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悠久の魔女と古今東西グルメ伝説  作者: ノワール


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アラックの土蒸し焼き 天竜暦1964年紅龍連邦

 アラックという動物がいる。

 紅龍連邦の高山でよく見る四足動物で、断崖絶壁のような急斜面で生活することが特徴の、毛の長い動物だ。額に短い角があるのだが、その角は実は、長い首に大半が埋まっており、獲物を捉える時には勢いよく伸長する。角は煎じると薬になり、印璽や様々な日用品に加工することもでき、時代が進めば進むほど希少で高価になる。長い毛も、非常に滑らかで肌触りのよい布になるし、骨も加工され、その身は余すことなく使われる。


 その肉は体温が高く、寄生虫がいないことから生食も可能であり、内臓まで食べることができる。中でも首や肝臓の肉は野趣溢れる珍味として、世界の美食家を唸らせる高級食材である。

 ただし、世界の美食家たちに知られるのは、天竜暦にして二千年代を過ぎる頃であり、長らくはその地方に住む、山の民の命の糧であった。


 魔法世界にある大陸の東側に位置する小国群が、紅龍連邦となり長い年月がたつが、アラックが住む高山の天候の厳しさと、断崖絶壁という地理的条件の厳しさから、山の民以外でアラックを狩猟しようと考えるものはいない。

 旅人や登山家の中で、数少ない山の民と友誼を結んだ者だけが、その味を知ることができる。

 しかし、彼らがどれだけその味を絶賛しようとも、特殊環境下での体験なので、聞く者は額面通りには捉えられない。


 あくまで、その地方の素晴らしい珍味、あるいは郷土料理という扱いだったのだが、天竜暦にして二千年の少し前、その素晴らしさを世に知らしめるきっかけとなった出来事があった。







 魔法世界の中心の大陸、その北を広く領土とするドラクレア帝国には、爵位制度はなく、貴族と平民の階級差はない。ただし、国を治める皇帝と、その周囲を固まる十剣家(ゴリアローラ)という特権階級がいる。

 元々は、皇帝が周辺諸国を支配下に置いてドラクレア帝国を建国する際の側近だった家だという。

 あくまで、法に定められた階級ではないが、法により様々な特権が与えられている。


 そんな十剣家(ゴリアローラ)の中に、特に美食と芸術に心酔する一族がいる。アスラッダ家だ。


 この日も、アスラン・フォン・アスラッダは、紅龍連邦の険しい山でしか食べられない肉があると聞いて、その家柄に求められる責任を放棄して、東への旅をしていた。

 ちなみに、家臣や周辺の人間には散々苦言をもらいながらの出発だが、家族はにこやかに送り出してくれた。


 なにしろ、家族も祖先も一族揃って、美食や芸術のためならば、例え火の中水の中、どこまでも行こうという気質を持つのだ。

 とはいえ、現代では爆発粉(フレ・エグル)を燃料とした鉄道がかなり普及したため、昔よりは安全かつ迅速に移動できる。まだ状況はいい方だ。

 過去には、目的地まで何年も放浪した当主や、海を越えて未知の大陸を目指して旅立ち、二度と帰ってこなかった後継嫡男などもいたというのだから。


 アスランはまず、ドラクレア帝国から長距離鉄道で南下し、隣国のフェイグテスを越え、南のアステリード王国に入った。アステリード王国とも国境を接しているため、直接アステリード王国に行く便の方が早いのだが、あえて西のフェイグテスを経由した。旅は急ぐより、ゆっくりと各地の食べ物や街並みを楽しみながらの方が良いというのが、アスランの考えだった。


 アステリード王国の王都から紅龍連邦には、鉄道は通じていない。東の国境の町までは鉄道があるが、紅龍連邦は鉄道自体がないのだ。その代わり、かの国は自動車が発達していて、かなり道路が整備されていて、大型車の交通網が発達している。

