2話
この世界の朝ご飯は遅めだから、昼食はなし。その代わり、ティータイムがある。
昼下がりのお茶会にて、私は初めてフローラと対面した。
ふわっふわっの美少女。サイドを編み込んで、栗毛をアップにしている。ドレスもピンクのヒラヒラで超かわいい。一方の私はアデルが選んだ紫色の細身のドレス。それなりにゴージャスなんだけど、いかにも悪役っぽい。どうして、これを選ぶよ? 絶対、わざとだろ?──そんなふうに不機嫌満載でティーカップを持っていたら、フローラが怯えた顔で見てくる。その様子がまた、小動物みたいで愛らしいわけよ。私、生まれ変わるなら、こいつがよかった……。
何人かお友達の令嬢を呼んで、お菓子を食べたり、女子トークをした。誰々が素敵だの、誰々と誰々がデキてるだの、ここらへんは女子高生だったころとそんなに変わらない。ただ、いやに私の服とかアクセサリーを誉めてくる。笑っちゃうくらいヨイショしてくるの。ヒエラルキー最上位の一軍女子って、こういう感じなのかなぁって思った。悪い気はしない。
一方、フローラに対しては、みんなほぼ無視で、嫌われてるのかなぁって感じ。フローラが会話に入ろうと、何か言っても冷たくスルー。いやいや、私よりフローラのほうがかわいいでしょうよ? 嫉妬もあるのかな? 女の世界ってコワイ。
アデルはお茶を注いだり、遠いところのお菓子を取ってくれたりする他は、ずっと私のうしろで待機していた。なんだか、かわいそうになってくる。見た目だけでいったら、彼女……彼、フローラすら上回るよ? 一番、ヒロインらしい。私たちそっちのけで、公爵令息に見初められちゃうんじゃないの?
そこまで考えて、私は思い出した。フローラが射止める公爵令息って私の従兄妹なんだけど、アデルの腹違いの兄だったか。ちょっとややこしいんだけど、二人は亡くなった私の母の兄の息子なの。
アデルは外でできた子供だから、たぶん追いやられているのかな。女装までさせられて、気の毒よね。ちなみにフローラは私の父が愛人に生ませた子なので、彼らと血のつながりはない。
「あ、皆さまにプレゼントがありますの。わたしが調合した香水なんですけど……」
のけ者だったフローラがこんなことを言い出して、注目を集めた。侍女に小指くらいの大きさの瓶を持ってこさせる。人数分かな。配られた女の子たちは単純に大喜びした。冷たくしていたのに、まったく現金だなぁと思う。
「お姉さまもどうぞ」
渡された瓶を嗅いでみると、とってもいい香りがした。甘い果物系、薔薇の香りにピーチが合わさったような、十代の女の子向けのかわいらしい匂いだ。小瓶もね、試供品サイズなんだけど、とってもオシャレ。口と蓋の部分に切子細工が施されていて、ご丁寧にリボンまでかけてある。私たちは互いの香水を交換して、香りを楽しんだ。これがきっかけでフローラも周りに馴染めそうになってきて、おせっかいながらも微笑ましく思ったりして。もしかしてバッドエンド、簡単に回避できちゃうかも? そもそも、私バルバラがフローラを妬み、意地悪したことで墓穴を掘るわけでしょう。最初から仲良くしていれば、そんな結果にはならないよね。私はすっかり安堵して、穏やかな気持ちでお菓子を食べていた。
しばらくして、フローラが「ちょっと失礼いたしますわね」……と退席した。トイレかなぁなんて思い、私はケーキを頬張る。スイーツ食べ放題とか、お嬢様に生まれてよかったと呑気に幸せを噛みしめていたわけね。ふと、香水の香り、私だけ甘い系だったなぁなんて思い出した。みんなはシトラス系の爽やか系だったのに、私だけ系統がちがっていたの。でも、得した気分だったのは間違い。変な音が聞こえてきた。
ブゥーン、ブゥーン……って、虫の羽音みたいな……。そういや、ゲームしていた時、お茶会って何かあったな……なんだったっけ?……そうそう、フローラがイケメン公爵令息ラウルに助けられて、恋に落ちるんだっけ。
ぼんやり、記憶をたぐっているうちに、どんどん羽音は大きくなってくる。音のほうを見ると、花壇の向こうに黒い点点の塊が見えた。虫? 虫の大群!?
「蜂よ!! 蜂の大群だわ!!」
誰かが叫び、女の子たちは悲鳴を上げて四方八方に逃げ始めた。私、私は足がすくんで逃げられない。さっきまで茫洋と漂っているだけだった点点の塊は、急に隊列を組みステルス機の形になってこちらへ向かってくる。早い!!
誰かが私の腕をつかんで誘導してくれなければ、彼らの餌食となって肉団子になっていたかもしれない。腕をつかんで引っ張るのはアデルだ。私はアデルに導かれるまま、懸命に走った。蜂が出てきたのは屋敷の裏手の鬱蒼とした森から。私たちは庭園を突っ切り、門のほう目がけて走り続けた。元陸上部をなめるなよ! 命がけだもん。ふくらはぎとアキレス腱がキリキリしても頑張るよ。
走りながら、よみがえってきたのはゲームのストーリーだった。お茶会で蜂の襲撃に遭うのはバルバラじゃなくて、フローラだったはず。バルバラがテーブルにフローラを一人っきりにし、木から蜂の巣を落としたのだ。そして、たまたま屋敷に招待されていた公爵令息ラウルが現れ、フローラを馬に乗せて救う──あれ? 全然、話の筋が変わってるじゃない!? どういうことなの!?
