潜んでいる。扉の向こうに誰かが――
――!
気配で気が付いた――扉の向こうに何者かがいる。
いったい誰だ……。
――次の瞬間、一切の明かりが消えた――。
一瞬のことにハッとしたが声は出さず身動きもとらない。それぐらい俺は訓練されている。
――電源ブレーカを落としたのか――。
暗闇の中で明かりを灯そうとポケットからスマホを出そうとしたとき、あざ笑うかのように照明が点灯した。
――息を潜め呼吸を止める。――脅しのつもりでやったのだろうか。
次に靴の音がした。
たった一度だけだが、小さな音でコッと聞こえた――。その音だけで、靴底の厚い革靴だと分る。少し砂でも付いていたのだろう、ジャッと濁るような音も聞きとれた。
気配を殺していたようだが、次第に自分の存在を知らしめてくる。まるでそれは怯える鼠をいたぶる猫のように……。「貴様はもう……逃げられないぞ」と脅してくるかのようだ……。
まだ冬だというのに顎から冷や汗が床へと零れ落ちた。
――いったい、俺が何をしたというのだ――。
額の汗を拭うと、今朝からの一連の行動を思い出した――。
六時五分――起きて起床した。
六時半――朝ごはんを食べた。牛乳が冷たかった。美味しかった。
七時――玄関から歩いて出た。
――駄目だ! 焦りのせいで小学生レベルの回想しか思い浮かばない――! なにも悪いことなんかしていない!
コンコン!
――!
両手で口元を押さえる。思わず声を上げて驚きそうになってしまった――。両太ももに鳥肌が一斉にゾワゾワと立つ!
お尻にも鳥肌が総立ちする――!
見ず知らずの男が扉を叩いてきやがった――!
どうすればいいというのだ? こちらも叩き返すべきか、それとも、「入ってまーす」と答えるべきか……。
いやいや、普通は扉のノブ上の表示を見れば、人が入っているのは分かるはずだ――。ちゃんと赤色で「使用中」と書かれているハズなのだ――。
それでもあえてノックをしてくる理由はただ一つ――。
扉の向こうで待っている男も……
――切羽詰まっている状態なのだ――!
なぜ男か分かるのかって? そりゃあ「女性専用」は隣にあり、「男女共用」の洋式を俺が使っているからだ。俺が入る前から「女性専用」は空いていた。
俺だって鬼ではない。人の子だ。他人に出来るだけ迷惑を掛けずに普段から人のために自分にはいったい何ができるのかを考え続け生きている善人なのだ。できる事なら早く出てあげたいさ――。
――だが、こんな時に限って……お腹が痛くて、次から次へと……ちびちび出てきやがる……。
焦れば焦るほど……ちびちび出てきやがるんだ――!
考えろ――俺!
一度、途中で切り上げて、もう一度扉の前に並んだほうが良いのだろうか? だが、次の男がすぐに出てくれる確証は――ない。最悪の場合、中腰のままレジで男物のトランスクスを「お買い上げ」しなくてはならない――!
それは回避できたとしても、俺が出てすぐに扉の前で待っていれば、次の男だってそのことをプレッシャーに感じてしまうだろう。俺だったら、嫌だ!
――扉の前に立たれて、早く出ろと急かされるのなんて、絶対に嫌だ――!
――それが今の俺の状態なんだ――!
「ほあ――!」
北斗〇拳の使い手のように息を吐き出し、いち早く残りのすべてを出し切ることに専念した――。
先程から何度ノックされたことだろうか……。ひょっとすると違うコンビニへ行ってもらった方が早かったのではないだろうか……。
ジャー、ンゴゴゴキュ~ン! ズボンを上げ、水を「大」で流したとき、裏起毛のヒートテックシャツは冷や汗でベトベトだった。逆にひんやりしてしまう……。
「ハア……ハア……」
ついに扉を開ける時がきてしまった。恐そうな人だったらどうしよう……。「おさキッス?」それとも「ごゆっくりどうぞ~?」などと言った方が良いだろうか。
否――。
もし次の男もさっきの俺と同じような「切羽詰まった状態」なら、そんな言葉はいらないだろう。「喋らずにさっさと扉の前をどきやがれ! いや、どいて下さい~!」と叫びたくなるだろう。
ガチャ。
そっと扉を開けて出ると、真っ青な顔をしてお腹を押さえていた強面のおじさんが、何も言わずに入り、鍵を掛けた。
――恐らくは……間に合ったと信じたい……。
レジで一番安い缶コーヒーを買ってコンビニを出た。
コーヒーのプルタブを開けると芳しい香りが広がり、辛かった時間を忘れさせてくれるのであった。
なぜこんな話がコメディーではなくホラーなのかというと、間に合わなかった時のことを想像してもらいたいからだ。
もし扉の前で待っていた男の顔が赤く、押さえているところがお腹ではなくてお尻の方で、ズボンにうんこ汁がついていたらと考えると……。
紛れもなくホラーだ……。キャー!
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