9.残業は嫌ですか!?
9話目です。長いですが、最後まで一気にいきます。
私と団長は、とりあえず隊舎に戻りました。団長は家まで送ると言ったけれど、あんなことがあった後で家に一人でいるのは少し気になったし、むしろ人の多い騎士団隊舎の方が気が紛れるかと思ったのです。幸い、仮眠できるようにベッドもあるので、眠くなったらそこで寝ればいいし。
そして、今は隊舎の休憩室。私と団長の前にはほかほかと湯気を立てるマグカップ。私の涙は引っ込んでいますが、大泣きしたことで少し気まずいです。
「……無事でよかった」
沈黙の中、団長がぽつりと呟きました。え、と団長を見ると、こちらを見ずに眉間に皺を寄せながら窓の外を見ています。
「いえ、こちらこそありがとうございました」
そうだ。男に追い詰められたとき、団長が現れてどれだけほっとしたか。
「それに、助かった。お前がやつらを取り押さえなかったら、俺は命が無かったかもしれない」
目を見開く私。
助かった、って今言った?
「守らなければ、と思っていたんだが、逆に守られてしまったな」
ふっと口許を綻ばせる団長。
その笑顔と言葉をゆっくり心の中で咀嚼していく。自分の中で、固まった何かがゆっくり氷解していくのを感じ、ほっこりと温かいものが心の中に広がっていくような感覚がしました。
「えと、講習とマニュアルのおかげです。あれを団長が渡してくれたから。家でも復習していたんです。それが役に立ちました」
「そうか、それは良かった」
穏やかな団長の横顔を見ていると、だからこそ、言っておかなければならないことがあると確信します。
あのマニュアルは団長が作ったもの。あの分厚い冊子は、作るのに相当な時間や手間がかかっただろう。無駄だと批判されることも覚悟で、私たち事務官の身を守るために。
「でも、」
一旦言葉を切って、団長の目を見据える。そんな私を変だと思ったのか、団長もこちらを向いた。
「でも、あんなふうに自分の命を粗末にしないでください! あんなふうに簡単に、剣を捨てて身を投げ出して……。あのとき、団長が死んじゃったらって本当に怖かったんですからね! 団長の命だってすごく大事なんですよ! それがわからない団長は本当に馬鹿です!」
上司に対し馬鹿呼ばわりはないとは思ったけど、気持ちが抑えられなかった。
「馬鹿!」
「はあ!? 馬鹿とはなんだ、馬鹿とは。そんなこと言ったらな、お前こそ自分のことを大事にしていない。危険だから定時で帰れって言ったよな!? それをこんな遅くに一人でのこのこ帰って、自分が誘拐されて売られたらって考えなかったのか。俺は、お前が一人で夜遅くに帰ったって聞いて気が気じゃなかった!」
「それは自分でも反省してますって。そんなこと言ったら、団長こそ、私にいつも残業させるでしょうが! 私は残業せずに定時で帰ろうとしているのに、いつもいつも定時間際になって締切近い仕事振ってきて。人のこと言えないじゃないですか!」
自分のことを棚に上げて私のことを叱るとは何事でしょう。団長に対する気持ちは次第に怒りにふつふつと変わっていく。
「俺の場合はいいんだ。ちゃんと仕事が終わるまで待ってるし、その後は飯に連れて行って、危険のないように家まで送ってるじゃないか」
「開き直りですか!? しかも、今聞き捨てならないこといいましたよね。私に仕事押し付けて、自分はそのあと仕事しないで待ってただけなんですか。それなら自分でやればいいのに、なんで私に残業させてるんですか。お詫びのためのご飯なら、そもそも残業させないでください!」
「なんでって、それはお前を飯に誘うためだろ」
「私をご飯に誘うためって……って、え!?」
そこまで言って、団長の言葉の意味にはたと気づく。
え、それってもしかして……。
見ると、団長はそっぽを向いて眉根を寄せています。耳まで真っ赤にしながら。
「俺と飯に行くのは嫌か?」
「え、別に嫌ではないですけど、残業したくないだけで……って、え、えっ!?」
団長の問いに、パニックになりながら返します。ちょっと頭が回らないんですけど!
しかも、さらに続けて団長が爆弾を投下します。
「前から気になってたんだけど、なんでそんなに残業したくないんだ?」
まさかの質問に、今度は私が真っ赤になって言葉に詰まります。だって、それは……。
「もちろん残業好きなやつなんていないけど、特にお前の残業に対する嫌がり具合は他の事務官たちより鬼気迫るっていうか。俺に飯に誘われたくないから、残業が嫌なのかとも思ったぞ」
なぁそうなのか?と口を尖らす団長の姿は、普段より幼く見えます。
「……定時で帰れるような、デキル大人になって認められたかったからですよ」
「ふーん。誰に認められたいんだ?」
わざと誤魔化した言い方にしたのに、なんでこう、この人はそこに突っ込むんでしょう。きっと意地悪で聞いているんじゃなくて、これは天然で聞いてるんだよね? これはもう自棄です!
