第百三十九話 あの人は今……
久しぶりの帝国。まあ、魔王からの密命を受けて、アルキー領の領主の屋敷のある町に来ているのだが。
「しけた所だなあ」
我が姉、イフ姉は町に着いて早々にやる気をなくしたようで、ただ面倒そうに私の後を付いてくるだけ。
密命の内容が人探しだからな。ただひたすら特徴を手掛かりに聞いて回るだけの地味な作業。それに特徴も酷いもので、黒い粉を売っている怪しい老人、それだけだ。
誰に聞いてもそんな詐欺師は見たことがないと首を振られる。例え見たとしてもそんなどうでも良い人物などすぐに記憶から消えてしまうだろう。
ただこの密命は厄介なことに重要度が高いらしく、見つけて連れてくるか、何らかの成果を必ず得るように、と記されていた。必ず、この言葉がなければどれほど気楽だったか。
ただ、重要度が高い理由も理解できた。最後に記されていたが、この老人があの樹霊の身体を吹っ飛ばした何か、火薬を作り出したらしい。
この事実をイフ姉に教えれば嬉々として探すのを手伝ってくれるだろうが、その代わりに指定日までに帝都周辺に辿り着けなくなるだろう。確実にあの爆発を自分の魔法で再現できるまでここに残り続けてしまう。
どうしてイフ姉を連れながら、イフ姉に悟られずにその人物を探さないといけないのか。分かっている。私以外に誰もいないのだ。
まず人族の町に入って人を探す時点で、人選は人族のみに限られる。そして人探しなど地道なことをアリスさんがするわけもなく、トドンはおらず、ライルとスズリは別の命令を受けてムスタングへ行った。
イフ姉やアリスさんの様に良識を捨てたら楽に生きれますかねぇ? ……無理ですね。精神が図太くないとあの生き方は出来ません。
「あの人ならこの前死んだよ」
永遠と続く苦行は唐突に終わりを告げた。しかも、かなり悪い形で。
「え? 黒い粉を売っていたご老人は死んだんですか!?」
「黒い粉、は前だよね。最近は怪しい水を売っていたんだけど、帰る途中でいきなり苦しんで死んだって聞いたけど。家の場所? あっちの変人区画……、分かんねえか。芸術家とか研究者とかそういう頭のおかしい奴らが集まっている場所があって……」
若い男はそういう怪しい場所が好きなのか、結構詳しく教えてくれた。今お勧めの意味の分からない商品についても細かく。いや、その情報はいらない。
死んだにしても、とりあえず確証は欲しいし、何か研究資料などがあるなら回収したい。
他にも色々と話したがっていた若い男を置いて、その変人区画とやらに向かった。
帝国は良くも悪くも効率的な町の作りをしている。
ここはあれ、そこはあれと区画分けされていることが多い。そのため、どこの町に行こうとも迷うことなどはないのだが。
この町は古いのか、その辺りが曖昧、いや無駄があるのか。そのため、ここのように何のためにあるのか分からない場所が生まれる。そして、何をしているのか分からない奴らが集まり、変人区画が生まれる。
なるほど、変な奴らばかりだ。
さすがに黒い粉を売る者はいないが、用途不明のものだったり、まるで価値の無さそうなガラクタをそこらで多く売られている。
「何だ、愉快な所だな」
他では見られない光景にイフ姉も興味が出てきたようで、あちこちに目を向けている。
ただ、ここには用はない。この奥の、変人たちの住まいに用が。……例の老人の家はどこだ? というか、まだ残っているのか?
「あの、すみません。この辺りに」
「やあ、いらっしゃい! 僕の品をお求めかい? お目が高いね! いずれ大芸術家として歴史に名を残す僕の作品が、今なら大特価。時代がまだ僕に追いついていないが、大丈夫! 少し経てばここにある作品は国宝と呼ばれる価値が付くだろう!」
「いえ、そうではなく。黒い粉を売っていた老人の家を探しているんですが?」
「黒い、粉? ああ、妄想を垂れ流していた爺だね。この前死んだけど! あの爺の家かい? 勿論知って……いや、どうだったかな? この作品を――」
「燃やせばいいのか?」
多分、この珍しい場所も飽きたのだろう。頑張って駆け引きを行い、少しでも自分の作品を買ってもらおうとした自称芸術家の作品を、イフ姉は躊躇なく全て燃やした。
運良く作品の素材が不燃性なのか、溶けたり焦げたりするだけで燃えることはなかった。ここで燃えたら大火事になっていただろう。
「あ……。ああ……」
「で、どこだ?」
「……あっちにあります。まっすぐ行けば、家の壁に数式やら何やらの落書きが酷い家がそうです」
がっくりとうな垂れる自称芸術家。それに対してイフ姉はそうか、とだけ答えて聞いた道を歩く。
うん、やっぱり私ではあそこまで図太く生きられる気がしない。
「……ああ。焦げた僕の作品も美しい」
いや、生きられるかもしれない。
例の老人の家は話通り、いかにも変人が住むような家だった。
家自体は周りの物と変わらないただの家なのだが、壁や窓、扉にまで何かの数式がびっしりと書かれている。事前に聞かされていなければ呪われた家にしか見えず、すぐに立ち去っただろう。
「ほう、中々愉快な家だな」
