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荒くれ皇子の謎


「それは多分、母君の宝皇后(たからのこうごう)さまのことですね」

 香ばしい匂い漂う居間の卓子を前にして椰束(やつか)が答えた。

 小さな手には千瀬から土産にと持たされた焼き菓子がある。

 蜂蜜を混ぜた大豆の粉と砕いた胡桃(くるみ)を練って焼いた菓子は、皇子の好物だそうで、なかなか外遊びからもどらない幼少時の皇子を呼び寄せるために千瀬はよくこれを作ったのだという。卓子(たくし)を挟んで反対側に座った朔弥(さくや)も、頬張ってみてすぐ次の手を菓子鉢に延ばしてしまった。昔、母に作ってもらった胡桃入り米粉の蜜菓子に似て香ばしい。

 そうして今度はゆっくり咀嚼(そしゃく)しながら椰束の答えを吟味した。

 宝皇后。華やかで勝ち気と噂される、王宮の女主人。大輪の芙蓉の花の如き美女だという。

 歯応えのいい菓子を噛み砕きつつ朔弥はうーんと唸った。

 蘇我大郎の役職は大夫(だいぶ)の長。王宮の正殿に詰め、大王や大臣の政務を補佐するのが主な仕事だ。当然、皇后とも話す機会はあろうし、実子である葛城皇子への伝言を承っても何の不思議もない。

「なのに、なんであんなに……」

 ヘンな反応だったのか。

 皇子に連れられて学舎の敷地を出、道端で飛利と人麿を待つ間、彼は終始無言だった。つかんでいた手を外したときだけは「あ、わりぃ」と言ったが、その後は緑が増してきた田畑とその奥に鎮座する畝傍山(うねびやま)の景色を眺めたまま、心ここにあらずの体で立っているように見えた。実はただボーっとしていただけなのかも知れないが、朔弥の見た限りではどこかそれとは違う気がした。

 とはいえそう待つことなく飛利たちが馬を引いて現れ、彼は瞬く間に馬上の人となった。

「馬で駆けりゃ、當麻(たいま)なんてすぐだな。明日の未の刻(午後二時)までには帰ってこい」

 言い捨て去っていった姿はいつもの皇子だった。

 未の刻ってひどい。いくら馬が使えても、道の良い横大路(よこおおじ)は行程の三分の二、残りは里山の騙し道(補強のため再構築)なのだ。今日だって申の刻(午後四時)過ぎに着くのが精一杯だった。短すぎる。

 ここに着き、伊菜女(いなめ)日向(ひむか)と言葉を交わしたあと、用意してくれた湯を使って汗を流した頃にはすっかり日が暮れてしまった。しかし皇子が気にかかる以上、明日は午の刻(午前十時)過ぎにここを出るしかない。

「ずいぶんな物思いですね。まさか皇子さまにほだされちゃったとか……あてっ!」

 身を乗り出して弟の頭をはたいた朔弥は菓子鉢を取り上げた。勢いがよすぎたか、親指ほどの菓子が二つ、膝を覆う()の上に飛び出す。

「私は真剣に考察してんの」

「わー、お姉さまごめんなさい。僕が悪かったです。今夜のお姉さまは美しいなぁ。()き髪でも十分イケてます」

「わかればいいけど」

 菓子鉢をぺっと卓子に戻し、色鮮やかな裳から焼き菓子を拾って頬張る。久しぶりに身につけた絹の裳は、紺と黄檗(きはだ)と桜色の縦縞で朔弥の好きな色使いだった。

「裳なんて動きづらくて嫌だとか言ってたのにどういう心境の変化?」

「うーん、強いて言えば『着られるけど着ないの』と『着ることができない』の違いかな」

 舎人の毎日が辛いわけではない。むしろ夢中のうちに時間が過ぎるのだから性に合っているのだろう。けれども常に周囲に気を配るのは疲れるし、『朔弥』としての時間がまったくないというのは意外と寂しいことだった。だから湯殿に来た伊菜女に「着付を忘れちゃいけませんから」と裳を差し出されたとき、拒む気になれなかったのだ。

