第1話 泣き虫な女王陛下と、パニック王冠
皆様のおかげで連載版を開始できました。
短編版との違いも楽しんでいただけたら嬉しいです。
覚醒の瞬間、意識は猛烈なパニックに包まれていた。
最後に覚えていたのは、どこか懐かしい光景だったはずだ。
『(う、うわあああああ!?なんだこれ、視界が高っ!首から下が動かねえ……っていうか、そもそも体がある感覚がしねえぞ!?)』
なのに、今見えているのは豪華絢爛な大広間の天井。
視線を下に向ければ、そこにはピカピカに磨かれた大理石の床と、怒鳴り声を上げている肉で膨れ上がった男の姿があった。
「──陛下!東部領の窮状をご理解いただきたい!民は飢え、もはや限界にございます!」
『(……陛下?誰が?どこに?)』
混乱する視界の端に、座る一人の幼い少女が映った。
白雪のような肌、アメジストを思わせる赤紫の瞳。そして、光を反射してふわふわと踊る金色の髪。
その少女は必死に唇を噛み締め、今にもこぼれ落ちそうな涙を堪えながら、震える声で答えていた。
「そ、それは分かっておる……。だが、関税をこれ以上下げるのは……」
「甘い!甘いですぞ陛下!亡き先王閣下であれば、即座に決断を下されていたはず!」
『(……寄ってたかって、こんな小さな女の子を怒鳴りつけやがって!)』
内心で毒づく。
しかし、何より意識を逆なでしたのは、少女の細い首にかかっている負担だった。
彼女の額から流れる冷や汗、プレッシャーでガタガタと震える肩、そして何かが少女の華奢な首を押し潰そうとしている事実が、痛いほど伝わってきた。
『(……ちょっと待て。もしかして俺は、この子の頭に乗ってる「王冠」そのものなのか!?)』
一段下にいる騎士らしき人物の甲冑に反射した自分の姿。
そこには、蒼い宝石を戴いた黄金の王冠が鎮座していた。
その瞬間、パニックを上書きするように、俺の中に猛烈な怒りと庇護欲が沸き上がる。
『(ああもう、うるさいな、この太っちょ。ひとまずこの子の重荷を消してやる!)』
どうすればいいかは分からない。
ただ、この少女を助けたいという強烈な意思が、力を呼び覚ます。
――俺の重さをゼロにしろ!
「っ……ぇ?」
少女が驚きに目を見開いた。
つい先刻まで彼女の細い首を絶望的な重さで圧迫していた黄金の質量が、一瞬にして羽毛よりも軽く、いや、まるで存在しないかのように消失したのだ。
ふらついていた背筋が、物理的な重荷から解放されてピンと伸びる。
『(よし!浮いた!次は言葉だ。この子にあいつらを黙らせる言葉を貸してやる!)』
王冠の意識が、直接彼女の脳内へと飛び込む。
『聞こえるか、お嬢ちゃん!倒れるな、息を吸え!ここは俺が助け舟を出してやるからよ!』
『(だ、誰……っ!?)』
『細かいことは後だ!俺の言うとおりに復唱しろ。ここで全部ひっくり返してやる!』
念話で囁く王冠の言葉に少女は混乱しながらも、差し伸べられた見えない手を掴むように小さく力強く頷いた。
「──陛下?先程から黙り込んで、いかがなさいましたかな」
東部領主、バレストロ侯爵が脂ぎった顔を歪め、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
周囲に並ぶ貴族たちからも、クスクスと小馬鹿にするような笑い声が漏れた。
この幼い少女さえ泣かせれば、利権は自分たちの思いのままだ──そんな醜悪な思考が、男たちのよどんだ瞳から透けて見える。
『うっわ、どいつもこいつも嫌な顔してんな。よし、お嬢ちゃん、準備はいいか?ぶっ放すぞ!』
「(は、はい……っ!)」
勇気を振り絞った少女の返事を聞き、自分のみっともないパニックを強引に思考で上書きした。
政治のルールなんて知らない。
だが、あいつの言い分には隙がある。