ただイフ姉はこんな家が気に入ったようだ。気でも合うのだろうか。もういない人だが。
家に鍵は、かかっていなかった。まあ、そんなものだ。こんな変な場所に住んでいるのであれば、身内などおらず天涯孤独。誰かがここに住むまでは、中もそのまま放置……。
「酷い家だな」
中はまるで賊でも入ったかのように散らかっていた。いや、多分入ったのだろう。そして、諦めたのだ。元々散らかっていたから。
机などの棚は開け放たれ僅かに漁った跡が見えるが、ここに散らかり具合は元から。でなければ紙だけがこうも山を作ることはない。
「どうするんだ? セルミナ」
どうするか、イフ姉に問われて考える。
元は黒い粉の在庫があれば回収し、作り方が書かれた紙があれば貰ってしまおうと思っていたのだが、この部屋の散らかり具合からそれを探すのは困難に思えて来た。
ただ、こんな状況を想定してか、事前に魔法の袋を渡されている。
「とりあえず何かないか探しつつ、怪しい物は全部回収しましょう」
「ええ、めんどい」
妥当な判断のつもりだったが、イフ姉からは非協力的な返事が来た。そしてそのまま、紙の山を蹴散らして奥へと進んでいく。
はあ、仕方ありません。一人で頑張りましょう。
適当に紙を拾い上げて有益そうな情報がないか調べるも、どれもこれも何が書かれているか分からない物ばかり。まさに変人の遺産だ。賊も大したものがないと思いすぐに出て行ってしまうだろう。
私もすぐに出て行きたくなった中、突然奥から。
ポンと高い音と僅かな振動が響いてきた。
奥に行ったのはイフ姉。
何をやらかしたのかと思い、奥へ進んでみれば。
「おお、セルミナ。黒い粉ってこれか?」
ゾッとした。
持ち手が見事に破壊された扉。そしてその奥の部屋には膝の高さまで積まれた火薬の山が置かれ、それに杖を向けて平然としているイフ姉が居た。
イフ姉はそれが何か知らないから良いが。それが何か知らされている私からすれば、ただただ恐ろしい。
おそらく施錠されていた扉をイフ姉は魔法を使い破壊し、無理矢理入ったのだろう。その時に、運が悪ければ樹霊を吹き飛ばしたあの衝撃が、ここで生まれていたかもしれない。
そして今も、イフ姉が杖の先からちょっと火を出しただけで、それが起こるかも知れない。死が目の前にあるようなものだ。
「そ、そうだから。全部回収するから。イフ姉はちょっと下がってて!」
こんな危険物をイフ姉の前に晒しておくことは出来ない。大急ぎで魔法の袋に詰め込んでいると。
「ほう! 面白い研究をしていたのだな!」
振り返ればイフ姉がこの部屋にあった手帳を読んでいた。
……おかしい。
入ってすぐの部屋には何が書かれているか分からない紙が散乱していただけ。そしてここには、黒い粉の山や棚に水の入った瓶。そして何より、この部屋は綺麗に整理されている。
つまり、最初の部屋は侵入者を呆れさせて追い返すための偽物。そして施錠されていたこの部屋が本命?
つまり、その手帳はここの研究成果を記したもの? つまり、この火薬の……。
「イ、イフ姉!」
火薬の効果を知られれば暴走されると思ったが。
「セルミナ、ほら。癒しの水の研究だそうだ!」
見せられた手帳の内容は別の研究内容だった。中身は魔力媒体を使用しない、魔法薬が作れるかというものだった。……それは果たして魔法薬と言えるのか?
ただ、もしこの研究が成功していたら世界は変わっていたかもしれない。魔法薬はある程度の傷を一瞬で治してくれるが、原材料に魔力媒体を使うために高価になってしまう。冒険者だった頃の私やイフ姉でも念のために二つか三つ持てる程度で、大量に購入することは出来ない。
魔力媒体を使わずに魔法薬が作られれば、量産が可能になり、価格も低下し、誰でも手にすることが出来る品になっただろう。
ただ、この研究中に死んだようで途中からは何も記されていない。そして、老人が死んだ理由が分かった。
魔力媒体を使わない魔法薬。いや、癒しの水もどきとでも言おうか。それを自分で飲んで効果を確かめていたようだ。そしてついに、当たりを作る前に外れを作ってしまい飲んだのだろう。
「中々愉快な奴だったんだな!」
愉快で服毒はしたくない。というか、手帳だ! 研究中だった癒しの水の手帳があるのだから、火薬の研究について書かれた手帳もどこかにあるはず。
イフ姉に見つかる前に探し出さねば。これは、失敗した研究の手帳。こっちは、素材一覧? 違う。……これだ!
火薬の作り方、効果。そして最後に金づるを見つけたので、再度来た時に備えて多めに作っておくと書かれていた。
これで目当てに物は見つけた。後は火薬の山を回収すれば終わりだ。指定の日時より余裕があるし、大丈夫だ。
「ほんと色んな研究をしているな、こいつ。ほら、セルミナ。毒薬まで作っているぞ」
毒薬を作っていたと言うか、癒しの水を作ろうとして毒薬を作って飲んでしまったのだが。それにイフ姉、それを見るのは火薬を回収した後で良い?
ほらほら、と見せつけて来るので仕方なくその手帳に視線を向けると、一つ気になる物があった。
「物を壊す、毒薬?」