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村上春樹的表現をするならば、「サントリー角ハイボールは九杯目に入っていたし、ノートパソコンのスクリーンに映るマツコ・デラックスと有吉弘行は、バカ話の盛り上がりをそのピークに持ちあげようとしていたのだ」ということになる。
したたかに酔った私は、月額618円で動画見放題の動画配信サイトで、マツコと有吉のバラエティトーク番組の過去動画を一気見していた。ぽりぽり、ミックスナッツをかじりながら。
――と。アーモンドのかけらがパソコンデスクの上に落ちた。私は几帳面にその小さなかけらをひとさし指の腹で取ってティッシュペーパーにくるみ、部屋の反対側にあるゴミ箱まで捨てに行くのは面倒だったのでそれをそのままデスクの端に置いた。そうしてマツコと有吉の話に「ははは」と一声笑って、ゆったりしている椅子の背もたれに上半身を預け、ハイボールの残りをぐっとあおった。からん。溶けかけた氷が音を立て、薄い琥珀色の液体はグラスにほとんど無くなった。
父が五月に死んで多額の遺産が自分に転がり込んでくることが分かって以来、私はそれまでちょこちょこやっていた小説作りと婚活を完全にやめて、毎晩ひたすらアニメやらドラマやらお笑い動画やらを眺めつつ、しこたま酒を飲んで自堕落に過ごすようになった。私立の大学教授を定年まで勤めあげた父の遺産はけっこうな額で、一人娘の私にその全額が――もちろん相続税は取られるけれど――相続される。その額を知ったとき私はなんだか「あ、もういいや」という気持ちになっていろいろがんばることを放棄し、父の残したこの田舎の一軒家でドフトエフスキーの『地下室の手記』的な引きこもり生活をはじめた、というわけだ。
いや別に、私が何もがんばっていないわけではない。父が死んでからこの二ヶ月ちょっと、本当に大変だった。この家の庭での心筋梗塞による突然死で、要するに病院ではなく自宅で亡くなったから、警察が来て事情聴取したり検死したり、私もかなり嫌な思いをさせられたし、それからこのコロナ禍の中で葬儀を開いて親戚一同との面倒なやり取り、四十九日、そして遺産相続のこの上ない煩雑な手続き。銀行に行って市役所に行って税務局に行って法務局に行って、そこで書類に不備があるのが分かってまた市役所に行き書類をもらい直して、最後に再び法務局に出向いてようやく不動産の登記が済んだ時には、私は喜びよりもようやくこの手続き地獄から解放されるんだという安堵感でぐったりした。こんなにがんばったんだから、私には遺産をがっぽりもらえる権利があるし、ちょっとぐらいだらだらしたっていいと思う。
パソコンの画面の中では有吉が都内の街中でぎっくり腰を起こし、立っていられなくなって路上にしりもちをつき、そのまま街中で座り込んであまりにも激しい痛みで泣いてしまった、というエピソードを披露していた。あはははは。私もマツコと一緒に爆笑して、それからパソコンの左隣に置いてある空の角瓶を見て「ちっ」と舌打ちした。
もう無くなってしまった。一階のキッチンに行って、4ℓ入りのペットボトルからこの空の瓶へウイスキーを移さなければならない。あと、いい加減中身が氷水と化しているアイスペールにも、冷凍庫の氷を入れないと。
夜はまだまだ長いのだ。
私は動画を一時停止すると、角瓶とアイスペールを持ってふらりと部屋を出た。