5話 結界
――ここらで一度、おっさんの住む王国の状況を確認しておこうか。興味の無い人は会話パートまで飛ばせばいいさ。
メルツェ王国は南北に長い白銀大陸の北部一帯に広がる強大な王国だ。現王は21代国王トト・メルツェ。もとは大陸北西部の小さな王権国家だったが、数世代前に武力侵攻によって国土を大きく拡げた。現在では大陸の半分近くを国土とし、人口も大陸中最大。
広大な国家ではあるが、白銀大陸は名前の通り寒冷地が多い。メルツェ国の北半分は極圏に属し人が住みやすい環境とは到底言えない。つまり無駄に広い国の半分はほぼ無人の雪原であり、人間の居住地は残りの半分、国土南部に集中している。
最大都市である王都ベヌートは西部の海沿いに位置し、古くから海運で栄えた。海流の影響で冬でも比較的暖かく、王国民の約半数が王都から100キロ圏内に住むという人口密集地でもある。その他の地域は荒野や農村、山岳地帯などに中小規模の都市が点在している。典型的な一極集中型の国家だ。
おっさんの住むウニマーグの街は王都とは反対側、東海岸にある地方都市の一つである。海に面した都市という部分は王都と共通だが、あちらは西岸、こちらは東岸。王都とは逆に冷たい海流の影響が強い。夏でも過ごしやすい一方、冬はもちろん凍える寒さとなる。押し寄せる流氷のために冬季は港も閉ざされ、家に籠って寒さを耐えしのぐ厳しい環境――だったのは過去の話。魔力暖房の普及した現在では凍死する者などまず出ない。むしろ流氷とともにやってくる極圏の海獣目当てにハンターが集まる書き入れ時と化している。
メルツェに征服される以前は北東部一帯を治める小国の首都でもあった。当時は冬になると多くの住民が100キロほど南の小都市まで拠点を移して暮らしていたらしい。ご苦労なことである。それでもこの地に拘った理由は先述した極圏の海獣、そして魔石鉱山の存在だ。流通網が限られた時代、魔石鉱山は産業の要であり生活の基盤であった。特にこの鉱山は大陸東岸最大規模であり、現在も魔石産出が続いている。
白銀大陸にはメルツェ以外に二つの大国がある。南のフェレル共和国と中央東部のバイソン自治州連合国だ。この三大国家の間にはいくつかの小国や国境未画定地域が存在し、大国同士が直接国境を接することは無かった。しかし数年前、バイソン国を構成する自治州の一つが周辺地域へと侵攻を開始したことで状況が変わる。国境未画定地域や小規模な都市国家を次々と併合し、瞬く間に領土を数倍に増やした。勢いに乗った自治州はあろうことかフェレル共和国にまで手を伸ばす。両者は国境沿いで激しい戦闘を繰り返し、最終的にフェレル共和国側がギリギリの勝利を収めた。
その後も不安定な情勢は続く。メルツェ王国内部でもバイソンへの対抗策を求める声は大きく、東部一帯を指揮下とする東部防衛軍が新設され、各地の領軍から数万人が引き抜かれた。バイソン側はこの新設軍を実質的な侵攻準備であると非難、防衛のためと称して両国を隔てるいくつかの都市国家に自軍を強引に駐留させる。バイソンの強引さに危機感を煽られた都市国家側が王国へと保護を求めたことで衝突が発生、そこから数度の停戦とその反故を繰り返し今日に至る。
ギルドからの新しい依頼はつまり、この停戦合意が再度破られることを意味している。ウニマーグから紛争地域までは数百キロ離れており、直接的な影響はほぼ無い。攻め込まれる可能性に至ってはまあ皆無であろう。それでもウニマーグ周辺の貴族からは戦争向けの依頼が入っている。恐らく彼らは私兵を戦場に送り、功績を挙げようと目論んでいるのだ。
「ようカルロ。あんたの魔晶石100個、入ったぜ。……頼むぞ?こっちもギリギリでやってんだからな?分かってるよな?」
「ああ、安心しろ。今回は経費前払いだ。金貨22枚で良かったな?」
道具屋のカウンターに金貨を積み上げるおっさん……ドヤ顔やめろ。お前の金じゃないだろう。
「ほう!珍しいな……あんたが即金だと?」
「言っただろ。ギルドの肝いりらしい」
「はぁ、なるほどね。何だ……それなら上乗せしときゃよかったぜ」
「止めとけ、審議官がこんにちはーって奴だ」
「おう怖い怖い。あんたは大丈夫なのか?もうすぐ税額告知だぞ」
