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大森林のブルーマー 天竜暦1871年フェイグテス

 この世界において、人々に近い動物は多い。

 遥か古代から、世界中で狩りの友や、家族の守り手として重用された(テットゥ)や、騎乗や荷車を曳かせたガレッドを家畜化し、重要な資産として育てていた。


 そして食用肉として、近世以降にはバンジェ、ブルーマーが重宝された。

 バンジェは繁殖が容易で数を増やしやすいことから、主に庶民向けに、ブルーマーは味の良さから貴族向けに飼育された。

 そうして始まった畜産の歴史だが、文明が進むにつれ、ブルーマーも庶民が食べられるようになっていく。

 それに伴い、貴族は白鯨などの希少生物を使った高級美食に価値を見出すようになっていく。


 そんな中、一部のブルーマー畜産業者の間に、希少生物に負けない味を目指す者が現れ始めた。


 フェイグテスの高原に牧場を構えるヤックェドも、そんな一人である。


 ヤックェドは元々、この牧場の先代牧場主の三男坊であった。フェイグテス国内でも随一の広さを持つ牧場は、元は継承権を放棄した王族が、王族籍を離れる際に譲渡された土地だと聞いているが、ヤックェドは信じていない。


 確かに、フェイグテスは大きな国ではなく、貴族は少ない。平民の中にも元貴族の血筋は珍しくないし、豪商や豪農は王家の血が入っていることも多いと聞くが、そういった人たちはやはり、気品のある人が多い。

 それなのにヤックェドの家族は豪放磊落、高原を走り回って酒を飲み、馬鹿騒ぎをする阿呆ばかりだ。高貴な血など入っているわけがない。


 王家の保養地に隣接していて、毎年夏には王族が来ており、子どもの頃は仲良く遊んでいたが、それでもそんなわけはない。


 三男であるヤックェドは、元々は牧場を継ぐ予定はなかった。フェイグテスの西には、大森林(ラ・フォーリ)があり、その奥には大いなる(デッラ・ラ・)エヴェッサ(エヴェッサ)がある。世界で最も高く険しい山だ。


 大森林もエヴェッサも、古くから神格化されていた。何しろ危険な場所である。大森林は広大な密林であり、獰猛な野獣や毒を持つ生き物も多い。昔は森に入り込んだ人間が小さな虫などから疫病をもらってしまい街に持ち込んだりして、呪いだとか騒がれたらしい。

 エヴェッサはヤックェドの住む大陸、その周辺の魔法世界において最高峰の山とされている。また、実のところ、この時代のフェイグテス周辺の人々にはほとんど存在すら知られていない、科学世界を含めても世界一高い山であり、あまりにも過酷な環境である。

 それでも、昔に比べれば開拓され、大森林の木々もそれなりに伐採されている。エヴェッサに登る人間もいる。


 ヤックェドは小さな頃から林業に従事するきこり達のところに遊びに行ったりしていたので、森についてはそれなりの知識があり、木こりになるつもりだった。


 そんな将来が変わったのは、十六の成人間際の頃だった。


 父を手伝って牧場で働いていて、次期牧場主の筈だった一番上の兄が、とある貴族家のお嬢様と恋仲になったのだ。フェイグテスの貴族などはもはや領地を持っておらず、他国における大手商会の商人と変わりはないが、商会経営などの知識はそれなりに必要である。幸いにして、兄は牧場経営者になる予定で帳簿の付け方などの知識も豊富だった為、晴れて婿入りと相成った。


 順当にいけば次男である下の兄が繰り上がって継ぐ流れだが、これを下の兄は非常に嫌がった。下の兄は家族の中では大人しく、画家を目指していたのだ。牧場の収入は国でも上位だった為に、気楽に生きていた次男は、生活費は親や兄にたかりつつ、気ままに絵を描いて生きていくつもりだった。

 そもそも子どもの頃から牧場の手伝いなども嫌がっていた為、知識もないし、向いてもいない。それでも念には念をと、上の兄の婚約が成った直後には、国一番の商会との専属契約をして、画家として独り立ちしてさっさと逃げた。


 姉はもう嫁いでいたし、妹たちが婿を取るよりは、ヤックェドが継いだ方が家族が喜ぶ。林業にそこまで拘りがあったわけでもなく、牧場の手伝いも真面目にやっていたので、やれと言われて断る理由はなかった。


