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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

幼馴染の騎士団長に並びたくて、感情を一個ずつ魔力に変換していったら、王国を救っちゃいました。

作者: 双葉からす
掲載日:2026/02/21

 私は、そこそこの魔術師だった。


 いや、正直に言おう。そこそこですらなかった。


 宮廷魔術師団第七小隊、末席のリーゼ・ヴァイス。それが私の肩書きだった。才能は中の下。呪文の精度は同期の半分。魔力量は測定器の針がぴくりとも動かないレベル。入団試験は補欠合格で、配属先は最前線から最も遠い後方支援班。


 戦場に出たことは三回ある。三回とも足手まといだった。


「ヴァイス、下がれ。邪魔だ」


 上官のグレーテル少佐にそう言われた時、悔しいとは思った。でも反論できなかった。事実だったから。


 同期のマルタはもうB+ランクだ。リデルはA判定を受けて特務班に引き抜かれた。私だけがC—のまま、書類整理と薬草の在庫管理をしている。


「いてもいなくても同じだな、ヴァイス」


 グレーテル少佐がため息混じりに言った日、私は宿舎に帰って泣いた。


 ——悔しい。


 いてもいなくても同じ。その言葉が胸に刺さって抜けなかった。


 なぜ強くなりたいのか。理由は単純だった。


「リーゼ、また書類整理か。大変だな」


 ユリウス・レーヴェ。騎士団長。幼馴染。金髪に青い瞳。背が高くて、かっこいい。


 五歳の時から一緒だった。私が魔術師を目指したのは、彼が騎士を目指したからだ。


「隣に並びたかったんだけどね」


「ん?」


「なんでもない」


 ユリウスは鈍感だ。私がどんな顔で彼を見ているか、気づいていない。


 ——隣に並びたい。


 足手まといじゃなく。お荷物じゃなく。対等に、同じ戦場で。


 その夢が、もう無理だと分かってきた二十二歳の冬。


 私は禁忌に手を出した。


 闇市の路地裏。薄暗いテントの中で、皺だらけの老婆が紫色の小瓶を差し出した。


感情炉心薬エモーション・エリクシル。飲んだ者は自分の感情を魔力に変えられるようになる。代償は——使った感情を永久に失うこと」


「永久に?」


「そう。怒りを燃やせば、もう怒れなくなる。悲しみを燃やせば、泣けなくなる。全部燃やせば——何も感じなくなるよ」


 老婆は笑った。歯のない口で。


「やめときな。大抵の奴は後悔する」


 私は金貨を三枚置いて、小瓶を懐に入れた。


 後悔するかもしれない。でも今のまま「いてもいなくても同じ」で終わるくらいなら——。


 宿舎に戻って、一人で飲んだ。苦かった。舌の上で何かが弾けて、胸の奥が熱くなった。


 翌日。国境に魔獣が出たと聞いて、私は志願した。


 Aランクの巨大魔獣。四足の獣。同期のマルタでも単独では相手にならない。


 私は右手を掲げた。


 胸の中にある『怒り』を探した。


 悔しかった日。「邪魔だ」と言われた日。「いてもいなくても同じ」と言われた日。才能がないと笑われた日。ユリウスの隣に立てない惨めさ。


 全部の怒りを——燃やした。


 指先から放たれた魔力の奔流は、視界を白く染めた。


 Aランクの魔獣が、一撃で灰になった。


 ……嘘でしょう。


 周囲が静まり返った。私自身が一番驚いていた。


 そして——怒りが消えた。


