第14話 嵐の予感と、反撃の狼煙
──朝の静けさは、長くは続かなかった。
コン、コンコン。
その時、静寂を切り裂く丁寧かつ極めて正確なリズムのノックが響いた。
それに続くのは感情を抑えながらも、どこか急を告げる声。
「陛下、早朝より失礼いたします。極めて緊急度の高い不備につき、お客様を伴い参上いたしました。最優先事項としての処理を開始します」
入ってきたのは、メイドのアダリンだった。
彼女はいつもの隙のない接客スマイルを浮かべつつ、その背後でジタバタと暴れる影を細い腕で見事に制御している。
「あわわっ、アダリンさん!離してくださいーっ!陛下ーっ!大変なんです!ギルドの急報を持ってきました!悪いニュースと、もっと悪いニュースがありますよーっ!」
「ファンドラ様、陛下の前です。身だしなみを整えてください。陛下、商人ギルドのファンドラ様です。事態の深刻さはわたしの査定でマイナス100点です」
「アダリン!?」
ルゼリアが驚く間もなく、アダリンに解放されたファンドラが嵐のように円卓へと飛び込んできた。
彼女は肩で息をしながら、手にした紙をルゼリアの目の前に突き出した。
「た、大変なんです陛下!王都中のパン屋から小麦が消えました!バレストロ侯爵が息のかかった大店を動かして、今朝市場に出るはずだった穀物を全部、力ずくで買い占めさせちゃったんです!」
「なっ……!?市場の買い占め?でも、そんなことしたら……」
「そう、もっと悪いニュースはここからです!広場ではヤツらの回し者が『女王が減税を突っぱねて東部を怒らせたせいで、食糧の供給が止まった!』ってデマを流して回っています!その上で、侯爵は買い占めた小麦をパンにして自分の名前で民に無料で配り始めたんです。『王に代わって、ワシが諸君を救おう』なんて抜かして!」
予習していた「帳簿」という爆弾。
欠片も面白くない「民衆の煽動」という卑劣な策。
バレストロ侯爵は、実力行使で都を干し上げる。
さらには民衆に自分こそが救世主だと思い込ませることで、ルゼリアの支持を奪い取り、御前会議を前に彼女を精神的に孤立させるつもりなのだ。
『始まったか。向こうもなりふり構わず動き出したな……。ルゼリア、これは俺が焚き付けたも同然だ。ルゼリアの決断は俺が全力で支えてやるとも。全部まとめて掃除してやろうじゃないか!』
俺の念話に、ルゼリアの瞳に宿る光が一気に鋭さを増した。
「……バレストロ侯爵は、自分たちの私腹を肥やすために民を飢えさせるつもりなのだな」
ルゼリアは、円卓に並んだ帳簿と報告書の山を見つめた。
ギルギアスが暴いた組織的な横流し。
シルヴィアが精査した不自然な物価高騰の記録。
クロエが集めた侯爵の異常な浪費の噂。
そして、ファンドラが届けた民の命を人質に取る武力行使の報。
全ての点が、一つの悪意へと繋がった。
──許せない。
ルゼリアの心に宿ったのは、恐怖ではなく、かつてないほど激しい憤りだった。
民を飢えさせ、国を食い物にする毒虫を、これ以上野放しにはできない。
彼女はそっと、その小さな手で頭上の王冠に触れた。
そこから伝わってくる、温かくも力強い知恵の鼓動。
「(クラウン……力を、言葉を貸して。わたし、もう逃げない。この国を守るために、女王として戦うから)」
瞳の奥に宿る揺るぎない覚悟。
宝石の芯を通じて伝わってくる彼女の震えは、もう怯えではない。
嵐の中へ踏み出そうとする、誇り高き王位の熱量だ。
『任せておけ。最高の言葉を最高のタイミングで授けてやるさ。さあ、目の前にいる味方に伝えるんだ。ルゼリアがこの国の主だってな!』
