獅子吼の陣~真田左衛門佐の最期の一日~
獅子吼の陣~真田左衛門佐の最期の一日~
一 夜明け前の茶臼山
慶長二十年(一六一五年)五月七日、まだ夜の明けきらぬ刻限。
茶臼山の頂は、湿った土と馬の汗の匂いがした。草に降りた露が脛当てを濡らし、じわりと冷たさが染みてくる。眼下の平野には徳川方の篝火が点々と散っていた。数えようとして、真田左衛門佐信繁はすぐにやめた。数えるたびに増える気がしたからだ。
(この山は去年の冬、家康が本陣を置いた山だ)
膝の上で、采配の柄を転がす。冬の陣で大御所が腰を据えていた場所に、いま自分が三千五百の赤備えを並べている。皮肉といえば皮肉で、縁起がいいといえば縁起がいい。どちらに転ぶかは、今日の夕方までに決まる。
「殿、少しはお休みなされませ」
背後で草を踏む音がして、高梨内記が近づいてきた。六十を越えた老臣で、紀州九度山での十四年を共に過ごした男である。娘を信繁の側に上げているから、舅でもあった。
「眠れぬのよ、内記。歯がうずく」
「抜けた歯が、でございますか」
「抜けた歯が、だ」
信繁が口の端だけで笑うと、内記はふん、と鼻を鳴らした。四十九の信繁の口には、もう奥歯がほとんど残っていない。髭にも白いものが目立つ。九度山にいたころ、姉への文に「歯も抜け、髭も黒いところがない」と書いたのを、この老人は横から覗いて知っている。
「昨日のことを、お考えでしたな」
内記は遠慮というものを九度山に置いてきたらしい。信繁は答えず、東の空の白みはじめたあたりを見た。
昨日、五月六日。道明寺。
ひどい霧だった。五間先の旗も見えず、真田隊がようやく誉田のあたりへ出たときには、後藤又兵衛基次はすでに討ち死にしていた。薄田兼相も死んだ。先に着いて待つと約したのは、信繁のほうだったのに。
霧のせいだと言えば、誰も責めはしない。毛利勝永などは「霧ではどうにもならぬ」と肩を叩いてくれた。だが信繁の胸の底には、もっと汚いものが沈んでいた。
(又兵衛殿がいなくなって、どこかで息をついた自分がいたのではないか)
後藤基次は黒田家を飛び出した天下の豪傑で、城内での声望は信繁より上だった。その男がいなくなれば、明日の大坂方の旗頭は真田になる。霧の中で、ほんの一瞬だけ、そう勘定した自分がいた。その一瞬を、信繁は今朝まで指先でなぞり続けている。
「わしはな、内記。ろくな人間ではないぞ」
「存じております」
即答だった。信繁は思わず声を立てて笑い、慌てて口を押さえた。陣中で大将が夜中に笑えば、兵が何事かと首を伸ばす。
「十四年、殿が焼酎をねだる文を書くのを見てまいりました。壺の口をしっかり封じて送ってくれ、と三度も念を押しておられた。ろくな人間かどうかは、とうに分かっております」
「あれは、ただの酒好きだ」
「左様で」
内記の皺だらけの口元がゆるんだ。それから、ふと声を落とした。
「大殿が亡くなられる前の晩のことを、覚えておいでですか」
覚えている。慶長十六年の夏、九度山の庵は蒸し暑く、蚊遣りの煙が目に染みた。父の昌幸は痩せた腕で信繁の手首をつかみ、徳川を討つ手立てを碁の手順を並べるように語った。三年のうちに必ず戦が起きる。そのときは城に籠もるな、打って出て家康の首だけを狙え。お前では無理だろうが、わしならばできる――。
最後のひと言は余計だった、と信繁は今でも思う。
「親父殿は、わしでは無理だと思っておられた」
「そうは仰せになっておりませぬ」
「言うたも同じよ。名のない者の言うことに誰が耳を貸す、とな」