 胸の中で燃えていたものが、すっと消えた。跡形もなく。


 グレーテル少佐が何か言っていた。多分、驚いていたのだろう。でも何を言われても腹が立たなかった。「いてもいなくても同じ」と言った人の顔を見ても、何も感じない。


 不思議な感覚だった。


 理不尽な命令。陰口。嘲笑。何一つ、心に引っかからない。


 ——楽だ。


 驚くほど、楽だった。怒らなくていいというのは、こんなにも軽いのか。


 そしてその日から、末席の魔術師の人生が変わった。


 Aランク級の戦闘力。一躍、師団の切り札。次々と前線に送られた。


「リーゼ、凄いな。いつの間にそんなに強くなったんだ」


 ユリウスがそう言って、笑った。


 嬉しかった。


 ——まだ、嬉しいと思える。


 怒りは消えた。でも嬉しさは残っている。悲しさも、喜びも、そしてユリウスを見た時の胸の痛みも。


 まだ大丈夫。私はまだ、人間だ。



     ◇



 半年後、国境の砦が魔王軍に襲撃された。


 守備隊は壊滅寸前。増援が間に合わない。


「ヴァイス、頼む」


 グレーテル少佐の声に、迷いはなかった。もう「邪魔だ」とは言わない。「頼む」と言う。


 私は砦に飛んだ。


 地獄だった。


 門は破られ、瓦礫の中に倒れた兵士たちが呻いている。知った顔があった。訓練で一緒だったハンス。食堂でよく隣に座ったエミリア。


 エミリアは——もう動いていなかった。


 涙が出た。


 目の前で人が死んでいく。仲間が倒れていく。助けたい。でも私の攻撃魔法は怒りの魔力で放ったあの一撃きり。普段の魔力では足りない。


 もっと力が要る。


 ——悲しみを、使えば。


 胸の中の悲しみを探った。エミリアが死んだ悲しみ。ハンスが倒れた悲しみ。助けられなかった悔恨。


 「ごめんね」と心の中で呟いて——燃やした。


 砦を覆うほどの防御結界が展開された。敵の攻撃が弾かれ、味方が態勢を立て直す時間ができた。


 砦は守った。


 英雄と呼ばれた。


 ——そして、涙が止まった。


 戦いの後、ハンスは一命を取り留めたが、エミリアの遺体が運ばれてきた時、私は何も感じなかった。


 葬儀で棺を見つめた。涙が出ない。「泣いてあげなきゃ」と思った。でも悲しくない。悲しいという感情が存在しないのだ。


「リーゼ、泣かないのか」


 ユリウスが隣で聞いた。


「——泣けないの」


「え?」


「なんでもない」


 仲間の葬儀で一滴も涙を流さなかった私を、周囲はどう見ただろう。


「冷たい女だ」と囁く声が聞こえた。


 怒りはもうない。だから怒れない。悲しみもない。だから傷つかない。


 ——傷つかない。それは楽なのか、それとも。


「リーゼ」


 ユリウスが、不安そうな顔で私を見た。


「お前、最近——何かおかしくないか」


「おかしくないよ。強くなっただけ」


 笑ってみせた。まだ笑えた。喜びが残っていたから。


 ユリウスが笑いかけてくれると、まだ嬉しいと思えた。パンを分けてくれると温かいと思えた。夕日を見て綺麗だと感じられた。


 ——まだ大丈夫。


 自分にそう言い聞かせた。



     ◇



 大丈夫じゃなかった。


 数ヶ月後、魔王軍が三方から大攻勢をかけてきた。


 北の砦、東の防壁、南の渓谷——三つの戦線が同時に崩壊しかけていた。Aランクの魔術師が三人やられた。宮廷魔術師団の主力が壊滅した。三つの前線を同時に支えられるのは——私しかいなかった。


