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第2話 少食すぎる女王陛下と、過保護なメイド

 謁見の間を後にし、装飾が幾重にも施された重厚な扉が、地響きのような音を立てて完全に閉まった瞬間。

 少女――ルゼリアの小さな体から、限界まで張り詰めていた糸がプツリと切れたように、ふっとすべての力が抜け落ちた。


「ふうぅ……っ」


 吐き出されたのは、肺の底に溜まり続けていたひどく熱い息。

 白の豪奢なドレスに包まれた華奢な肩が、かすかに小刻みに震えているのがわかる。

 それを頭上からダイレクトに感じ取りながら、王冠は密かに自身の能力を発動し、自身の重みを羽毛よりも軽く調整した。


 ただでさえ幼い少女に重苦しい王冠を載せているのだ。

 このまま彼女がへたり込んでしまえば、反動で細い首がポキリと折れてしまうのではないかと心配になるほどだった。


『(おいおい、大丈夫か。いや、無理もない。あんなタヌキみたいな腹黒おっさん貴族たちを相手に、たったひとりで立ち向かったんだ。よくやったよ)』


 王冠は声に出せない労いの言葉を念じながら、静かに頭上に鎮座し続ける。

 その時、静寂に包まれた冷ややかな大理石の廊下に、厳粛な足音が近づいてきた。


「陛下。本日は誠にお見事な裁きでございました」


 響いた声は、先程まで玉座の横で厳然と控えていた白髪の老臣のものだった。

 深い皺が刻まれたその顔には、先ほどまで見せていた氷のような厳格さはすっかり影を潜め、どこか孫娘の成長を慈しむような柔らかな色が宿っている。


「最後のお言葉、此度の件で暗躍しようとする者どもへの見事な牽制となっておりました。ですが、あまりご無理をなさいませんよう。三日後の会議まで、しばしお心をお休めください──あとの根回しなど、我ら老い先短い者が泥を被る役目を果たしましょう」


 続いて、一段下がった場所から威圧感のある甲冑が重々しい音を鳴らし、一人の騎士が片膝を突いた。

 王国騎士団を束ねる長である。

 姿は巨岩のように屈強で、発せられた言葉には深い敬意と熱を帯びた本物の忠義がこもっていた。


「陛下。失礼ながら本日のお姿は実にご立派でございました。あのバレストロ侯爵の顔面が蒼白に染まる様……痛快の極みにございます。我ら騎士団、改めて陛下にこの命を捧げ、国家の腐敗を斬る剣となる誓いを新たにいたしました」