 皇子の様子に気を取られて頭が働いてなかっただけかもしれないが。

「何か、王宮に行きたくない理由でもあるのかな……」

「葛城皇子ですか? そりゃあるでしょう。あれだけご立派な業績を築いていたらさぞかし母君の小言がウザいでしょうから」

 せっせと菓子を口に運びながら椰束はもごもごと言った。頬を膨らますさまが山栗鼠(やまね)に似ておかしい。

「でも葛城さまって、そのくらいで動じるようなタマじゃないと思うのよね」

「へぇー。その根拠は? っていうかなぜ名前呼び?」

「普通に皇子様って呼んだら、今さらおまえに敬称使われてもなって言われたのよ」

 そりゃ失礼しましたねと謝ると「だから名前を呼べ」と返ってきた。まあ、あれだけタメ語でやり合ったあとでは無理もない。

「ふーん」

 幼顔に不審げな表情が浮かぶ。朔弥は構わずに学塾での出来事を伝えた。

「何を言われてもシラッとして、相手にもしてなかったわ。年齢以上に神経太いっていうか、動じないというか」

 名だたる名家の若君を相手にびくともしなかった内面が、あのときだけ一瞬、崩れた。

「だったら会いに行くことそのものが嫌なのでは?」

「ご両親に会うことが?」

「はい。特に、母君が苦手とか」

「苦手ね……」

 確かに、宝皇后は気性の強い方だという。皇子も気が荒いほうだ。似たもの親子は反発すると言われる。

「大貴族のご子息たちは、年頃になると母親の存在を煩わしく思うようですよ」

「ああ……」

 高貴な身分の奥方の中には、息子が成長しても子離れできない方がいるらしい。息子がそれを疎ましく思って外に好きな女性を作ると、さらにひどくなるという。田辺の宴でもよく誰それの奥方様が息子の通い人を苛めているらしいなどと、醜聞話に花を咲かせていた。

「そっか。あれだけの女たらし、子煩悩な母君からの干渉を嫌って避けたいのはありかも」

 なるほどと納得し、菓子で汚れた指先を濡れた手巾で拭う。蜜を使った菓子はとかくべたべたするのが難点だ。

 朔弥が拭き終わると、椰束も手を伸ばしてきた。

「先の額田部大王(ぬかたべのおおきみ)さまがまだ大后(おおきさき)であられた頃、長男の竹田皇子(たけだのみこ)を手放さずにいたため、皇子は妻問いもままならず、鬱屈(うっくつ)のうちに病に見舞われて亡くなった、との話は有名です」