全速力で走っているのに、蜂は距離を縮めてきた。これは、もう肉団子になるしかないのか? 呼吸も乱れてきて、涙もにじんでくる。目の前に見える池がぼやける。噴水付きのかなり大きな池だ。水草が浮いていて、魚もいそう。迂回せず、一直線にアデルは向かっていく。このままだと池に落ちてしまうじゃない! 強くつかまれた腕が痛いし、私は止まりそうになった。
「止まるな!! 池に飛び込むんだ!!」
怒鳴られて、私は無我夢中で池にダイブした。もぐる気はなかったのに上から頭を押さえつけられ、水を飲む。く、くるしい……
殺されるのかと思った。
私がずぶぬれの状態で池から上がった時にはもう、蜂はどこかへ行っていた。アデルに背中をさすられ、水を吐く。
「ケホッ、ケホッ……なにするのよ?」
「命の恩人だ。感謝しろ」
アデルは人がいないのをいいことに男言葉だ。命の恩人てねぇ……なにも池に飛び込むことないじゃない。でも、そんな抗議は次の言葉にかき消された。
「匂いだ。匂いに反応して追いかけてきた」
「へ!? 匂いて、香水の?」
アデルはうなずく。そうか。池に入って匂いを消そうとしたわけか。そのおかげで、髪に藻がべっとりくっついているけど。
「他の令嬢は追いかけられていない。蜂は明らかに君を標的にしていた」
「な、なんで?」
私だけもらった香水の香りがスイーツ系だった。でも、まさか……まさか、ねぇ?
「おそらく、あらかじめ蜂に匂いを覚えさせていたんだろう。でなければ、集中して襲ってこない」
死にかけたっていうのに、アデルの口調は冷静だ。私はゾッとして言葉を失った。ヒロインが、フローラが仕組んだってこと!? 私を殺すために!?
茫然としていると使用人たちがやってきて、私は屋敷内に連れられた。風呂に入れられ、上から下まで綺麗にされる。転生前の環境を考えれば、結構恥ずかしい状況なんだけど、そんなこと気にならないくらいズゥンと沈んでいた。上の空でケガ人は他にいなかったと報告を聞く。
部屋に戻ってから、アデルは人払いした。二人きりになったあとの第一声が、
「君は狙われている」
こんなこと、受け入れられませんよ。悪役の私がヒロインのフローラを陥れようとしているっていうんなら、わかるけどね、私みたいな意地悪な嫌われ者を陥れて何かメリットがあるの??
「いやいやいやいや……考えすぎでしょ? 偶然よ、偶然」
「使用人の話では、先日駆除したはずのスズメバチの巣が網から放たれていたと。俺は現場に行ったんだが、空になった巣の周りは君のもらった香水と同じ匂いが漂っていた」
一人称“俺”なんだ。でも、今はそこじゃないわよね。
「私なんか狙っても、なんのメリットもないでしょうよ? 逆ならわかるけどね」
「俺も最初はそう思って、君を見張るために侍女の話を受けたんだ。まさか、逆だったとは……」
ああそう。最初は逆だと思ってたのか。まあ、無理もないけど。落ち着きを取り戻したあとでは、なんとなく理解できるかな。メリットとか損得勘定じゃないわね、たぶん。
この世界の記憶では、なにせ私、フローラをさんざんイジメてるんだもの。モテてチヤホヤされているのを見て、嫉妬よね。……でも、かわいいもんよ? お気に入りのドレスを奪ったり、仲間外れにしたり、椅子に袋入りのインクを置いといたり……うーん、結構やってるな。
成長してからイジメが激化したのは、公爵令息のラウルを同時に好きになってしまったからか。
フローラが私の命を狙うとしたら、まだラウルとは出会ってないから、いじめられた復讐でしょ。私にとっては、たいしたことでなくとも、フローラはつらかったのかもしれない。いじめていたのは事実だし、自業自得よね。
「なんだ? 達観した顔をして?」
アデルが不審な目で見てくる。かわいい顔を近づけて、それこそ卵を持ってるダンゴ虫を発見した感じよ。まれにいるの。お腹に白いツブツブをたくさんつけたダンゴ虫が。気持ち悪いんだけど、よく見るとそのツブツブが動いたりして、つい見入っちゃうのよね──なんじゃこりゃ、って。美人は許されるからって、そんな顔で人のことを見るのはやめなさい。
「いえね、今まで意地悪してきたから、仕返しされても当然かなぁって」
「意外にマトモじゃないか?」
「失礼ね! 人の心ぐらいあるわよ!」
なんにしても、バッドエンドを回避しなくては。いくら私が悪いとはいえ、死ぬのは嫌だもん。せっかくお嬢様に転生したんだから、それなりにセレブ生活を満喫したいし……そうだ! 単にラウルを取り合わなければいいんじゃない? フローラはラウルのことが好きなんだから、譲ってあげよう。そうすれば、恋に夢中なフローラは私にされたことなんか、忘れてくれる。
今夜の晩餐会。父と狩りに行っていたラウルとそのお父様が招待される。ゲームの話だと、そこで婚約のことを伝えられる予定。断ってやればいいのよ。
これで、バッドエンド回避は完璧、そう思って私、一人でニヤニヤしちゃった。アデルがまた、卵のダンゴ虫を見る目で見てきて、
「気持ちわるい」
だって。侍女のふりしている女装男子にそんなこと言われたくないし。