昌幸の言ったとおりだった。大坂城に入っても、軍議で信繁の策が通ったことはほとんどない。冬の陣で城の南に出丸を築いたときも、大野治長らは渋い顔をした。その出丸で徳川勢をさんざんに打ち破って、ようやく城内の者が真田の名を覚えた。
内記は何か言いかけて、やめた。夜風が山を渡り、篝火の煙がこちらへ流れてくる。松脂の焦げる匂いに混じって、遠く敵陣の馬のいななきが届いた。
信繁は采配を握り直した。手のひらの汗で、柄が少し滑った。
二 六文の銭
日が昇ると、平野の靄は地を這うほどに薄れた。昨日とはまるで違う。今日は敵の旗の紋まで見えるだろう。
「大助を呼べ」
ほどなく、具足を鳴らして息子の大助幸昌が駆けてきた。まだ頬に子どもの丸みが残っている。それでも昨日の道明寺では、敵の首をひとつ挙げてきた。
「父上、お呼びでございますか」
「城へ戻れ」
大助の足が止まった。鎧の草摺がかちりと鳴って、それきり音がしなくなった。
「……なぜでございますか。わたくしは父上と共に」
「上様のお側に付け。そして上様に、ご出馬を願い奉れ。千成瓢箪の馬印が城の外へ出れば、兵の目の色が変わる。それを申し上げられるのは、真田の倅であるお前しかおらぬ」
理は通っている。通っているからこそ、信繁は自分の口から出た言葉が嫌になった。
城内には、真田が徳川に寝返るのではないかと噂する者がいる。この春にも叔父の真田信尹が使いに来て、信濃一国をやるから徳川に付けと囁いていった。信繁は断ったが、断ったことを知っているのは信繁と信尹だけだ。だから息子を城へ入れておく。それは人質を差し出すことと、どこが違うのか。
それに、城へ戻せば大助は野で討たれずに済む。城が落ちれば同じことだとしても、上様のお側で果てるなら、それは犬死にではなく殉死になる。真田の名に傷はつかない。
(わしは息子を守りたいのか、名を守りたいのか)
答えは出なかった。たぶん両方で、どちらの重さが勝つのかを確かめるのが怖かった。
「嫌でございます」
大助が言った。唇が震えていた。
「父上は、わたくしが役に立たぬとお思いなのでしょう。昨日の首では足りませぬか」
「足りぬ」
信繁は腰の巾着から、紐を通した六枚の銭を取り出した。古びて縁の欠けた永楽銭である。父の昌幸が九度山で死ぬ前に、信繁の手に握らせたものだった。
「三途の渡し賃だ。真田の者は、いつでもこれを持って戦に出る。持っていけ」
大助は銭を受け取り、しばらく手のひらの上で見下ろしていた。それから、ぎゅっと握りしめた。
「父上の渡し賃は、どうなさるのです」
「わしは船頭と顔なじみだ。つけで乗せてもらう」
大助が泣き笑いのように鼻をすすった。信繁はその背を押した。思ったより背中が広くなっていて、手のひらの置き場に一瞬迷った。
大助は一度だけ振り返り、深く頭を下げて山を駆け下りていった。信繁は手を挙げなかった。挙げれば、呼び戻してしまいそうだった。
三 千畳敷の軍議
二日前、五月五日。大坂城、千畳敷。
畳の青い匂いが、広間の隅までこもっていた。上段に座る豊臣秀頼は二十三歳。並の武者より頭ひとつ大きく、肩幅もある。だが膝に置かれた手は、戦場の泥を一度も知らぬ白さだった。
「左衛門佐。茶臼山で敵を引きつけ、明石の手勢が背後へ回る。そう申すのだな」
秀頼の声は穏やかで、よく通った。信繁は平伏したまま答えた。
「仰せのとおりにございます。冬の和議で堀を埋められ、この城はもはや裸城。籠もれば、ただ干上がるのを待つばかりにございます。打って出るよりほかに道はございませぬ」