「団長にです!」
腹を決めて団長に向き直ります。私の顔はゆでだこみたいに真っ赤になっていることでしょう。
団長は目を大きく見開いて、鳩が豆鉄砲食ったような顔をしていました。今日は団長のいろいろな顔が見られますね。
「……え、俺?」
「そうですよ! さっきからそう言ってるじゃないですか。私が団長の隣に立つだなんておこがましいってわかってます。だからせめて、団長に仕事ができるって、いてくれて助かるよって、認めてもらいたいんですよ! 不純な理由で申し訳ないですね!」
逆ギレ気味に一気に捲し立てると、正面にいた団長はしばらく呆然としていましたが、次第にパアーっと花が開くように満面の笑みになりました。
「なぁ、俺に認められたいのか?」
向かいに座っていた団長が私の隣に移動してきて、悔しいくらいに良い笑顔で聞いてきます。
「そう言いましたけど」
「もしかして、髪の毛をひっつめにしてみたり、視力低くもないのに瓶底眼鏡かけたりしていたのも、俺に認められたかったからか?」
「……眼鏡のこと知っていたんですか」
「髪型も眼鏡も、頑張ってそうしてる感じがしたからな。それで、この前家まで送ったときに度が入ってないことに気づいた」
「……どうせ似合ってないし、頑張りが空回りですよ」
「似合ってるか似合ってないか、って聞かれたら似合ってない。せっかくの可愛い顔を隠して勿体ねえなって思うから。でも、俺のために健気に頑張ってくれたと思うと、すごく嬉しい」
あれ、こんな甘々なこと言う人でしたっけ!? 人の気になるところを抉ってくるところは今までと同じだけど、なんだか甘い空気がちょっとキャラと違くないですか? 元々とてもモテる人だけど、こんなことをさらっと言う人でしたっけ?
「か、可愛いなんて。そんなことないです。私、チビで童顔だし……。揶揄わないでください。それに、団長みたいに顔が整ってて、女の人にもモテる人に言われても本当に思えないです」
自分で言ってて悲しくなってきました。
団長は見た目もかっこよくて、若くして騎士団長になっているから、町の女性たちからの人気も高い。人一倍努力していて仕事熱心で、気さくで周りの人たちのことをいつも考えていて、部下からの信頼も篤い。私をいつも揶揄うのは、人見知りで周りとうまく馴染めていなかった私を輪の中に入れるためだ、っていうのも知っている。
そして、何度も自分の気持ちに蓋をして気づかないふりをしてきたのは、団長と自分が釣り合わないと思っているから。
でもそんな私の気持ちの蓋を何度となく簡単に開くのは団長だ。
「お前の自己評価が低いことは知っている。でも、俺はお前のことが誰よりも可愛いと思うんだ。それに、別に俺はお前の見た目だけ見てるんじゃないぞ。仕事に一生懸命なところとか、健気なところとか」
そこで、団長は私を逃さないように、私の手を握った。
「で、健気にも、デキル大人になって俺の隣に立ちたいんだ?」
「……」
団長を見ると、ニヤッと口の端を上げて笑っていました。
真っ赤になってそっぽを向きます。この人、答えをわかっていてわざと私に言わせる気ですね。
「なぁ、セシリア」
ビクッと体が反応しました。は、初めて名前で呼ばれたんじゃないでしょうか。自分の名前が自分のじゃないみたいな、甘い響きがするのですが!
「どうなんだ。隣に立ちたいって、上司部下の関係じゃなくて、対等の立場になって、一生俺の隣にいたいって意味で捉えていいのか?」
団長が意地悪だけど、いつにない甘い声で聞いてきます。
「どうなんだ、セシリア」
もう、名前呼びは反則です! 名前呼びがこんなにも刺激が強いだなんて知りませんでした。
「し、知りません」
ツンとそっぽを向きます。答えは言ったようなものだけど、これが精一杯の抵抗です。
「団長こそ、私のことどう思ってます?」
ローサのアドバイスを思い出し、思い切って聞いてみます。
「どう思ってるかって? ここまで言ったらいくら鈍くてもわかるだろ」
不機嫌そうな顔をわざと作る団長。耳が真っ赤になっていて可愛い。
ちら、と上目遣いに見上げると、団長が姿勢を正し、真剣な目で私の手を握り直します。
「俺の人生をかけて、お前のことを守る。だから、仕事だけじゃなくて、それ以外でも俺の隣にいてくれないだろうか」
団長は、本当にずるい。いつもあんなに人のことを揶揄ってくるくせに、肝心なところではこんなにかっこよくはっきりと気持ちを伝えてくる。私って、団長に翻弄されすぎじゃないですか?
そこで少し団長に意趣返しをしたくなって、ニヤニヤしながら待っている団長に向かって、考えたことを口に出します。
「嫌です」
あえて否定の言葉を口に出してみると、予想以上に団長の顔面が蒼白になっている。いやだ、こんな表情をさせたかったわけじゃない。ただの意地悪なんですよ!
団長が何かを言おうとするのを遮って、慌てて言いたいことを伝える。
「守ってもらうだけなんて嫌です。私は団長と対等な立場で隣にいたいんです。守ってもらうだけじゃなくて、私も団長を守ります。あの、体を張って守るのは先ほどは偶然成功しただけなので、それ以外の部分で団長を守りたいと言いますか――」
案外恥ずかしくなって、最後の方は尻すぼみになってしまった。
ああもう、何言ってるんでしょうね。穴があったら入りたいと真っ赤になっていると、体を引き寄せられて、体に男の人の逞しい力とぬくもりを感じました。
「うん、そうだな。俺の人生をお前にすべてやる。だから、お前の人生も俺にくれ」
耳のそばで団長の嬉しそうな声がして、言葉がじんわりと心に染み入ってきます。今度は素直に返事ができる気がしました。
「はい、よろしくお願いします」
私も団長の背中にそっと手を伸ばすと、体を寄せたところからほっこりと温かいものが広がってきました。
幸せで、涙がこぼれそうです。
これにて完結です。
この後、2人は喧嘩しながらも末永く幸せに暮らします。
細かいエピソードや他のキャラも丁寧に書きたかったのですが、終わらなくなりそうだったので割愛しました。機会があれば、どこかで書こうと思います。
読んでくださった皆様、コメント等いただけてとても励みになりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。