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貴公子たちの現状


「……ゆえに、いずれ我が国においても律と令による国政が必要となりますれば、この『科挙』の制度も注目すべき事柄になるでしょう」

 まだ木の香の薫る真新しい学舎に低く重々しい声が響く。

「では今日はここまで。次は、『科挙』で選ばれた『進士』の役割についてお話し致しましょう」

 (みん)法師が言葉を切ると、朗々とした声がそれに応えた。

「ご講義ありがとうございました」

 大貴族の子弟が並ぶ最前列で、生徒を代表して法師に頭を下げているのは、この講座で一番の秀才との誉れ高い蘇我(そが)本宗家の長子だ。

 板間の末席で聞いていた朔弥(さくや)は思わず感嘆のため息を漏らした。

 蘇我(そがの)鞍作大郎君(くらつくりのたいろうぎみ)。なんて理知的で高雅なお姿。

 すっきりとした群青色の袍に身を包み、豊かな黒髪はしっかりと結わえられて黒絹の冠り物が品よく乗っている。秀でた額も、その下に納まるキリリとした眉や目元も、大貴族の継子に相応しい品格がある。三十近い方に失礼な感想かもしれないが、話に聞いていたよりずっと若々しい。

 それに比べてこいつは。

 朔弥はちらと隣に目をやった。そこには末席であるのをいいことに長机の大部分を占領し、半身を伏せて寝息をたてる葛城皇子(かつらぎのみこ)の姿があった。

 この学舎に集う面々よりだいぶ年下とはいえ、一応、講義への参加を許された男子、それも身分貴き皇族である。黙っていれば秀麗な面立ちは王宮の華と讃えられる母君譲り。しかし本人にはそれを生かして品位に繋げようという意図はまったくない。衣も今日のために綾織りの長衣を用意しておいたのに、なまじ外出着の質を上げたのがいけなかったのか「これでいい」と拒否られ、絹地ではあるものの、紺一色の寂しい平織りのままで来てしまった。煌びやかな高位貴族の子息がひしめく舎内では浮いていることこの上ない。

 私のほうがよっぽどちゃんとした格好だっつーの。

 朔弥はむろん、皇族に付き従う舎人の服装――浅葱色の絹の長衣の装いだ。中着と袴は生成りの麻織物だが、帯は太めの綾織り、色はビシッと濃紺で決めた。背中に届く髪は皇族に仕える若い舎人にふさわしく、しっかり下げ(みずら)に結われている。

 でも、主人がこれじゃ虚しい……。

 またひとつため息をついたところで、朔弥は隣でふてぶてしく眠る皇子を起こすべく脇腹をつねった。



「今日はどうだった?」

 皇族や高位貴族の若者たちがぞろぞろと学舎の外へと出ていく中、席を立った朔弥たちのところに鎌足が歩み寄ってきた。

 彼は旻法師に認められ、説明の補足や書物の朗読など、助手を勤める立場である。朔弥は少しぽうっとしながら荷物の布包みを胸に抱いて答えた。

「大唐国ってすごいんですね。出身地に関わることなく国中の誰もが役人の試験を受けられるなんて」

「しかも身分も問わずだからね」

 わかるよ、と鎌足が頷いた。

 科挙とは、より優秀な人材を見いだして国の役職につけるための試験制度なのだという。難問を用意し、それを乗り越えたものには高い地位を授ける。そうして役所の運営に優秀な人材を配置することで強く豊かな国にしていくのだ。

「そんなことがこの国で可能なのでしょうか」

「今はまだ難しいだろうね。でも、常に理想を頭に置いておくのは大事なことだと思う」

 鎌足は学舎から出ていく人の流れを見やった。ゆったりとした足取りで先に行くのは高位貴族で、中流の者は脇に控え彼らが出ていくのを待っている。こんなところにも身分の差ははっきりと表れていて、彼のような才能ある人の抱く葛藤が見えた気がした。

 すると皇子がおもむろに鎌足の腕をつかみ、こちらを振り向いた。

「おい。ボケッと突っ立ってんじゃねぇ。行くぜ」

 そして前にわだかまる若者たちの中に突っ込んていった。

「うわっ! 誰だ、無礼なっ、……と」

 背中を押された前の若者は、皇子を見た途端、慌てて脇によけた。

 ちょっ、なにを急に!

