第3話 失恋
「じゃあな堅土。琥珀にしっかり謝って来いよ」
「そうするよ。今日は一緒に帰らないのか?」
「……ああ」
憂いを帯びた寂しさも匂わせる表情で俺は堅土の申し出を断った。
「そうか。なら帰り道には気をつけろよ。お前は襲われたら比喩無しにそこら辺の子供にすら勝てないんだから」
本気で心配した目で、堅土は忠告する。
実はこう言った事は初めてではなく、あの約束の日を思い出す度に、こうして一人になって帰っていた。
最近はなかったのだが、それでもこうして時折一人になる。
堅土はこの事情を知る唯一の仲であり、同時期に俺の他にあの少女を知っている唯一の人物でもある。
「わかってるって。堅土、また明日」
そうして俺は一人、帰路につくのであった。
※ ※ ※
何気ない帰り道、俺は一人憂鬱な気分を引きづったまま家に帰っていた。
「どうして、十年も前なのにどうして未だに鮮明に覚えてるんだろうな。……初恋だったからか。未練タラタラだな俺」
自嘲気味に夕焼けの空を見上げる。
夕焼けの空にはうっすらと白い月が登っており、消えかけている俺の初恋の感情が記憶だけで成り立っているのを表すように登っていた。
ふと、気がつけば小さい頃に遊んでいた、それなりの面積がある公園の前に来ていた。
どこか郷愁漂うその公園に引き寄せられたのは、偶然でもあり必然であったのかもしれない。
この公園はその初恋の相手である少女と初めて出会った運命の場所であり、同時に約束をした思い出の場所でもあるからだ。
引き寄せられるように俺は公園に入っていき、木製のベンチに腰掛ける。
少なくとも十年は経っている筈なのに、その十年を感じさせない新品同様の木製のベンチは、俺だけが過去に縛られ取り残されたようにも感じられた。
「魔法が使えない理由か……」
誰に話すわけでもなく理由を考える。
俺が魔法を使えない理由は分かりきっている。
あの日に見た少女の魔法が今でも衝撃的で忘れられなく、それ以上に初恋だった少女の魔法以外の魔法を、俺は認められないのだ。
故に、認められないが故に、俺は俺自身が魔法を受け入れられない。
どれだけ緻密に解読されても、どれだけ安全になっていても、どれだけ簡単極まりない魔法であってもだ。
これが俺の魔法が使えない理由。
今になっても、少女の魔法は不思議だった。
少女の魔法は不可解極まりなく、あれから必死に俺なりに解読しようと頑張ったが、どうしても解読出来なかった。
否。解読することは出来ているが、その魔法のおぞましさを認めたく無いのだ。
今なら理解出来る。あの少女の魔法はおぞましい人の身に余る魔法だろう。その代償はきっとーーー。
心がその先の思考を阻み、答えを遮り、うやむやに消し去っていく。
同時に去来するいなくなった喪失感。どうしようもない、孤独感。
夕焼けに照らされ、俺が感情に押し潰されそうになっていると、ふと前から美しいソプラノの女性の声が響いた。
「あの、大丈夫ですか?何か悩んでいるようでしたらお話くらいは聞きますけど?」
「……あなたは?」
自分が何か。と問われた時、女性は少し戸惑いを表したが、直ぐに持ち直し俺への問いに答えた。
「ただの通りすがりの女子高校生ですよ」
溌剌とした、けれどどこか寂しさを帯びた作り笑いで女性は笑う。
「それよりも、こんなところで独りでどうしたんですか?もしかして、失恋でもしましたか?」
女性は大真面目な顔で心配してきた。
「まぁ、失恋と言えば失恋かな。十年も前だけど」
「なんですかそれ。未練タラタラじゃないですか」
自嘲気味に俺が答えると、これまた何がおかしいのか女性は臆面もなく笑いだしてしまった。
答えたのは何かに思い詰めた自殺志願者と間違われて、警察に引き渡されても困るからだったのに。