 フェイグテスで一泊、アステリード王都で二泊、国境の町で一泊、紅龍連邦でも二泊し、それぞれの町の特産品を堪能し、歴史的建造物や美術館を堪能し、山の麓の町、クルドゴリヤに到着した。


 ここまでの道のりは楽しく快適であったが、これは序章に過ぎない。山の民と会える標高まで車では行けないし、交渉してすぐに食べさせてもらえるものでもない。彼らと友誼を結び、何日、何ヶ月、何年かけてでも信頼を築き、アラックを口にせねばならない。しかし、紅龍連邦の言葉は多少なら分かるが、山の民は独自の言語を使うはずだ。最近は連邦語を話す者も増えたと聞くが、魔法大陸で広く公用語として使われるヴィト語は、まず誰にも通じない。魔法大陸でありながら、文化の隔絶していた国なのだ。


 案内人を手配し、山に登るのだけでも大変なものだった。龍峰と呼ばれるこの山は、岩場が多く、切り立ったような急斜面ばかりの山であり、標高はそこまで高くないが、全くの素人が登るには難しい山なのだ。


 一応事前に訓練はしてきたが、片足分の幅しかないような、ひどく狭い崖の道や、案内人の用意してくれた縄で登るしかないような場所が多く、寒さも厳しい。何度か死にかける思いをした。それを踏まえてかなり高額の謝礼を用意した、技量の高い案内人のお陰でなんとか辿り着くことができたが、せっかく辿り着いても、やはり明らかに「平地に生きる者」というのが避けて見える為、山の民の対応は冷たかった。


 案内人が目的を知らせるも、やはりアラックは山を愛し、山に愛される者しか食する資格がないという。


 アスランは笑顔で案内人に言った。


「やはりか。では、これから山を愛す。愛されるまで、ここで生きるとしよう」


 山の民に受け入れてはもらえなかったので、近くの比較的過ごしやすい岩場に居を構えた。幸い、この山のある一定の標高では、危険な動物はいない。


 アスランは珍味を特に好む気質のため、人里離れた土地に行くことは珍しくない。野営や料理もできる。変わり者を見る目をしつつ、案内人は帰っていった。問題なく毎日生きられるようになるまでは、週に一度、物資を届けてもらう約束をしている。


 近くには針葉樹の立ち並ぶところがあり、歩いて行ける距離に川もある。食料の調達、つまり狩りさえどうにかすればよい。

 そして、この山の動物や魚はその全てがアスランにとっての希少食材だ。交通が発達したし、数十年前に平和条約も結ばれたとはいえ、こんな山の生き物たちは、ドラクレアまで流通してはこない。


 幸いにも周辺の生き物の習性を把握すれば、だいたいの獲物は獲ることができた。

 約三ヶ月たつころには、それらの食材をドラクレア風、アステリード風、連邦風に試し尽くし、さらなる向上を求めて案内人に調理器具を頼むほどだった。


 そして、山の民はおろか、連邦人にも珍しい調理方法を色々実践していたのが良かったのだろう。


 ある日、まだ大人といえない少年が近付いてきた。確か、山の民の慣習でも成人はしていないはずである。

 山の民のところへは、毎日顔を出している。まずは意思疎通からと言葉を学び、仕事の邪魔にならない程度に、人の良さそうな相手を探して話しかけていたりした結果、ほんの少し意思疎通はできるようになっている。あくまで、ほんの少しだが。


 なんとか身振り手振りも交えて話したところ、少年はラユールと言った。どうも、珍しい作り方をしている料理の味が気になっているらしい。


 アスランは、聞かれるがままに調理法をラユールに教えた。やがてラユールの家族が、そして多くの人びとがアスランの料理に興味を持ち、交友が広がっていった。


 古い狩りの仕方を教わり、山の民の料理も教えてもらった。思ったより早く受け入れてもらえた理由の一つには、山の民の禁忌が関わっている。


 過酷な山に暮らす彼らは信心深い。この世界を見守る女神ヴィータではなく、この地方に棲む紅い龍を崇める彼らには、独特の作法が多くあった。

 獲物は内臓まで食べるか有効活用すること。ただし、彼らが土に還れるよう心臓は土に埋めること。寝る時には山の頂に頭を向け、足を向けないこと。食事の際、左手は親指と人差し指しか使ってはいけないこと。そんなふうに、独特の習慣が多くあり、特に龍を侮辱する行為とされることをやってしまったら、まずアラックは口にできない。


