第13話 偽りの豊穣、血に染まる金貨
「失礼……なんてね。返事を待つまでもなく、わたしの声は聞こえてるでしょ?」
円卓を挟んで俺とルゼリアが睦まじく朝の挨拶を交わしていた、その静寂を。
扉の向こうから響いた、気怠げで、どこか肝の据わった声が鮮やかに切り裂いた。
入ってきたのは、ルルーシュカだった。
朝の光を浴びた彼女は、昨夜の密偵めいた気配とは一転、完璧なまでのメイド服姿だ。
アイロンの効いた純白のエプロンに、一分の乱れもない所作。
だが、その透き通るような瞳には相変わらず、すべてを見透かしているような歴戦の者特有の余裕が宿っている。
「おはよう、陛下。朝から王冠相手にずいぶん甘えているみたいだね。そんなにスリスリしてると、せっかくの宝石がすり減ってなくなっちゃうよ?」
「ル、ルルーシュカ!?あわわっ!」
ルゼリアは火を噴かんばかりに真っ赤になって飛び起き、慌てて寝癖を抑えながら背筋を伸ばした。
さっきまでの無防備な可愛らしさはどこへやら。
必死に凛とした女王を演じ、何事もなかったかのように居住まいを正そうとする。
その無理のあるギャップがまた、周りの大人たちの庇護欲を激しく刺激するのだが、本人は至って必死だ。
「お、おはよう、ルルーシュカ。早くからご苦労だ。そ、それで、その帳簿のことだが……」
「昨夜、あのスケベじじい──魔術顧問から預かったものだよ。陛下がぐっすり夢の中で、山盛りのお菓子を幸せそうに食べている間にね」
「お、お菓子なんて食べてないよっ!」
顔を真っ赤にして反論するルゼリア。
だが、ルルーシュカはそれを軽く受け流し、円卓の上に置かれた帳簿を指先でトントンと叩いた。
「中身はわたしの方でも少し裏を取らせてもらったよ。結論から言うとね、陛下。これはただの汚職の記録じゃない。王国中の胃袋を人質に取った、組織的な略奪の証拠だよ」
ルルーシュカの言葉に、部屋の空気が一瞬で凍りついた。
ルゼリアの大きな瞳が、驚愕と震えに見開かれる。
「略奪……?バレストロ侯爵が、わたしたちの国を?」
「そう。彼は東部領の不作を偽装して、国から多額の救済金を引き出していた。ここまでは推測通り。でもね、その金の行先が問題だ。彼はその金で他国の商人と結託し、隠し持っていた小麦を闇市場へ数倍の値段で売り捌いている。自分たちの懐を肥やすために自国民を飢えさせ、その死すらも利益に変えようって腹だね」
『(やっぱりか……。救済金という原資を国から毟り取り、その金で自作自演の飢饉を煽って市場価格を操作する。まさに、人の死で金を生み出す最悪の錬金術だな)』
俺は宝石の芯で冷たく唸った。
救済金を引き出すためだけの不作偽装だと思っていたが、奴の悪辣さはその先を行っていた。
民の命をチップにした、最悪のギャンブル。
そしてそのギャンブルに、民衆は負けることさえ許されていない。
「それだけじゃないよ。……ほら、残りの二人も報告の準備ができたみたいだね」
ルルーシュカが視線を向けた扉が開き、シルヴィアとクロエが姿を現した。
二人の瞳には微かに隈が浮いている。
おそらく一晩中、城内の資料庫に潜って数字の海を泳いでいたのだろう。
「状況を確認。不作報告があった東部領周辺の過去五年分の相場データを精査完了。……異常。領地境界線を一本超えただけでパンの価格が三倍に跳ね上がっています。これは物流の停滞ではなく、意図的なせき止めによる人為的な高騰と認定。即時の修正を推奨します」
「クロエの方も楽しいお話を集めてきましたよ〜。バレストロ様、この一ヶ月で特大の指輪を三つも買い換えてるんですって。領民が麦の代わりに泥を噛んで飢えを凌いでいる間に、随分とお腹の脂が乗っちゃったみたいですねぇ。んふふ〜、言葉の喋る脂身さん、さぞかし脂が乗って美味しいことでしょう~」
シルヴィアは淡々と論理的に、クロエは甘い声で残酷な事実を暴き立てる。
帳簿という揺るがぬ物証、記録が示す冷徹な論理、そして分不相応な浪費という動かぬ動向。
三つの報告が複雑に絡み合い、バレストロの逃げ場を完全に塞ぐ包囲網が、この寝室で完成したのだ。
「バレストロの一族は、長年国を支えてきた重臣だが……」
「重臣だからこそやりたい放題できたのさ。城の騎士たちも彼の息がかかった者が少なくない。さて、陛下。この爆弾をどう扱う?爆発させるタイミングや導火線の長さを間違えれば、陛下自身も木端微塵だよ?」
ルルーシュカの突き放すような、成長を促し試すような問いかけ。
ルゼリアは小さく震える手を、膝の上でしっかりと握りしめた。
その震えはもはや恐怖ではない。
民をゴミのように扱う大人たちへの静かな、底知れぬほど苛烈な怒りだ。
「……明日の御前会議で、すべてを終わらせる」
ルゼリアの絞り出すような言葉に、部屋にいた三人のメイドたちが深々と、かつてないほどの敬意を込めて頭を下げた。
その光景は、もはや幼い女王と世話役ではない。
一人の若き君主とその意思を、刃を預かる最精鋭の影たちであった。
『(決めたか、ルゼリア。……だったら俺も、覚悟を決めなきゃな)』
俺は心の中で、演出を組み立て始めた。
ただ証拠を突きつけるだけじゃ弱い。
バレストロのような厚顔無恥な狸を完膚なきまでに叩き潰すには、論理だけでなく王としての威光による精神的な圧殺が必要だ。
『(まず、ルルーシュカたちが集めた情報をルゼリアの言葉に合わせて最適なタイミングで展開させる。俺の魔法で声に聖なる響きを乗せてやろうか。いや、それとも奴が嘘を吐くたびに宝石が不吉な光を放って、周囲の貴族たちに「王冠が見抜いている」と錯覚させる方が効果的か)』
俺には手足はないが、魔力の制御なら可能だ。
ルゼリアがその小さな口で裁きを宣告する時、まるで神託が降ったかのような劇的な空間を作り上げてやる。
バレストロが言葉を失い、冷や汗でその醜い腹を濡らし、ついには自らの罪を告白せずにはいられないような──最高に痛快で、残酷な舞台の幕を上げてやるのだ。
『(よし……。だったら、その会議がバレストロの処刑場になるよう、俺がとびきりの演出を用意してやる。覚悟しとけよ、太っちょ侯爵様。お前が毟り取った金貨の一枚一枚が、お前の首を絞める鎖になると思え)』
宝石が決意に染まる朝陽を反射して、一際鋭く冷徹な光を放った。
──だが。
バレストロという毒虫は、女王が牙を剥くその時を、悠長に待ってくれるほど甘い相手ではなかった。
嵐は俺たちの予想を遥かに超える速度で、すぐそこまで迫っていたのだ。