「その話、出来れば詳しく教えて頂けませんか?相談くらいなら私にも出来ますよ?」
女性はそう言い、俺の隣に座ってきた。
さっきは気にならなかったが、女性の髪は俺の銀髪とは違う、白色と薄いピンク色の入り混じった不思議な髪の色をしていた。
何より特徴的なのは透き通った水色の瞳。
どこまで澄んでいて、その全てが幻想的で自然と引き寄せられてしまう魔性の瞳だった。
「良いですよ。せっかくですし」
そう言って俺は親友と親以外には決して打ち明け無かった秘密を打ち明ける。
※ ※ ※
「そうですか。あなたはその初恋の女の子のことが、どうしても忘れられなくて、そのうえその女の子の変な魔法を見たせいで、自分はその女の子以外の魔法を認められず、結果として魔法が使えなくなってしまったと」
「そう……なりますね…」
女性に簡潔にまとめられて、俺は反論することも出来なかった。一部の隙もなく、簡潔で反論の余地も無くまとめられてしまったからだ。
「まぁ、君の悩みは私にはわからないけど、その女の子はきっと、こう思っていると思いますよ」
俺の悩みに対する女性の声はとても穏やかで、綺麗なまでにすっと俺の中に入ってきた。
「10年もの間、忘れないでいてくれてありがとう。って」
「そうだと……良いですね……」
話しを聞いてもらった後、女性は前を向く。
俺は未だに俯き、下をむいたままだった。
「ここまで……か」
不意に女性の諦めの混じった声。
俺は少女と同じく前を向くと、黒服の屈強な男が二人佇んでいた。
「ねぇ、お願い」
女性は物悲しげな瞳と表情で俺に伝える。
「その女の子こと、これからも忘れないで上げてね」
「では、いくぞ」
一人の男が差し出された、女性の手を乱暴に掴み連行しようとする。
心底連れていかれるのが嫌そうな素振りで、女性は手を振り払おうとするが、振り解けない様子といったところか。
「なぁ、あんた。どこに行くかは知らないけど、連れていかれたくは無さそうに見えるが」
「……ええ」
女性の心の底からハッキリとした拒絶。
同じ人間の声とは思えなかった。
「なら、聞いてくれたお礼だ。助けてやる。そのまま、目を閉じてな」
そして俺は鞄から一つの球体を取り出し、女性と男性の丁度真ん中に投げ入れる。
瞬間、辺りを包み込む閃光。
親に護身として持たされていた閃光弾である。
そしてその間に俺は女性の手を取り。
「逃げるぞ!!」
その場から女性と一緒に逃げ出すのだった。
※ ※ ※
「はぁ……はぁ……」
気がつけば、人気の少ないの住宅街を走っていた。
「まったく、あんたは本当になんなんだよ。何で追われているんだ?」
走りながら女性に質問する。
恐らく、それが全ての原因だと踏んだからだ。
「そ、それは……」
俯いた後、女性はそれきり喋ることは無かった。
不意に男性二人に道路の前と後ろを塞がれ退路が無くなる。
「ちっ……!」
ここまでか。そう思ったが諦める事が出来なかった。
「うおおおおおおお!!」
俺は前にいる男性に突進して行く。
「……稲妻」
瞬間、男がそう唱えると、男の指から、一直線上に伸びてあらゆるものを貫通する稲妻が放たれる。
そして、その稲妻は俺の肺を貫き―――
「……あ、え?」
その瞬間、数多の血を撒き散らし、俺はなす術なく倒れる。
「ねぇ!ねぇ、お願い!目を開けて!!」
最後に俺の瞳に映るのは澄んだ水色の目をした女性の泣き顔だった。
―――そうして俺は深い闇の中に落ちていく。
「やっと、ーーーたのに……!!」
「こんなところで死なせられない。私が死なせない!」
―――その言葉が聞こえた瞬間、沈みゆく意識の中、白い何かが俺の中に入って来る夢を見た。