第9話 胡散臭い老魔術師の泥棒稼業(ギルギアス視点)
王城を囲む湿り気を含んだ夜風が、王都の一等地にそびえる別邸の植え込みをザワザワと揺らしていた。
東部領主、バレストロ侯爵が私費を投じて築き上げたその邸宅は、今や治外法権という名の厚い装換を纏っている。
静寂とは程遠い不格好な騒がしさが漂っておった。
「おい、そこを歩くな!魔法探知機の範囲がズレるだろうが!」
「す、すみません。しかし、この辺りは特に感度を上げていると聞きまして……。少しでも風が吹くと警告音が鳴り止まぬのです」
「うるせえ!俺たちは侯爵様から羽虫一匹通すなと厳命されてんだよ!騎士団どもがいつ嗅ぎ回りに来てもいいように、常に警戒をしておけ!」
屋敷の周囲を固めるのは、バレストロが自前で買い入れた武装私兵どもだ。
揃いも揃って柄の悪い連中だが、その装備だけは一級品。
王家の正規軍ですら手を焼くような、最新の魔動鎧や対魔術障壁の発生装置をこれ見よがしに展開している。
さらには、並の隠密が触れた瞬間に神経を焼き切り、絶命させるという高濃度の魔力障壁が三重に張り巡らされ、夜の闇の中でピリピリと不吉な紫の火花を散らしていた。
「はぁ〜ぁ。昨日今日でえらく物騒になったもんで。よほど心当たりがあるんじゃな。あのデブ侯爵め」
その厳重な警備のわずか数歩横。
庭園の石柱に寄り添うようにして、ギルギアスは大きく口を開けて欠伸を噛み殺した。
私兵どもの鼻先を通り抜けているというのに、誰一人気づく様子はない。
儂の身体を包んでいるのは、ただの煤けた魔道衣ではない。
光を不自然に屈折させ、周囲の風景と完全に同化させる『虚飾の影』を纏った、隠密用の最高級魔道衣だ。
右手に握った古びた短剣を、空に向けて滑らせる。
障壁を構成する魔力の糸を、一本一本丁寧に、かつ正確に切り裂いていく。
力任せに破壊すれば警報が鳴り響くが、流れを整え隙間を作るだけなら造作も無い。
魔法と盗みの技──その相反する二つを極めた儂にとって、この程度の金に物を言わせた最新式は、子供が泥遊びで築いた城壁と大差ない。
「しかし、まぁ……」
障壁の隙間を滑るように擦り抜け、屋敷の壁をヤモリのようにしなやかに這い上がりながら、儂は心底面白くない気分で独り言を吐き出した。
「昨夜、あのお堅いヴォルデンから呼び出されて『陛下の顔に泥を塗る毒虫から、証拠を盗み出せ』と頭を下げられたかと思えば。今朝は今朝で、その女王陛下から直接、一字一句同じことを命令されるとはな」
ヴォルデンも衰えたものよ。
あいつは「ルゼリア様はまだ幼く、守られるべき雛鳥だ。この汚泥は我ら老い先短い者が引き受ければいい」と本気で信じ込んでおる。
だからこそ忠臣としての誇りを捨ててでも、儂のような不道徳な『影』に手を回した。
──だが、あの時の陛下はどうじゃった?