「……ありがとう。宰相、騎士団長」


 ルゼリアの返答は細かったが、女王としての威厳をかろうじて保ち、微かにうなずいてみせた。


『(へぇ、あの厳しい顔立ちのじいさんが宰相で、堅物そうなのが騎士団長か。嘘の気配はないな。口先だけじゃない、本物の忠誠心だ)』


 王冠の嘘の察知が、彼らの言葉に一片の欺瞞もないことを告げている。

 宰相があの場で真っ先にルゼリアを庇わなかったのは、彼女が自分の力で乗り切るのを見守っていたためなのだろうか。

 もし先走って庇えば、宰相の操り人形と見なされ、他の貴族たちからさらに侮られる……といったところだろう。


 苦渋の選択ができるほどに、この宰相は冷徹で深い忠誠心を持っているのだ。

 老臣と騎士が深々と一礼してその場を去り、廊下に再び静寂が戻ると、今度は二つの真逆のリズムを刻む足音が歩み寄ってきた。


 一つは、軍靴のように一切の乱れがない無音に近い足音。

 もう一つは、スキップでもしているような軽やかな足音。


「陛下、大変お見事でした。お部屋へ戻りましょう。周辺の安全確認はすでに完了しております」

「んふふ〜、ルゼリア様。今日も一日、本当にお疲れ様でしたね〜。さぁさぁ、温かくて良い香りのする湯浴みの用意をしていますよ〜」


 一人は、金色の髪を完璧にまとめ上げた、メイド服のシワ一つすら許さないような無表情の女性。

 その淀みのない所作からは一切の隙が感じられない。


 もう一人は、ひらりと赤い髪を揺らして現れた、大輪の花が綻ぶような妖艶な笑みを浮かべた女性。

 甘い香水のような空気を身にまとい、ふわりとルゼリアの側に寄り添う。


 無機質だがどこか誇らしげな声と、催眠術のように心地よく鼓膜を撫でる甘い声。


『(ほうほう。一人は徹底した有能クール系で、もう一人は甘やかし全振り系か……バランスがいい。しかも二人とも只者じゃない空気を纏ってるな)』


 王冠は内心で深く頷きながら、メイドたちの細やかな気遣いを静かに観察した。

 ルゼリアの態度を見れば一目瞭然だった。


 先ほどまで老臣たちに向けていた女王としての緊張も解け、警戒心を持たずに身を委ねていたからだ。

 この冷たく巨大な王宮の中で唯一、気を許せる存在なのだろう。


『(だが俺が意志を持ってお喋りできる件は、ルゼリア以外には秘匿しといた方がいいだろうな。無駄に勘繰られて魔道具として処分されたらたまんねぇし。切り札は隠しておくに限る)』


 王冠はすぐにただの装飾品のふりを決め込み、事の成り行きを静かに見守ることにした。

 私室に戻ると、メイド二人は手際よくルゼリアの頭から王冠を外し、ベルベット生地の最高級クッションの上に鎮座させる。


「さぁさぁ、ルゼリア様〜、私の声に耳を傾けて〜。だら〜っと力を抜いてくださいね〜。こんな重たいドレスなんて、ぜーんぶ脱いで楽になりましょ〜?」

「状況を確認。お召し物の速やかな着脱プロセスへ移行。私が完璧に補助いたしますので、陛下はただ立っているだけで構いません」


 赤髪のメイドが、とろけるような甘い声をかけながら巧みな手つきで背中の複雑な留め具を解いていく。

 それに合わせて、金髪のメイドが淀みない動作で次々と重たそうな生地を剥がしていく。


 何重にも編み込まれたコルセット、分厚い生地の層。

 それらの重厚なドレスの下から現れたのは――胸が締め付けられるほどに細い、あまりにも華奢な身体だった。


『(……おいおい。こんな折れそうなほど細い体で、あの重たい王冠と鎧みたいなドレスを背負って、あんなタヌキ親父どもと渡り合ってたのか。本当によく頑張ったなぁ)』


 その直後、ルゼリアは二人のメイドに連れられて浴室へと向かった。

 重い扉の向こうから聞こえる微かな水音とお湯の香りをお供に、王冠はクッションの上で一人、これからの戦略を練り直していた。


『(しかし、勢いで口出ししちまったけど、あのバレストロ侯爵ってやつ、絶対にこのまま引き下がらないよな。三日後に御前会議だっけか。また来るって言ってたし)』


 王冠は生前の記憶を持たないが、不思議なことに大人の狡猾さや交渉の基本といった知識はしっかりと脳に刻まれていた。

 あの中でルゼリアがつま弾きにしたのは、単なる一回きりの要求の却下に過ぎない。


 バレストロの目には明確な侮りと底なしの欲があった。

 次はもっと狡猾な手段で、幼い女王の逃げ道を完全に塞ぎに来る手はずだろう。


『(あいつの嘘とか目論見を完膚なきまでに叩き潰す絶対的な証拠とロジックが必要だ。……いや、作戦会議はルゼリアが戻ってきてからでいい。ひとまずは、あの小憎たらしい太っちょ貴族をどう料理するかシミュレーションでもしてやるか)』


 一時間後。

 たっぷりと湯気を纏い、どこか憑き物が落ちたようにスッキリとした顔のルゼリアが寝室へ戻ってきた。

 風呂上がりの彼女の金色の髪を見て、王冠は思わず目を見張る。


 謁見の間で見た、油で撫でつけたような堅苦しい結い上げとはまるで別物だった。

 小動物の毛並みのようにふわふわと膨らんで、一本一本がきらきらと光の粒のように揺れている。


『(あの髪、すげえふわふわだな!いわゆる、もふもふってやつだ。あれを毎日毎日、俺の重さで力いっぱい押し付けてたんか。そりゃあ髪も可哀想だ……明日からはもっと俺の質量を限界まで削っておこう)』