 実際、林業よりは危険も少ないし収入もいいのだから、幸運だと言える。


 そうして五年。まだしばらくは隠居しない父の元で経営を学びつつ、働いてきたのだった。





「最近、ブルーマーの輸出は順調なんだけど、諸外国の貴族への売り行きは良くないのよね」


 そんなことを言ったのは、その年も避暑に来ていた王家の姫、ラタアイリマ王女だった。現王の一人娘であり、唯一の姫である。ヤックェドの四つ下のこの王女は、昔からヤックェドに懐いており、小さい頃から夏の間の面倒を見るのはヤックェドの役目だった。


 美しい水色の髪は空のようで、琥珀の瞳は大きくて、少し吊り目だが可愛らしい猫のような雰囲気がある。小柄だが女性的魅力に溢れる(平たく言えば胸が大きい)、柔らかくてしなやかな体の、美少女である。国民と王家の距離が近いフェイグテス王族の中でも特に、国民の人気も高く、諸外国からも引き手あまただと聞く。


 そういえば、今年で十六だが、まだ嫁ぎ先は決まっていないのだろうかと、ヤックェドは思った。


「ブルーマーが庶民でも手が届くようになってきたのはいいことだけど、当たり前になりすぎて、貴族の面子を保つには希少生物とか珍味が必要になっているのよね。ブルーマー牧場も各国それぞれで増えていって、肉質も競い合うように上がってるわ」


 ブルーマーは夏でも暑くなりすぎない高地で育てる動物で、フェイグテスの高原は群生する草花も良く、高品質だった。小さい国だが元々大量に繁殖していたこともあり、諸外国の貴族向けに輸出していた高級ブルーマーは、国の重要な戦略資源だった。しかし今やどこの国でも、飼料や育て方を研究して肉質を上げることに成功しており、突出した美食とは言えなくなってきてしまっているらしい。


「牧場としては、単価は下がったけど需要は安定してるから、売上はいいんだけどね」

「そこで満足したら駄目よ。諸外国からもっと安くて美味しいブルーマー肉が入るようになったら、まぁ国としてなんらかの保護措置はするだろうけど、今のような豊かな暮らしはできなくなるわ。そんな遠い未来の話じゃないわよ」

「うーん、まぁ俺としては、ほどほどに働いて慎ましく生きて、そんな悩みは次代に丸投げしたいね」


 そういうと、なんだかラタアイリマはじとっとした目を向けてきた。


「私はそれじゃ困る。希少生物にも負けない、美味しいブルーマーを輸出できるようにして」


 はてさて、数多の王侯貴族に求められる美姫だと思っていたが、どこかの王族に嫁ぐに当たって自身の地位を確立するのに必要だとか、そんなところだろうか。

 ラタアイリマがいくら評判の姫であっても、フェイグテスは小国だ。

 可愛がってきた姫が嫁ぎ先で軽んじられるようなことはないようにしないとな、などと、そんな程度の考えだったが、ヤックェドは


「任せろ」


と言った。


 ラタアイリマは、それはそれは嬉しそうに、可憐に笑った。






 それからヤックェドはラタアイリマや王族の外遊についていったり、一人で当てもなく訪ねて行ったりして、近隣諸国の牧場に勉強しにいき、飼料や育成環境の研究を重ねた。一年で方針を決め、父に計画を納得させ、王族からの資金提供も受け、畜舎を改良しつつ、試行錯誤を重ねる。


 ブルーマーにとって快適な環境をつくり、健やかに成長させるのが重要だ。

 それまでは環境と草の良さに甘えて、割と放置気味に育てていたが、一部の個体は貴族向けに管理することにした。

 特に肉質が良いと思われる若年の個体を広い個室で管理し、適度な運動、日光浴、放牧など、ブルーマーの生活を徹底して管理した。特に大きいのは飼料だ。何を食べさせて育てるかというのは、畜産業において非常に大きな意味を持ち、各牧場が研究に研究を重ねている。


 ヤックェドは研究過程で赴いた様々な牧場で、特に美味しいと思ったブルーマーの飼料をこっそり拝借していた。もちろん、どこの牧場でも重要な秘密であり隠しているが、この時代にそれを取り締まる法律は、どこの国でもせいぜい窃盗罪だけであり、僅かな量ならまずバレることはない。


