龍王の謀略
「行くぞラピス。」
呼びかけに対してラピスは体液まみれの男と俺を交互に見て一瞬逡巡するような様子を見せたが、直に頷いて走り出した。すぐに殺すから待て、とか言い出しかねなかったから素直に従ってくれて良かった。
そうして駆けだした俺とラピスだが、直に足を止めた。
「………どこに行けばいい?」
「屋上だろ。」
「どこから行けばいい?」
「………………さぁ?」
「天井ぶち抜くか。」
「止めて下さい。」
ラピスの脳筋解決法はしれっと付いて来ていたアーシェリーさんに止められた。
「こちとら一刻一秒を争っているのだ、それに、手っ取り早いぞ。」
「後の方が本音でしょう。勝とうと負けようと結果が一緒になってしまうので止めて下さい。」
「……悠長な奴だ。」
ふてくされてそっぽを向いたが、否定することもできなかったようでラピスはそれだけ言って黙った。
「屋上まで案内します、付いて来て下さい。」
「ラピス、見えるか?」
「………あれか。……なんだ、はぐれか」
「と言うと?」
「等級が低く、おつむの弱い残念な奴という事さ。残念すぎて一度はぐれてしまうと帰る場所も分からんのだよ。」
「辛辣だな。」
「別に仲間と言う訳でも無いしな。」
「……そうなのか?」
「龍とて決して一枚岩では無いのだ、当然な。……だが、はぐれなら私が出るまでもあるまい。」
そう言い残して階段へ戻ろうとしたラピスの肩をアーシェリーさんが掴んだ。ジロリ、とラピスの眼が普段以上に無表情なその顔をねめつける。
「………何のつもりだ?」
「あの龍の相手をして頂きたいんです。」
「……何故? 居城が割れる危険性を冒してまで私が戦わねばならない理由は何だ?」
「騎士の犠牲を一人でも減らすためですよ。」
「……それが私に何の関係がある。それに、あの部屋に居た面子にはそれなりに戦えそうな奴も何人かいた。そいつらを上手く使えばはぐれの一体や二体狩るのは難しくあるまい。」
この発言には驚いた、何せ俺には騎士たちは皆殆ど同じに見えたのだが。ラピスを見て俺の中の物差しがイカレたのだろうか。だが、それにしたって龍に勝てる人間とは、それはもう人間じゃないのではなかろうか。
「間違い無く犠牲は出ます。貴方が戦えばそれをゼロに抑えられるんですよ。」
「図に乗るなよ、猿。お前は私を何だと思っている。都合の良い兵器か?」
とうとうラピスが切れた。あいつから発せられる存在感が増し、アーシェリーさんの顔が紙のように白くなる。しかし、彼女は気丈に立ち続けた。
「兵器だとは思っていますよ。ただし、決して都合良いなんてことは無い、自他共に巻き込む巨大な爆弾です。使うには戦略と度胸、それと巻き込まれる覚悟が必要です。」
アーシェリーさんが言いきった瞬間、その綺麗な顔に拳が飛んだ。彼女の銀髪が拳風に靡く。
「………龍に物申すその度胸と、立ち続けるだけの覚悟は認めてやる。」
寸止めされ、それでも爆発的な風を巻き起こした拳を納めたラピスははぐれ龍が居るという方向を向いた。そしてアーシェリーさんは糸が切れたように倒れこんだ。どうやら意識を失ったらしい。
「……ちなみに、戦略は?」
「お前がいる、お前みたいなのはもういらん。」
「信頼されてるようで何よりだ。」
「心が籠っていないな。」
うるせぇ。
「………で、どうするエドガー。私としてはお前も来てくれた方が安全を守れるのだが。」
「この人置いていく訳にもいかんだろ、残るよ。」
「そうか、なら好きにしろ。」
ラピスは俺の返事も聞かずに屋上から飛び降りた。あいつからすればなんてことないのだろうが、目の前で投身自殺の真似事をされる人間の心境も少しは考えて欲しい。