 アスランは失礼のないように、事前に識者に詳しく話を聞き、案内人にもしつこく確認し、彼らにとっての禁忌を侵さないように最大限の注意を払った。


 そんな気遣いが功を奏したこともあり、一年がたつ頃、遂にアラックを獲る狩りに同行させてもらえることになった。


 アラックは非常に身軽で、広い視野を持つ。さらに断崖絶壁で過ごすため、その広い視野を活かして、昼間は人間が視認できた時点で、すぐに別な崖に逃げてしまう。運良く矢の届く距離まで見つからずに近寄ることができ、一矢で仕留めたとしても、その死体に近付く外敵がくると、集団で攻撃しにくる習性もある。翌日には死体が無くなるのだが、その理由はこの時代、解明されていない。


 実をいうと、死体が外敵をおびき寄せるのを警戒するらしく、何頭かで角を刺して持ち上げて運び、滝壷に落とすのである。龍峰の大きな滝は龍の寝床と言われており、子龍は滝登りをして体を鍛えると言われているのだが、実際、この滝壷は天竜暦四千年、五千年と時代が進もうと、水深も不明、落ちたものは永遠に登ってこないとされ、謎の解明がされないほどだった。


 そんな理由から、アラックの狩りは夜に行うのだという。そこまではアスランも知らなかったので、驚愕だった。断崖絶壁を、獲物に気付かれないよう灯りもなしに登らなければならず、なるほどこれは山の民にしかできない狩りだ。


 もちろん、アスランにそんなことをする能力はない。獲物は比較的安全な道で持ち帰ってくるので、その運搬の手伝いをすることで、食べさせてもらえることになった。





 標高の高いところにいると、星の光が近いような気がする。そのおかげか、思ったよりは視界はよかった。とはいえ、明るくとも慎重に慎重を重ねないといけないアスランには、一瞬たりとも気が抜ける状況ではないのだが、山の民たちはなんでもないことのように、ひょいひょいと登っていく。

 先頭と最後尾は、確かな技量のある一族の勇者が務める、栄誉ある役割だ。列の後ろの方で、アスランはラユールに助けられながら、なんとか山を登っていく。


 ラユールも今回が初めてのアラック狩りだというのに、大人たちに遅れないようについていけるのだから、流石であった。


 山の民にとって、アラック狩りに同行させてもらえることが大人の証だ。

 今回の狩りがうまくいけば、ラユールは大人として扱われる。


 そんな大事な狩りだというのに、主役は自分だから要求が通しやすいと、アスランの同行を族長に進言してくれたのだから、ラユールには世話になりっぱなしだ。

 いかなる理由があれど、狩りを失敗させれば、大人と認めた両親や仲のいい大人たちの顔を潰すことになる。そんな危険性があるというのに、ラユールは笑って同行させてくれ、足手纏いのアスランを助けながら登っている。


(彼になにか、感謝のしるしを渡したいところなんだが……)


 アスランはそんなことを考えてみるが、平地の人間である自分に、山の民に捧げられるものなど多くはない。帝国で喜ばれるようなものをどれだけ持ち込んだところで、彼らの心には響かない。


(また後で考えよう。今は迷惑をかけないようにせねば)







 日付が変わるような時間に、アラックのいる崖に到着した。

 アラックは崖にある僅かな突起に足をのせ、そのまま寝ている。


 月明かりにきらめく毛並みは、あまりにも美しかった。角もまた、毛とは違う淡い白光を放っていた。この毛でつくった衣服は、この淡い輝きが絶大な評価を得ているのだ。崖の中にぽつぽつと光が形作られていて、不思議な光景だった。


 ふと、その光が紅に染まった。全くの静寂のままにここまできた山の民が、ほんの僅かにざわめいている。


(なんだ?)


