1話
みなさん、スマホをいじりながら、横断歩道を渡ろうとしてはいけません。左折トラックの視界に、小柄なJKなど映ってはいないのですから……
パチン! 耳元で弾けるような音がして、私は目覚めた。ああー、よかった。生きていたんだ。目の前に大型トラックの巨大なボディが迫ってきて「ヤバい!」と思ったところで、視界が真っ暗になった。そこで、戻ってこられたんだ。
スマホでゲームしながら、横断歩道渡るなんて非常識なことをしたからだよね。きっと、夢で神様が警告してくれたんだ……いや、ゲームをしながらっていうのは、正しくないな。ゲームの新キャラリリースの通知が来てたから、開いて見てただけ。だって、気になるじゃん!
んんん? でも、おかしいなぁ。今、仰向けで寝てるんだけど、天井に布が張られてるの。自分の部屋の白い壁紙じゃないのよ。それに、よく見たらサイドにレースのカーテンが下がっていて……ここ、私のベッドじゃない!?
私は飛び起きた。カーテンの向こうで人影が揺れる。そう、ここはお嬢様用、天蓋つきベッド。
「お目覚めですか? お嬢様」
お、お嬢様ぁぁぁ!? 私はうろたえる。だって、数日前、入学式を迎えたばかりの普通の現役女子高生だよ? 家はマンション住まいだし、いったいどういうことなの!?
カーテンが動き、ものすごい美少女が顔を出した。金髪おかっぱ、グリーンアイズ。人形みたいな子だ。
「本日はお茶会があるので、朝食は控えめでしたね? すぐにご用意させます」
少年っぽい低い声がまた、中性的で魅力的である……て、そんなことより、この状況はもしかして──
私は期待に胸を膨らませ、ベッドから降りた。部屋の中も超広い! シャンデリアに大きなクローゼット、姿見、飾り棚、ソファー……テーブルセットまで置かれている。スイートルームじゃん! そして、極めつけは暖炉! これのおかげで部屋が暖かい。
これまた少女漫画から出てきたような、アンティークな鏡台の前にわたしは立った。
そりゃ、期待するじゃない? ここはたぶん異世界。お嬢様に転生したってことは、勝ち組間違いなしなんだからさ!
でも、鏡に映った自分の姿を見て、私はがっかりした。
え? なんで、ブロンドじゃないわけ? 緩くウェーブした長い黒髪に、目の色も色素は薄いけどくすんだ灰色。鼻は高くて目もつり上がってる。うーん、なんかイメージとちがう。まあまあ、美人だよ? でも、これじゃあまるで……
「バルバラお嬢様、どうされました?」
「バッバルバラぁ!!??」
それ、今やってる乙女ゲーの悪役じゃない!? ヒロインに嫉妬して、いじめてくる最低な女だよぉーー!! モテモテの妹、ヒロインのフローラの悪評をバラまいたり、ケガをさせようと目論んだり、執拗な嫌がらせを繰り返すの。結局、自業自得で婚約者をフローラに取られちゃって、悪事の数々も暴露されちゃう。最後には婚約者のお父様と不倫しているのがバレて、嫉妬に狂った奥様に殺されるという最悪な結末。
……いや、いやだよぉ!! せっかく、お嬢様に転生したのになんでこんな悪役なの!?
「お嬢様? お嬢様?」
遠のいていく意識を引き戻すのは、少年の声。さっきの美少女だ。
「朝食はパンケーキになさいますか? それともガレット?」
なに? 注文して届けてくれるの? これまた贅沢な……てか、この子誰? こんな子、ゲームに出てきたっけ?
私は金髪おかっぱの女の子を凝視した。つい、見入ってしまうぐらい可愛い。服装は地味なグレーのワンピースだけど、見目形、立ち居振る舞いは私より令嬢らしい。お姫様みたい。彼女、ヒロインのフローラ……ではないわよね? だって、フローラは栗毛のフワフワッてした感じだし、バルバラの妹だもん。この子の立ち位置は侍女だもんね。
私がジッと見ていると、美少女は顔を真っ赤にしてうつむいた。その恥じらい深い様子にキュンとして、余計に目が離せなくなってしまう。
「あなた、誰?」
「えっ!?」
ストレートに聞いただけなのに、顔を上げた美少女は悔しそうな顔になった。
「アデルです! 侍女のアデル! 何を寝ぼけているんですか?」
アデル? そんな名前の美少女はゲームには出てこなかったはず。こんな子がいたら、フローラが引き立たなくなっちゃうと思うんだけど……懸命に記憶を掘り起こしているうちにハタと気づき、私は手を打った。
「あ、そうか! あなた新キャラね!」
最後の記憶では、ゲームの通知を開いていた。新キャラリリースの通知。たしか、アデルというのはヒロインの幼なじみだ。
「え? あなた、男のはずじゃ……」
アデルはしぃーと人差し指を立てる。
「先日、ご説明したではないですか? 事情があり、こちらに侍女としてお世話になっていると」
とたんに、この世界で過ごした記憶がサーーッと降りてきた。
アデルは私(バルバラ)の従兄妹で公爵家の落胤。五、六歳のころは一緒に遊んだりした。そういえば、ヒロインのフローラのことを好いていたような気がする。
「えぇぇ!? 事情ってなによ? 女装して侍女のフリするって、おかしくない!?」
「叔父上……エレヴァン卿のご提案でそういうことになりました。バルバラ様なら、間違いにはならないと」
「エレヴァン卿って、私の父親?……なにそれ!? あんた、フローラが好きだったんだから、フローラのとこへ行きなさいよ? もしかして、着替えとか手伝う気?」
「バルバラ様ならバカなので、気づかれないだろうとおっしゃってました……気づかれてしまいましたが」
父親、ひどすぎだろ? なにを考えてるんだ。バカだからって、扱い雑すぎるよ! たしか、ゲームでは父親の存在は空気だったんだよな。
私は憤りつつ、朝ご飯をオーダーした。朝ご飯が来るまでの間、アデルは洗面器を用意したり、ドレスを持ってきたり、甲斐甲斐しく世話をしてくれる。本当に百パー侍女。女の子にしか見えないし、なんかどうでもよくなって、私は着替えの手伝いも普通にさせた。だって、下着姿くらいなら、ねぇ? 裸はさすがに嫌だけどね。
しかし、困った。
完全な悪役ってことは、死ぬ運命なんだよ。なんとか、回避できないものか……。
その後、家庭教師が来て勉強したり、平凡な日常を過ごした。お嬢様っていっても、当たり前に勉強するんだよね。たいして、普通の女子高生と変わらないじゃん?って、少々幻滅したり。その間もずっと一緒にいるアデルを観察してみたり。この子ね、常にいるの。勉強も一緒にするし、食事も寝る時もどうやら同室みたい。簡易ベッドを作って、すぐそばで寝るんだって。聞いてみたら、侍女ってそういうものらしいんだけど、この子本当は男じゃない? バカだから、気づかないとかそういう問題じゃねーんだよ?
最悪な父親をとっちめてやろうと意気込んで、執事に問合わせたところ、出かけていて夕方まで帰らないことが判明した。致し方なく、私は我慢することにしたんだ。