「敵は十五万と聞く。こちらは、その半ばにも満たぬ」
「数では勝てませぬ。狙うは家康の首ただひとつ。明石全登殿が船場より回り込み、我らが正面から斬り込む。そして上様が千成瓢箪を押し立ててお出ましになれば、徳川方の豊臣恩顧の大名どもは、刀を抜く手が鈍りましょう」
広間がざわめいた。下座から、大野治長がゆっくりと顔を上げた。
「上様を、城の外へお出しせよと申されるか」
「申しております」
「万が一のことがあれば、取り返しがつきませぬぞ」
治長の声は丁寧だったが、目は冷えていた。この男は豊臣の家を守ろうとしている。守ろうとしている者は、いつも賭けを嫌う。信繁はそれを責める気にはなれなかったが、胸の奥がちりちりと焦げた。
「修理殿。上様がお出ましにならねば、兵は誰のために死ぬのか分かりませぬ」
治長が口を開く前に、横で毛利勝永が膝を叩いた。
「左衛門佐の申すとおりだ。わしは乗る」
勝永は口数の少ない男で、言うことはいつも短い。その隣で、後藤基次も黙って大きく頷いていた。翌日、霧の道明寺で死ぬことになる男の、太い首の動きだった。
秀頼はしばらく天井の格子を見上げていた。やがて、静かに言った。
「考えておこう」
その一言で軍議は終わった。広間を出る廊下で、信繁は板目の継ぎ目を数えながら歩いた。考えておこう、という言葉が何を意味するかは、十四年の浪人暮らしで嫌というほど知っていた。
後ろから、どすどすと重い足音が追いついてきた。毛利勝永だった。
「左衛門佐。上様は出ぬぞ」
「分かっております」
「分かっておって、まだ待つ気か」
「待ちます。待たずに出れば、十五万の真ん中で犬死にするだけにございます」
勝永は太い指で顎の髭をしごいた。土佐で長く預かりの身だった男で、妻子を置いて城へ入ってきた。帰る場所がないのは、信繁と同じだった。
「わしは気が短い。明後日、敵が鼻先まで来たら、待てずに撃つかもしれぬ」
「そのときは、こちらも出るよりほかにございますまい」
勝永はにやりと笑い、信繁の肩をひとつ叩いて去っていった。叩かれたところが、しばらくじんと熱かった。
九度山では、誰もが信繁を「安房守昌幸の倅」と呼んだ。父が死んでからは「伊豆守信之の弟」と呼ばれた。兄の信之は徳川に付き、いまや九万石を超える大名である。今日の徳川方の陣にも、兄の倅たちが加わっていると聞く。
真田左衛門佐信繁、という名前だけで呼ばれたことは、生まれてこのかた一度もない。
(それを、明後日だけは呼ばせてやる)
廊下の突き当たりで、信繁は柱に手をついた。木の冷たさが、熱を持った手のひらに心地よかった。
四 獅子吼
五月七日、正午。
日が真上に来て、茶臼山の草いきれがむっと立ちのぼった。赤い具足の中で、兵たちの汗が背を伝って落ちていく。信繁は床几に腰を下ろしたまま、天王寺の南に陣取る毛利勝永の旗を見ていた。
まだだ。明石全登の手勢は船場からの道半ばで、上様の馬印も城を出たという報せはない。敵をもっと引きつけ、全登が家康の背へ回り込むのを待たねばならない。
その時だった。
南の方角で、乾いた音が立て続けに弾けた。鉄砲である。一発、二発ではない。数百の筒が一斉に火を噴き、白い煙がもうもうと湧き上がった。
「毛利勢が……撃ちかけております!」
物見が転がるように駆け込んできた。毛利の前に迫った本多忠朝の隊と、小競り合いから撃ち合いになったらしい。止める間もなく、勝永の兵は前へ出ていた。