「ヴァイス。前線を頼む」


 グレーテル少佐は、もう当然のように私に言った。


 当然。私が強いから。私なら何とかしてくれるから。頼られている。必要とされている。


 一年前ならそれが嬉しかったはずだ。


 でも今、嬉しさの前に計算が走る。


 今の魔力では足りない。三つの戦線を同時に守るには大規模結界が必要で、私の基礎魔力では到底——。


 分かっている。何を燃やせばいいかも、分かっている。


 喜び。


 まだ残っている最後から二番目の感情。ユリウスに「凄いな」と言われて嬉しいと思える心。夕日を見て綺麗だと思える心。温かいパンを食べて美味しいと思える心。


「……ごめん」


 誰に謝ったのか分からない。自分自身にか。


 喜びを——燃やした。


 三つの戦線を繋ぐ巨大な防御結界が完成した。敵の攻勢を一昼夜耐え抜いた。前線は持ちこたえた——王都への侵攻は食い止められた。


 世界から、色が消えた。


 比喩じゃない。目には見えている。空は青い。花は赤い。でも「綺麗だ」が存在しない。色はあるのに、意味がない。


「よくやった、リーゼ」


 ユリウスが駆け寄ってきた。汗と泥にまみれた顔で、笑っている。


「リーゼ?」


 彼が笑いかけている。前なら嬉しかった。前なら胸が温かくなった。


 ——何も、感じない。


「ありがとう、ユリウス」


 口では言えた。感謝の言葉は言える。でも気持ちが伴わない。「ありがとう」の温度がない。


 ユリウスが私の顔を覗き込んだ。その青い瞳に映っている私の顔は——多分、とても平坦だったのだろう。


「リーゼ。——笑わなくなったな、最近」


 笑えない。笑うという行為には「嬉しい」か「楽しい」が必要で、そのどちらも私の中にはもう存在しない。


 唇を引き上げてみた。多分、笑顔の形にはなったと思う。でも目が笑っていないことは自分でも分かった。


「大丈夫だよ」


「大丈夫じゃないだろ」


 ユリウスが私の手を握った。大きな手。温かい手。


 ——その瞬間、胸が痛んだ。


 あ、と思った。


 痛い。まだ、痛い。ユリウスに触れられると——まだ何かを感じる。


 恋心だ。


 最後に残った感情。怒りも悲しみも喜びもない灰色の世界で、唯一色を持ったもの。


 この人を見ると胸が痛む。この人の手が温かいと——分かる。この人の声だけが、まだ遠くない。


 怒れない。泣けない。笑えない。


 でもこの人の前でだけ、私はまだ人間だった。


「——大丈夫。まだ、大丈夫だから」


 今度は、嘘じゃなかった。



     ◇



 それから三ヶ月。


 私はユリウスの傍にいたかった。


 任務がない日、ユリウスの執務室に顔を出すと、彼は決まって困ったような顔をした。


「また来たのか」


「暇なの」


 暇なんてものじゃない。この人以外のそばにいても世界が白いまま何も感じなくて、ただこの人の隣にいる時だけ胸が微かに色づく気がして、それをもう少しだけ確かめたくて——。


 でもそんなことは言えなかった。


「お前がいると安心する」


 ユリウスがぽつりと言った。書類から目を上げず、何気なく。


 胸が、きゅっと痛んだ。


 ——やめて。そういうこと言わないで。


 嬉しいと思えないのに、恋心だけがざわつく。この感覚が最後の一つだと知っているから、余計に怖い。感じられることが嬉しいのに、感じるたびに「これを使ったら終わりだ」という恐怖が走る。


「ユリウス」


「ん?」


 ——好きだよ。


 喉まで出かかった。言いたい。言えない。言ったら何が変わるわけでもないけれど、この胸の痛みが本物のうちに、伝えておきたかった。


「……なんでもない」


 ユリウスは不思議そうな顔をして、また書類に目を落とした。


 間抜けで、鈍感で、何も気づかないこの人のことが、たまらなく好きだった。


 恋心だけが、私の最後の色だった。



     ◇



 そして——最後の日が来た。


 魔王軍の総攻撃。約一年間の戦いの全てを賭けた最終決戦。


 王都の東門が破られた。西門も陥落寸前。残存する魔術師はC、Dランクの後方要員のみ。騎士団も限界。


「ヴァイス。全軍を守れるか」


 グレーテル少佐の声が、遠くから聞こえた。


 全軍。全ての防衛線を一人で。


 できる。やり方は分かっている。残っている最後の感情を——恋心を燃やせば、魔王軍ごと消し飛ばせるだけの魔力が出る。


 恋心は、最も強い感情だから。


「——できます」


「頼んだ」


 それだけだった。少佐は振り返りもせず、次の指示を出しに行った。


 一年前なら怒っていた。半年前なら泣いていた。三ヶ月前なら悲しかった。


 今は何も感じない。——いや、一つだけ。


「リーゼ!」


 ユリウスが走ってきた。鎧が血で汚れている。他人の血か。自分の血か。


「お前、何をする気だ」


「決まってるでしょ」


 ユリウスの顔が強張った。何かを感じ取ったのだろう。具体的に何をするかは知らないはずだ。でもこの人はいつも、肝心な時だけ鋭い。


「行かせない」


「行かないと、あなたが死ぬ」


「——俺が死んでも、お前がこれ以上おかしくなるよりいい」


 おかしくなる。この人は気づいていたのだ。私が何かを一つずつ失っていることに。何を失っているか正確には分からなくても——私が壊れていっていることに。


「ユリウス」


「何だ」


 最後の感情が、胸の中で燃えている。


 この痛みを手放したくない。この人を見て痛いと感じる心を失いたくない。


 でも——失わなければ、この人が死ぬ。


「——私、あなたのことが好きでした」


 ユリウスの目が大きく見開かれた。


「ずっと好きだった。五歳の時から。隣に並びたかった。強くなりたかったのは、あなたの隣に立ちたかったから」


 声が震えた。最後の感情が——溢れそうだった。


「だから、最後にこれだけは言っておきたかった」


「最後って——リーゼ、お前——」


「ごめんね」


 右手を掲げた。


 胸の中にある恋心——ユリウスに初めて会った日から十七年分の想い。笑顔を見て嬉しかった記憶。手が触れた時の震え。「凄いな」と言われて泣きそうになった夜。「お前がいると安心する」と言われて、壊れそうになった午後。


