6.残業はなしですか!?
6話目です。少し長め。
それからしばらくは残業なしで、定時で帰れる日が続きました。
一方、団長始めとした騎士の方々は、例の人身売買組織の件でかなり忙しくしています。犯行手口は、夜道で歩いている女子供を馬車で攫っていくという、単純で杜撰なもの。しかし、事件解決糸口が見えないばかりか、警備を強化しているにも関わらず、あれから何件か同一の犯行がおこなわれたそうです。最初の誘拐から三週間経った今では、普段疲れを顔に出さない団長も、さすがにイライラや疲労が徐々に蓄積しているようでした。
ローサに言われたことをいつか団長に聞いてみようとは思っているのですが、忙しくしている団長と二人きりになる機会もなく、聞けず仕舞いです。
そういえば、最近団長と話したのっていつだっけ?
酔った日の翌日に団長に呼び出されたけど、あれから団長に声かけられてないような。私が団長に話しかけたのっていつだっけ? というか、それよりも
……もしかして、私から団長に話しかけたことってない?
よくよく考えれば、団長から残業を持ちかけられて、そのあと一緒にご飯を食べに行くから、団長とよく話をしていたんですね。私と団長の会話って、団長から話しかけてくれたから成り立っていたのです。
気になることがあれば私から声をかければいいんでしょうけど、団長に甘えていたのに気づいた今、声のかけ方がわかりません。どうやって団長に話しかけたらいいんでしょう。
「……セシリア! 書類、書類!」
隣からローサの切羽詰まった声が聞こえます。
「え?」
考え事を頭の片隅において、目線をデスクの上に移します。
「ええっ!」
なんと、私が手に持っていたペンからインクが垂れて、デスクの上で作成中だった書類に黒い滲みを作っているではありませんか!
「まずい!」
反射的に立ち上がりかけて腿がデスクに当たり、そして机上にあったインクの壺が――
バッシャーンッ
私のデスクにぶちまけられました。
インクの壺ですから、そんなに大きな音はたたなかったと思うのですが、その一部始終を見ていた私にはそう聞こえました。
「きゃーー!! 何か拭くものーー!」
ローサが雑巾を取りに走っていきました。それからは他のデスクにいた人達をも巻き込んで、てんやわんやの大騒ぎ。
ようやく落ち着いたころ、私のデスクに残されたのは、ベターっと黒いインクが付いた書類の束。
「……」
皆の同情的な視線を感じる。だって、これ、明日王宮に出さなきゃいけない書類なのです。しかも、1枚や2枚じゃなく、20枚というかなりの枚数。それが、20枚すべてにインクが付いてしまったのです。これを王宮に出すために丁寧に書かなきゃいけないから、めちゃくちゃ神経使って書いていたのに。 最後の1枚でやらかすとは、悲しすぎる……。
*
ローサや他の事務官たちが気を遣って手伝いを申し出てくれましたが、これはもう自業自得としか言いようがないのでお断りしました。申し出は嬉しかったですが、罰として自分でやりたかったのです。
最近の私は何かとダメダメです。団長に酔って醜態を晒すわ、書類にインクをぶちまけるわ、でデキル女を気取ったところで何一つまともにできていない。団長に偉そうに、残業させないでください、なんて言っちゃったけど自分で余計な仕事を作っちゃいましたし。情けない。
集中して書類を書き終え、隊舎を出たのが夜も更けた頃。疲れた体を引きずりながら家路につきます。
王都と言っても、この時間にはお店も閉まり、月明かりだけが照らす薄暗い通りには出歩く人もいないので、だいぶ寂しい感じです。街の人も寝静まり、背後から、カラカラという馬車の乾いた音が道に響きます。
普段であれば、この薄暗い道を一人で歩くのは怖いですが、こんなときばかりは一人で歩きたい気分です。ひんやりする夜風も、頭を冷やすのにちょうどいいです。
ため息を吐きながら歩いていると、馬車が私を追い越して二軒先で止まりました。
ん? どこかの貴族が乗るにしてはずいぶんとボロな馬車だし、こんなところで馬車が止まってどうするんでしょう。
すると、幌を開けて一人の男が下りてきました。
あれ、私の方に近づいてくる。
「お嬢ちゃん、こんな夜更けにひとりでどうしたんだぁ?」
男が声をかけてきます。言葉自体は親切ですが、私を見る目は品定めをするかのように粘っこくて、ぎらついています。これってもしかして……。
固定されたように男から視線を外せません。たらーっと背筋を冷たいものが流れました。
「い、いえお気になさらず……」
無理矢理笑顔を作って平然を装うとしましたが、掠れた声が出ました。
「いやいや、こんな夜更けにお嬢ちゃん一人じゃ物騒だ。家までおじさんが送ってあげよう」
私が断ったにも関わらず、男がじりじりと近づいてきます。
やばい、これはやばいです。以前に朝礼で団長が険しい顔で言っていたことが頭に浮かび、頭の片隅で警鐘が鳴っています。逃げなきゃと思うのに、体が強張って動きません。
「怖がらないでいいから。遠慮せずにおじさんとおいで」
ほらぁ、と男が手を伸ばしたのを見て、私は弾かれたように持っていた鞄を男に投げつけ、身を翻しました。
「逃げたぞ、追え!」
やっぱり、人攫いの人たちじゃあないですかー!
背後から馬車からさらに数人の男たちが下りてくる音が聞こえます。
とにかく男たちから逃れるために、めちゃくちゃに足を動かし走ります。しかし、逃げなきゃと思うほど体は錆びたブリキのようにうまく動かず、体が鈍く感じられます。それでもどうにか無理矢理に足を動かし、狭い路地を右に左に曲がりながら男たちを離そうとします。
でも、このまま逃げたって明らかな体格差があるし、体力には残念ながら自信がありません。しかも向こうは複数。捕まるのは時間の問題です。近くに家に助けを求めても、住んでいる人たちは皆寝てるからこの様子じゃ中に入れてもらうまでにきっと捕まるし。
心臓のバクバクいう音が頭の中まで響き、口の中は乾いて、うまく酸素を吸えずにひゅうひゅうと喉が鳴ります。
どうすればいい……!
「つかまえた!」
背筋が凍るような下卑た声がして、私は背中を押され、つんのめって石畳にゴロゴロと転がりました。
「痛ッ……」
石畳に体を打ち付けて、あらゆるところが痛いです。眼鏡が転んだ衝撃で吹っ飛ばされ、口の中が切れたのか血の味がしました。
ふらふらする視界には、ナイフを取り出す複数の男たちがいました。
「へへ、お嬢ちゃんが逃げるから悪いんだよ? おとなしくしてくれたら、悪いようにはしないからさぁ」
悪役らしく、腰からナイフを取り出し、舌なめずりしてます。ベタだけど、怖い!
絶体絶命の大ピンチです!!
ありがとうございました。
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