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懺悔の春

作者: はやはや

この作品は星空文庫にも掲載しています。

 春だ。

 桜の花が舞い落ちる。

 ひらひら、ひらひらと。まるで、新しい記憶を積み重ねるかのように。この一年で僕の中には新しい記憶が積み重なっていった。


「卒業生が入場します。拍手でお迎え下さい」

 先生の声がやむやいなや、ぱらぱらぱちぱちと重なった拍手の音が僕達を迎える。

 K市立T東小学校。田舎町にある学校だ。


 コロナの影響で、去年からようやく卒業式が再開された。とはいえ、去年は卒業生も全員マスク着用が徹底され、在校生として出席したのは五年生四名だけだった。一組と二組の委員長と副委員長。

 僕は二組の委員長として、副委員長の牧瀬あゆさとともに出席したのだった。


 卒業証書授与も今年から以前のように、一人ずつ壇上に上がり、校長先生から受け取るようになった。

 六年一組から順に名前が呼ばれる。僕は二組だから自分の番が来るまでに少し時間がある。

 宇田啓太うだけいたというのが僕の名前だ。だから、二組に順番がくると二人目に名前を呼ばれる。


「牧瀬あゆさ」


 一組の担任の古谷先生が一段と声を大きくして、彼女の名前を呼んだように感じた。

 返事はない。それもそのはず。彼女は今、ここにいないのだ。

 同じクラスの女子が、小さな額に入った写真を胸に抱き、壇上へ進む。一礼し校長先生と向き合う。

「卒業証書。牧瀬あゆさ。おめでとう」

 他の児童へ向けた同じ言葉を校長先生が発する。あゆさの代わりに、写真を胸に抱いた女子が卒業証書を受け取る。

 なぜ、あゆさがここにいないのか。その本当の理由は僕だけが知っている。


⁂ ⁂ ⁂


 五年二組。三学期の学級委員長は僕だった。一クラス十八人。僕達の学年はぎりぎり二クラスに分けられたのだった。

 男子八人。女子十人。

 僕は目立たないタイプだったけれど、責任感は強かった。通知表の先生からの言葉の欄にも〈責任感が強く最後まで物事を成し遂げようとします〉と書かれていたほどだ。

 一学期、二学期と学級委員長を務めたのは、クラスの中でも、リーダーシップがあり、しっかりしている子だった。

 だから、僕が三学期の学級委員長に選ばれた時は驚いた。とはいえ残っている児童の中で、そういう役割に向いているのは、僕しかいなかった。

 副委員長は牧瀬あゆさ。彼女もどちらかというと、おとなしいタイプだった。長い髪をいつも二つに結えていた。腰の辺りまで伸びたそれは、艶やかだった。


 卒業式が近づいた三月上旬。

 マスク着用で卒業式が開かれることが、全校集会で校長先生から伝えられた。隣の六年生の列が騒めく。

「やったー」「よかった」という声が聞こえた。六年生の担任の先生が「静かに!」と言っている。

「在校生代表は五年生の各クラスの委員長、副委員長が出席することとします」

 そう校長先生の話は続いていた。

 僕より前に並んでいる、あゆさに目をやる。顔を上げて校長先生の話を聞いていた。


⁂ ⁂ ⁂


 卒業式当日。学級委員じゃなかったら休めたのにな、なんて思いながら学校へ向かった。

 五年生の学級委員に割り当てられた仕事は、卒業式の出席だけではなかった。登校してきた六年生にコサージュを付けるという仕事もあった。

 このコサージュは五年生が協力して作ったものだ。花紙と色画用紙で花を作った。綺麗な形をしているものもあれば、少し歪な形をしているものもある。

 職員室でコサージュを受け取った後、あゆさと僕は六年二組の教室に行った。まだ誰も来ていない。教室内はしんと静かだった。

「上手く付けられるかな。緊張するね」

 あゆさがコサージュを一つ手に取り言う。

「うん」と僕は返した。


 ちらほら六年生が登校してきた。

「おめでとうございます」と言いながら、それぞれの胸元にコサージュを付けていく。嫌がる人もいるんじゃないかと心配していたけれど、そんな人はいなかった。

 卒業式は十時から。

 予定では十時半に終わる。

 卒業証書を代表者が受け取るからだ。六年生全員がするのは合唱曲を一つ歌うのみ。

 大幅に内容を削られても、式ができるだけ六年生は嬉しいのかもしれない。


⁂ ⁂ ⁂


 コサージュをつけ終えると五年生の僕達四人は、先に体育館の席に着いた。

 六年生の保護者はすでに席についていた。

 化粧品の粉っぽい匂いがする。

 午前十時。予定通り式が始まった。


 卒業式はどうして特別な感じがするのだろう。

 厳かな雰囲気。神聖な場所にいるような気がしてくる。

 来年は僕達が、こうやって見送られるのだ。


 十時半前に式は終了した。

 五年一組担任の都岩といわ先生が、こちらに来て言った。

「もう一仕事頼むよ」


 一仕事というより二仕事だった。

 一つ目は壇上に生けてある花を、五年一組と二組で分け合って、教室に飾ること。

 二つ目は体育館の壁に飾ってある、花紙で作った飾りを外し、一年生の教室に飾ること。

 どちらも、まぁまぁ面倒な仕事だった。

 たがら、一組の二人がしていたように、あゆさと僕もじゃんけんをした。勝った方が好きな方を選ぶことにした。

 チョキとパーで僕が負けた。あゆさはしばらく考えてから「お花を教室の花瓶に移す方にする」と言った。

 それを聞いて僕はほっとした。花を選んで飾るにはセンスがいると思ったのだ。

 紙でできた飾りを一年生の教室に貼り直す方が、気が楽だ。

 役割が決まると四人はそれぞれ動き始めた。


⁂ ⁂ ⁂


 僕は正面向かって左側の壁についた飾りを、一つ一つ剥がし箱に入れて行った。壇上では、あゆさと一組の委員長の永田さんが楽しそうに会話しながら、教室に生ける花を選んでいる。


