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その日から私たちはよく一緒に帰るようになった。恵太は高等部でもサッカー部を続けることが決まっていて、部活を再開するまで、体力と技術を維持するため、後輩たちに混じっての練習を引退後も週二回続けていた。だから恵太の練習日には私たちは一緒にならなかったが、それ以外の日は毎日のように一緒に帰った。
当時私は同じ方向に帰る女友達と一緒に電車に乗って帰っていたから、恵太は電車内では声をかけてこない。電車を降りてから、駅のホームか駅前で私に追いついてきて、
「椎宮」
と必ず声をかけてくる。それから二人の帰り道が別れる一キロ近く先の地点までのおよそ十分の間、私たちは並んで歩いてぽつぽつと話をするのだった。
恵太を家に誘ったのは一緒に帰るようになってから一ヶ月くらい経ったころだっただろうか、暑さが和らいで秋が深まってきた日のことだった。
「朱里ちゃんごめーん!
今日クッキー焼きすぎちゃった。ホットケーキミックスの期限が近かったから(泣)
悪いけど帰ってきたらいっぱい食べてね!」
義母からのそんな平和なメールを帰りの電車の中で携帯電話に受け取っていた私は、帰り道になんとなしに恵太を誘ったのである。
「佐井」
「何?」
隣を歩く恵太の顔は良い色に焼けていた。
「これからうちに寄ってかない?」
「……」
「お義母さんがね、クッキー焼きすぎちゃったんだって。たぶんお義母さんのことだから相当な量作ってると思うから」
「クッキー?」
「うん。嫌い? クッキー」
「いや、けっこう好き」
恵太を家に上げると、義母は私が恥ずかしくなるくらい喜んだ。家が学校から遠いこともあって、私が中学校の友達をほとんど呼んだことが無かったからだ。
私は白とピンクと薄い紫で家具や雑貨をおしゃれに統一した部屋に恵太を上げ、義母にクッキーと麦茶を持って来させた。
どういうわけか義母まで部屋に居座った。
私たちは引出しのついた小さなローテーブルを囲み、クッションをお尻に敷いて、このなんだかよく分からないメンバーでとりとめのないおしゃべりをした。義母は男子中学生に興味津々という感じで、とめどなく話題を恵太に振り、恵太はそれに、
「はいっ、はいっ、そうっスね……」
とサッカー部仕込みの体育会系の受け答えをする。
結局陽が暮れるまで恵太は部屋にいたのだが、その間ずっと義母も部屋にいて、しかも私たち三人はそれなりに盛り上がってしまったのだった。
義母が社交辞令でもなさそうに「佐井くんまたいつでも来てね、地元から同じ学校に行ってるお友達、佐井くんだけなんだから。これからも朱里ちゃんをよろしくね」などとしつこいくらいに言って余ったクッキーを恵太に持たせて玄関まで見送り、その日は終わった。
「お前さあ、お母さんじゃなくてお姉さんがいるならそう言えよ」
次の日、小雨が降っている中また一緒に帰っていたら、恵太が唐突に言った。
「は? 何が」
「昨日家に居たの、お姉さんだろ?」
「いやいや違うから!」
それから私はあの若い女性が姉ではなく義理の母であることを説明した。恵太は私の両親が離婚し、父と義母が再婚したといういきさつを聞いて、若干気まずそうにしながらも納得した。
「……よくクッキーとか焼くの? お義母さん」
「ん? うん、お菓子よく作るよ」
「そうなんだ」
「うん」
「……」
「……?」
「また作りすぎちゃった時があったら、次も食べに行っていい?」
「……うん」
私はうれしさで顔が熱くなるのを感じた。いまではすっかり男擦れしてしまった私にも、確かにこんな初々しい時があったのだ。
「どうせなら私も一緒に作ろうかな」
「お前お菓子なんて作れんの」
「作れるよ!」
二人の差したビニール傘から、雨粒がはらはら落ちていた。