 それらの飼料を自分で食べ、分析した。着目したのは、どこの牧場でも、美味しいと思ったブルーマー肉の資料には果物が多く、糖分が高いように思えた。


 そこで、大森林に広く分布するトリューの実を試してみることにした。トリューの実は赤く小さな果実で、新鮮な状態では非常に酸っぱいのだが、天日干しして乾燥させると、小さくなり、同時に酸味が全て甘味に変わるのだ。その甘さは蜂蜜(ミーリオ)に並び、果実の中でも特に高い糖度を誇る。

 また、蜂蜜と言えば、これも大森林に生息する(リオ)から採れる蜂蜜も極上であり、諸外国でも評判がいい。

 ヤックェドはその二つを、量の配分を様々に変えてブルーマー達に与えることにした。


 蜂蜜とトリューの実を数百日与えて育てた個体を、初めて口にした時の衝撃は忘れられない。素晴らしく柔らかく、旨味の波が脳まで響くような、極上の肉質だった。後の研究では、どんなに甘い飼料を与えても、トリューと蜂蜜の組み合わせで育てたブルーマーと同じようには絶対にならないことが分かるのだが、この時のヤックェドには、女神の寵愛と言える天運があった。


 数年後、ヤックェドが二十五歳、ラタアイリマが二十一歳になった頃、『大森林の(ラ・フォーリ)ブルーマー』と銘打って販売し始めたブルーマーは、たちまちフェイグテス王族から諸外国の王侯貴族にも売り込まれ、大反響を呼んだ。


 ドラクレアやアステリードなど、大森林に面する領地を持つ国の牧場ならいずれ真似できるだろうが、ブルーマーは成体で出荷するなら数百日かかる。まだまだヤックェド自身も、蜂蜜やトリューの実の配合は研究途上であり、今以上の味の向上も目指せるはず。


 すっかり熱くなったヤックェドに、もはや次代に任せるなどという気持ちは微塵もない。自分の目の黒い内は、最高のブルーマー肉といえばこの牧場と言われ続けてみせる、どんな希少な高級食材にも絶対に負けるものかと、研究を邁進するつもりだった。


 さて、そんなある日のこと。

 夏でもないのに、ラタアイリマがふらりとやってきた。


 ここ数年は研究や売り込みなどで手を借りており、頻繁に牧場にも来ていたが、先触れもなく突然だったし、用もなく来るのは珍しい。


 今日は泊まっていくという。昔から、避暑に来ていた時期には、遊びにきてそのまま泊まることはあったが、これも久しぶりのことだ。


 そういえば、ラタアイリマの輿入れには間に合わずとも、なるべく早く高級美食という武器を届けてあげたいと思っていたが、未だ結婚どころか婚約の話も聞いていない。

 今なら、数が多くない大森林のブルーマーを融通したり、輸出に制限をかけることで多くの交渉に役立てられるはずであり、どんな条件の王族にでも嫁げそうなものなのに。


 ぼんやりとそんなことを思ったヤックェドに、ラタアイリマは夕食を食べさせろと言った。

 最近は新型畜舎の近くに作った小さな管理小屋に住んでいるヤックェドだが、ラタアイリマが来る時は両親の住む家に戻り、皆で食卓を囲むことが多い。

 今日はラタアイリマが手料理を所望した為、ヤックェド自ら作った夕食であり、二人きりだった。

 もちろん、ヤックェドも子どもの頃から知っている、ラタアイリマの侍女と護衛が、部屋の隅に控えているが。


「大森林のブルーマーの生産を讃えて、あなたに一代貴族の地位と褒賞を与えることになったらしいわ。何が欲しいのか、考えておいた方がいいわよ」


 フェイグテスにおいては、一代貴族といっても、特に何らかの権利が得られるものではない。単なる褒章であり名誉なので、国に大きく貢献すると、割と簡単に授与される。


「褒賞ねぇ……」


 ヤックェドは気のない相槌をした。何が欲しいかと言われても、今も研究開発への投資は受けているし、不足はない。


 と、その時、ふとラタアイリマの方に目を向けた。

 美しい姫は、ほんの僅かに目を伏せ、肉を切り分けている。話を振っておきながら、こちらを見ていないことに、強い違和感があった。


 いつも真っ直ぐに、こちらの目を見て話しかけてくるのに。

 ずっと見つめてくるのに。考えてはいけない期待を考えてしまうほどに。


 王族の末裔といったって、ヤックェドは貴族ではない。見た目も野暮ったく、暗い森の色をした髪と、黒に近い茶色の目で、身長も高くない。地味な見た目で、つまらない男だと、自分で思っていた。