「早い……!」
信繁は床几から立ち上がった。手筈は崩れた。全登は間に合わない。上様はお出ましにならない。いま動けば、ただ正面から十五万にぶつかるだけになる。
かといって、毛利勢を見殺しにすれば、天王寺口は崩れる。崩れれば、待つべき機そのものがなくなる。
内記が横に来た。皺の奥の目が、まっすぐ信繁を見ていた。
「殿。九度山の十四年、殿が声を荒らげなさるのを、内記は一度も聞いたことがございませぬ」
「それがどうした」
「一度くらい、聞かせていただきとうございます」
信繁は老臣の顔を見返した。それから、ゆっくりと兜の緒を締め直した。顎の下で結び目がきしんだ。
馬に跨がる。眼下には松平忠直の越前勢一万五千が、黒い波となって広がっていた。その奥に、家康の本陣がある。
信繁は息を吸った。腹の底まで、硝煙の混じった熱い風を吸い込んだ。
「――掛かれぇぇっ!!」
山が震えた。十四年分の声だった。九度山の庵で飲み込んできた悔しさも、兄への妬みも、又兵衛への後ろめたさも、ひとつ残らず腹の底から叩き出した。赤備えの兵たちが一瞬、呆けたように大将を見上げ、次の刹那、地鳴りの鬨で応えた。
真田隊三千五百が、茶臼山を駆け下りた。
先頭が越前勢の前衛にぶつかる。槍の柄が折れる音、馬の悲鳴、具足の鉄が擦れ合う音が、一つの轟きになって耳を塞いだ。泥と血の臭いが鼻を突く。
正面から、若い越前の侍が槍を突き出してきた。まだ二十にもならぬ顔で、口が「わあ」の形に開いている。信繁は穂先を払い、返す柄でその兜を打った。若者は馬から落ち、泥の中で手足をばたつかせた。とどめを刺す暇はない。信繁はその脇を駆け抜けた。後ろで、赤備えの誰かが若者の首を落とす音がした。
あの若者にも、待つ母がいるのだろう。そう思ったのはほんの一瞬で、次の敵が来たときにはもう忘れていた。忘れられる自分が、少し恐ろしかった。
信繁は馬上から槍を振るいながら、近くの兵に怒鳴った。
「叫べ! 浅野が寝返った、と叫べ!」
兵たちが口々に叫ぶ。「浅野が裏切ったぞ!」「紀州勢が寝返った!」。折しも、浅野長晟の隊が紀州街道を回って動いていた。その動きが、徳川方の目には背後を衝く寝返りに映った。
越前勢の陣が、大きくたわんだ。
卑怯と言われようが構わぬ、と信繁は思った。名が残るなら、手立ての綺麗汚いなど誰も覚えていない。父の昌幸なら、もっとえげつない嘘をついただろう。
五 同じ紋
越前勢の前衛を突き抜けた先で、信繁は見覚えのある旗を見た。
黒地に、六つの銭。
真田の六文銭だった。兄・信之の倅たちが率いる隊が、本多勢の脇に固まっていた。信之自身は病で江戸に残ったと聞いている。旗の下で槍を構えているのは、まだ若い甥たちとその家来であろう。
赤備えの兵の足が、目に見えて鈍った。同じ紋に槍を向けることに、誰もが一瞬ためらったのだ。
「殿、いかがなされます」
内記が馬を寄せてきた。信繁は答えなかった。手綱を握る指に、勝手に力がこもっていた。
(ここで甥の首を挙げれば、兄上は泣くだろうか)
そう思った。思ってしまった。九度山で米にも事欠いていたころ、兄から届く仕送りの包みを開けるたびに、礼の文を書きながら腹の底でどす黒いものが渦を巻いた。同じ父から生まれ、片や九万石、片や流人。兄は何ひとつ悪くない。悪くないから、なおさら憎かった。
