第百三十八話 ギルガルの鬱憤
「くそっ! どいつもこいつも日和見か! これなら敵とはっきり宣言しているファース辺境伯の方がマシだ!」
俺しかいない皇帝の執務室。いや、俺の執務室で各貴族から帰って来た手紙に目を通して、ふざけた言い分に憤りを隠しきれず思いっきり執務机を叩いてしまう。
俺が送った手紙の内容は魔王を討伐するために騎士団を派遣するように、と国防や魔王討伐の名誉など決して悪い内容ではない。なのに返事の内容は皆同じ。
『今はちょっと……』
はっきりと拒否するわけでもなく、まるで時期が悪いとでもいうかのような消極的な拒否。保身に満ち溢れた対応。
そう、保身だ!
帝国最高権力者に対して、媚びではなく保身的対応。これの意味することはただ一つ。俺以外に気を遣う相手がいるということ。
それは現在敵対しているファース辺境伯に他ならない。
ファース辺境伯に気を遣うのは、仕方がない。ファース騎士団の勇猛さは今でも鳴り響いており、老獪で影響力の大きな貴族程ファース辺境伯を恐れている。
しかし今は平時ではない。戦時か、戦時手前。気を遣う相手は戦力を持っている相手だ。
俺には、帝都騎士団に近衛兵、更にアルキー公爵、レブド公爵、マモン侯爵が付いている。大して相手はファース辺境伯と生まれて一年も経たない魔王の軍勢だけ。
こちらは二万五千の兵力を持ち、ファース辺境伯と魔王の軍勢は合わせても一万に届くことはないとアルキー公爵が言っていた。ファース辺境伯を監視しているアルキー公爵の言葉なら信頼できるし、俺は五千を集められるかどうか怪しいとすら考えている。
なのに、ファース辺境伯に気を遣い俺に保身的な対応。これはつまり、俺がファース辺境伯と魔王に負ける可能性を危惧していることに他ならない。
認めよう、戦争経験がないと。アルキー公爵など信におけぬ者を重用していると。父上を、殺してしまったことを。
しかしそれは全て魔王の討伐するため。帝国を守るための行動だ。なのに何故、誰も理解しないのか。
兵力も五倍近い差が出るはずだ。我が方の勝ちは揺るぎないはずなのに。
そんなに俺が不甲斐なく見えるのか! ファース辺境伯が、魔王が恐ろしいか!
やり場のない怒りを拳に込めて何度も手紙にぶつけていると。
「何やら騒がしいですが、どうされましたかな?」
何食わぬ顔で原因の一つであるアルキー公爵が入って来た。外に聞こえてしまうほど派手に殴っていたか。
「何でもない! それよりファース辺境伯と魔王に動きはないのだろうな!」
「ええ、二か月後の帝都攻撃宣言以外は特に大きな情報は入っておりませんね。……ああ、ファース辺境伯も何とか味方を増やそうとしているようですが、ファース辺境伯側に付いた貴族については一切聞いておりません」
俺の拳の下に何があるのか気付いたアルキー公爵は思い出したかのように情報を付け加えた。
目端が利くことがここまで憎らしいと思ったのは初めてだが、その情報のおかげで若干落ち着いたのも事実。
そうか、ファース辺境伯も苦心している。俺だけじゃない。
日和っている連中も、俺がファース辺境伯を圧倒すればすぐになびくはずだ。
「ふん、兵力差から考えて騙し討ちをするための宣言だと思うのだがな。ちゃんと見張っておけ。出陣式の準備は出来ているのか?」
「はい。殿下の晴れ舞台ですからきちんと準備しております。もし殿下の懸念通りファース辺境伯が奇襲を仕掛けて来ようと大丈夫なように、準備時間を少し頂ければ今からでも出来ます」
この手際の良さをこれからも発揮してくれればいいのだが、アルキー公爵の狙いは独立。いずれは裏切るだろう。その前に俺は何として自分の勢力を大きくせねばいかん。
「レブド公爵やマモン侯爵は何をしている」
「レブド公爵は今回の戦で帝都の騎士団と自分たちの騎士団が連携できるように、共同訓練を行っておりました。マモン侯爵は帝都の商工会に顔を出しているのではないですか?」
レブド公爵とマモン侯爵はまだ危険度は低いのだが、レブド公爵は腹に一物を抱えているため頼りに出来ない。マモン侯爵は金に汚いが、そこを除けば平時に限り優秀と言える。
いや、レブドは元公爵か? すでに家督を譲ったとか。まあ、些細なことだ。
「マンドへの説得はどうだ? あいつがいるといないとでは国政のしやすさが段違いなのだが」
「駄目、ですな。何をしても首を縦に振りません。ギルゲイツ殿下の釈放など色々と条件を出しているのですが……」
あの魔導士の爺め。俺をどれだけ困らせるつもりだ。
そしてギルゲイツも、ギルゲイツだ! 今がどれだけ複雑な状況なのか理解しているのか! マンドを助けようとしおって!
今、皇族の血を引くのは俺とギルゲイツしかいない。ここでギルゲイツがマンドを助け出してしまえば、外に隠れ潜む宮廷魔導士はマンドを助けたギルゲイツを擁立するだろう。そうなれば足元が盤石ではない俺はそいつらをすぐに潰すことは出来ず、ギルゲイツ側に付く可能性もある。最悪、ファース辺境伯と合流されてしまっては帝国を二つに割ることになる。
そうなれば誰が得をする。魔王だ! 俺がいま討たんとする魔王が助かり、帝国は疲弊することになる。
そのため俺の地位が盤石になるまではギルゲイツを幽閉することになってしまったが、大丈夫だ。いずれは分かってくれるはず。
「くれぐれも手荒に扱うなよ。マンドは父上なき帝国に必要なのだ」
「心得ております。それでは、失礼します」
アルキー公爵は一礼だけして執務室から出て行った。内心は俺が上手くいかなくてほくそ笑んでいるのかもしれないが。
一人になり、グチャグチャとなった手紙をもう一度見る。
……大丈夫だ。
従わない貴族も、いずれ裏切るアルキー公爵らも、マンドも、ギルゲイツも、全部俺が皇帝になれば解決する。どうにかなるのだ。
そのために、魔王を討伐して箔を付けねば。強い皇帝であると帝国の民に知らしめねばならない。
俺が、帝国を強くするんだ。