第八十二話 強剛猿
オワの大森林西部。もう見ただけで帰りたくなってきた。
まず木の種類が明らかに違った。捻じれた木々が乱立し、上の方で枝と枝が絡み合いまるで屋根のようになっている。そのため木漏れ日が少なく昼だというのに薄暗い。
地面もその所為かぬかるんでいる所が多く、植物なども一変。先程光るキノコ、光るコケを見つけた。ただほんのりと光る程度なので明かりとしては使えない。
その中で最も嫌なのが、空気が澱んでいることだ。光も風もほとんどない所為か、まとわりつくような薄く嫌な臭いがしている。
帰ったら即大浴場行きだ。昨日までは寝室すべきかと悩んでいたこの瞬間に決まった。
「魔王様、この辺りで三階位の魔物を発見し西部探索を断念いたしました。そのためこの先何があるのか分かりません。力不足、恥じる思いです」
そこまで思いつめなくても良いんだけど。気にするな、と伝えて警戒のため距離を取っていた者たちを集めさせる。ここからはもう三階位の魔物が出る場所。広がって進むより、集まって全てアリスに任せた方が良い。
「あ、魔王はどうする? やっぱり三階位の魔物と戦いたいか?」
「んなわけあるか。俺は戦闘狂じゃない。それに魔族と交渉したい。血まみれで交渉はしたくないな」
考えても見ろ。
魔物をぶっ殺しながら来たんで血まみれですけど気にしないでください。ところで私の配下になりませんか? 私の配下の邪魔をしないだけでも良いんですけど?
完全に脅しじゃないか。そんなんで配下になられても困る。その気持ちが他の配下にまで伝播されたら大変なことになる。
「なら私の一人占め、だなっ!」
突如先頭に立っていたアリスが反転、俺のさらに後方を歩いていた軍犬を蹴り飛ばす。そして。
「スラッシュ」
真上に向けて技能を放った。
そこでようやく気が付いた。居たのだ、真上に。丸太のような太い手足を持つ毛むくじゃらの魔物が。
岩と見間違うほど荒々しく握られた両手を振り下ろし、奇襲を仕掛けようとしていたのだ。
アリスが居なければ誰も反応できずに軍犬は殺されていただろう。俺も自分への殺気にはヴォルトのおかげで鋭くなったが、他所への殺気はなあ。
アリスの技能と毛むくじゃらの振り下ろされた両手がぶつかり。
「チッ!」
「グキァ!」
驚くべきことが起こった。
攻め勝ったのはアリスだったが、技能を用いても両手を切断するに至らず、斬れたのは両手半ばまで。
普通に考えればこの攻撃で相手は両手が使えなくなったので十分なのだが、アリスは明らかに不満そうに剣を構えている。
まさかアリスが一撃で両断できないとは。俺以外は魔物でも魔法でも両断してきたのを見ているだけ衝撃が大きかった。
「何なんだアイツは」
「前に行っただろう。黒い毛に覆われ、丸太のように太い両手足、それには不釣り合いな小さな身体。強剛猿だ。一度で切断できないとは、想像以上だな。魔王と出会っていなければ喜んでいたところだが」
別に俺関係なく喜んで良いのよ。というかこれからはこいつらの相手に終始して、俺を斬ろうとしないで欲しい。
まあ、無理だろう。すでに勝敗は着いた。傷一つないアリスと、両手を失った強剛猿。すでに強剛猿は逃げの体勢に入っている。
しかし逃がすわけにはいかない。アリスは一気に間合いを詰め斬ろうとするが、それよりも早く強剛猿は足先を地面に突っ込んで振り上げる。土がアリスを襲うが構わず前進。
しかし僅かに迫る速度が落ちた。その一瞬の隙に強剛猿は斬られた両手で跳躍、そして足で天井ともいえる木々の枝に掴まる。
ん? 怪我をしていたのが足なのか? 太さも長さも手足に違いがないため分からない。ただ両方とも手並みに器用で、足並みに力があるのだろう。
上に逃げれば追う手段はない。強剛猿は枝を伝い逃げる。
「どうする? 手助けは居るか?」
走れば重力の範囲内に入るだろう。そうなれば落とすことは容易い。下手すれば死ぬかもしれないけど。
しかしアリスの返答は。
「手助けをしたら斬る」
何とも凶悪な物だった。べつにいらないで良いじゃん。
何をするのかと楽しみに見ているとアリスは三度だけ剣を振った。それからしばらくして、めきめきと何かがしなる音がしたので上を見れば。
強剛猿が逃げようとする前、そして左右の枝が斬られていた。見事なコの字だ。
当然一方向からの枝だけでは強剛猿の体重を支え切ることは出来ず、めきめきと枝をしならせながら強剛猿は落ちてくる。
そして落ちる先に居るのは当然アリス。
「ギキャ――」
「スラッシュ!」
このままで死ぬ、と強剛猿は悟り逃げ出そうとしたが、それよりも早くアリスの剣が強剛猿を斬った。
今度は両手を切断、そして小さな身体も二つに分かれた。
今度こそ、アリスとしても満足な勝利、かと思いきや。
「くそっ! 失敗した!」
「……? 何が駄目なんだ? 両手と身体を斬ったじゃないか?」
「私は両手足を狙ったんだ。なのに強剛猿が変に逃げようとして体勢が変わったから身体の方を斬ってしまった」
……そこまで気にすることなのか? 斬れたから良いじゃん、と言ったら駄目なのだろるか。駄目なんだろうな。
とにかく、脅威の排除は終わった。ただこんな魔物が他にも居るらしいので気を付けないと。
「ア、アリス先生! 助けて頂きありがとうございます!」
「もう少し警戒しろ。ここは上が空じゃない。枝を伝っての奇襲だってある。分かったな」
蹴られて助かった軍犬が胸元を痛そうにさすりながらも礼を言いに来た。しかしアリスの言葉も確かだ。ここは暗い。前後左右だけでなく上からの奇襲を気を付けないと……?
「アリス、あれは何だ?」
アリスがコの字型に斬った、現在唯一光が差す場所に人が居た。
いや、正確には人ではない。上半身が人なだけだ。下半身は蛇のようで周囲の枝に絡みついている。
そしてこちらに気が付いたのか、そそくさとどこかに逃げてしまった。
「蛇人だな。丁度良かったな魔王、交渉するんだろう? シバ、臭いを辿れるな?」
「はい、あそこまでいけばおそらく可能かと。魔王様、必ず追跡して見せます」
目標が早々に見つかったのは嬉しいが、程々で良いのよ。ここに来たのだって本当はダンジョンから離れたかっただけだし。
そんな俺の思いとは裏腹に、シバ達は真剣な表情で木々に上り先程まで蛇人が居た場所の臭いを嗅いでいる。
あいつら木登りなんて出来たのか。
どうやら臭いを覚えたらしい。シバの案内の元、追跡を開始する。