『「交易路の要求は却下だ。東部領の不作は……関税のせいではなく、お前たちの『税逃れ』によるものであろう?」──ほら、語尾は強気にいけ!カマをかけてやれ!』
少女は息を呑み、俺の言葉をなぞるように口を開いた。
「──交易路の要求は、却下だ」
凛とした声が、謁見の間を貫いた。
バレストロの表情が、ピクリと凍りつく。
「……なんですと?」
「東部領の不作は……関税のせいではなく、お前たちの『税逃れ』によるものであろう?」
王冠には相手の具体的な思考は読めない。
だが、声の震え、不自然な身振り、そして不作と言いながら肥えた体に、これみよがしに身につけている真新しい貴金属。
嘘つきの気配は、痛いほど伝わってくる。
「なっ……!し、知った口を……!証拠もなしに、我が領を侮辱されるおつもりか!」
バレストロが顔を真っ赤にして詰め寄ろうとする。
その巨体に気圧され、少女の肩が小さく跳ねた。
その震えを止めるための言葉を伝えるよりも早く、沈黙を守っていた玉座の隣が動く。
「控えるのは貴公だろう」
『(……このじいさん、最初からお嬢ちゃんが自ら言葉を発する機会を待ってたのか?)』
静かだが、石を断つような鋭い声が響いた。
白髪の老臣が一歩前に出る。
その眼光は、バレストロを凌駕する威厳を放っていた。
「見よ。陛下の背筋は一度も曲がっておられぬ。貴公の浅ましい揺さぶりに屈するような女王ではないということだ。そうですな、陛下?」
「えっ?ぁ、う、うん……」
『「そのとおりだ。今日のところは下がれ」って返しとけ!バシッと言っちまえ!』
「そ、そのとおりだ!今日のところは下がれ!」
王冠には、この老臣がただ厳しいだけの男には見えなかった。
周りへの牽制も込めて、幼い彼女をあえて厳しく接しているだけのようにも思える。
貴族たちが己の欲のために女王を追い詰めた過剰な状況が、内心酷く気に食わなかったのだろう。
そしてもう一人。
階段の下で控えていた屈強な甲冑を身に付けた人物が、一歩前に出た。
彼は剣の柄に手を当て、地を這うような低い声で貴族たちを威圧する。
「これ以上、陛下の御前で己の醜聞を晒すおつもりか。我が騎士団の剣は、国の腐敗を斬るためにも存在していることをお忘れなく」
王冠から見ても、堅物で真面目すぎるほどの空気が漂ってくる本物の騎士だ。
言葉に嘘はなく、この国と女王を守り抜くという信念だけは本物だと直感できる。
老臣と騎士の擁護、幼い女王からの指摘に図星を突かれた形で動揺した貴族は、忌々しそうに舌打ちをした。
「……三日後。三日後の御前会議にて、改めて我が領の窮状をご理解いただき、交易路拡大の署名を頂戴いたしますぞ。さもなくば、東部の民が黙ってはおりますまい」
そう捨て台詞を吐いて、貴族たちはそそくさと謁見の間から退散していった。
「(わ、わたし、喋れた。誰かが王冠を軽くして……言葉を……)」
少女の心の声が、直に王冠へと伝わってくる。
表面上は冷徹な君主を演じながらも、彼女は内心で安堵に打ち震えていた。
名も知らない存在が、女王の震える背中をこれ以上ないほど強固に支えていたのだ。
扉が閉まり、謁見の間に静寂が戻った瞬間。
王冠は、全力の溜息を吐き出した。
『ふぅ~っ!ハッタリでも強気一辺倒でブチかませば、なんとかなるもんだな!正直、内心はバクバクで心臓止まるかと思った……王冠だから心臓ねえけど。ま、結果オーライ、なんとかなった!』
「(……ありがとう。わたし、喋れた……喋れたよ)」
脳内に響く少女の心の声は、まだ震えていた。
だが、そこには確かな感動の色が混じっている。
これが、俺たちの始まりだった。
数話分は手動で公開していきます。
短編版はこちら
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