紅い靴
玄関に紅い靴が並ぶ。
あの人が私の誕生日にくれた靴。
「あなたはファッションに拘らないけど、似合いそうなものが見つかったから」と、あの人が選んでくれた。
あの人の言うように衣類にお金をかけない私。自分がどう見られているかなんてわかりきっているのだから、今更外見を整えてもしょうがないじゃない。だから着ているものはいつも同じ。特に靴にいたってはほとんど持っていない。
「そんなあなたにこそ履いてほしいの」
あの人は言う。
嫌がらせのつもりかしら。私の靴のサイズだってあなたは知らないくせに。
「大丈夫。あなたにぴったりの靴だから」
あの人は笑顔で答えた。
それでも私は履く気になれなかった。理由はわからない、でも、あの人の前で履くことだけはどうしても避けたかった。
あの人は不思議そうに、私に尋ねる。
「どうしたの? 履いてみせてはくれないのかい」
私は何も言わなかった。「そうね、何故だか今は履きたくないの」一言、そう素直に言えたらいいのに。
「せっかくあなたに似合う靴を見つけてきたのに」
あの人は一瞬寂しそうな表情をする。あの人がそんな顔をすると私も悲しい。
そんな私に気付いたように、あの人はすぐに微笑んだ。
「あぁいいの、ごめんね。でももし興味を持ってくれるなら、いつでもいい、あなたが紅い靴を履いている姿、私に見せてほしい」
その言葉と共にあの人はどこかへ行ってしまった。
紅い靴だけが残される。
あの人が玄関に置いた紅い靴。せっかくだから履いてみようかな、あの人には内緒で。サイズも確認しないといけないのだから。
靴に足をつける。
でも履くことができない。
「どうして? あの人が私の為に選んでくれた大切な紅い靴。私に似合うと言ってくれた紅い靴、あの人に見てほしいのに」
私は靴に何度も足を乗せる。でも何度試してみても履くことはできなかった。
それからどれだけの時間が経過したのだろう。
あの人が玄関に置いた靴は、いつしか埃に包まれ、あんなに綺麗な紅い色はくすんでしまっていた。
あの人はもういない。
いつしかあの人がくれた紅い靴。それはもう靴ではなくなっていた。
「そっか。あの人が私にこそ似合うって言っていたのは、こういうことなのね」
あの人は最初からわかっていたんだ、私に気付いてほしいから靴をくれたのね。
あの人がくれた時間、その全てを受け入れた時、私は自分が幽霊だということを知った。