 周囲を突き飛ばす勢いで分け入っていかれ、朔弥はあちこちに「失礼しますっ」と頭を下げながら背中を追いかけた。

 あっという間に人だかりを抜け、門柱の脇でようやく一息つく。

「皇子様! なんて乱暴なっ、」

 言いかけて顔を上げると、鎌足が眩しそうな目線を皇子に向けていた。

「お気遣い、ありがとうございます」

「別に。俺が早く出たかっただけだ。あいつら遅すぎて迷惑だからな」

 皇子が不満そうに言った。

「そもそもおまえは法師の助手だろ? 堂々とそばについて先に出ろよ」

「そういうわけにはまいりませんから」

 鎌足の顔に苦笑が浮かぶ。

(そっか。鎌足さまだけ後ろにいるのが気にくわなかったんだ)

 そこまで読めなかった己に赤面する思いだ。

「それよりも、今日のご講義はいかがでしたか?」

 教師の顔で返され、皇子はそっぽを向いた。

「いやぁ? あまりにも高尚な話だったから、なんだか仏の夢を見ちまった」

「また寝ていましたね? 今日の講義は後々のために聞いていただきたかったのに」

「あー、大丈夫、大丈夫。俺の脳ミソは素通りしたけど、みーんなこいつの頭に入ったから」

 言いながら朔弥を親指で示す。

 そこは丸投げかっ。

「あのですね」

 朔弥がにじり寄ったとき、すぐ後ろで笑い声がした。

「さてもは葛城皇子様らしゅうございますね」

 見ると、大貴族の子弟集団が後ろに追いついていた。

「慣れぬことをなさるからお疲れになったのでしょう」

「いやいや。皇子様は色事に秀でているとのお話。きっとお疲れは別の理由に違いない」

 あちこちから失笑が漏れる。

「さようさよう。かの海石榴市(つばいち)には外つ国の血を引く者もあまたおるという。わざわざこの学舎に足を運ばずとも、十分に新しい知識を学べるのではありませんか?」

 ちらりとこちらを見ながら面白おかしく揶揄(やゆ)してくる姿に、朔弥は状況も忘れて憤った。

 なにこの生っ白ろい顔したお坊っちゃま集団は。

 しかし皇子は気にするでもなく平然と答えた。

「あ、そうか。いやーその手もあったか。さすが名家の若様方は考え方が違うな」

 あっさりと開き直られ、お坊っちゃま集団が鼻白む。その時、険悪な空気を払拭するように、後方から朗らかな笑い声が聞こえた。

「あの講義はこの国の現状にはまだ合わない。皇子はそれをよくご存じゆえ興味を持たれなかったのでしょう」

 途端、人垣が二つに割れ、その先から蘇我(そがの)鞍作大郎(くらつくりのたいろう)入鹿(いるか)が長身の姿を現した。

大郎君(たいろうぎみ)

