黒崎冬香はデートに誘う。
目の前には――二枚のチケット。
最近できた大型テーマパークの前売り券。
そのチケットが、俺の目の前に突き出されていた。
「え、なにこれ」
言葉は当然、この二枚を持ってきた当事者へのもの。俺は尋ねる。
整えられたセミロングの黒髪。
挑戦的な目元と不敵な笑みが浮ぶ口元が印象的。
転校初日、整った顔とミステリアスな雰囲気に校内中から注目を浴びた――少女。
――黒崎冬香。
「貰ったんだよ」
不敵な笑みのまま、黒崎は言った。
「誰に?」
「友達、さっき頂いてね」
「どこの?」
「昔から良くしてもらっている人だよ」
「それを、なんでお前に?」
「おいおい四季くん。君は本当に質問ばかりだな。なんだい、そんなに僕の交友関係に興味があるのか?」
「……そういうわけじゃないが」
「くっくっ、まあ安心しろよ。僕は浮気はしない。そういう主義なんだ」
誰かさんと違ってね。
棘のあるそのセリフを無視して、俺は前を見る。
机の上には変わらず、怪しげなデザインのチケット、二枚。
「出所が分からないものにあまり乗っかりたくないんだよ」
「それは安心していい。安全は僕が保証するよ」
「お前の保証ほど安心できないものはない」
「僕と君との仲だろう」
「会ってからまだ一か月も経ってない仲だ」
「会ってから一か月『も』経っている仲だよ。人との仲なんて一か月もあれば十分に深まるものさ」
それ以上の期間は蛇足と言える。
最後の一言はそれこそ蛇足な気もしたが、何かに向けたセリフのように黒崎はつぶやいた。
「――ちょっといいかしら」
俺と黒崎の会話を遮るよう、隣から声が挟まる。
涼しげなその声は高くよく響く。
「ねえ、これは何の茶番かしら」
「茶番とは失礼だね」
「茶番でしょ」
PCを叩く手を止める。机の先にいる黒崎を睨むように、彼女は続けた。
「嫌がらせ、と言ってもいいかもしれないけど」
「嫌がらせかな」
「ええ」
立ち上がり、そして俺を指さしながら、彼女は言った。
「――わざわざ私たちの目の前で、こいつをデートに誘ってるんだもの。これが嫌がらせじゃなくって何って話よ」
――白川夏希
小学生からの幼馴染。今は同級生で隣の席。
黒崎を見つめるその目は、もともと釣り目がちなことも相まって、明らかな敵対心を感じる。
気分によって結ぶ箇所が増えたり減ったりする特徴的なその髪形は、本日、後ろに一本結われていた。
「どうせ今日もこいつと一緒に帰るんでしょ。誘うならその時誘えばいいじゃない」
「まあ、それはそうなんだがな。でも僕も彼もお互い仕事のある身。今日の放課後に確実に会えるとも限らないだろ」
「……それは」
「ただ僕は彼が確実にいる場所と時間に合わせてここに来ただけだよ、嫌がらせなんかの他意はない」
「はっ、そうですかそうですか」
鼻で笑うようにそっぽを向く。
最近はずっとそうだが、今日も腹の居所は悪いらしい。
なぜか定期的に机の下で俺の足を蹴りつけてくるあたり、そのイライラは相当と言える。痛い。
「……あのー、すいません。私からもいいですか?」
視線に合ったスマホから目を外して、恐る恐るといった感じで手を挙げる。
「お、なんだい?」
「……えっと、そのチケットのことなんですけど」
無駄に凝ったダサいそのチケットを目で指し示し、スマホを操作しながら言う。
おそらくオリジナルなキャラクターなのだろう。
熊なのか犬なのかわからない動物が紙の上で踊っていた。
「それ、その施設のことなんですが」
興味なさげに、彼女は言う。
「そのテーマパーク、実は今結構な人気で、入場困難らしいですよ。すっごいプレミア価格ついてます」
具体的には、そうですね。
スマホを触るペースを上げつつ、言う。
「今は、はい。こんな感じです。最低でも、六桁ぐらいは行ってますね」
「…………」
空気が、一瞬固まった。
代表して、みなの代わりに声を出す。
「え、まじ?」
「はい」
「六桁って……十万?」
「はい。……あ、でも、このチケット、ファストパスもついている奴ですね。だったら三十万ぐらいします」
「「――三十万っ!?」」
え、なに、これ。なんだこれ。
いきなり目の前の紙切れが輝いて見えてきたんだけど。
よく見ればデザインもイカしているし、キャラクターもかわいらしい。
今にも踊りだしそうな魅力的なテーマパークだ。
ぜひ、これは手に入れて売り飛ばしたい。……違った、ぜひ行ってみたい。
ちなみに先の声は、僕と夏希のもの。
やはり、感性と価値観が同じところで育っただけはある。きれいにハモった。
「まあ値段はどうでもいいんですけど」
「いや良くないだろ! 三十万円だぞ!」
三十万っていえば、あれだ。一円玉が三十万枚ある計算。
一円玉の重さは一グラムだから……単純計算で300キログラムになる。
ちなみに重さを算出した意味は全くない。
「二枚ありますから合わせて600キログラムですね」
「いや、もうそれはどっちでもいいけども」
「……三十万」
途方もない数字にわかりやすく慌てる俺と完全に呆けている夏希。
そんな俺たちを放りながら、彼女は続ける。
「私が言いたいのはそんな値段のことではなくてですね」
