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『実践論』 唯物論 実践 認識 感覚 印象 概念

毛主席の実践論の中の名詞解説です。

『実践論』

唯物論

唯物論は唯物主義とも呼ばれ、哲学における2つの基本宗派(学派)のうちの1つである。唯心論(観念論)とは相反するものであり、哲学の基本問題である「物質と意識の関係性」を正しく解決したものである。物質が先で意識が後である、すなわち物質が第一性であり、意識は第二性であると考える。哲学の歴史において、唯物主義は一般的に社会における先進的な階級や進歩的な勢力の世界観であり、かつ科学の発展と結びつき、科学的成果を根拠としてきた。古代から現代に至るまで、唯物主義哲学はさまざまな発展段階を経てきた。例えば、古代の素朴な唯物主義、17〜18世紀の近代唯物主義などである。

マルクス主義の弁証法的唯物論は、唯物主義の発展における最高形態である。それはこれまでのあらゆる唯物主義の欠点や誤りを克服した、唯一の徹底的かつ科学的な唯物主義である。


実践

実践とは、人類が自然を改造し、社会を改造するさまざまな実際の活動のことである。例えば、農民が畑を耕すこと、労働者が工場で働くこと、販売員が商品を売ること、教師が勉強を教えること、俳優が演技をすること、科学者が研究を行うこと、軍人が戦争をすること、現在の農村や都市で行われている社会主義教育、そして革命闘争を行うことなどは、すべて実践活動である。これらを概括すると、階級闘争、生産闘争、科学実験の3つの側面に分けることができる。


認識

認識とは、客観的な事物や客観的な法則が、人間の頭脳の中に反映されたものである。人間のさまざまな認識は、結局のところすべて実践の中から得られたものであり、かつ実践の発展に伴って発展する。認識の正しさと誤りを検証する基準もまた、実践である。正しい認識は、実践に対して重大な指導的役割を果たす。


感覚

我々の身体にある感覚器官(耳、目、鼻、舌、皮膚など)が外界の事物と接触すると、色、音、冷熱、酸甘、香臭といったさまざまな感覚が生じる。例えば食塩の場合、目で見ると白く、手で触ると硬く、口で食べるとしょっぱい。これらの白さ、硬さ、しょっぱさこそが各種の感覚である。感覚は我々が客観的な事物を認識する第一歩であり、あらゆる知識の最初の源泉である。


印象

印象は、人間が感性的な認識の段階において比較的高次な思考形式の一種である。我々が過去のさまざまな感覚を総合し、頭の中に形成した客観的事物に対する認識、すなわち現在の事物から離れた後に残される記憶である。例えば、大寨だいさいを見学した後に、大寨の棚田の様子を思い浮かべることができるような場合である。このような記憶こそが、見学後に生じた印象である。


概念

一つの事物には多くの側面が存在するが、その中には本質的なものもあれば、非本質的なものもある。人間が実践を通じ、一つの事物に対して分析、総合、研究を行い、非本質的なものを切り捨てて本質的なものを抽出し、それを一つの言葉で表したものを概念と呼ぶ。

たとえば、貧農や下層中農は概念である。この二つの概念は農村のプロレタリアートと半無産階級を代表しており、どの民族の貧農や下層中農であっても、すべて農村における革命で拠り所とすべき対象である。

また、「本」も一つの概念であり、大型本か小型本か、中国語か外国語か、文学か政治かに関わらず、文字によって思想内容を表現し、綴じて冊子にしたものすべてを代表している。

概念が形成されるということは、すでに事物の本質を捉えていることを示しており、ゆえに概念は理性認識に属する。


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