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第10話 メイドたちの静かなる掃除と、歴戦の案内人

 深い夜の帳が王城を包み込んでいる。

 ルゼリアが側近や外部の協力者たちへ矢継ぎ早に指示を出し、反撃の準備に追われた長い一日の終わり。

 寝室は静まり返り、彼女の規則正しい小さな寝息だけが聞こえていた。


『(ふぅ、よく寝てるな。昨日はいっぱい泣いたし、今日も今日で朝からたくさん働いたから無理もないか)』


 俺はふかふかのクッションの上で、存在しない目をパッチリと開けて夜警の真似事をしていた。

 天蓋付きの大きなベッドの中で、ルゼリアはふかふかの枕に頬をむぎゅっと埋めて「むにゃ……」と小さな声を漏らしている。

 薄桃色の唇がわずかに動き、まるで見えないお菓子を頬張っているかのようだ。


 よほど幸せな夢でも見ているのか、その口元は緩みきっており、時折「……あまいの、これ……もっと……」と、聞いているこちらまでお腹が空いてきそうな寝言まで飛び出す始末だ。

 昼間の凛とした女王の姿からは想像もつかない、あまりに無防備で年相応の可愛らしさに、俺の宝石が少しだけ温かくなるのを感じた。


 御前会議に向け、バレストロ侯爵がなりふり構わず行動を起こしてくる可能性は高い。

 王冠として警戒態勢を敷いておくのは、相棒としての立派な務めだ。


 そう思っていた、深夜のこと。

 寝室の手前にある控えの間の扉が、音もなく僅かに開いた。


『(……ん?)』


 そこから、暗殺者めいた黒装束の影が滑り込んできたのだ。

 手には鋭い短剣。

 ルゼリアの命そのものが狙いか、あるいは昼間にシルヴィアたちが集めていた証拠の書類を盗み出すつもりか。


 邸宅の家捜しの前に、まずは女王の手元の資料を探ろうという魂胆だろう。

 どちらにせよ、ここを見過ごすわけにはいかない。


『(ルゼリアを起こさずに、俺の持つ力で全力で守る──)』


 ……と言ったものの、どうする。

 俺、手足ないぞ?武器もないぞ?魔力はあっても自分を軽くするのと、ルゼリアの頭をナデナデすることにしか使った事がない。

 初手でいきなり魔法とかぶっ放したら、ルゼリアが爆風でお星さまの仲間入りする可能性まである。


 撫でる時の手で殴るか?軽くできるなら重くもできるだろうし、床にめり込ませるか?

 それとも透明状態の手で首を絞めるか……いやいや、それはそれで絵面的に怖すぎるだろう!


『(ど、どうする俺!?敵が、敵があんな近くに!ルゼリア、起きて!いや起きないで――)』


 脳内で絶叫しながらもルゼリアの身を守ることを第一に考え、必死に魔力を練り上げていた、その時だった。


「──動かないで」


 月明かりの差し込む前室で、侵入者の首筋にピタリと冷たい白刃が突きつけられた。


「ターゲットを認定。声を一つでも発せば、即座に修正します。陛下の睡眠維持に不備が出ることを防ぐためです」

「こんな夜更けに泥棒さんなんて、感心しませんね〜。それも東部領のお匂いがあるお洋服で。クスクス……」


 暗闇の中から、いつの間にか二つの影が侵入者の背後と退路を完全に塞いでいた。

 声音だけで分かる。シルヴィアとクロエだ。


 だが、ただの給仕をするメイドが放っていい殺気ではない。

 二人の纏う空気は、さながら長年血の匂いに親しんできた熟練の猟犬そのものだった。


『(うぉっ!?メイドさんたち、完全に裏のプロじゃないか!)』


 侵入者が恐怖でガタガタと震え上がり、舌を噛もうとした瞬間。

 部屋の最も濃い影から、幻のように三人目のメイドがふらりと姿を現した。


 透き通るような色素の薄い髪と瞳を持つ、どこかミステリアスな女性。

 彼女は侵入者の顎を無造作に寸分の狂いもない手付きで外すと、男の奥歯に仕込まれていたカプセルを細い指で軽々と抜き取った。


「こんな見え透いた罠に引っかかるなんて。城のネズミは随分と頭が悪いみたいだね。さて、どう料理してあげようか」


 謎のメイドの口調は、ひどく冷笑的でドライだった。

 シルヴィアやクロエのように、直接的なルゼリアへ仇なす者への静かな怒りを燃やしているわけではない。

 だが、その所作の端々からは、過去に幾多の修羅場を潜り抜けてきた歴戦の冒険者のような底知れなさが漂っている。


『(誰だあの人!?めちゃくちゃ手慣れてるし、オーラが別格だぞ!)』


 唖然とする俺の前で、城に紛れ込んでいた侯爵の放ったネズミは、声を上げる間もなく完全無力化された。

 シルヴィアが手際よく男を拘束し、クロエが口封じの布を噛ませる。


「……やっぱ面倒くさい。シルヴィア、あとは適当に縛って裏庭にでも捨てておいて。わたしはもう寝るから」

「了解。これより尋問任務をアダリンへ引き継ぎます、『ルルーシュカ』。ぴすぴす」

「んふふ〜、侯爵様への報告書、たっぷり書かせてあげましょうね〜」


 ルルーシュカと呼ばれたミステリアスなメイドの投げやりな指示に、シルヴィアたちが淀みなく応じ、侵入者をズルズルと連れて前室から消えていく。

 文字通り静かなる掃除は何分も満たない時間で片付いた。


 その後、ルルーシュカだけが、ルゼリアの寝室に足音もなく近づいてきた。

 彼女はベッドですやすやと寝息を立てるルゼリアの寝顔を、優しい姉のような眼差しで数秒だけ見下ろす。


「陛下。無事にこの面倒な問題を片付けられたら、わたしが昔潜ったダンジョンの話でもしてあげるよ」


 それは決して忠誠という堅苦しいものではなく。

 ただ純粋に、これから成長していく幼き君主の行く末を心から楽しみにしているような、温かい囁きだった。

 そしてルルーシュカは向き直り……クッションの上にある王冠の正面に立った。


 透き通るような瞳が、宝石を真っ直ぐに射抜く。

 独り言のように、静かに彼女は呟く。


「陛下が王の片鱗を見せ始めたって、城中はその噂で持ちきりだよ。でもねえ、王冠の力ばかりを当てにさせてちゃダメだよ?」


 ビクンッ、と俺の中の魔力が跳ねた。

 ……俺に話しかけてる!?いや、ただのカマかけか?それとも自我や魔力の揺らぎを歴戦の気配で完全に感じ取っているのか?

 返事に窮してカチコチに固まっていると、ルルーシュカはクスリと小悪魔のように微笑んだ。


「……なんてね。まあ、安心してよ。ここの掃除はわたしたちの仕事だから。裏の護衛は気にせず、陛下を立派な表舞台に立たせてあげて」

『(……っ!ほ、本当にバレてる!?いや、バレてるなんてレベルじゃないぞ。この人、王冠の中に誰かいることまで確信してないか!?)』


 ガクガクブルブルと、存在しない膝が笑う。

 あやうくクッションの上でゴロリと転がりそうになった。


 シルヴィアは完璧すぎるから怖かったが、このルルーシュカという女は底が見えないからこそ、生物的で本能的な恐怖を覚えるのだ。

 この城のメイド、マジでどうなってんだ……。


 それだけ言い残し、彼女がふらりと窓辺へ歩を進めた、その時だった。


 ──音もなく。

 閉ざされていたはずの窓枠が数ミリだけ、空気の流れを乱さずに滑った。


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