ラピスが屋根伝いに飛び跳ねていく様子を見送り、とりあえず倒れたアーシェリーさんの体勢を仰向けにする。鎧は窮屈だろうと思うが、脱がせると余計な面倒がふっ掛かりそうなので泣く泣く我慢する。決してどさくさで触れなくて残念とは思っていない、思ってないったら思ってない。ただ、首が辛そうだな、この状態だと。
枕でも探して来ればいいのだが、アーシェリーさんから、そして既にかなり進んだラピスから目を離す訳にもいかない。だが、これ以上遠くに行かれると見失いそうだ。そこでふと、あんまり焦って見張りの兵士が忘れていったのか、備品と思われる望遠鏡が置き去りになっているのを見つけた。
そして、一つ妙案を思いついた。
「……んぅ……あれ、私は?」
「起きたか。」
アーシェリーさんが目覚めた―――俺の膝の上に頭を乗せた状態で。いわゆる膝枕である。
彼女は一瞬キョトンとなった。目が覚めたら望遠鏡を覗く男に膝枕をされていたのだ。そりゃあ訳分かんねぇだろう。だが、次の瞬間自分の置かれた状況が理解できたのか一瞬で顔が真っ赤になった。頭の回転が速くて何よりである。
「にぁっ!? ……あの、その、………………あ、有難うございます。」
飛び跳ねるように壁際まで下がり、そこで漸く自分が随分と失礼な行為をしたと気付いたのか真っ赤な顔のままでおずおずとお礼を言った。
「おう。………にぁっ、か。」
「や、止めて下さい!! 状況解ってるんですか!?」
「ぶっ倒れたあんたよりは分かってるよ。」
「それは、その…………。そ、そうだ!! 龍はどうなったんですか!!?」
余程恥ずかしかったのか、普段の冷静沈着な様子とは打って変わって大声でまくし立てた。
「安心しな。――――――圧勝だ。」
「………え?」
再びフリーズしたアーシェリーさんだったが、今度は早かった。俺の手から望遠鏡をひったくると、すぐさま自分の目に当てた。
「………嘘、信じられない。」
それはそうだろう。
見るも無残な姿になった龍の上で血塗れのラピスがにこやかに手を振っている光景を見て、何の疑いも無く現実だと認識できるならそいつはきっと肝っ玉が異常なのか、底抜けに馬鹿か、どちらかだ。
――――――アーシェリーさんの頭を膝の上に乗せてすぐ、俺は望遠鏡でラピスを探し、あまり時間をかけることなく確認できた。金髪は意外と目立つ。
そして、アイツが見つけたと言った龍も発見した。くすんだ赤色の鱗、生理的嫌悪を催す異形の頭、一歩踏み出すごとに地を割る四つの足を持つ龍だった。確かに、高貴さとか神秘性とかは一切感じられない、ただただ醜い存在だった。王とはとても言えない。
その龍は明らかに町に向かって疾走していた。ラピスはおつむが弱いと言っていたし、人間を襲うリスクを考えることも無い末端の兵という事か。意外と人間臭い。
しかし、彼(彼女?)が町に辿り着く前に、龍王が降臨した。
民家の屋根から軽々と城壁を飛び越えたラピスは、更に距離を伸ばして件の龍の前に着地したのだ。二頭の間に体格差は相当にあるが、龍が急制動を掛けて衝突は避けられた。明らかに目の前の小さな存在を畏れている。
そして緊張に耐えきれなくなったのか、龍は尻尾を巻いて逃げ出した。そんな龍の背中をラピスは躊躇無く踏み抜く。龍の身体が変な向きに曲がった。
だが、背骨を踏み砕かれたはずの龍はそれでも足を止めようとしなかった。他の生物にとっての致命傷は龍にとっては軽傷だ、と言わしめるほどのしぶとく生き残る生命力もまた龍の特徴の一つなんだとか。しかし、そのことを同じ龍であるラピスが知らないはずが無い。