 その答えはすぐに分かった。紅が色を濃くするにつれ、山も、木々も、何もかもが紅く輝き始める。夜が真っ赤に染まるさまは、どこか畏怖するものがあった。そして、紅の光に目を向ければ、そこには龍がいた。


 アスランは帝国に古くから在る家の生まれであり、実家には風竜アフラノライと水竜オレアラの姿絵があり、見たことがあった。どちらも、この大陸に近い海に出没するために、稀に見ることができるからだ。長い歴史の中で、姿絵を残すことができた。


 女神ヴィータの眷属たる五柱の(ヴァストレ)は、それぞれに姿が違うが、そのどれもが筋肉質で雄々しく、硬い鱗と大きな翼を持つ、四つ足の甲殻獣のようなかたちをしている。この大陸に生きる人びとが見ることのない竜も、言い伝えによると似た姿らしい。


 紅龍はちがう。彼女は女神の眷属ではないとされている。


(なるほど、これは(ヴァストレ)とはちがうものだ)







 体長は、細長い。ただの生物としてはあり得ないほどに長く、細身のからだが翼もないのに、空に浮かんでいた。その姿は優美で、雅で、女性的なたおやかさがあった。ゆっくりと、空を泳ぐように飛んでいくさまは神々しいのに、周囲の全てを紅に染めることが、どこか恐ろしさを感じさせる。


 紅竜は連邦周辺の空を常に飛んでいると言われるが、その地に住む人びとすら、実際に目にする機会はそれほど多くない。人生で何回か、遠目に見ることができればいい方で、空を見上げる習慣がないと、一生見ないで終わることすらありえるという。だから連邦の格言には、なにかと空を見上げよ、というものが多い。


 この地域では、実際にとにかくみんな空を見上げることが多いのだが、アスランにもその理由が分かったような気がした。それほどまでに、神々しく美しく、そして恐ろしい。


 いや、連邦民に申し訳ないくらいだ。こんなにも間近で()()を見られる機会は、そうそうないだろうから。自分はなんと恵まれた男だろうか。


 ふと周りを見ると、山の民たちは地に手足を放り出して平伏していた。この地方における、最大限の敬意の示し方だ。アスランはヴィータ教徒ではあるが、彼らと偉大なる龍に対して、同じようにして敬意を表した。






 紅の光がなくなると、最初に来た時よりも暗く感じたが、狩人たちは気にも留めず、軽やかに崖を登って行った。

 アラックの首に何かを打ち込み、一瞬で絶命させる。何人かの狩人で崖から降ろすと、速やかに血抜きをした。血は全て集められる。確か、腸詰にするのだ。血の腸詰は、北方の大陸にあるアイザの方でも食べられていた記憶があるが、ドラクレア帝国やアステリード王国では見たことがない。

 珍味好きなアスランでも、少しゲテモノというか、あまり進んで食べたい気にはならなかった。


 しかし、夜明け前に集落に戻り、昼まで寝てから解体を手伝い、いざ実食となった夜、真っ先に出されたのが血の腸詰だった。


 アスランは美食家であり珍味好きではあるが、ゲテモノ食いというわけではない。若干顔を引き攣らせつつ、しかし

 食べないという選択肢はなかった。アスラッダ家の食道楽の誇りにかけても、山の民への感謝のためにも。


 ふふっ、と、近くで笑う声がした。思わず目を向けると、美しい女が二人いた。今日ふらっとやってきた二人連れの女旅人だ。女二人の旅人とは珍しいが、さらに驚くことに、二人とも山の民に受け入れられていた。


 二人は今日の夜はアラックだと聞くと、「知ってるわ」と笑い、同席することになった。一年かけてここまで辿り着いたアスランとしては、若干もどかしい気持ちにはなったが、恐らく二人も、過去に似たようなことをしたのだろうと割り切ることにした。


