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悠久の魔女と古今東西グルメ伝説  作者: ノワール


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白鯨の頬肉鉄板焼き 天竜暦1813年アステリード

 この世界の海は広く、過酷で、無慈悲だ。嵐や水の問題もそうだが、小さい船なら丸呑みしてしまう巨大な魚や鳥もいる。竜が棲む海域など、誰も通ることができない地域もある。


 科学世界と魔法世界の間には風竜アフラノライがおり、広範囲に渡って常に嵐が吹き荒れる。二つの世界は海路では往来できず、北の果てにある地竜ダスティライオスの棲む山の麓を行くしかない。

 また、水竜オレアラも赤道付近の海に棲んでおり、南半球に行くにはオレアラに会わない幸運に恵まれる必要がある。


 そもそも、科学世界でも魔法世界でも、長らく南半球の存在など考えられてもいなかった。


 オレアラは世界の果てより来たる厄災から人々を守る竜とされ、オレアラの海を越えた先は世界の果てであり、異界であり、一度超えれば二度と帰っては来られないと信じられてきたのである。


 千五百年代頃から天文学が発展し、地動説が主流になってくる頃には、北の果てで科学世界と魔法世界が互いを認識し、文化の違いから戦い始める。長い長い、科学と魔法の戦いの始まりである。


 この世界においての大航海時代は、天竜暦で千七百二十三年、グラトリアスの航海から始まったと言ってもいいだろう。


 科学世界、魔法世界の存在が互いに確認され、どちらの世界においても、世界地図は一気に広がった。さらにこちらも二つの世界でだいたい同じ時代のことだが、地動説を唱える勢力が少しずつ勢力を増していくにつれ、赤道の向こうにも世界が広がると考える者が出てきた。数多の冒険家が世界の果てを見んと旅立ち、赤道の向こうに消えていったのである。


 グラトリアスは、オレアラの移動パターンを長年に渡り研究し、オレアラが通り過ぎるのを待ち、恐らく戻ってこないだろうと思われる期間に赤道を越えることで、南半球との往復を世界で初めて成功させた。


 グラトリアスのやり方を真似て、まずは魔法世界が、僅かに遅れて同じようなやり方をした科学世界が、南半球への航路を切り拓き、大航海時代が到来したのである。


 南半球に大陸はそれほど多くないが、後にエディオンのある、南半球で最も大きな大陸は、遥か古代に地続きだった頃に移住したとされる先住民たちの文化と、科学世界、魔法世界それぞれからの冒険家たちの一部が持ち込んだ科学、魔法が入り乱れる、独特の文明を築き上げていた。


 互いの世界を嫌う人々も、ここでは素直に珍しい文化を受け入れ、それぞれ自国に持ち帰った。

 これにより、南半球は中立圏として二世界間をぎりぎり繋ぐ立場となり、これは長い長い二世界間戦争が終わるまで続くことになる。







 さて、そんな大航海時代に、一風変わった船乗りがいた。レイジャルというその男は、魔法世界の南端、アステリードの船乗りの家系に生まれ、小さな頃から船に揺られて生きてきた、生粋の海の男である。


 父は南半球との航路を行き来する歴戦の船乗りであり、レイジャルも一度、南半球に連れて行ってもらったこともあった。父からあらゆる船乗りの技能を仕込まれたので、順当に行けば立派な船乗りになったはずである。