ラピスは逃げ出した龍に情け容赦なく追撃を加えた、らしい。姿は龍の影に隠れて見えないが、突然龍が硬直したことから当たりを付けた。
そして、間髪入れずに肉眼でも捉えられるほどの赤黒い噴水が上がった。
すぐさま望遠鏡で確認するも、血に紛れて良く見えない。ただ、ラピスが哄笑しているのは何となく分かる。暴君どころかある種の狂王なのかもしれない。
「んぅ……あれ……私は?」
そして、血の雨の収束に合わせるようにアーシェリーさんが目覚めた――――――
「―――と、まぁこんな感じだった。」
「そ、そうですか。………血の雨、とは比喩では無いのでしょうね。」
「本物だ。」
「……………あ、城門に駐屯していた騎士が出てきましたね。諍いが起こらなければ良いのですが………。」
「裸眼でここから見えるのか。」
「目は昔から良いんです。それより、どうするんでしょうか。」
「こっから一瞬で移動する手段は無いだろ、ラピスが大人しく戻って来てくれるのが最良だが……。」
「情報が騎士の末端まで行き渡って無い可能性が高いです、無礼な物言いをされたらへそを曲げるでしょうね………。」
「だよなぁ……。」
騎士サマもあいつの性格を理解しだしたようである。
だが、俺達の予想に反してラピスはすんなり帰ってきた。表情にも特に怒りの色は無い。
「…………どうしたお前ら、そんな間抜け面晒して。」
「………あの、騎士が失礼な事を言ったんじゃないかと……。」
「ああ、私が怒る事を気にしたのか。確かになんぞ喚いていたがな、今の私は気分が良い、猿の戯言など気にも留めんさ。」
この発言には俺達二人で顔を見合わせ、深々と安堵のため息を吐いた。ああ、気分屋で良かった、と。だがすぐに思い直した、この気分屋のせいで散々な目に遭ってるんじゃないか、と。
「ちなみに、何でそんな上機嫌なのか聞いても?」
「む? 盛大にぶっ殺してやったからに決まっているだろう。それなりにフラストレーションは溜まっていたのだよ。主にソイツのおかげでな。」
ビシッとラピスに指を刺された。味方をしているのに酷い言われ様である。
「………盛大に殺して良かったのか? ひっそり殺すべきじゃ無かったか?」
「……否定はしないのか。それと、問題無いぞ。」
「何でだ? 今世界規模の危険物として扱われている地方なんだろ?」
「この大陸に王が屯していることなどあり得ん。まぁ、周辺に斥候の一頭や二頭はいたが。」
「駄目じゃねーか。」
「阿保、そいつらも消したに決まっているだろうが。」
「………方法は後で聞くとして、阿保はお前だ。間違い無く警戒されるぞ、斥候を発見の上で全員始末するとか”猿”に出来るようなことじゃないだろうが。」
「そうだ、猿に出来る事じゃない。自分達以外の何処かがやったに決まっている。………そう思う奴が大半だと思うがね。」
「む。」
………こいつ、考えてやがる。
「……まぁ、例外は確実に存在するが。」
「やっぱり駄目じゃねーか馬鹿野郎。確実に隠蔽しないと、こっちは後が無いんだぜ?」
「分かっているとも、それをこれから行うのだ。未だ王までは情報が行っていないだろう、とりあえずは大陸にある中継地点で一回情報が止まるはずだ、そこを叩く。
さて、エドガー。お前は先程殺し方を気にしていたな?」
「……お、おう、それが?」
ラピスは口を開きかけ、だがアーシェリーさんを見てすぐ閉じた。
「……出ていきましょうか?」
「いや、良い。どうせ後で話すことになる。よしお前達、戻るぞ。」
この暴君の頭の中では結論が出ているようだ。逆らう無意味さは知っているし、興味もあるため黙って付いていった。