 うーん、皇子は鬱屈で病になるようなタマでもないよね……。

 朔弥は手巾を手渡しながら答えた。

「まあいいや。とにかく王宮での様子を窺ってみる。葛城さまはなかなか内面を見せないから、本心をつかむ機会かもしれないし」

「相当扱いづらいでしょうによく粘ってますね。最初に聞いたときはどうなることかと思いました」

「まあね」

 ──朔弥を葛城皇子の舎人に、との話を聞いて、最も不快を顕にしたのは意外にも椰束だった。

 帰ってきた継麻呂から話を聞いた彼は、普段の懐きぶりをかなぐり捨て、なぜ断らなかったのかと(なじ)ったのだ。

「わ、私だって嫌だったよ。でも兄上のご苦労を考えたら」

「うっわ、情けなっ! 仮にも父親のくせして娘の安全よりお兄さまへの気遣い優先ですか」

「おまえだって昨日は伯父上が大変って言ってくれたじゃないか」

「相手は馬で田畑を蹴散らしては()の民を泣かせる葛城皇子ですよ? 姉上がそれ以上に大変になるんじゃお話になりません。交渉術ゼロですね」

「そ、それは」

 愛らしいかんばせに真冬の大和川(やまとがわ)を漂う川霧のような冷気を発され、さしもの継麻呂もたじたじで、朔弥がとりなして収めたのだ。いわく、

 傅育の葛城氏が縁続きなので様子を探りやすいこと。

 そもそもは皇子が離れ屋形まで調べるようなきっかけを与えたのが朔弥の落ち度であること。

「あの男のせいで私たちの生活は揺さぶられたんだもの。こっちだって必死よ」

 朔弥は皇子の不敵な笑みを思い出した。

 そうよ。気にしてる場合じゃないのよ。

「弱味でも握って立場を少しでも優位にしなくちゃ安心できないわ。次の屋形が整うまであなたをここに一人にしてるのも気がかりだし」

「日向たちがいますから僕の心配は無用です。姉上のほうがよっぽど危ないですって。部屋が個室だからって油断しちゃだめですよ?」

「大丈夫。いざとなったら田辺本家に駆け込みなさいって伯父上も言ってくださったし」

「さあさあ、お話は終わりですよ」

 戸口の開く音と同時に肉の焼けた香ばしい匂いがどっと流れ込んできた。

 乳母の伊菜女が娘の香耶(かや)とともに料理を運んできたのだ。ちなみに香耶と日向は夫婦である。

「先月は旦那さまもおいででバタバタしてしまいましたからね。今夜はゆっくり味わってくださいましな」

 伊菜女はふくよかな顔に刻まれた笑い皺を深くして卓上に料理を並べていった。

 伊鹿(いしか)が仕留めたのだろう、香草をまぶした山鳥の塩焼き、干した鹿肉を使った(あつもの)、取れたての山独活(やまうど)などお馴染みの品だ。

 久しぶりに伊菜女と香耶の給仕を受けながら食事の手を進めると、そこに外仕事を終えた様子の伊鹿が顔を出した。

「朔弥様、おかえりなさいませ」

「ただいま伊鹿。これ、仕留めてくれたんでしょ? ありがとう。美味しいわ」

「よろしゅうございました」

 一見、無表情に見える伊鹿の鋭い容貌に仄かな喜色が浮かぶ。

 よかった。少しは元気になってもらわないと。

 中背で痩身、朴訥(ぼくとつ)な伊鹿は今年二十六歳、七つ歳上の兄、日向よりさらに喜怒哀楽に乏しいが、幼い頃から守られてきた朔弥には少しの変化で様子がわかる。彼と兄が、騙し道を破られて責任を感じていることを朔弥は把握していた。

「日向はまだ見回りかい?」

 伊菜女が尋ねると伊鹿は頷いて答えた。

「道の点検を。裏山の獣道に猪の姿もあったので」

「おや。それじゃそのうち獣肉が手に入りそうだね」

 伊菜女が嬉しそうに横を向き、香耶がそれに頷く。

 そんな話に興じているうちに、さすがに疲れが出てきた。

「今日は早く寝るわ。明日は巳の刻過ぎにはここを出ないと行けないから」

「まぁぁ。夕方近くのお戻りで翌日の昼餉も召し上がれないのでは、お疲れが取れないじゃありませんか」

 須恵器(すえき)の水差しを手にした伊菜女が気遣わしげに言った。

「まあね。でも普通は月に一度なんて里帰りさせてもらえないと思うから、贅沢言わないでおく」

「おいたわしい……」

 伊菜女はちょっと唇を噛んだ。朔弥は杯を差し出しながら苦笑した。

 伊菜女、乙虫の夫婦、その娘夫婦に夫の弟。

 ここに住む側仕えはみな、朔弥一家の秘密を知る面々だ。彼らは田辺の者ではなく、亡き母、橘媛に仕えていた『影の者』と呼ばれる術者たちである。

 父のもとに行くと決めた母を助け、付き従い、賀茂氏を飛び出した者たちで、彼らの助けがなかったら、どんなに頑張っても母は手に入らなかったという、父にとっては大恩人、朔弥たち姉弟には家族にも匹敵する存在だ。それは逆もまた然りで、彼ら、特に伊菜女が朔弥を孫のように心配しているのはよくわかっていた。