 そんなヤックェドに、いつもラタアイリマはまとわりついた。成長して美しくなっても、夏の間はいつもそばにいた。


 たまたま王族の避暑地に生まれたから、高貴な姫と仲良くなることができた。あまりにも遠くに咲き誇る高嶺の花が、夏の間はいつも近くにいた。でも毎年冬になると、王都で煌びやかな貴族達とともに、社交を楽しんでいるであろうことに思いを馳せ、立場の違いを痛感していた。もどかしい思いをいつもしていた。


 近くにいても遠い存在だった。だからせめて、自分を慕ってくれる、この可愛い姫に、ただただ幸せになってほしいと思っていた。


 ほんの僅か、無言の時が流れる。ヤックェドは知っている。これは、何か望みがあるのに、遠慮や何らかの理由で言えないでいる時のラタアイリマだ。





 一代貴族、褒賞、そしてラタアイリマの何らかの望み。


 ヤックェドの脳裏に、今までは考えてはいけないことだった、一筋の光が差した。


「褒賞というのは、物じゃなくてもいいんだよね」


 ラタアイリマが顔を上げる。頬が軽く上気して、瞳が潤んでいる。


「例えば、ブレッセッタの花を冬に咲くところが見たい、とか」


 ブレッセッタは夏の花だ。小さな蕾がいくつもつく、可愛らしい花であり、国花でもある。その花は夏の夜、ただ一夜しか咲かないが、とても美しい花が咲く。


 ヤックェドにとって、ブレッセッタを人に例えれば、ラタアイリマになる。


 小さくて、身近にあって、でも国の華で、夏にしか会えない。夜に咲き誇る姿を見ることは叶わず、冬には会えない。

 そんなラタアイリマを重ねて、冬に咲くところが見たい、と言った。


 ラタアイリマは、顔を真っ赤にして、下を向いた。小さな小さな声で、


「あなたが望めば、叶えられると思うわ」


 と言った。






 それから一年後の、初夏。高原で結婚式が挙げられた。広い高原には、国民誰もが自由に出入りを許された。披露宴は三日間続き、国から振る舞われる酒や食事は無料で、国を挙げたお祭りとなる。王家の一人娘の結婚式となれば、盛大になるものなのだ。


 宴の中心では、美しい姫が可憐に笑っている。


 大森林のブルーマーは来場者の中から、くじ引きにより選ばれた者に振る舞われ、しかも新郎新婦がいる大きな大きな食卓での同席を許される。


 国で熱狂的な人気を誇る姫に、直接祝いの言葉を伝えられ、しかも王侯貴族にしか売られていない噂の高級肉までいただけるとあり、当選者の喜びようは凄まじい。孫の代まで自慢できることだろう。


 二日目の、当選者との食事の時だった。長い黒髪と紅い瞳の、美しい女がいた。ラタアイリマもヤックェドも見覚えがないが、この場にいるのであれば国民の証は持っているはず。それにしても、これだけ美しい女性なら人の噂にのぼるものだが、二人とも知らないのが不思議だ。


 女は大森林のブルーマーを、大国の王族よりも優雅に食し、こう言った。


「素晴らしいわ。まさに、肉の王と言われるブルーマーの上に君臨する、肉の皇帝ね」


 こうして、フェイグテスのブルーマーは最高級食材としての地位を取り戻した。ヤックェドや国を挙げての努力により、研究にも力を入れ、長きに渡り、食肉の頂点、畜産業の聖地として発展していくのだった。


 ラタアイリマは、ヤックェドが貴族位を得て、豊かな生活ができる経済力をもって自身を求めてくれたことを喜び、結婚後はヤックェドに尽くした。ヤックェドも姫に幸せでいてもらう為、仕事に精を出し、家族に心を配った。

 たくさんの子どもに恵まれて、二人は幸せな人生を過ごした。

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