「おい、オーフィラ。私とエドガーは出かけてくる。お目付け役が必要なら適当に見繕え。」
「いきなり来て何を言い出すかと思えば、却下に決まっているだろう。」
「お前の決定など聞く気は無い、早く行かないと機を逃す。猿の生活圏を取り戻したいのだろう? なら黙って従え。説明は終わってから幾らでもしてやる。」
「生活圏を取り戻す、だと?」
「ああ、今はまたとない好機だ。とは言ってもそんな広い領土では無いが。」
「…………分かった、アーシェリーともう一人付けよう。行ってこい。」
「話が早くて助かる。荷車もしくは馬車の荷台と一週間分の食料人間三人分を用意して三時間後、東の城門だ。食料は調理の必要が無い物な。」
「……伝えておこう。」
自分の言いたいことだけ言ってラピスは騎士団長の元を後にし、俺はというと一目でストレスが溜まっていると分かってしまう顔をした彼が小間使いに色々と命じているのを尻目にそそくさとラピスの後を追った。
「さて、移動するぞ。三時間あるが、距離を考えればそう余裕なわけでも無い。」
「移動しながらで良いから説明してくれよ。」
「そう急くな、もう一人もいるのだ、現地に着いてからでも遅くは無い。」
「いや、お前の組んだ作戦は何処か抜けがありそうで怖い。」
「……お前は本当に無礼な奴だな。私はそんなに信用ならんか。」
「ならん。」
「正直な奴だ。……何が悪いと言うのだ?」
「お前は愚直すぎるんだよ、そんなんだから簡単に引っ掛けられる。作戦もどうせ単純に激突とかだろ?」
「そんな訳あるかこの戯け。これは戦争だぞ。」
「おお、お前にもそんな認識があったのか。」
「………そろそろ本気で怒るぞ。」
「さっきストレス発散したばっかだろ。でも戦争やってるって感覚があるなら良いよ、何も言わん。」
「………えらく素直になったな。」
「分かってるんなら下手な策は打たないだろ、よっぽど馬鹿でも無ければな。」
「……………これは信頼されていると取っていいのか?」
「いいんじゃないか?」
「……あの、お二人とも、そろそろ移動しません?」
「「 」」
完全に口論モードに移行していた俺達二人への賢明なアーシェリーさんの一言によって俺達は本来の目的を思い出し移動を開始した。
道中でいくつか買い物をし、結局城門の元へたどり着いた時にはいい時間になってしまった。そして、そこでは何故か人だかりができていた。
「………。」
頭巾で顔を隠してはいるが、ラピスは不機嫌そうである。これではまた大惨事を引き起こしかねない。だが、ラピスが爆発する直前、唐突に人波が割れた。
そしてそこには流麗な白銀の鎧を身にまとった美丈夫がいた。背は俺より高く、金の長髪を降ろしている。イケメン爆ぜろ。
「リュシオール様!? なぜこのような場所に!?」
「やあアーシェリー君、遅かったね。それと質問の答えだけど、任務だから、さ。」
声まで爽やかだ、嫉妬するのが馬鹿らしくなってきた。それに、リュシオールと言う名前には聞き覚えがある。
「そして君たちが同行するって二人かい? 僕はガーファンクル・リュシオール。国家騎士の一人だよ、宜しくね。」
「あ、はい、お………私はエドガー・アルゼスです、こっちが……その………」
「ああ、聞いてるよ。」
鷹揚に頷いたリュシオールさん。ここでラピスが龍だと言ってしまうのは余りにも問題ある行動だろう。それを察してくれたか彼は出発を促してくれた。
「それじゃ、全員揃ったし行こうか。」
キャーキャーと飛んでくる黄色い声援に手を振りながら彼は優雅に城壁の門を潜っていった。俺には逆立ちしても不可能な芸当だ。いや、逆立ちが優雅な訳じゃないけどさ。