俺の力強い肯定を受け、ルゼリアは深く息を吸い込み、女王として顔を上げた。
その澄んだ瞳の奥には、俺が彼女の決意に重なるよう紡ぎ出した王としての言葉が、導きの光のように鮮明に浮かび上がっている。
自らの覚悟を完璧な女王の威厳へと転化させるための道標──これこそが俺にできる最高の支援であり、『入れ知恵』の真髄だった。
「アダリン、宰相と騎士団長をここへ呼べ。緊急事態だ」
「査定を承認。最優先事項として処理いたします」
「シルヴィア。各領地の物価高騰と今回の物資差し止めの相関関係を民が聞いても分かるように一枚にまとめるのだ。御前会議で膿をさらけ出すための武器にする」
「任務了解。完璧な資料の提出を。ぴすぴす」
「クロエ。そなたの声で王都の民に真実を吹き込め。不作を装い自分たちだけ富を貪る侯爵の醜態をな。民の怒りを余の背を支える追い風とするのだ」
「んふふ〜、了解しましたですよ〜。民衆の皆様をわたしの声でいい夢から覚ましてあげますね〜」
「ルルーシュカ。そなたは、この嵐の盤面をすべて俯瞰せよ。余の目が届かぬ死角で蠢く影があれば、そなたの判断で摘み取れ。……余の背中は、そなたに託す」
「……ふうん。背中を預けるなんて。陛下にしては随分な口説き文句だね。いいよ。あなたが表の舞台で立派に踊れるように、裏方の掃除は完璧にこなしてあげる」
「ファンドラ。王都のギルドへ伝えるのだ。──王家の名において一切の略奪を許さない。必ず道を開ける、決して荷を渡さずに踏みとどまれ、と。商人の勇気に余は応える」
「……っ、了解しました!投資した甲斐がありましたよ、陛下!商人のネットワークをフル動員して、横流しの現場を完全に包囲して見せます!」
ルゼリアの的確な指示に、かつての怯えは微塵もなかった。
指示を受けた者たちが、それぞれの戦場へと飛び出していく。
嵐のような朝の騒がしさが去り、再び静寂が戻った寝室で、ルゼリアは深く息を吐いた。
「クラウン。わたし、上手く言えてたかな?」
『ああ、最高だったぞ。凛として美しく、一国の主そのものだったな!』
俺は魔力の手を優しく伸ばし、彼女の頭を撫でた。
そこに、玉座の重圧に震えるだけの少女はもういない。
「やるよ、クラウン。お父様の国を、みんなの暮らしを、これ以上汚させたりしない」
王宮に蠢く悪意を根こそぎ刈り取るための、反撃の狼煙は上がった。
かつてないほど巨大な激動を予感させながら、ルゼリアの瞳は夜明けの空よりも速く、熱く燃え始めていた。
***
──王城の深奥、かつては隠し倉庫だった場所を改装した『メイド詰所』。
主であるルゼリアの寝室から離れたその場所で、ルルーシュカは壁に背を預け、誰にともなく口を開いた。
「……聞いたでしょ?陛下からの直々のご指名だよ、メイド長」
ルルーシュカの問いかけに、明かりの落とされた室内で複数の気配が蠢いた。
一つは、寸分の乱れもなく配置された茶器のように、すべてを冷徹に支配する『鉄壁』の威圧感。
一つは、獲物の喉首を狙い、今にも鎖を食い千切らんと唸る『狂犬』の殺気。
そしてもう一つは、震えながらも死角から急所を狙い続ける『小心者』の視線。
「『余の背中は、そなたに託す』……か。陛下も、随分な口説き文句を仰るようになったものだね」
ルルーシュカは、クスリと小悪魔のような微笑を浮かべた。
「準備はいい?……わたしたちが単なる世話焼きの集まりじゃないってところ、あの大食漢の侯爵にたっぷりと思い知らせてあげようじゃないか」
闇の奥から冷徹で、かつ狂おしいほどの忠誠を孕んだ声が静かに重なる。
王宮の闇に潜む掃除人たちが、ついにその重い腰を上げ始めていた。