「ありがとう。でも大丈夫。結構やり甲斐あるのよ」

 朔弥が笑顔を向けると、香耶が控え目ながらも付け足した。

「母さん、朔弥様は強く賢くお育ちだわ。ここはご本人の判断を尊重しましょう」

 娘、と言っても香耶は亡き母の乳姉妹であり、三十路近い女性だ。物静かで真の強い彼女は、物事がよく見えている。

「心配なら、明日の朝餉 に力を入れてくれたら嬉しいわ」

 朔弥が提案すると香耶がそうですねと受け合い、伊菜女は「なら仕込みをしておかなけりゃ」と水差しを娘に渡して居間を出ていった。

 朔弥は香耶に目で感謝を伝えてから立ち上がった。

「じゃ、お先に。あなたはしっかり食べて身につけてね」

「承知しました」

 まだ料理に箸を向ける椰束を励ましてから、朔弥も居間を下がった。


~**~**~


 ねえ、どうしたの? 泣いているの?

 泣いてないもん。

 うそ。だって目が赤いもの。わかった、迷っちゃったんでしょう。

 ちがうもん。

 強情だなぁ。強情はいけないんだよ。

 ごーじょー?

 そう。素直じゃないこと。不幸になるんだって。

 ほ、ほんと?

 うん。お母さまが言ってたもん。あ、お母さまはね、わたしじゃなくて弟に言ったの。ほんとだからね。

 ……ふうん。

 信じてないでしょ。来て。お母さまに会わせてあげる。

 い、いいよ。おこられるよ。

 なんで? あんた迷子だから、きっとお菓子もらえるよ。

 まいごだと、おかしもらえるの?

 そうよ。うーんと甘くて美味しいの。だから、ね?

 ……うん。

 可愛いわね。素直な子は好きよ。ほらこっち。手、かして。しっかり繋いでいけば、迷子にならないからね――。


~**~**~


 翌日、伊菜女に早めの昼餉をもらい、予定通りに屋形を出た。

 騙し道を抜けたあと、竜田川(たったがわ)沿いを下り、比較的広い横大路に出てからは、ひたすらまっすぐ都へと馬を進めた。

 緑深い田舎道と違い、水田に囲まれた横大路は、荷物を積んだ手押し車で移動する商人や、旅路を行く使いの者、馬を駆って先を急ぐどこぞの屋敷の武人など、人の姿が徐々に増えていく。

 前は父上と都に上るたび、人の多さにドキドキしてたっけ。

 来たときと逆の風景を辿りながら、いつのまにか人が増えることに違和感を覚えなくなったことに気づく。しかしふと昨夜見た夢を思い出し、六年前までは都にある田辺本家で暮らしていたことに気がついた。

 だからすぐ馴染んじゃったのかな。

 小さい頃は、自分の住まいにもそこそこ人の出入りはあった。本家は親戚が多くて交流も盛んだったから、母屋の客がたまに寄ったり、子どもが姿を見せたりもした。中には奥まで迷い込んで泣きべそをかき、母から手作りの菓子をもらっていく子もいたりした。

 ああ、昨日、久しぶりに蜜菓子なんて食べたから、あんな夢を見たのね。

 心細げな迷子を見つけると母のもとに連れていき、自分もちゃっかり褒美をもらったりしたものだ。母の甘い菓子はもともと伊菜女直伝なので、今日も千瀬の土産のお返しにと巾着袋いっぱい持たされている。手拭き用の手巾付き、という気配りの細やかさが、朔弥の性格に影響を与えたのは間違いない。