ちなみに、一連の流れの中で一言も発さなかったラピスはじっとリュシオールさんの方を向いていた。惚れたのだろうか、龍なのに。
城門の外には、ほろ付きの荷馬車の荷台だけが用意されていた。予定の時刻よりも早いのにご苦労なことである。もしかすると常備されていた物なのかもしれない。馬車の見張りをしていたらしい兵士は退屈そうにしていたが、リュシオールさんを見ると音が鳴りそうな勢いで敬礼をした。
「ご苦労様、後は僕が引き継ぐから戻っていいよ。」
「は、はいぃっ!! そっ、それではわたっ、私はこれでっ!!」
大きな声で言うなり逃げるように去って行った兵士。本物のガーファンクル・リュシオールを見たショックで精神に異常をきたしてしまったのか。可哀想に。
「…………お前ら、乗れ。」
漸くラピスが口を開いた。ずいぶん口数が少ないが、もとより逆らうつもりも無いので素直に荷台へと搭乗する。騎士二人も俺に続いた。
「飛ばすぞ、しっかり掴まっていろ。」
ここに来る道すがらで買い求めた丈夫なロープを馬車にしっかりと括りつけたラピスは、それをしっかりと握って言った。
「え? それは―――がっ!?」
リュシオールさんの言葉は最後まで続かなかった。ラピスを知らない彼には予想もつかなかったに違いない、まさか馬車を力ずくで牽引して、あまつさえ並の馬車移動の速度が出てしまうなど。俺とアーシェリーさんはしっかりと手すりを掴んでいる。哀れ美麗な白騎士はしたたかに頭を床にぶつけた。
城壁がみるみる遠ざかっていく、重たい荷物があるにも拘らずこれだけの速度が出せるというのは、やはり龍が常識の埒外に居る存在だという事か。ただ、この速度と揺れにも慣れ、皆に会話する余裕が出て来たようだ。そこでまず口を開いたのはリュシオールさんだった。
「これは凄いね。会議室で見た時も思ったけど、恐ろしい力だ。」
「え?」
いたの?
「……なんだい、その反応は?」
「いえ、その……会議の場にいらっしゃいました?」
この言葉を聞いた瞬間彼はその場に崩れ落ちた。どうやら俺の言葉は何か彼の中の大事な部分を抉ってしまったらしい。明らかにへこんでいる。
「…………ふふふ、そうかい、僕には気付かなかったかい。それなりに有名になったと思ってたんだけど、僕もまだまだのようだね、精進しないといけないね……。いや、良いんだよ、騎士にとって大事なのは実力だからね……。」
やらかした。
「いや、その、名前は存じ上げてたんですけど、お顔を拝見したことが無かったもので……。」
「……そうかい? でも、それは理由にならないよ。」
「は、はぁ……。」
め、めんどくせー。この有名人がこんなメンタル弱いとは思わなかった。
「あの、ちょっといいですか、アルゼスさん。どうして騎士団長にはため口なのにリュシオール様には敬語なんですか? 団長の方が位は上ですよ?」
打ちひしがれてしまったイケメン騎士を放置してアーシェリーさんが聞いてきた。俺としてはそちらも大概だと思うのだが……まぁいいか。
「そりゃまあ、騎士団長は全く知らなかったからな、それに状況が状況だった。上位者というイメージを植え付けるにはあそこで下出に出てはいけなかった。一方でリュシオールさんについては町でも結構噂を聞いてたからな。実力は龍に匹敵する”三騎士”の一人で、人間の最終兵器だ、ってな。しがない冒険者からすりゃ雲の上の存在だろうよ。」
ピクリ、と落ち込んでいた騎士サマの肩が動いた。褒め言葉は有効らしい。
「そういうものですか。」
「そういうものだ。案外人間ってのは名前に弱いんだよ。」
「その割に本人を見ても分からなかったようですけどね。」