 思ったより壁に付いている飾りの数は多かった。箱から溢れそうになっている。それを落とさないように、そっと箱を抱え一年二組の教室へ向かった。


 一年生の教室に来ると、机や椅子の小ささに毎回驚く。四年前は僕もこんな小さな机や椅子に座っていただなんて、信じられない。

 でも、六年間も小学校に通うのだから、知らぬ間に成長するのだろう。六年という歳月は、仰向けで寝ていることしかできなかった赤ちゃんが、歩き、言葉を喋り、一通りの身の回りのことをできるようになるまでの時間なのだから。


 窓から入る日差しのおかげで、教室内は温かい。

 箱から飾りを取り出し、先生の机の上にあったセロテープで、教室の後ろの壁に貼っていく。

 壁はあっという間に花でいっぱいになった。

 箱の中には、まだ半分ほど飾りが残っている。どうするかしばらく考えてから、教室の前の壁にもそれを飾った。


⁂ ⁂ ⁂


 僕の仕事は終わった。空になった箱を抱え、一年生の教室を出る。このまま帰れたらいいけれど、勝手に帰ってはいけないだろう。

 せめて、同じクラスのあゆさの仕事が終わるまでは。


 とりあえず、自分の役割を果たしたと思うと、気持ちが解放されるようだった。

 五年二組の教室まで走る。今日は児童がいない。全速力で走ってみたくなった。


 この時、誰かが僕を止めてくれたらよかったのに。

――廊下は走るな! と


 一年生の教室のある南館の一階から、高学年の教室がある東館まで走る。渡り廊下を走り、五年二組の教室がある二階まで階段を駆け上がる。

 階段を上がり切り教室へと続く廊下の角を曲がった、その瞬間。

 思い切り何かにぶつかった。それはやわらかいものだった。思ったよりぶつかった衝撃は強く、僕は尻もちをつくように後ろに倒れた。

 天井にある蛍光灯が二本、目に入った。

 慌てて起き上がる。

 そして、見てしまったのだ。見てはいけないものを。


⁂ ⁂ ⁂


 僕の爪先から数十センチ離れたところに、人が仰向けに倒れていた。あゆさだった。

 あゆさも突然、人とぶつかったことに驚いているのか、倒れたまま動かない。

「あゆさ」

 僕は名前を呼んでみた。それでも反応しない。

 僕が近づいたら「もぉっ!」とでも怒って飛び起き、僕をびっくりさせようとしているのかもしれない。

 警戒しながら近づき、もう一度「あゆさ」と呼んだ。

 それでも目を瞑ったままだ。

「ねぇ、あゆさ」

 小さい子に呼びかけるように言い、その体を揺らす。

 あゆさは目を開けなかった。


 全身から血の気が引いた。

――頭を打ったのだ

 と思った。

 廊下を挟んでトイレと水道がある。あゆさはトイレから出て来たところだったのだ。


 どうすればいい……

 走っていた自分とぶつかって、あゆさが頭を打ったと知られてはならない。

 体が震えている。どうしたらいいのかわからなくなり、気づけば教室に戻っていた。


 教卓の上には花瓶があった。その横には新聞紙に包まれた生花がある。あゆさが選んだ物だ。名前のわからないピンク色の花が目に飛び込んできた。


 その瞬間、閃いた。


⁂ ⁂ ⁂


 僕は教卓にあった花瓶を手に取る。中に水は入っていなかった。

 花瓶を手に廊下へ出る。

 あゆさは同じ場所で倒れたままだ。


 これから僕がしようとしていることを考えると、恐怖で逃げ出したくなった。でも、逃げるともっとまずいことになる。

 僕は花瓶に水を入れた。


 あゆさに近づき、その足元に水を溢す。そしてあゆさの側に花瓶を倒して置いた。中の水が、とくとくと廊下に広がっていく。


 そしてその後、職員室へ走った。


「先生! 牧瀬さんが!」


⁂ ⁂ ⁂


 でっぷりとした体格の校長先生は、優しげな眼差しで僕に卒業証書を渡した。両手で受け取り、一礼する。

 証書が入ったファイルを脇に挟み、振り返る。一番前に卒業生、その後ろに在校生代表の五年生。一番後ろに保護者が着席している。

 体育館の上部にある窓からは、柔らかい陽射しが降り注いでいた。



 一年前のあの日、あゆさは病院へ運ばれた。頭を強く打っており、意識不明の重体だった。

 そして今も昏睡状態が続いている。


「知らせてくれてありがとう」

 と、先生からも、あゆさの両親からも言われた。みんな、あゆさが花瓶の水を溢し、それに足を滑らせて転倒し、頭を打ったと思っている。


 でも、本当はちがう。


 壇上からの景色を、自分の目で見ることができなかった、あゆさの分も僕はしっかり目に焼き付けようと思った。

 そして、同時に祈る。

ーーこれからも彼女が眠り続けるように

読んでいただき、ありがとうございました。

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