 そんな決意を新たにしていると、部屋の中央の大きなテーブルには、すでに豪奢な夕食が並べられていた。


「ん〜、見た目も香りも美味です〜。もちろん変なものは一滴たりとも入ってませんよ~。このクロエがしっかり確認しましたから、安心してお召し上がりくださいね〜」


 ふふっ、と艶やかに微笑みながら、赤髪のメイド――クロエが銀の匙ですくったスープを自身の口に含み、ウインクをして見せる。

 毒見役。

 彼女はそれをまるで味見のお裾分けのように明るくこなしているが、事実は残酷だ。


「幼い少女の毎回の食事に、暗殺の毒が盛られる可能性がある」という王宮の暗部を如実に示しているのだ。

 この国はそれほどまでに腐敗しきっているのか。


「現在の栄養摂取状況は不十分と判定。よって、この果実の摂取を強く推奨します。陛下のお身体の内側からのケアも務めにございます」


 金髪のメイドが、バインダーらしきものを見ながら淡々と告げる。

 テーブルの上には、滋味深い香りを漂わせる琥珀色のスープ、柔らかく煮込まれた肉料理、そして色鮮やかで甘い香りを放つ果物が皿に乗っている。


 これだけの過保護なサポートがあり、なおかつ育ち盛りの子供であれば、ペロリと平らげてしまうのが普通だろう。

 しかし――ルゼリアは銀の匙を手に取り、スープをゆっくりと二口だけ口に運んで、そこでピタリと手が止まってしまった。


「うん……ごちそうさま。『クロエ』、『シルヴィア』、いつもありがとうね」

『(えっ?ちょっ、待て待て、全然食べてないじゃないか!あの量じゃ体を維持できるわけがないだろうに。あんな美味しそうな果物も完全に手つかずじゃないか!)』


 申し訳なさそうに微笑むルゼリアを見て、王冠はクッションの上から声なき叫びを上げた。

 メイドたちも当然気づいている。

 シルヴィアの眉がほんの僅かに下がり、クロエの妖艶な瞳が一瞬だけ悲痛に揺れた。


 だが無理に食事を勧めることはしなかった。

 わかっているのだ。

 ルゼリアは食べないのではない。


 極度のストレスで胃が縮み上がり、食べられないのだということを。


『(……そりゃそうか。あんなタヌキ共に囲まれて、毎日いつ裏切られるかわからないプレッシャーの中で生きてたら、飯だって喉を通るわけがない。……ダメだ。こんなんじゃ、この子は本当に倒れちまう)』


 きっと毎日、欠かさずこんなやり取りが繰り返されているのだろう。

 王冠の芯の部分が、ギリリと痛んだ。

 温かかったはずの食事がほとんど手の付けられないまま静かに下げられ、いよいよ就寝の時間となる。


「本日の全タスクの完了を確認。明日の起床時間を設定。これより夜間警護モードへ移行します」

「──シルヴィアちゃん、今はリラックスタイムですよ〜。お仕事の顔はここまで。さぁさぁルゼリア様、このふわふわベッドに沈み込んで〜、嫌なことは何もかも忘れて、ぐっすり良い夢を見ましょうね〜。んふふ〜」


 二人に手厚く世話をされ、柔らかい寝間着に着替えたルゼリアは、天蓋付きのふかふかなベッドに潜り込んだ。

 二人が一礼して退室すると、広々とした女王の私室は絶対の静寂に包まれる。

 暗闇の中で、ただ聞こえるのは、ルゼリアの小さいながらも穏やかな寝息だけ。


『(……ルゼリア。お前が安心して夜はぐっすり眠れて、お腹いっぱい美味しいご飯を食べられるように……あの腹黒い連中を全部片付けてやるからな。三日後の会議、絶対に俺たちの完全勝利で終わらせてやる)』


 夜の静寂の中。

 ベルベットのクッションの上に鎮座する金色の王冠は、物理的な輝き以上に、燃えるような意志の光を帯びていた。


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