 鎌足が声をかけると、彼はこちらに歩を進めて「やあ、ご苦労様」と受け答えた。

「鎌足。旻法師が探していらした。行ったほうがいい」

 大郎(たいろう)が後ろを指し示す。鎌足が困惑の表情を浮かべると皇子が背中を押した。

「ここはいいから行け」

「承知しました」

 失礼を、と鎌足がこちらを窺いつつ場を離れる。それを見送った大郎は皇子に向き直り、胸の前で両手を握り合わせて優雅に揖礼(ゆうれい)した。

 さすが当代一の貴公子。器が大きいわ。

 札付きの皇子を蔑む気配はなく、嫌味を連発するお坊っちゃま集団とは品格が違う。後ろの若者たちはバツが悪そうに立礼すると、一人、また一人と立ち去っていった。

 それには構わず大郎は理知的な面立ちに笑みを浮かべた。

「旻法師の学舎はつまらぬと言っておられたが、このところ顔を出されていますね。心境の変化ですか?」

 心地よい低音に耳を奪われていると、皇子がチラッと朔弥を見ながら不機嫌な声で答えた。

「俺の舎人が、国のために留学して無事に帰ってきた人の話はどんなものでも聞くべきだとうるさいんでね。仕方なく来た」

「ほう、それは感心な。あなたの心をも動かすとは稀有(けう)な舎人がいたものだ」

 大郎はこちらに目線を落とすと、興味を覚えたような眼差しで問いかけてきた。

「力のある良い目をしている。初めて見る顔だが新しい子かな?」

 勝手に答えていいのかわからずにいると、皇子が朔弥の肩に手を置いて答えた。

「田辺家当主、大麻呂(おおまろ)の甥の椰束(やつか)だ。椰束、挨拶」

 朔弥は上体を深く倒して一礼し、挨拶の口上を述べた。

「宮廷書記官、田辺史(たなべのふひと)継麻呂が嫡男、椰束にございます」

「田辺、ああ――」

 どうやら経緯を知っているらしい。

 皇子の手が肩をつかんで引っ張るのを感じ、朔弥は少しだけ立ち位置を下げた。

「兄上に先んじてしまったようで申し訳ない。大郎からもよしなに頼む」

 下手に出ているようで目が笑っていない。

 なんか、さっきより不機嫌?

 大郎は皇子の様子に頓着することなく答えた。

「葛城皇子の元に来たのなら、それはそれでよろしいと父も言っておりましたよ」

 父とは即ち大臣(おおおみ)蘇我毛人(そがのえみし)のことだ。大臣が認めたならば、この件で田辺氏が文句をつけられることはないだろう。

 内心でホッと息をつくと、大郎が「とはいえ」と続けた。

「私は少し判断を誤ったかと悔いております」

 えっ、と顔を上げると、大郎がじっとこちらを見ていた。

「悔いているとは?」

 皇子が遮るように問いかけると、大郎は考え深げな様子で答えた。

「最近の葛城皇子は地に足が着いた感じが窺える。不思議に思っていましたが、この新しい舎人の影響かもしれぬと考えたのですよ」

 げーっ、なに言ってるんですかっ。とんでもない! 

 と言うまでもなく皇子がプッ、と吹き出した。

 それはそれでちょっとムカつく。

「いやー? 考えすぎだろ。珍しく学舎なんかに来ちまったからかな。慣れないことすると思わぬ誤解されるんでさっさと帰るわ」

 んじゃ失礼、と皇子は体を返した。

 ちょ、まだ飛利どのも人麿も来てないのに。

 朔弥は慌てて大郎に頭を下げた。

「で、ではお先に失礼いたします」

「行くぞ」

 皇子に軽く腕を引っ張られ、朔弥は頭を上げた。そこに大郎の声が被った。

「皇子。近々王宮に顔を出すようにと宝媛(だからひめ)様から伝言を承っています。大王様の体調がよいので姿を見せてやってほしいそうですよ」

 瞬間、朔弥の腕をつかむ手に力が加わった。

「……っ?」

 宝媛って。

 顔を覗くと、彼は宙を睨むように目を見開き、すぐにぱたりと閉じた。

 皇子――?

 そして大郎に向き直ったときには、いつもの不敵な表情になっていた。

「それは手間を取らせたな。そのうちに伺うとお伝えしてくれ」

「承知しました。期日は五日以内でよろしいか?」

 しっかりと言質を取りに来るあたりはさすが蘇我大臣の長子、皇子の性格を読み切っている。

 皇子は僅かに顔を歪めたものの、「それでいい」と返事を返し、朔弥の腕をつかんだまま歩き出した。

 指の力なかなか緩まなかったが、なぜか何も言わないほうがいい気がして朔弥は彼が腕を離すまでそのままで歩いた。



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