第11話 月夜の刃と、老魔術師の裏帳簿
その瞬間、ルルーシュカの瞳から気怠さが消えた。
彼女の指先に、夜の影を凝集させたような黒い短剣が、魔法のように実体化する。
「……待って。そこから先は、わたしのテリトリーだよ」
窓から滑り込もうとした影の喉元に、ルルーシュカの刃が寸分の狂いもなく添えられる。
だが、侵入者は驚く風もなく、虚空から実体化しながらニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「ほぅ、驚いた。儂の『虚飾の影』をこの距離まで引きつけてなお正確に急所を突くか。陛下も隅に置けんな。こんな上等な隠し刀を侍らせておったとは。ヴォルデンもよほど焦っておると見えるわい」
「魔術師団顧問のギルギアス……様。潜入のプロが、わざわざ女王の寝室に泥棒の真似事?ここは掃除済みだよ。あなたも掃除されたいの?」
「おっと怖い怖い、その物騒な短剣を引っ込めてくれんか。儂はただ、陛下と今日中にと約束してしもうた品を届けに来ただけじゃわい。子供の寝る時間がこれほど早いとは計算違いじゃった。寝顔の可愛い陛下を無理やり起こす勇気は儂にはないでのぅ」
ギルギアスは懐から取り出された帳簿らしきものを取り出し、ルルーシュカの目の前でひらひらと振って見せた。
「これじゃな。この国の帳簿使いもなかなかクリエイティブな嘘をつくものじゃ」
「それ、朝までに陛下に届ければいいんでしょ。だったら預かるよ」
「ま、そうなるわな。陛下との約束はこれで果たした。こんな別嬪さんに預けられるなら儂の苦労も報われるというもんじゃよ。……ふむ。その無駄のない身のこなし、ぜひ今度じっくり腰を据えて鑑定させてもらいたいものであるな」
「ここで三枚おろしにしてあげようか?」
「おっと、冗談だ。この殺気を向けられたまま寝室を横切るほど、儂も命知らずではないわい」
ギルギアスは肩をすくめ、ルルーシュカに物を手渡した。
僅かな沈黙が流れる。
王宮に巣食う二つの影がその実力を認め合い、牽制し合う一瞬の火花。
「良い仕事をするね、おじいさん。冒険者ギルドのSランクもいけるんじゃない?」
「フン。冒険者ギルドのランク如き、儂なら欠伸をしながらでも務まるわい。……にしても、若いくせに儂の歩法を完璧に読み切りおって。お主、その短剣……どこで仕込んできた技じゃ?もしや儂を驚かせるためのドッキリか何かなら、大成功じゃと言ってやろう」
「内緒。さて、不法侵入者は退場して。これ以上の夜更かしは、お肌に悪いから」
ルルーシュカが視線で促すと、ギルギアスはふらりと窓の外へ身体を投げ出し、夜光虫のように静かに虚空へと溶けて消えた。
やれやれと首を振り、預かった帳簿をパラパラとめくり確認したあと、クラウンが置かれている円卓のすぐ隣へと無造作に置いた。
「お仕事お疲れ様、陛下。明日の朝までぐっすり眠ってね」
彼女もまた、今度こそ闇の中へ溶けるように消えていった。
静寂が完全に戻った寝室。
俺は大きく安堵の吐息を漏らした。
『(ヒエッ……なんだあの二人、次元が違いすぎるだろ!一歩間違えたら俺ごとこの部屋が真っ二つになりそうな殺気だったぞ。正直、王冠が恐怖で粉々になるかと思った……)』
だが、震える魔力を落ち着かせながら、俺はふと思う。
『(……でもこれって、もしかすると予想外に良い方向へ向かっているんじゃないか?)』
俺は大きな勘違いをしていた。
ルゼリアは、たった一人で魑魅魍魎の渦巻く王城に放り込まれた、ただの哀れな子供なのだとばかり思っていた。
だが、決して彼女は一人ではなかった。
昼の表舞台では厳しいが誠実な宰相たちが立ち塞がり、夜の闇ではルルーシュカのような、文字通り掃除のプロたちが害意を根こそぎ刈り取る。
そして、ギルギアスの異能の者が、王国の歪みを暴くための証拠を運んでくる。
『(鎖に縛られていなければ、側近はバケモノ揃い、協力者も超一流。これだけの役者が揃っているなら、あとは盤面を整えるだけでルゼリアは本物の女王になれる!やっべ、俺の出番って?)』
王冠が困惑しながらも新たな決意を込めて、今までで一番力強く希望に満ちた光を明滅させる。
バレストロ侯爵の放った毒牙はルゼリアの知らぬ間に、有能すぎる影たちの手によって完璧なまでにへし折られたのであった。




