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反転猫

 反転猫については、皆さんたぶんご存知だろうから、特に説明はしない。僕は今もそいつを探している。

 

 僕が遭遇した猫も、一般的でオーソドックスなごく普通の反転猫だ。

「六月はソルティ・ドッグを飲みすぎたわ」

 カリナさんが気だるく話す。カリナさんは同い年だが、会社の先輩だ。どうしようもない人で、いつも顧客からタメ語が妙にムカつくと苦情が入る。性格はがさつで適当で、机は汚く、よく有給を使って会社を休んではパチンコへ行くくせに、残業代だけはきっちりとつけている。

「へぇ、どれくらい?」

「毎日、一本、グレープフルーツジュースが無くなるくらい」

「それは凄いね」

 僕は、書類が山ほど入った鞄を引きずりながら、カリナさんと地下鉄のホームを歩いていた。午後十時。人は疎らだ。

「それ捨てたら」

「なに?」

「鞄よ。みっともないわ」

「それもそうだ」

 僕は、勢いよく鞄をゴミ箱に放り込んだ。実際、この鞄にはうんざりしていた。半年前に取引先から貰った請求書が何枚も入っていたが、その請求書も、予算や請求日、納期などの関係で、揉めに揉めた末、塩漬けにしていたものだった。あとは、決裁を貰えなかった研修の復命書、これは力作で分厚い。書くのにニ週間はかかったが、上司の気分で罵倒され、手直ししなければならない。決裁が通らなければ旅費申請ができない。

 

 その鞄を捨てた瞬間、時間が止まった。

 耳の奥に鋭い痛みが走って、すぐに治まった。カリナさんは、片足を挙げた状態で固まり、周囲の人間も、その場で動かなくなった。動いているのは僕だけだった。

「誰かー」

 叫んでも返答はない。何もかもが止まり、すべては凍りついたようだ。ただ、猫の鳴き声がした。振り返ると、目の前に黒猫が座っていた。スリムな顔立ちをしていて、胴が少し長かった。けれど、艶のある毛並みをしていて、プライドが高そうな猫だった。

 電光掲示板に、奇妙な文字が流れる。


『反転猫に注意。反転猫が反転すると時空が歪む』


 オレンジ色に点滅し、消え去りそうな文字だった。猫は、尻尾をピンと立て、今にも回ってしまいそうな雰囲気を醸し出す。

「よし、もう一回だけ反転してくれ」

 僕が、そう言うと、猫は僕の瞳を見つめ、すぐさま線路に飛び込んだ。

「待って」

 猫は一目散に走り出す。早くて姿は見えない。真っ黒なコンクリートと鉄筋の隙間に吸い込まれた。人々は凍りつき、動きを止めている。さて、どうしようか。反転猫を見つけ出すのに、一体、どれくらいの時間がかかるだろうか。時間が流れていない空間での、時間認識の尺度は、どうすればいいのか。考える時間はたくさんあるが、時間があればあるほど、考えは纏まらないだろう。    


 そういうわけで、僕は今、時空の歪みのなかにいる。



2013年

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