 ところが、レイジャルは船乗りの中で、変人扱いである。何故かというと、南半球にもその他の航路にも、何の興味も示さなかったからだ。


 レイジャルの心を惹きつけてやまなかったのは、海の生き物たちである。それも、赤道付近に生息する生き物たちだ。

 オレアラが発する魔素と暖かい海流の関係か、赤道付近には、他の海域にはいない変わった生き物が多い。


 まだ少年だった頃、父の船で赤道を越える時に目にしたそれらの生き物に、レイジャルは魅了されたのだ。






 あれは、どんな味なんだろう、と。






 大人になったレイジャルは、父から借金をして、赤道を越えられる、しかし南半球の大陸を往復して商品をやり取りするには小さい大きさの船を購入した。


 以来数十年、レイジャルは赤道に行き、生き物を獲り、その味を楽しみつつ持ち帰り、珍味をありがたがる道楽者たちに売って生きてきた。


 赤道の生き物は貴重な珍味であり、それなりに高値で取引してもらえるが、独特な生態や攻撃能力を持ち、毒なども珍しくないために、獲るには非常な危険が付き纏う。

 何より、赤道に長く留まることが最大の危険である。いつオレアラに遭遇するか分からない。


 南半球の品物の方が圧倒的に高額で取引してもらえる上、赤道さえ越えてしまえば安全性も高いため、わざわざ危険な赤道に留まり、利益の少ない漁をするレイジャルは、あまりにも異端であり、船乗りたちからも距離をおかれている。


 父も母も兄も、おかしなレイジャルを許してくれたが、酒を飲んだ時にはいつも、南半球へ行け、赤道は危険だ、と言われたものである。


 そんな両親も死に、兄も船を降りて余生を過ごしているが、レイジャルは今日も赤道にいる。もうあと何年海に出られるか分からないが、危険な赤道で漁をし続けて、老境といえる年まで生きてきたのだ。いつ死んだとしても、後悔はない。


 後悔はないが、最後にどうしても、獲りたい獲物がいる。






 やつに出会ったのは、まだ自分で船を持ってから、三回目の航海の時だった。


 はじめはオレアラかと思って、死を覚悟した。それほどまでに、やつは大きかった。


 (ワイオル)だ。真っ白で、レイジャルの知るどんな魚や生き物より、どんな船よりもでかい鯨。


 それが海から飛び出し、レイジャルの船の上を飛び越えていった。帆を吹き飛ばしながら。命からがら逃げて、運良く陸地まで帰ることができたが、あの光景はあの日から、レイジャルの目に焼きついて離れない。


 それから数年後、また会うことができた。同じ個体だと分かったのは、背中にレイジャルの船の帆柱の先端が刺さっていたからだ。


 この白い鯨は滅多に見かけない種で、他の船乗りに聞いてもほとんど知られておらず、そんなものを見たと言い張ったレイジャルは、さらに変人と笑われるのだが、そんなことはどうでも良かった。


 食べてみたい。頭の中は、それだけだ。


 引退した船乗りに聞いてみたら、何人か知ってる者がいた。

 話を総合してみると、赤道にのみ現れることと、海中からまっすぐ浮かび上がってきて、そのまま飛び上がることが共通していた。

 どうやら、普段はもっと深い海域に生息するらしい。やつは魚ではなく哺乳類だから、海上に飛び上がるのは、呼吸の為だろう。

 滅多に見かけられることもないのは、あの巨体ゆえに呼吸の回数が少ないとでもいうのだろうか。


 実はこの予想は概ね合っていた。この種は体内に特殊な魔法器官を持ち、一度の呼吸で約一年もの間、水中にいられるのだ。そのことが学術的に確認されるのは、千年以上あとのことであるが。


 レイジャルは、当時の人類の中でも最も長く赤道にいる人間なので、それからも何度か白鯨を見た。他の個体も見たことがあるが、最初にみたあいつが一番大きい。何年もの観測で、レイジャルはやつが浮上する海域と周期をだいたい予測することができた。しかし、あの巨体で、飛び上がるのは一瞬だ。


 深い海の底から一直線に飛び上がり、再び海に飛び込み、何度かそれを繰り返したら、また一直線に海の底へと戻っていく白鯨など、どうやって獲ればいいというのか。


 レイジャルは長い間、他の鯨を獲るように巨大な銛を使って仕留めようとしたが、ほとんどは銛をつきたてることもできなかった。二回だけ成功したが、海中に引き込む力が強すぎて、すぐに縄が切れてしまった。