 全部——燃やした。


 光が、世界を飲み込んだ。


 膨大な魔力。これまでの比ではなかった。怒りの数倍。悲しみの十倍。喜びの百倍。恋心は——こんなにも強かったのか。


 光が消えた時、魔王軍は存在していなかった。


 そして——世界が白くなった。


 ユリウスが何か叫んでいた。私の肩を掴んで、顔を覗き込んで、何かを言っていた。


 聞こえていた。でも意味が分からなかった。


 声。音。振動。情報として認識はできる。でも——何も感じない。


 ユリウスの顔を見た。金髪。青い瞳。涙が流れている。


 知っている顔。名前も覚えている。ユリウス・レーヴェ。幼馴染。


 それだけだった。


 胸が痛まなかった。


 何も——痛くなかった。



     ◇



 王国は救われた。


 私は英雄になった。


 式典に出た。勲章をもらった。拍手があった。何のことか分からなかった。


「リーゼ、戻ってこい!」


 ユリウスが叫んだ。涙を流して。


「——何に」


「俺のところに! お前のところに! たのむ、リーゼ——」


「何も感じないの」


 事実を述べた。嘘ではなかった。声は出る。言葉は選べる。でも伝えたいことがなかった。


 宮廷を離れた。辺境の小さな家に越した。


 毎日は同じだった。朝が来た。食事をした。眠った。朝が来た。食事をした。眠った。


 春が来ても暖かいとは思わなかった。夏が来ても暑いとは思わなかった。花が咲いていた。色は見えた。赤い花だった。赤いということは認識できた。それだけだった。


 時々、玄関にパンが置いてあった。まだ温かいこともあった。


 誰が置いたかは分かっていた。でも——分かっていることと、感じることは違う。


 白い世界に、季節だけが通り過ぎていった。



     ◇



 何年経ったのか、正確には分からない。三年か、四年か。


 ある朝、庭に出た。いつもと同じ朝のはずだった。


 小さな花が咲いていた。白い花。何の変哲もない、道端によく咲いている種類。


「……………綺麗」


 口から言葉が零れた。


 自分で驚いた。今——「綺麗」と思った?


 胸の奥で、何かがかすかに震えた。長い間止まっていた振り子が、微かに揺れたような。


 ——感じた。今、何かを感じた。


 翌日、朝日を見た。眩しいと思った。


 その翌日、パンを食べた。温かいと思った。


 少しずつだった。本当に少しずつ。名前のつけられない感覚が戻ってくる。「心地いい」ともう少しで言えそうな何か。「懐かしい」に似ているけれど違う何か。


 色が戻り始めていた。白かった世界に、ほんの少しだけ。


 薬の効果が——切れ始めている。


 そしてある日の午後、ドアを叩く音がした。


 開けると、ユリウスがいた。


 白髪が増えていた。目の下に深い隈があった。頬がこけていた。


 何年もの間——この人は、ずっと通い続けていたのだ。パンを置いて、返事のないドアの前に立って、帰っていた。何年も。何年も。


 でも今日、初めてドアを叩いた。


 なぜ今日なのか、分からない。分からないけれど。


「——おかえり」


 ユリウスが、笑った。あの不器用な笑い方。


 胸の奥で、何かが——痛んだ。


 まだ名前がつけられなかった。恋なのか。懐かしさなのか。罪悪感なのか。


 でも——痛かった。


 何かを感じていた。確かに、何かを。


 ——温かい。


 温かいと思った瞬間、胸の奥で何かが割れた。


 涙が出た。


 なぜ泣いているのか、最初は分からなかった。悲しいのか。嬉しいのか。それすら判別できないまま、ただ涙が溢れた。数年分の涙が、堰を切ったように。


 ああ——これは、悲しいんだ。何年も、一人にしてごめん。


 これは、嬉しいんだ。まだ来てくれた。まだ、ここにいてくれた。


 これは——怒りだ。自分に。あの日、全部燃やした、馬鹿な自分に。


 そして、この胸の痛みは。


 ユリウスの腕の中で、私は声を上げて泣いた。みっともなく、子供みたいに。


 ——やっと、あなたの隣に立てた気がした。

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― 新着の感想 ―
ユリウスが、自分(や王国)を助けたのはリーゼだと気づいてて良かった。人魚姫みたいに海の泡になったら悲しい。 三〜四年で白髪と深いクマとこけた頬……リーゼの薬を消す薬を買って、ユリウスがパンに寿命でも…
少佐を何度か殴ればいいのに
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