六文銭の旗の下で、若い武者がひとり、こちらを見て槍を止めた。兜の下の目が大きく見開かれている。その目に、信繁は若いころの兄の目を見た気がした。上田の城で、まだ二人とも前髪だったころ、木刀で打ち合って泣かせたときの目だった。
信繁は手綱を引き、馬首を左へ切った。
「あれは捨て置け。目指すは家康の本陣のみ!」
兵たちが、ほっとしたように向きを変える。信繁は六文銭の旗を背に、二度と振り返らなかった。
甥を見逃したのは情けか、と問われれば、信繁は首を横に振っただろう。ここで兄の家に傷をつければ、真田の家そのものが徳川に咎められる。信繁が今日死んでも、真田の血は兄の家で続いていく。それを潰してまで欲しい首ではなかった。
(兄上。家はそちらで持っていかれよ。わしは名をもらう)
そう胸の中で言い捨てると、不思議と手綱が軽くなった。
六 金扇の馬印
二度目の突撃で、越前勢の奥に控えていた諸隊を蹴散らした。
三度目。
信繁の目の前に、家康の本陣が開けていた。旗本たちが算を乱して逃げ惑っている。誰かが「大御所様をお逃がし申せ!」と叫んでいた。その声は裏返り、悲鳴に近かった。
そして、金色の大きな扇が傾いた。
家康の馬印である。それがゆっくりと横倒しになり、泥の中に沈んでいくのを、信繁は馬上から見た。三方ヶ原で武田信玄に追われて以来、この馬印が倒れたことは一度もないと聞いていた。
胸の奥で、何かが弾けた。笑いだったのか、叫びだったのか、自分でも分からなかった。
(倒した。真田が、倒した)
あと少しだった。家康がどの方角へ逃げたか、物見を出せば分かる。あの老人の首まで、あと数町。
本陣の幔幕が引き裂かれ、地面に輿がひとつ転がっていた。担ぎ手は逃げ散り、簾が半分ちぎれている。信繁は馬を寄せ、槍の石突で簾を払った。
中は空だった。だが敷かれた錦の褥には、まだ人の重みの窪みが残っていた。手を差し入れると、ほのかに温かい。脇には薬の包みと、食べかけの干し柿がひとつ落ちていた。
信繁は、しばらくその干し柿を見下ろしていた。
天下を手にした男が、戦の最中に干し柿をかじっていた。歯はまだ丈夫なのだろう。七十を過ぎて、なお。
(この温みの主を、わしは殺しに来たのだ)
腹の底から、乾いた笑いがこみ上げてきた。憎いと思ったことは、一度もなかった。ただ、どうしても勝ちたかった。父が勝てなかった相手に、兄が膝を屈した相手に、一度でいいから「真田信繁」の名で勝ちたかった。
「家康は南へ逃げた! 追え!」
叫んだ声は、自分でも驚くほどかすれていた。
だが、兵がいなかった。
振り返ると、三千五百いた赤備えは、もう数百に減っていた。誰もが肩で息をし、槍を杖にしている者もいる。対する徳川方には、まだ戦っていない隊がいくらでもあった。井伊の赤備え、藤堂の手勢、立ち直った越前勢が、四方からじわじわと寄せてくる。
「殿!」
内記の声がした。振り向いた先で、老臣の馬が棹立ちになっていた。その胸に、槍が二本突き立っている。内記は馬から落ちながら、それでも信繁のほうへ手を伸ばした。
「……聞かせて、いただきました」
それが最後だった。泥の中に倒れた内記の顔を、後ろから来た敵の足が踏み越えていった。
信繁は声を上げなかった。もう声は残っていなかった。喉の奥が焼けて、唾を飲み込むだけで血の味がした。
愛馬が膝を折ったのは、それから間もなくだった。首筋に鉄砲玉を受けていた。信繁は鞍から転げ落ち、地面に手をついた。手のひらに小石が食い込んだ。全身には矢傷と槍傷がいくつもあり、赤い具足はもう、どこまでが漆でどこからが血なのか分からなかった。