税額告知は秋の収穫が終わり、農作物の取引がひと段落した時期に行われる。来月あたり税務調査官が訪問してくるはずだ。カルロのような零細事業者は帳簿の写しを渡せば調査完了。その場で概算額が通知され、数日後に屈強な徴収官が取り立てにやってくる。取引相手側の帳簿と突き合わせた際に不整合が見つかれば罰金。取引相手と共謀すれば誤魔化せる場合もあるが、不正が明るみに出れば奴隷堕ちの重罪だ。余程のチャレンジャーでもなければ試す価値は無い。
「まぁ、何とかなるだろ。じゃあな、俺は忙しいんだ」
「あんたなぁ……書類整理、早めにやっとけよ」
嫌な話題から逃げたのがバレバレである。作業机の上の書類……恐らく去年の税額告知以降、一切整理していない。今年もまた領収書が見つからないと大騒ぎするのであろう。
「ああ……面倒くせぇな……何からやるか」
依頼は3点。どれも障壁系術式の書き込みだ。障壁術式の要点は主に起動速度と持続時間。戦闘に用いるならこの二つが非常に重要である。しかし、この二つは相反する要素だ。起動に要する時間は回路の複雑さに比例する。単純な回路ほど早く起動できる、まあ当然の話だ。しかし、単純な回路は魔力の抵抗が少なく調整が難しいため、長時間稼働する場合には魔力消費量が大きくなる。魔力操作の熟練者であれば両立させることも難しくないが、彼らにはそもそも魔道具など必要無いだろう。
優れた魔道具に求められるのは、中級者に熟練者並みの働きをさせること。術者の力量差を埋めるような「術式の工夫」が求められる。さて、このおっさんはどんな工夫を込めるだろうか。
「まずは……ラクなやつから。結界だな。ストック流用でいいだろ」
いきなりの手抜き。だが、これはまあ同意できる。結界術式に起動速度は必要無い。重要なのは認証精度と防御機構だ。魔晶石の容量さえ確保していれば、既存術式の切り張りで問題無いだろう。
「ふんふん。今回のはアタリだな。容量もでかいしムラが無い」
大きめの宝石サイズの球状魔晶石に次々魔力を流すおっさん。傍から見ても品質の良さが伺える。魔力の通りが一定で反応も安定……前回とは確かに違う。寄せ集めではなく、同一の鉱山から同時期に採掘されたものであろう。やや黄色味がかった色合い、この都市近郊のウニマーグ北部鉱山から産出された魔石であることを示す特徴だ。
「よっしゃ、これなら楽勝だ」
二時間後、5個の結界型障壁魔石が完成。既存術式を書き込むだけとは言え、相変わらず驚異的な転写速度である――魔道具への術式付与には二通りの手法がある。物理的に回路を書き込むか、魔力で転写するか。後者、つまり今カルロが施した「魔力転写」は付与術士の必須技巧だ。
物理的な書き込みは主に金属板や石板に使われる手法で、経年劣化が少なく複層構成しやすいという利点があるが、魔術とは別の技術的問題が発生する。対象の表面を直に削って術式を描くため、「刻印師」と呼ばれる専門家のように技術を持った者でなければ作成できない。おっさんのような工学素人には到底不可能だ。
今回のように魔石を使う場合には、余程儀式的な意味合いが無ければほぼ間違いなく魔力転写が用いられる。高い魔力圧と繊細な操作が要求される作業であり、高位の魔術師であっても苦手な者にはできない。付与対象となる魔石の魔力容量を見極め、ごく狭い範囲に適切な魔力圧を掛ける必要がある。圧が低すぎれば魔石の魔力抵抗によって術式は定着せず、逆に高すぎれば魔石自体を破壊してしまうのだ。この調整が非常に難しく、付与術士が希少な理由でもある。
「認証は問題無し……防御機構は……ま、こんなもんか」
魔力で覆ったおっさんの腕は魔道具の防御機構を易々と突破したが、問題無いらしい。結界魔道具が防ぐのは盗賊や冒険者崩れによる襲撃程度で、高位術者による襲撃を防ぐことまでは求められない、そういうことだ。高位術者ならば防御術式を解析し阻害することなど朝飯前なのであろう。とりあえず依頼の一つは完成、この調子で――
「よし、今日は十分働いた。……寝る」
――ですよねー。納期まではあと3日もある。魔晶石の品質も良いことが分かったし……明日もろくに働かねえな、こりゃ。