 必要なのは、飛び上がる地点の予測。そして、あの巨体に引かれても耐えられる縄と船団だ。





 レイジャルはもう長くない人生の締めくくりに、最後の挑戦をすることにした。

 どんなに大きな船と丈夫な縄を用意しても、一隻で仕留めるのは、どう考えても不可能だった。


 レイジャルはこつこつ貯めた財貨を全て吐き出して、自分を変人と笑っていた船乗りたちに頭を下げた。現役のほとんどは、もう自分よりずっと歳下だった。


「どうしても、やつを食べたいんだ」


 船乗りたちは、笑った。


「じいさん、食いしん坊にもほどがあるぜ」

「なんで儲からないのに危ない赤道漁を続けてるのか不思議だったんだが、自分で食べたかったからなのかよ!」

「この金でのんびり過ごせば老後は悠々自適だってのに、頭いかれてんのか」


 散々笑ってから、船乗りたちは言った。


「面白え。金なんか要らねえよ。じいさんの最後の大物、船乗りの意地にかけて獲ってやろうじゃねぇか」


 確かにレイジャルは変人だと笑われてはいた。笑われてはいたが、感謝され、尊敬もされていた。


 誰よりも赤道にいて、誰よりも赤道に詳しく、危険な赤道の様々な気象情報、生物情報、海流情報、水竜情報を、誰よりも持ち帰ってきたからだ。

 赤道付近で危ない目にあいそうになって、それを乗り切った船乗りたちは、口を揃えて言っていた。


 レイジャルの情報で助かった、と。


 若い船乗り達も、親や先輩たちからそれを聞いていた。あいつは有難い変わり者なんだ、と。


 結局、漁の経験と赤道越えの経験が豊富な船乗りたちを選抜し、大船団で白鯨の浮上予測海域に向かった。その季節は南半球からの舶来品がほとんど入ってこず、アステリードや魔法世界の経済が大混乱に陥るのだが、船乗りの誰一人、それを気にする者はいなかった。






 そして、その年、白鯨が三度目に飛び上がった時、レイジャルが投げたそれを含めた三つの銛を突き刺し、最終的には六隻で引いて、十七本の銛によって、白鯨は仕留められた。


 銛に付与された魔法は電撃、氷撃。そして、最新の爆発粉エンジンの巻き上げ機、特殊な合金を混ぜ込んだ縄が無ければ、成功しなかっただろう。


 新たに縄に氷魔法を付与し、白鯨の巨体は凍らされたまま、三隻の船で曳航された。


 港は大騒ぎになり、数十人がかりで解体され、食べたいものは競りで提供し、町全体で食べることになった。すぐに祭りになった。珍味を好む貴族も大勢、鉄道で飛んできたという。

 レイジャルだけは、あらゆる部位を無料で食する権利を与えられた。


 さて、どの部位もものすごく大きいが、それでも希少部位はやはり量が限られる。特に、過去の赤道珍味の傾向から、頬肉と腹肉は最も美味であると予想され、貴族たちにより、値段が天井知らずに跳ね上がった。


 腹肉はたっぷりの脂と、口の中でとろける雪のような口溶けで、ほんの少しの塩や魚醤などとともに生でいただくと、えもいわれぬ幸福感だった。旨みのつまった雪を食べているようだと、誰かが言った。何を言ってるか分からなかったが、確かにそんな表現しかできない味だった。


 頬肉の大半は高額を出した貴族が競り落としたのだが、ただ一人、貴族ではない購入者がいた。何者なのかよく分からない。貴族たちの話を聞いていると、貴族ではないらしいのだが、どの貴族もまるで王族に接するかのように、丁寧に接している。