 八歳頃までは、賑やかとまではいかなくても、明るく温かな家だったと思う。それが年を追うごとに人と距離を置かざるを得なくなり、今は家族すら離ればなれだ。

 そういえば、この道を一人で行き来するのもこれが初めてかも。

 そう思ったら、なんだか一人でいることが心許なくなってきた。

 だめだめ。しっかりしなくちゃ。

 弱気を振り切るように馬の足を速めることしばし。あと少しで行程の三分の二に差しかかるというところで、こちらに向かって軽く手を上げる人がいることに気がついた。

「あれっ?」

 道端の馬上で頬笑んでいたのは、渋茶色の長衣を着た飛利だった。

「飛利どの。どうしまし……あっ」

 飛利のそばに馬を寄せた朔弥は、さらに背後の灌木の脇を見て目を剥いた。

「葛城さま! こんなところで何やってんですか」

 それだけは貴人の持ち物とわかる見事な黒駒に跨がり、こちらに馬の尻を見せているのは紛れもなく葛城皇子だ。

 自分で纏めたのか髪の縛り目は微妙に曲がり、服装もあろうことか昨日と同じだ。

 これはアレだ。外泊したに違いない。

 そういえばこの道の先にある十字路を右折せずにまっすぐ行けば、遥か先には海石榴市(つばいち)がある。

 気づいた途端、胸の中にモヤモヤが発生し、朔弥は我知らず眉間に皺を寄せた。

「なるほど。朝帰りならぬ昼帰りですか。堕落の極みですね」

 すると飛利は慌てたように馬首を並べた。

「椰束、ここで会えてよかった。待ってたんだよ。さ、帰ろう」

 その誤魔化し方はやっぱ図星か。

 乗馬の首を叩かれて進むよう促され、朔弥が後ろに従うと、さらに後ろから皇子が無言で馬を並べてきた。馬も人もこちらより大きいので見下ろされる感じだ。

 その姿になんとなく鬱屈したものを感じ、朔弥は昨夜の会話に出た宝皇后の一件を思い出した。

 そっか、きっと憂さ晴らししたかったんだ。

 よほど母君が苦手なのだろう。朔弥は内心の不快感を押さえて言った。

「娼館にお泊まりなら、誰ぞ器用な方に身支度をを整えてもらってきてください。その頭は舎人として許せません」

 すると皇子はちらっとこちらを振り向き、次いで不満げに前を向いた。

「行ってねーよ。娼館なんて」

「別に、隠さなくても」

 ムカッ腹をこらえて顔を覗き込むと、秀でた額に不機嫌を表す縦ジワが刻まれていた。その様子にふと別の可能性を思いつく。

「あ、ちゃんと通ってる人のところでしたか。失礼しました。ではその方に」

 頼んでください、と言う間もなく皇子はクワッとこちらを向いた。

「いねーよ! っつーか、おまえ遅すぎ! 昼過ぎちまったじゃねーか腹へった!」

 はっ? なに言っちゃってんのあんた。

 朔弥はあっさり自制心を手放した。

「未の刻って言ったじゃないですか。まだ悠々間に合いますよ。むしろ誉めてもらわないと!」

「ざけんなっ。言われた時間の半刻前に来るのが舎人の常識だろ!」

 彼はまるで幼児が自分の意見をごり押しするように言い捨てると、馬の脇腹に拍車を入れ、一気に駆け出した。

「あんたが常識言うな──っっ!」

 と絶叫したいのをこらえつつ急速に遠ざかる後ろ姿を睨んでいると、横合いから飛利の声がした。

「あー……君は悪くない。悪くないよ、うん。ただ、ちょーっと察しが、いや、あんな複雑な表現、無理だよね……」

 口の中でなにやら言葉を紡ぐ姿に不審の目を向けると、ナゼか彼は大きく息を吐き出し、そしてこちらを向いた。

「あのね。あれは多分、君を待ってたんだと思うんだ」

「はっ?」

「で、お昼を……ってまあいいか。それより早く帰って差し上げよう。皇子はきっと先に戻っておられるから。ね?」

 ははは、と苦笑混じりに言われ、意味がわからなかったものの、あの態度にも飛利の如き大人にならわかる筋があるのだと自分に言い聞かせ、二人で帰路を急いだ。

 帰ったら真っ先に服を着替えさせ、髪を直して見苦しい有り様を払拭してやる、と頭の中で計画を練る頃には、さっきまで胸に漂っていた心許なさはきれいさっぱり消えていた。


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