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父と実母が離婚したのは私が十一歳の時で、それから約一年後、私が中学一年生の時に父は義母と再婚した。
義母はそれまで父が教鞭を執る大学院の院生をしていたのだが、事情があって一年生の終了時に中退したばかりだったから、私と十しか齢が違わなかった。
父と母の離婚ですっかり心が擦れて性格がゆがんでしまっていた私は、当然この母と呼ぶには若すぎる女性に強い不信感を持った。あまりに齢の離れた、しかも不倫から生じた父と義母との関係にいやらしさを感じていたし、この女は父の経済力と大学教授というステータス目当てに結婚したんじゃないかと疑ってかかり、当初私は義母と目を合わせようとすらしなかった。
しかし義母はめげなかった。
まだ上手とは言えなかった料理の腕で毎食欠かさず愛情のこもったご飯を私と父に作り、家事は完璧にこなし、三人揃っての夕食時には得意のコミュニケーション力をフル回転させて延々としゃべり続け、かつ私と父の話をうまく引き出して、父と実母が不仲になって以来灯が消えたようだった食卓に明るさを取り戻させた。
休日にはしょっちゅう私をドライブやお菓子作りに誘ってくれ、私の誕生日にはごちそうとケーキを作って――そのうち私はすっかり義母になついて、私たちは親子というより仲の良い姉妹のような、もっと言えば親友のような間柄になった。
私は父の意向で地元の最寄り駅から三駅離れたところにある中高一貫の私立中学校に通っていた。地元の小学校の同級生のほとんどは町の公立中学校に進学する中、私の小学校の同級生でその私立中学校に進学したのは私以外に一人だけだった。――恵太である。
私と恵太は幼稚園からの同級生だったが、幼稚園から小学校時代にかけて、特別仲が良かったわけではない。私立中学校に入ってからも三年間違うクラスだったし、ある時点まで親密な関係にあったわけではなかった。
中学校で恵太はサッカー部に、私は吹奏楽部に所属していたが、私たちはそれらの部活を三年生の夏休み中に引退した。夏休みが明けて二学期が始まり、部活の練習が無くなって放課後すぐ下校するようになった時が、私の言いたいその「ある時点」である。
入道雲が夏を引きずって東の空に鎮座していた九月はじめのある夕方のこと、学校を終えた私は地元の小さな駅に降り、義母の待つ家へ向かって駅前から続く道を一人で歩きはじめた。
「椎宮」
後ろから男の声がかかった。振り返ると、恵太が白い開襟シャツを眩しくさせてついてきていた。
(そうか、部活もなくなったしこれからはこいつとずっと一緒の帰りになるのか)
恵太に声を掛けられて、私はとっさにそう思った。それから私と恵太は並んで家路を途中まで一緒に帰ったのだが、この時彼と何を話したのか、今はその内容まではさすがに覚えていない。