 若い女だった。長く艶めく黒髪と紅い瞳が印象的な、この世のものとは思えないほどの美人である。貴族たちの注目を浴びつつも、平然と食事をしている。


 平民たちも、船乗りたちも注目していた。とんでもない美人であることもそうだが、なんとこの女、あらゆる部位を購入したというのである。その総額は恐ろしい金額となり、貴族でも簡単には出せないものだったが、女は涼しい顔で全て支払った。量もかなりの量なのだが、綺麗な所作で平らげていく。


 部位を見て調理方法を指定するのだが、それがいちいち的確で、すぐにあらゆる部位が、その女の指定した調理法で提供されるようになった。


 そして、一つ食べるごとに品評しており、それもまた全て、見事としか言いようのない品評であり、貴族たちも完全に同意するほどのものだった。


 いつしか部位の値段も女の品評で左右され、誰もがその言葉に聞き入っていた。


 腹肉の表現も、どうやら元はあの女らしい。


 遂に、女が最後の料理に手をつけた。頬肉である。調理法は単純な鉄板焼きだ。ただし、絶対に火を入れすぎないようにと厳命し、料理人が焼くのを真っ直ぐ見つめていたらしい。料理人の手元が震えていたとか。


 そうして焼かれた頬肉は、確かに驚くほど火入れが浅かった。最後は鉄板から離し、余熱でじっくりと火入れする念の入れようだった。


 そして、女はエヴェッサ産の塩と南大陸の香辛料を指定した。女は相当な美食家だろうに、自前の希少な調味料などを持ち込んだ貴族などとは違い、全て港で手に入るものを使った。不思議なことに、町の食堂や商店で持つあらゆる調味料を把握しており、調理方法を指定する際に、調味料として選ばれた品を持つ業者は、諸手を挙げて喜んだ。


 頬肉に使った香辛料は、レイジャルにも見慣れないものだった。緑色の植物だ。おろし金で擦り、ほんの少し付けて頂く。


 レイジャルも同じようにして、驚いた。鼻に突き抜ける爽やかな辛さがあり、その奥に僅かな甘みを感じる。絶妙な焼き加減と塩により旨みを引き出された頬肉と、最高の調和を見せ、やわらかで、女がいうところのジューシーな味わいが、口いっぱいに広がった。口の中で香辛料の辛さと甘さ、肉の旨みと甘みが絡み合い、頭まで突き抜けてから、喉をするりと通り、腹に落ちる。


「この時代の、どんな(ブルーマー)をも超える味ね」


 ぽつりと女が言った。


 この言葉で、白鯨は世界最高の肉料理素材とされ、特に頬肉は珍味の中の珍味、肉を超える肉として、美食家に愛されるものとなる。


 この千年後には乱獲による絶滅が危惧されるようになったり、養殖技術の発展と漁獲量制限などで、絶滅は免れたりするのだが、もちろんレイジャルはそんなことは、夢にも思わない。


 また、この祭りから広がったジューシーという言葉は、科学世界の言語(イングリッシュ)だというのに、ヴィト語やアイザ語、紅竜語などでも通じる、全世界共通の言葉となった。


 余談だが、この時代で英語を話せる魔法世界人は非常に限られるのだが、言語学者でも北の果ての国(フレイラル)で科学世界人と戦う騎士でも中立国からの渡来人でも船乗りでもない女が、なぜ英語を知っており、ジューシーと表現したのかという謎は、長らく言語学者を悩ませることになる。






 レイジャルはこの白鯨漁を最後に、船を降りた。


 結局、船乗りたちに謝礼として払う金は受け取られなかった。白鯨の売上は参加した船団で山分けにしても、一人一人が莫大な取り分になるほどだったが、これは辞退した。


 とはいえ、溜め込んでいた財貨はそのまま残ったので、穏やかな余生を過ごそうとしたレイジャルだったが、これ以来盛んになった、赤道漁に出る船乗りたちに請われ、死ぬまで赤道漁の伝道師をして生きたのだった。

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