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呆然としている恵太をリビングへ上げ、とにかく乾杯、ということになって三人で飲みはじめた。私と義母はテーブルの先ほどと同じ位置――斜め向かい――に座り、恵太は義母の右横、私の向かいの席に座った。
当たり前の話だが恵太はひどく混乱していて、それを抑えるためだろういつにない急ピッチで焼酎の水割りをぐびぐび飲んだ。あっという間に三杯ほど飲むと、気持ちが落ち着いてきたらしくそれからは私と義母の話に平気で混じるようになった。
こうなってくると私たち三人の会話は止まらなくなった。義母の知らない私と恵太のここ十五年余りの人生の成り行きを話し(私のここ数年の現況はとても義母に話せないものなので、その辺は適当にごまかして話した)、恵太の理容室に来る変わったお客さんのことを話し、私の恋愛の失敗談を話し、亡くなった私の父のことを話し、義母の知らない最近の世の中のこと――コロナウイルスの流行やもうすぐ東京でオリンピックが開かれること、スカイツリーができたことや私たちの住む町が市町村合併によって町から市に変わったこと――などを話した。
この夜一番のすべらない話は、恵太の理容室のとある客の話だった。なんでもその客はよぼよぼのおじいちゃんで、初めて来店した客だったらしいのだが、四角い眼鏡を掛けていて、その眼鏡の右のレンズいっぱいになぜか白いガーゼをセロファンテープで貼り付けて店に入ってきたそうなのだ。
恵太はもちろん驚いたけれども、何か理由があってガーゼを付けているのかな、くらいに考えて追及はせず、カットの邪魔にならないよう眼鏡を外してもらって散髪をした。すると散髪が終わり、手鏡を使って後頭部の髪の状態を客に確認してもらう段階になったところで、眼鏡を再び掛けさせたら、そのおじいちゃんは顔をぷるぷる震えさせながら小さく叫んだらしい。
「あれえ?」
恵太が内心、(カットへのクレームかな)と思いつつもあいそよく、どうしました、と伺うと、
「目が……目が見えないんだけれども」
と言いだしたそうである。
(それは眼鏡にガーゼを貼っているからじゃなくて?)
恵太は思わずそう問い返したくなったが、なんだか気まずくて聞けず、
「そうですか、だいじょうぶですか?」
と適当にやり過ごそうとした。
「右目がね、全然見えないです」
「はあ」
恵太はためしに「失礼します」と言って右手をおじいちゃんの右目のガーゼ付き眼鏡の前にかざして、上下に振ってみた。
「これ右目で見えます? 私の手」
「見えないなあ」
(そりゃそうだよ、だって眼鏡にガーゼ貼ってあるんだもん)
そう思うと恵太はすっかり面白くなってきて、じゃあこれは、じゃあこれは、と、鋏やら櫛やらをおじいちゃんの右目の前に次々持っていった。見えない、見えない、とおじいちゃんは言う、最後に恵太はふうっと息をついて、
「一度眼科に行かれたほうがいいかも知れませんね」
と、おじいちゃんを諭したのだそうである。
こうして一番面白かった話の座は恵太に譲ったが、二番目は私の話だった。
私が東京で働いていたころ、女友達に誘われて都内で開かれた街コンに参加したことがある。
首尾は上々で、私はその日二人の男性と連絡先を交換した。もちろんそれぞれ別のグループの男性である。
二人とも外見は悪くなく、街コン当日の話もまずまず弾み、私には印象が良かった。特に片方の男性は相当なイケメンで、大手企業で働いているらしく、私はかなり気合をいれてそれから毎日のようにメールをした。
もう一人の男性は、その大手企業の人と比べるといくぶん見た目は落ちるが、とりあえずキープしておくことに損はないので、そちらとも私は同時平行でメールをしていた。
そのうちどっちがどっちだか忘れて混同してしまい、第一志望の大手企業の方に、もう一人の男性に送るはずだったメールを数通送ってしまった。
大手企業からの返信が途絶えた。
それでも私は自分が宛先を間違っていることに気づかず、なんで大手企業から連絡が来なくなったんだろう、といぶかしんで、
「最近メールを返してもらっていませんがどうかしましたか」
とメールした。すると、
「他の人と間違えてメールしてきているみたいだけど、だいじょうぶ(笑)?」
というメールが返ってきた。
終わった、と思ったが、それでも私は諦めきれず、
「すみません、確かに間違えていましたけど、あなたが第一志望なんです(笑)」
と送ってみた。
返信は無かった。
せめて最後のメールだけでも送るのは止めとけばよかったと、私はそれから一週間くらい死にたい気持ちになった。
……こんな下らない話をしているうち時間はどんどん過ぎていって日付が変わり、恵太は「今日も朝から仕事だからもうこれ以上は飲めない」などとつまらないことを言い出した。かまわず私が飲ませようとすると、お前も飲みすぎだ、あんまり飲みすぎるな、とますますつまらない忠告をしてくる。義母もそれに乗っかって、
「朱里ちゃん、あんまり飲みすぎると天国へ行けなくなるよ」
と言ってくるので私は興ざめし、
「いいの! 私はもう小説は諦めたんだから。もうすぐお父さんの遺産入ってくるし、そうなったら適当に婚活して結婚して、旦那の稼ぎと遺産で暮らすから。天国なんて知らないし、生きてく目標ももう無いのに、残りの人生酒くらい好きに飲めずにやってられるか」
と言って、これ見よがしにハイボールをぐいぐいあおってやった。
二人はそんな私を見て、顔を見合わせ苦笑していた。