6話 地域貢献
――困ったときはお互いさま。とは言うものの、大抵の場合は一度きりの一方通行で終わる。見返りを求めぬ無償の愛……言うは易し、行うは難し。
「おーい、カルロ!……いるか?いるよな?ちょっと来てくれないか」
早朝のスラム郊外。日銭稼ぎの若者は仕事場へ向かい、脱法娼婦は仕事を終えて帰宅する時間。気分よく眠りこけるおっさん……この程度の呼びかけで起きるタマでは無い。相手もそれを分かっているらしく、玄関の引き戸を躊躇なく開けて入ってきた。一応、結界障壁が施された扉だ。つまり侵入者はそれなりに親しい知人ということになる。
「カルロ!起きて。困ったことになった。おい!起きろー!」
迷わずおっさんの寝床へ向かい、薄くなった綿布団を容赦なく捲り上げる。……季節は既に初冬、外の気温は氷点下。保温術式を施した布団を奪われ、さすがのおっさんも寒さに目を覚ます。
「カルロ、起きろー。お前の仕事だ」
「……ぁ?」
布団を奪われたことにマジギレしているおっさん。侵入者はカルロのそんな様子など知ったことではないという調子で捲し立てる。
「魔獣だよ。狼が2体、もう何人かやられた。お屋敷の方だ」
「お屋敷にゃ警備兵がいるだろう……」
「奴らの手には負えない。5人掛かりで何もできない」
「……めんどくせぇー」
よろよろと立ち上がるおっさん、こんな調子で戦うつもりだろうか。一応は冒険者だが、戦闘は専門ではない。銅級という低ランクの中でさえ強い方ではないはず。
「頼んだぞー!あたしはギルドに応援要請してくる」
「……仕方ねぇな」
ボサボサの頭のまま、仕事場へ向かい魔晶石をいくつか掴む。サンダルを引っ掛け、酔っ払いのような頼りない足取りで現場へと向かうおっさん。
「狼の魔獣ねぇ……。さっさと冬眠しやがれってんだよ面倒くせぇ……」
魔獣――学術的には魔力変性生物に分類される。長期間、或いは強い魔力を受けた動物が体内に過剰魔力を宿すことで肉体的・性質的に変性した存在。狂暴化・巨大化というイメージが強いが、必ずしもそうなるわけではない。知能が向上し人間との意思疎通が可能になる場合や、過剰魔力に耐え切れず短命になる場合など変性の結果は様々だ。これらは一般に「魔物」と呼ばれる。魔物の中でも特に能力が高いものや、数代に亘る魔物同士の交配によって誕生した新種、このような「強大な魔力変性生物」の通称が「魔獣」だ。
魔物の発生自体はそう珍しいことではない。魔力氾濫地……いわゆる魔力溜まりには必ずいるし、魔術師の飼い犬なんかは大抵魔物化している。しかし、それが「魔獣」となれば話は別――なのだが、ここウニマーグの街はある事情から頻繁に魔獣が出現する危険地帯なのである。今回のように市内に侵入されるケースすら、今年だけでも3回目だ。
「朝からお疲れさん。どんな具合よ……ふぁーあ」
「ん?……カルロ!助かった。標的はあれだ、屋根の」
スラムの中心街、「お屋敷」と呼ばれる大きな建物。その屋根に2体の大きな獣が陣取りこちらを見下ろしている。お屋敷というのは……まあ、ご想像通りの物件だ。スラムを勢力圏とする反社会的勢力の本拠地。古くからこの街の裏側を牛耳る「アロンス一家」の根城。
「……親分、いくら警備兵が頼り無ぇからって魔獣なんか雇っちまったのか?給料いくらだ?」
「冗談言ってる場合じゃないぞ。あの狼、番だ。あそこで巣作りするつもりらしいぞ」
「はぁ?お前こそ冗談きついぜ。いくらウニマーグが魔境だろうと市内に魔獣が住み着くとかあり得ねえだろ。どんだけ人間サマ見下してんだよ」
「大マジだ。つーか……ちょっとこっち来い…………親分さま、さっき逃げ出してきたぜ。家ごと乗っ取られたらしい」
「うわ、かわいそ。日頃の行いだな」
どうやらスラムに侵入した2匹の魔獣は「お屋敷」を乗っ取り、そこを自らの住処と定めたようだ。哀れアロンス親分、スラムのボスから住所不定無職へ。ざまぁ。
「で、どうしたいの?倒せばいいのか?」
「倒せるのか?……いや、俺たちもどうすりゃいいのか困ってんのよ。今んとこやられたのは一家の連中だけだし、親分は逃げちまったし。他の奴らに手出しする気配も無いしなぁ」
「はぁー面倒くせぇ。それ決めるとこから丸投げかよ……」
おっさんは特に警戒もせず、屋敷へ向かってトボトボ歩き出す。警備兵は一瞬止めようとしたようだが、すぐに思い直した。このまま見守っていても事態は進展しない。カルロが方向性を決めてくれれば自分たちも動きやすい。そういう打算であろう。
屋敷の門までたどり着いたおっさん。無人の門を通過し、警備兵の詰め所から屋根へと上がる。怠そうに、時たま足場を失い落ちそうにもなりながら。狼の魔獣たちはそれをただただ見ていた。「お屋敷」は硬化処理を施した煉瓦作りの頑丈な2階建て、その上の平らな屋根もかなりの分厚さ。恐らくは爆破系の術式から身を守るためであろう。そして分厚い屋根の上、辿り着いたおっさんと2匹の魔獣が何やら話している……そう、会話をしている。話し声には到底聞こえないが、狼の魔獣はおっさんの問いかけを理解し、独特な鳴き声で何かしらの意思を示しているようだ。