 なにしろ、どう見ても山の民ではない。

 山の民は人間と亜人の混合種族だ。純粋な人間族はあまりおらず、ほとんどが亜人か、人間と亜人両方の血が流れている。


 それも、この地域がまだ連邦として統合される前、小国が乱立していた時代に勇猛果敢で知られた、女戦士アルザネスの一族を祖先にもつ者が多いため、野生味のある、荒々しい美しさの女が多い。


 二人は明らかに違う。黒髪の女の方は、都会慣れした洗練さがあり、完全な人間族だ。所作には教養が滲み出ており、貴族や上流階級の生まれだと思われる。紅髪の女の方は、少し野生味があるにはあるが、やはり高貴さのある美しさだ。こちらは亜人である。体の大部分に鱗があり、長い尻尾がある。甲殻系の亜人はこの大陸では珍しい。少数民族の彼らに会ったことはあるが、今ここにいる女は、過去に会ったそれらの種族とは何かが違うような気がした。


 夕刻に初めて顔を合わせた時には、


「ほう、昨日空から見た時、見掛けない者がいると思ったが。山の民に認められたのだな。結構結構」

「失礼、空から、とは?」

「空からは空からに決まっておる」

「あー、気にしないで」


 という、よく分からない会話があった。二人とも、流暢なヴィト語で話してくれるが、山の民とは彼らの言葉で話している。どちらの言語も、元から使う人のように自然だ。





「ゲテモノじゃないから、怖がらないで食べてみなさい」


 黒髪の女が言った。どうやら、内心で怖がっているのが見透かされていたようだが、不思議と馬鹿にされた不快感はない。


 覚悟を決めて、腸詰を割った。甘酸っぱい果物を煮詰めた、とろみのあるかけ汁が添えてある。かけ汁をつけて、口に運んだ。


「!!」


 衝撃だった。


 皮は弾力があるが、ぷつりと小気味よく歯で切れる。中の血は滑らかで舌触りがよい。その味わいは想像と全く違い、上品だった。脂がじゅわりと染み出して、口の中を満たす。甘酸っぱいかけ汁との相性も抜群によい。果実の甘味と穏やかな酸味、それと脂の甘味、苦いとも香ばしいとも言える滋味が渾然一体となって、脳髄を突き抜けた。


 素晴らしい味わいだった。肉とも内臓ともいえるこの腸詰は、かつて味わったことのないものだ。


 強いて言うなら、アステリードにある、太らせた鳥の肝臓を焼いたものに似ている。あれも果実と蜜のソースが非常に合うのだ。ただし、こちらの方が圧倒的に上品な味わいだが。


 前菜から度肝を抜かれてしまったが、その後も衝撃の連続だった。


 舌の肉を入れた汁物、内臓の煮込み、脳の揚げ物、薄く切った生肉、焼いた肉、蒸した肉を穀物の薄焼きパン(ブール)で包んだもの、色々と出てくるが、そのどれもが想像と少しずれる。

 舌の肉が内臓のような味だったり、内臓は生肉のようだったりするのだ。そして、そのどれもが、かつて経験したことのないほどに美味しい。

 手の込んだ調理法など必要ない。素材そのままで、最高の料理になる。


 全てが衝撃的な味わいだったが、その中でもやはり、肝臓の肉と首の肉が格別だった。


 肝臓は生で提供された。事前に伝聞で聞いていても、内臓を生で食すことには抵抗があったが、またも黒髪の女に大丈夫だと笑われ、いただいてみた。


 すると、血の腸詰とはまた違った、上質な肝臓の味だった。脂分が少なく、ねっとりとした食感があるが、やはり非常に滑らかな舌触りだ。ほんの少しの油と香味野菜を合わせていただくと、腸詰よりも濃厚な味わいが、舌と言わず口全体に広がる。


 首の肉は皮が剥がされ、角が抜かれた後、この標高でよく見かける木の、表面の皮で包んで土に埋めるという、変わった調理方法だった。これだけは手の込んだ調理だ。埋めた土の上で焚き火をして、蒸し焼きにするのだという。