「殿を、お連れしろ!」
生き残った足軽が、信繁の腕を肩に回した。引きずられるようにして、信繁は戦場を離れていった。背後で、金扇の馬印が再び立ち上がる気配がした。
七 安居天神
安居天神の境内は、戦場の騒ぎが嘘のように静かだった。
楠の葉が風に鳴り、どこかで鶯がとぼけた声で鳴いている。石段の脇に湧く水が、ちろちろと音を立てていた。信繁は社の裏手の、太い木の根元に腰を下ろしていた。供の足軽は水を汲みに行ったまま戻ってこない。逃げたのかもしれないし、討たれたのかもしれない。どちらでも、責める気にはならなかった。
采配は途中で折れていた。柄だけになったそれを、信繁はまだ握っていた。
(大助は、城に着いたか)
着いたはずだ。あの子の足は速い。今ごろは上様のお側で、六文の銭を握りしめているだろう。
(内記は、つけで乗せてもらえたかな)
あの頑固者のことだ。船頭と揉めているかもしれない。そう思うと、少しだけ口元がゆるんだ。
息を吸うたびに、脇腹の傷が引きつった。具足の紐が血を吸って固くなり、ほどこうとしても指が動かない。それでも頭だけは妙に冴えていて、昔のことばかりが次々に浮かんできた。
去年の秋、九度山を抜け出した夜のことだ。見張りの村人たちを庵に呼び、ありったけの酒を振る舞った。皆が酔いつぶれて鼾をかきはじめたころ、信繁は大助と内記を連れて裏の山道へ出た。月が明るく、草鞋の下で枯れ葉がかさかさ鳴った。あの夜の大助は、物見遊山にでも出るように浮かれていた。
(あれが、わしの一番うまい手立てだったかもしれぬ)
十四年かけて学んだのは、酒の振る舞い方だけだったのか。そう思うと可笑しくて、信繁は小さく咳き込んだ。手で口を押さえると、指の間から赤いものがこぼれた。
玉砂利を踏む音がした。
鳥居のほうから、一人の武者が槍を構えて入ってきた。越前勢の旗指物を背負っている。四十がらみの、日に焼けた顔の男だった。男は信繁の赤い具足を見て、足を止めた。
「そこにおわすは、名のある方とお見受けいたす。拙者は越前松平家中、西尾宗次」
律儀な男だった。信繁は木の根に背を預けたまま、ゆっくりと兜の緒を解いた。兜を脱いで、膝の脇の草の上に置く。汗に濡れた髪に、楠の木陰の風が冷たかった。
「わしはもう、槍も持てぬ。遠慮はいらぬ」
宗次は槍の穂先を下げなかった。だが踏み込みもしない。信繁の目を見たまま、喉を一度上下させた。
「……お名前を、伺えましょうか」
信繁は少し考えた。真田左衛門佐信繁。生まれてこのかた、その名前だけで呼ばれたことは一度もなかった。今日、茶臼山から叫んだあの声を、敵も味方も聞いたはずだ。
それなら、もう名乗らなくてもいい気がした。
「名は、首が名乗るであろう。この首、おぬしの手柄にするがよい」
宗次の槍が動いた。
鶯が鳴きやみ、楠の葉が一枚、兜の上に落ちた。
八 首実検
その日の夕刻。茶臼山。
真田が陣を張っていた山の上に、徳川家康の床几が据えられた。西の空が赤く焼け、大坂城の方角からは黒い煙が幾筋も立ちのぼっている。風に乗って、木と瓦の焼ける匂いがここまで届いていた。
家康は七十四だった。昼に馬印が倒れたとき、輿を捨てて逃げた。逃げながら「もはやこれまで、腹を切る」と口走り、近習にしがみつかれて止められた。そのことは誰も口にしない。家康自身も、口にするつもりはなかった。
三方ヶ原で信玄に追われたとき、家康は三十一だった。あのときは恐ろしさのあまり、馬の上で粗相をした。七十四になって、また同じ思いをさせられるとは考えてもいなかった。それも、名も知らなかった浪人の倅にである。