改めて、言葉を繰り返し秋葉は言う。
「このプレミアがついている貴重なチケット。これをいったいどうやって黒崎さんが手に入れたのか、ということなんですよ」
秋葉が、黒崎に向き直る。
質問の意味が分からなかったので、俺は聞いた。
「というと?」
「だって黒崎さん、転校生じゃないですか」
「…………」
「それにさっき『昔からの友達』って言ってましたけど。私や先輩ならともかく、黒崎さんってここに昔からの友達なんているんですかね?」
「…………」
……確かに。
俺は、ゆっくりと黒崎を見る。
彼女はいつも通り……なぜか不敵に笑っていた。
「くっくっ。さすがだね、青木くん。やはり君は優秀だ」
「……どうも」
「さすが芸術家というべきか。人と見ているところが違って面白い。また今度、ぜひヒアリングさせてほしいぐらいだよ」
「…………どうも」
きらりと光った研究者の目から逃げるように、秋葉はそのままスマホに向き直る。
初対面の時、言葉巧みに騙された末、黒崎に散々質問を繰り返されたことがちょっとしたトラウマになっているらしい。
――青木秋葉。
幼馴染。学年上では一応後輩。
病的なまでに伸びた黒髪と首のヘッドフォンが特徴的な制服姿。
無駄に顔が整っているせいか、その神出鬼没性も相まって、入学一か月も経たない中、変な神聖視をされがちな稀有な奴。
秋葉から指摘を受けた黒崎は、表情を変えないままに頷いて見せる。
「チケットの件ならご指摘の通りだ。昔この辺に住んでいたわけでもない僕に、昔馴染みの知り合いはいない」
「……じゃあ、いよいよこのチケットの出所はどこなんだよ」
「ここでわざわざ言う必要はないだろう」
「逆になんで言わない」
「逆の逆に聞こうか。君はそんなに知りたいのかい?」
「え?」
まっすぐ、黒目がちな瞳が俺を刺すように見つめる。
「このチケット。前売り券。遊園地への招待状。これを僕が一体どこからどんな風に手に入れたのか。僕の手元に転がり込ませたのか。こうして君たちの前に置くことになったのか――それを君は本当に知りたいのかい?」
ゆっくりと迫るその言葉と黒崎。
圧という圧が目の前を覆い、言葉を染み渡らせる。
怪しげに迫るその雰囲気に分かりやすく押される。
「……やっぱいいです」
座ったままではあるが、心なし彼女との距離を取りつつ、俺は仕事に戻った。
……うん、世の中、知らなくてもいいことってあると思うんだ。
「……チキン野郎」
「おい、今なんか言ったか夏希」
「別に、なんでも」
「なんだよ。気になるならお前が聞けばいいだろ」
「はっ、別に私は何も気にならないし。むしろあんたのほうが気になるんじゃないの?」
「……は? なんで?」
「なんでって、そりゃ黒崎さんはあんたの――」
「――おっはよー!!!」
言い合いと空気と後色々。
それらをぶち壊すように、扉が開いた。
ちなみに言っておくが、今は放課後で夕方だ。
「さあさあ皆の衆、きびきびと働いているところ申し訳ないが、お姉さんの帰宅ぞよー!」
「……じゃあ、僕はこれにて失礼するよ」
「お、お、お、黒ちゃんじゃないかー! どしたどした? 何用? なんの用? どんな用?」
「あ、いえ、自分は何も……」
「なんだなんだ、よそよそしいな! あたしと黒ちゃんの仲じゃないか! もっと明るくいこううよ!」
「あ、いえ、あのほんと、大丈夫なんで……」
「あはははっ、なんか本当によそよそしいね! どしたのさどしたのさ! 話聞くぜー? 私でよければ話ぐらい聞いちゃうぜー?」
「というか、今日は会議だったのでは……? どうしてもうここに?」
「ふふっ、私をなめてもらっちゃ困るなー!」
小さい体に合わない豊満な体をそらして自慢げに言う。
「あんなつまらん会議、颯爽と抜け出してきたに決まってるだろうに!」
そして、相変わらず信じられないものを見る目で黒崎は彼女を見つめている。
わかりやすい狼狽と拒否反応をする黒崎。
それに構わず空気を読まず、踏み込んでいく彼女。
対照的な二人だった。
――赤石春乃
天真爛漫が服を着て歩いているような、この少女の名前で。
小学生からの幼馴染で。
ここでは唯一の先輩だ。
ミニマムな体の中に内包率百パーセント以上の元気と勇気が詰まってる、国民的アニメの主人公みたいな人。
違いとしては、友達が、愛と勇気以外に数千人規模でいることぐらいだろうか。
あとは基本一緒な気がする。
改造制服の域を超え、もはや私服と言っても差し支えない格好をし、抜群の運動神経に裏付けされた行動力で、学校中を練り歩く稀代の問題児。
その名前は学校、学区を超え、今や県内にすら轟いているというのだから、この人のやばさはより際立つ。
中学のころから、彼女のこんな態度に慣れきっている俺や夏希、秋葉はいつも通りの先輩に何も思わないが、まだこの学校に来てから数日の黒崎にしてみれば、まあ、その反応は正しい。
ほとんど宇宙人みたいな人だしな、この人。
黒崎冬香。
白川夏希。
青木秋葉。
赤石春乃。
――以上四名。幼馴染三名と他一名。
俺の学園生活を語るうえで必要最低限な面子がそろったわけだ。