「おいおい……大丈夫かよ……さすがに近すぎねぇか?」
見守る警備兵も気が気ではない。事態打開を押し付けてはいるが、別にカルロに死んでほしいわけではない。腕の良い、怠け者の付与術士。アロンス一家ともそこそこの付き合いがあるらしく、幾度か門を通した。時には一緒になって煙草を吸い、とりとめのない話をした。それほど親しくもないが、会えば軽口を交わせる間柄。そんなおっさんが、一人で魔獣の許へと向かっていったのである。人の倍ほどの巨体を持つ、見るからに強大な魔獣へと。彼は先ほどカルロを止めなかったことを後悔し始めていた。
「おい、話まとまったぞ」
突然、頭上のカルロから呼びかけられる。気付けば周囲には100人以上の人だかりができていた。
「まとまったって……魔獣と、だよな?」
「他に誰がいるんだよ。親分呼んできて。それともう一つ、……ちょっと頼まれてくれ」
「あ、ああ。ん? それは…………ああ。……分かった。少し待っててくれ」
数分後、ギルドから派遣された冒険者に両側を守られながらお屋敷へと向かう壮年男性の姿。アロンス一家の親分、フェルナードだろうか。冒険者や警備兵に悪態を吐く姿は見ていて気持ちの良いものではない。協力者を協力者とも思わない態度……いつか痛い目を見るだろう。
多分、ごく近いうちに。
「――あっ」
見物人たちの見たものは。
門をくぐり、狼たちの許へと近づくフェルナード親分。狼と対峙するために護衛が正面から離れたその瞬間、親分に向かって何かが跳んだ。……狼だ。
「クソっ!なんだ!何をする!おい!助けろ!貴様ら!」
押し倒された格好で慌てふためく親分と、狼の威嚇を前にして身動きの取れない護衛たち。親分の首元では、通常の狼の倍ほどは発達した犬歯が、朝日を浴びてキラリと輝く。
「……なぁ、親分。そいつさ、子供探してるんだって」
頭上からおっさんの怠そうな声。怠そうではあるが、僅かに怒気を孕んでいる。
「親分、あんた……知ってるよな?」
「し、知らん!知らない!俺は何もしていない!」
「おいおい……犬の嗅覚、なめんじゃねえぞ?」
「はぁ?なぜお前は魔物の肩を持つ?反逆者ではないか!おい!警備兵!護衛!俺を助けろ!命令だ!」
――ああ。この親分は「やってしまった」のだろう。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、しかし虎の尾を踏めばどうなるか。彼は尾を踏んだのだ。がっつりと。
「――攫ったよな?あんた。3日前だ。場所は北部魔石鉱山から東へ5キロの山中。普通の狼が7匹、魔物化した狼が2匹、それとこいつらの子供2匹。それ、どうした?」
「し……知らん!仮に、仮に攫ったからといって何なのだ!真っ当な商売だ!貴様ら冒険者とて殺すであろうが!」
「今そういう話してないのー。こいつは子供探してて、見つかれば大人しく帰るって言ってんのよ。で、あんたの屋敷には子供の匂いがたっぷり付いてる。たーっぷり、ね。……子供、どうした?」
「…………」
「答えられない?」
「………知らん」
「ま、もう分かってるんだけど」
「は?」
「だってそこに革、あるもん」
「っ!!――――」
鮮血が舞い、親分……フェルナードの首が―――いや、首ではない。
狼が噛み千切ったのは彼の右腕。
肘から先を失ったフェルナードが痛みと恐怖でパニックを起こす。大の大人がギャーギャーと泣き喚きながらのたうち回る。あまり見たい光景ではない。
「……満足したか?」
2頭の狼は無言でおっさんを一瞥すると、例の警備兵が屋敷から持ち出した純白の毛皮にたっぷりと頬擦りし、名残惜しそうにしばらく眺め、そして走り去った。見物人も、警備兵も、ただそれを見つめることしかできない。いつの間にか地面に降りたおっさんだけが、面倒くさそうに親分の処置を始めていた。
狼は最初から、我が子の命が既に無いことは承知の上だったようだ。
アロンソ一家は元来、極圏の海獣関連の利権に食い込んで永らえてきた。しかし昨今では冒険者が大量に入り込み、海獣関連のシノギでは満足な利益を上げられない。そこで目を付けたのが――毛皮目当ての密猟。
魔石鉱山周辺では、命の危険がある場合を除いて狩猟が禁じられている。鉱山周辺は魔力密度が高いため、必然的に魔物や魔獣の数も多い。過去にも今回のように、知能の高い魔物が狩猟者を襲撃する事件が相次いだ。一族郎党を率いた市街への大襲撃まで起きており、予防策として狩猟を禁じているのである。
真っ当な商売などと嘯いていたが……言うまでもなく違法な密猟だ。ギルド冒険者は重度の違法行為を目撃した際にはギルドへと報告する義務がある。――おっさんにもある。が、おっさんは眠い。気分よく寝ているところを叩き起こされ、屋根に上り、魔獣と対峙し、腕を失ったヤクザ者の治療までしたのだ。彼にとっては一日分の働きであろう。よって、応援に駆け付けた冒険者に全てを託し、家に帰って眠ることにした。……仕方無いね。
家に帰ると今朝の侵入者が当然のように朝食を食べていたが……見えないふりを決め込み、布団へと潜り込んだおっさんであった。