「越前の西尾宗次が、真田の首と申すものを挙げてまいりました」
近習の言葉に、家康は首桶を開けさせた。中の顔は、思っていたより小さかった。歯の抜けた口が、わずかに開いている。
「真田隠岐守を呼べ」
叔父の真田信尹が呼ばれた。信尹は首の前に膝をつき、長いあいだ黙って見下ろしていた。
「……死に顔というものは、変わるものにございます。しかとは、分かりかねまする」
家康はじろりと信尹を見た。この男は甥の顔を知っている。知っていて、分からぬと言っている。それが甥へのせめてもの情けなのか、徳川への遠慮なのか、家康には興味がなかった。
「よい。首は丁重に扱え」
家康は膝に置いた自分の采配を見下ろした。房の一筋が、昼の騒ぎでちぎれかけていた。指先でそれをつまみ、しばらく弄んでから、黙って引き抜いた。
数日後、薩摩の島津家久は国元への書状に、真田を「日本一の兵」と書き記すことになる。だがそれは、まだ先の話である。
九 山里曲輪
同じ夜。大坂城。
天守が燃えていた。炎が夜空を舐め、火の粉が雪に似た細かさで本丸に降りそそいでいる。熱い風が吹き抜けるたびに、どこかで梁の崩れる音がした。
山里曲輪の土蔵の前で、大助は膝をついていた。
落ちのびてきた足軽から、父の最期を聞いたばかりだった。安居天神で、越前の者に討たれた。高梨内記も、戦場で死んだ。
泣こうとしたが、涙が出なかった。代わりに腹の底が熱くなり、喉の奥がひくひくと震えた。
結局、上様は城を出なかった。大助は朝から何度も御前に進み出て、父の言葉を伝えた。千成瓢箪を押し立てて、どうか茶臼山へ。上様は一度は具足を着けられた。だが、母君の淀殿や大野治長が袖にすがり、桜門まで出たところで日が傾いた。そのあいだに、父は死んだ。
(わたくしは、父上の言いつけを果たせませんでした)
悔しさが、遅れて目の奥を突き上げてきた。大助は唇を噛み、血の味がするまで噛みしめた。泣くのは、まだ早い。
大助は懐から、紐を通した六枚の銭を取り出した。火の明かりを受けて、縁の欠けた永楽銭が赤く光った。
(つけで乗せてもらう、と仰せでしたな、父上)
それなら、この六文は自分が使えばいい。いずれ向こう岸で会ったとき、父の分は自分が払ったのだと言ってやればいい。
背後で、重い足音が止まった。振り向くと、煤で真っ黒になった毛利勝永が立っていた。具足の袖が片方ちぎれ、腕に巻いた布から血が滲んでいる。
「左衛門佐の倅か」
「……大助にございます」
「わしが先に撃った。待てなかった」
勝永はそれだけ言って、大助の手の中の銭に目を落とした。しばらく黙っていたが、やがて太い指で自分の頬をこすった。煤が伸びて、顔の半分が黒くなった。
「おぬしの親父は、待てと言うたのだ。わしが撃たねば、もう半刻は待てた。半刻あれば、明石が回り込んでおった」
大助は首を横に振った。父ならば、きっと笑ってこう言うだろう。
「父は、そのときはこちらも出るよりほかにない、と申しておりました」
勝永の喉が、ごくりと鳴った。勝永は何も言わず、大助の肩をひとつ叩いて土蔵の中へ入っていった。叩かれた肩が、じんと熱かった。
大助は銭の紐を腰帯に通し、きつく二度結んだ。結び目を指で確かめ、立ち上がる。
土蔵の扉の向こうで、上様が待っていた。
大助は扉に手をかけた。背後で天守の大屋根が崩れ落ち、地響きが足の裏を突き上げた。




