都にあるのでしょうが、事前に運んでおいたのでしょう。悪い判断とは言いませんが、運が悪かったですね」
ついでに相手が悪かったとも思う。しかし想像通りとは。事態が一気に動く可能性が出てきたな。
「騎士団長、運動は身体を温める程度に抑えて休息は長めに取るように指示を出せ。今日、明日とは言わないが、一気に事態が動く可能性が出てきた」
ノブナガはここまで予想して? いや、ならばここにいないのはおかしい。これはノブナガも考えていなかったのではないか。
ノブナガがいない以上、魔族の配置にも口を出そうとしたとき、別の方向に偵察に出ていた鳥人が報告に来た。
「アッチカラ、キテル」
曖昧な報告。それに二階位の妖鳥人ではないので聞き取りづらい。あっちとは、北か。来てる、というのは……。ああ。
「北の男爵からの支援物資を運んでいる一団だろう」
今回の一件で、はっきりと味方する返信してくれた貴族だ。ただ場所が場所なので、兵力は送れないから食料などの物資を送ってくれた。
北は枯れた土地が多いのに、物資を運んできてくれるとはありがたい。何より、後のことを考えた際に巻き沿いにできる相手が増えたのが本当に嬉しい。
「ヘエ、ソウナンダ」
そうだよ。しかし、予想よりも早く送ってきたな。もう少し時間がかかるかと思ったが。
「ヤルキニミエタケドネー」
……やる気?
どういう意味か、と聞く前に鳥人は報告が終わったと勘違いして飛び立ってしまった。
気になるな。とはいえ、鳥人からの報告ではいまいち良く分からない。となれば誰か、騎士団から偵察に出せねば。
偵察に出した騎士からの報告がまるで嬉しくないものだった。
「こちらに疾走してくる騎兵を千程度確認しました。旗からレブド公爵の騎士団と思われます」
……どういうことだ?