「そりゃ俺も男だしな、野郎の容姿に興味なんかねぇよ。聞いてたのは実力だけだ。その実力にしてもあの時は目の前に怪物が居たんだぞ、人間の強弱なんぞ皆同じに見えるのも仕方ないと思わないか?」
「あー……それは確かに。あれ見ちゃいますとね……。」
「そう!! 仕方ないんだよ!!!」
「うおっ!?」
突然復活した。心底ビックリした。
「あ、アルゼス君、僕ともため口で話してくれて構わないよ。」
「えっ?」
急に何を言い出すんだろうかこの人は。
「君も騎士に叙任されるんだろう? 僕は序列とか気にしないし、仲間とは気さくな関係でいたいんだ。なのに何故か皆敬語を使ってね……。」
いや、理由解ってるだろあんた。出会った当初なら信じたけど、今は無理だわ。
「騎士団長にもあんな口をきける君なら僕相手に怖気づくことも無いだろう? 歳も近そうだしね。」
「いや、そりゃ…………分かった、これで良いか?」
俺の確認の言葉に、人間の英雄たる三騎士の一人は満足げに頷いた。
半日以上続いた超高速馬車の旅は唐突に終わった。ある地点でラピスが急停止したのだ。空は茜色に染まっていた。
「お前たち、降りろ。」
頭巾を外しながらラピスが言った。あいつずっとあれ付けてたんだな。
外に出ると、まず巨大な岩が目に付いた。どうやらこの陰に馬車を隠す算段らしい。今自分達がいるのが小高い丘の上だと言うのも分かった。東側は崖になっているが。
そして、その崖からは広大な荒野と巨大な石造りの町が一望できた。
「あれは……おそらくハルフラムの町ですね、三年前に龍の侵攻によって捨てられた町です。」
「ハルフラムだって!? 早馬を飛ばしても三日はかかる場所じゃないか。」
随分と遠くに来たらしい。ちなみに俺はハルフラムなど一度も聞いたことが無かった。
「町の名前などどうでも良い、大事なのはあそこの住民だ。」
「住民って……今あそこには誰も……。」
「いる。あそこを乗っ取った紫の龍共がな。」
ラピスの言葉は騎士達に驚愕を叩きつけた。龍が人間的な生活をするとは考えられなかったのだろう。俺だって布団で寝るのを好む姿や衣類の事を理解する様子を見て無きゃ信じなかった。
夕日によってできた影で隠されたラピスの表情の中、金と紫の眼が爛々と輝いていた。
「さて、お待ちかねの説明会だ。」
崖っぷちに全員で集まり、ラピスが口を開いた。アーシェリーさんだけは町の方を向いている。先にラピスがそう命じたのだ。
「作戦の内容を話すのだが、その前に、お前たちは龍の社会をどれほど知っている?」
「地位がある。」
「一枚岩でない。」
騎士団の通念を口にしたリュシオールさんに、ラピスからの受け売りを答えた俺。間違ったことは言っていないためラピスは軽く頷いた。
「そうだ。だがエドガー、お前は一枚岩でないと言ったが、その内訳は知っているか?」
「知らん。」
「僕も知らないね。」
「そうだろうな。もったいぶる気は無いからすぐに答えるが、大きく分けて七つの巨大なグループがある。こいつらは全て鱗の色で分けられていて、赤、青、緑、紫、灰、白、金。この七色、七種類で龍は構成されている。」
「………お前は? 二色あっただろ。」
「それは今はいい。大事なのは、こいつらそれぞれに種族的な特性があることだ。戦い方にもその種族の特性は色濃く表れる。これは龍ならどんな下等な奴でも知っている常識だ。
そして私は紫の鱗を持っている、つまり紫の龍の特性が使えるんだ。」
「…………殺し方によって犯人の偽装が可能なのか。」