 この首の肉は、肉の中の肉と言える味わいだった。霜降りではない。ほんのりと脂の入った肉は、口に入れた途端に旨味が爆発するかのような味わいだった。最高のブルーマーの希少部位でも、ここまでの旨味はない。歯で噛み締めると、血の腸詰とは違った、甘みのある脂がたっぷりと口に溢れる。


 今日の食事は、人生最高のものだと、アスランは思った。また次は、これを超えるものを求めて旅がしたいとも。


「どうだ、美味いか?」


 話しかけてきたのは、今度は紅髪の亜人の少女だった。返事をしようと顔を見た時、そういえば、この髪の紅は、昨夜見た龍に似ている色だな、とアスランは思った。


「我の寵児どもは色々と美味いものを献上してくるが、やはりアラックが一番じゃ。本当は女神に愛さ(ホロ・ヴェ・リュー)れた人々(・アステル)どもになど、くれてやりたくはないのだがなぁ」


 言ってることはまたしてもよく分からなかったが、この素晴らしい食材は、紅龍を信奉する人々のものだ、と思ってることは分かった。アスランも、外様の者ながら食べさせてもらった側だが、同意できると思った。しかし、黒髪の女はそれを否定した。


「やめてよ。美味しいものを楽しむ権利は、誰にでも等しくあるべきだわ」

「ふん、貴様は誰にでもいい顔をしよるな。魔女めが」

「そうよ。悪いかしら?」

「まぁ、我に迷惑をかけなければ構わん」

「ありがとう。さすが、寛大なお心をお待ちで」

「からかっているのか?まぁ、絶滅させるようなことにはさせるなよ。我は面倒だから、貴様に任せるぞ」

「はいはい、任されましたとも」


 言葉の意味は分からなかった。


 アスランはそれからしばらく山で過ごし、帝国風や王国風の調理で素材を活かせそうな調理法でアラックを調理することすら許された。いくつかは成功したが、大半はやはり、山の民の食べ方が最も美味しかった。


 山から降りる時に、ラユールに礼がしたいと言ったら、平地に行ってみたいと言うので、連れて帰った。アスランはそれからも幾度となく旅をしたが、ついてこようとするので、結局そのままアスランの従者のようになり、あらゆる旅に同行した。


 晩年には「アスラン美食紀行」という、生きてきた中で食した、あらゆる世界の美食、珍味をまとめた本を出した。

 後書きには、己の生涯最高の美食体験は、初めて食べた時のアラックだったと記されている。


 アスランは晩年まで数多の食材を求めて旅をしたが、終ぞアラックを超えるものには出会えなかったのだ。


 この本は刊行直後から爆発的に売れ、アステリード王国やフェイグテスはおろか、魔法世界の北はアイザから西のフレイラルまで広まり、長期的に売れ続けた。やがては中立圏、科学世界にまで長期的に売れ続け、美食家の聖書とすら言われるほどのものになった。


 この本がきっかけで、アラックを食べてみたいと思う人間は、星の数ほどにものぼる。最初は食するまでの困難さを前に諦める者が大半だったが、幾多の美食家が山の民のもとへ行き、絶対に禁忌を犯さないという教訓のもと、挑んだという。特に、アスラッダの一族の者は、誰もが一度は挑戦すると言われる。


 やがては紅髪の少女が危惧した通り、絶滅の危機になりかけるような乱獲をされかけることもあったが、大魔女によってすぐに止められ、年間の狩猟に数の制限がかけられた。


 そうして長らくは、山の民と、時間と金に余裕があり、かつ食に対する凄まじいまでの執念をもつ、ごく限られた美食家のみのものだったが、二千五百年代に入ると、養殖技術が進み、大魔女の「紅龍から許可は取ったから」との一言で、アラックは養殖もされ始め、ある程度の金があれば誰でも食べられるようになる。


 ただし、やはり天然ものは格が違うと、食べ比べた者は口を揃えて言った。

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