建国の時代から存在するといわれる王冠を、恭しくクッションの上に鎮座させ。
儂が「面倒じゃ」とお決まりの不平を漏らせば、間髪入れずに『お灸』をチラつかせて脅してきた。
あれは、ただの増長した子供の台詞ではない。
儂のような百戦錬磨の老人の性格を完全に見抜き、逃げ道を塞いだ上での冷徹なまでの交渉術だ。
「(それにあの時……王冠の宝石が微かに光った瞬間。ありゃあ、ただの飾りじゃねえな)」
思考を止め、屋敷の三階にある主寝室へと忍び込む。
高級な香水の匂いと脂ぎった生活臭が混ざった不快な空気。
その奥にある隠し書庫の壁面に、バレストロが命の次に大事にしている金庫が鎮座してあった。
鋼鉄の扉には触れた者の魔力を根こそぎ吸い取り、数秒で干からびたミイラに変えるという死の抱擁の呪印が、おぞましい赤黒い光を放っている。
防衛魔術としては、確かに禁忌に近い代物だ。
「(やれやれ。こんなおぞましい呪印を使うとは、バレストロのデブめ、よほど性格が歪んでおるな。まあ、儂の天才的な魔力操作にかかれば、こんな玩具は赤子の手をひねるよりたやすいもんよ──ほれ、開いたわい)」
鼻歌交じりに、儂は短剣の先を呪印の中心点へと、慎重に食い込ませた。
魔力を吸い取る?上等じゃ。
ならば、この呪印の許容量を超えるほどの魔力を逆に一気に流し込んで、回路そのものを物理的に破壊してやるわい。
パチンッ、という小さな乾いた弾ける音。
赤黒い呪印の光が失われ、重厚な扉が音もなく、ゆっくりとその口を開いた。
中に詰め込まれていたのは、不当な利益の結晶である金貨の山と帳簿。
その中から、一見するとただの料理のレシピにしか見えない魔法偽装が施された一冊を手に取った。
「(これじゃな。どれどれ……『不作演出のため収穫量の三割を地下倉庫へ隠匿。一割を意図的に廃棄処分。残る余剰分を隣国の闇市場へ四割増しで横流しする』……ほう、これまたドエライものが出てきおった)」
ページを捲るたびに、胸の内に冷たい感情が溜まっていくのが分かった。
自分の領地の民をあえて飢えさせて、その苦しみを悲劇の被害者を演じるための道具に使い、裏では他国と通じて私腹を肥やす。
デブのくせにやることは蛇のように陰険で、下卑た強欲さに満ちておる。
「(……ま、儂の仕事はここまでじゃ。どっちに転んでも、あの豚貴族が破滅することに変わりはないからのぅ)」
ふと、金庫の横の棚に置かれた豪華な化粧箱が目に留まった。
宝石を散りばめたような意匠、中にはバレストロが秘蔵している最高級の焼き菓子が並んでおる。
「(ほう。これほど汚い金を持ってはおるのだ、菓子の一つでも陛下への土産にしてやろうか)」
指先を伸ばし、その一つを摘まみ上げたが──直後、ギルギアスは心底嫌そうな顔をしてそれを放り出した。
「(見た目こそ煌びやかじゃが、保存の魔法を無理やり込めておるせいで魔力がひん曲がっておる。それにこの油の匂い……脂ぎった豚にはお似合いじゃろうが、あんな可憐な陛下に食べさせたら一発で腹を壊すわい。毒を喰うのと大差ないわ)」
他の棚を漁ってみても、出てくるのは保存料たっぷりの砂糖漬けや、毒々しい色をした菓子ばかり。
栄養のことなど微塵も考えず、ただ贅沢を誇示するためだけの身体に悪い代物だ。
「(やれやれ。これじゃあ土産は帳簿きりか。せっかく陛下が喜ぶ顔が見られると思ったのに、これでは働き損じゃわい)」
帳簿を懐にしまい込み、来た道を戻り始めた。
窓枠にひょいと腰をかけ、眼下に広がる私兵たちの無意味な警備の灯りを見下ろす。
この帳簿をヴォルデンに渡せば、あいつは法と政治の正当な力を使って、何日もかけて侯爵を追い詰めるだろう。
だが、陛下──あの背伸びをした幼き女王様は、これをどう使うつもりか。
彼女には、御前会議という最短の舞台が用意されておる。
「そういえば、陛下には今日中に届けると言ってしもうたな。ヴォルデンの奴に報告するのは……明日の昼頃にでもしておこうか。年寄りは足腰が弱いんじゃ。不平等な扱いを受けるのは世の理というものじゃろう?」
儂はニヤリと誰に見せるでもない下品な笑みを浮かべ、夜光虫のように静かに虚空へと溶けて消えた。
儂がどちらの「味方」なのか?
そんなことは、考えるまでもなかろう。
長年見飽きた、正しさだけを追求する退屈なジジイより、可愛らしくてちょっぴり恐ろしい未来を見せてくれそうな幼き女王陛下の方が──。
──断然、楽しいに決まっているじゃろう?
「はぁ〜ぁ。さて、仕事が終わったら夜勤のメイドさんたちでも覗いてから帰るかのぅ」
老魔術師の不届きな囁きは誰の耳に届くこともなく、静かな夜風にさらわれて霧散していった。
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