「やはりお前は聡明だな。答えに行きつくのが早い。………その通り、紫の龍の特性は毒、私は魔力によって毒を生成し、放ち、操ることができる。毒の強さや効果範囲、他者の毒への耐性は位階に応じて高くなるのだが、王である私の毒は殆どの生物を、その内特定の生物を狙って殺傷することが可能だ。
お前が知りたがっていた斥候の排除方法だが、今回私は敢えてはぐれを派手に殺し、その血に紛れて毒を使うことにより斥候を送っていなかった金以外の六種全て始末した。紫だけは死体が残らないように念入りにやったが、他の奴らは皆死体が残っているのさ、明らかに毒によって殺された死体がな。
さてエドガー、現在、猿の領土とそれを見守る兵隊には干渉せずの不文律があるんだが……これを紫が破った、そうすると、どうなる?」
「タコ殴りだな。」
「違う。ここが面白い所だ。」
「は?」
「種族的な特性は戦い”にも”現れる、だ。その他の部分にだって大きく影響している。
そして一つ、脳筋な連中がいる。奴らはやられたらやり返せ、やられなければぶっ殺せを信条にしているようなトチ狂った集団だ。これも他の種族は皆知っている。今回の件はまさにそいつらが繰り出すのにうってつけなんだが………わざわざ自分達から戦ってくれる、という奇特な連中がいるのに兵を出す阿保がいるか?」
「……まさか……」
「そう、そいつらは、まぁ赤なんだが、つまりだ、今回は赤VS紫の全面戦争になるんだよ。他の連中は多少見物の兵を出して後は静観を決め込む。ほぼ間違いない。」
「………ラピス、俺の事を散々こき下ろしていながら、お前も相当な悪党じゃないか。つまり漁夫の利を狙うんだろ?」
「まぁそういうことだな、連中が消耗した所で私が皆殺しにする。消耗するまでは………他所の斥候を始末して回るか。そうすれば情報が滞って我々以外の連中による横取りも防げるし、猿の滑り込みということにすれば他の奴らは手を出せん。こっそり殺してしまえば良いと考える所も当然あるだろうが……大量の龍の死骸が出るんだ、十分だろう。なあ、猿?」
猿と呼ばれたリュシオールさんは一瞬額に青筋を浮かべたが、笑顔でそつなく返した。
「うん、一般の騎士にも龍の素材で作った武器を渡せばそれなりの戦力にはなると思うよ。ただ、それにも限界はある。君レベルの化け物が一体いるだけで人間はなすすべなく殲滅されるだろうね。」
「……ふむ、王が出てくるとは思わんが、上位の将が少数で乗り込んでくることはあり得るか。」
「その辺にお前の策の穴が有りそうだな。それを埋めることを考えてみよう。」
「……結局お前頼みか。」
「いやいやラピス、俺は正直結構驚いてるぞ。お前もこんな策を組めたんだな。凄いじゃないか。」
「……ふ、ふん、褒めても何もでないぞ。」
「何かして貰おうとは思っていない。」
表面上は冷静にそう答えたが、内心は結構動揺していた。頬を染めてそっぽを向く姿を不覚にも可愛いと思ってしまったのだ。
「……あの、気になる点が一つあるんですが。」
「なんだ?」
今まで沈黙を保っていたアーシェリーさんがようやく口を開いた。ちゃんと聞き耳を立てていたらしい。
「その、戦争を偽装するんですよね? なら、皆殺しにするのはマズいと思うんですが……。逃亡兵やうち漏らしは確実に発生しますし、早い段階で報告の為に国に送られる兵なんかもいるでしょうし……その、全滅してしまえば確実に何者かの関与を疑われると思います。」
「…………ああ、お前は龍の戦争を知らないのか、それは気にするな。龍の戦争で両軍全滅はよくある事だ、紫が絡むときは特にな。ま、最悪将さえ全員殺せればいい。小粒が多少残ったのは武装した猿に殺されたことにしてしまえば問題ない。」
両軍全滅がよくあるとは一体………。