正義の反対はまた別の正義の話
今回の内容には政治的、及び特定の政党への批判も出てきますが、作者による特定の政党への擁護及び応援をしているものではありません。
あくまで道徳心理学の第一人者ジョナサン・ハイトの本から引用しつつ、心理学的な話を述べているだけです。
なので、特定の政党への支持を促すものだという中傷があった場合、その感想及びレビューを削除させていただきます。
正義の反対はまた別の正義というセリフを聞いたことがあるでしょうか。
某ひろしの名言として広がっていますが実はこのセリフ、実はパワプロクンポケット7というゲームに登場する黒野鉄斎というキャラクターのセリフなんです。
今回の内容は、正義の反対は悪であるというのではなくまた別の正義に過ぎないというのがテーマなので最初に持ってこさせていただきました。
今回の参議院選挙、自民党の圧倒とは言わないものの、自民党が勝利し、民進党の敗北というのが世間にとっての見え方ではないでしょうか。
ここで自民党と民進党の理念に関して定義しておきたいのですが、自民党は理念的には保守派(やってる内容はリベラルですが、ややこしいので置いておきます。)、民進党はリベラル派と言えるでしょう。
ハイトは”リベラルはなぜ(保守派に)勝てないのか?”という論題を著書の中で述べています。
オバマ大統領がリベラルなのでリベラルが保守にまったく勝利してないというわけではないのですが、歴代アメリカ大統領を見るといかにリベラルが負け続けてきたかわかるでしょう。
日本でも平成の歴代内閣を見るとほぼ自民党が勝利し続け、一時期民進党(旧民主党)が勝利していますが概ね自民党が与党となっています。
さて、ではハイト風に言わせてもらうならば民進党は自民党に比べて国民の支持を得られにくいのか。
民進党以外の政党を支持している方から、それは民進党が信じるに値しないからだという声を聞いたことがあります。
ではなぜ信じられないのか。
その理由としてハイトは2つの理由をあげています。
1つ目はイギリスの哲学者ヒュームがうたった,人の理性は情動の奴隷に過ぎないということ。
人に何かを伝えたいのであれば,理性に語りかけるのではなく,情動に話しかけるべきだと述べています。なぜならば,人は何かアクションを起こすときに理由があると多くの人は考えていますが,実はこれが間違っており,アクションに対する理由というのは後付けに過ぎないと。
思考→アクションではなく,アクション→後付けの思考
というのがヒュームの言っていることであり,それを信じる根拠をハイトは挙げています。
そして2つ目の理由ですが,人には6つの道徳基盤検出モジュールが存在するそうです。
(ケア/危害)基盤,(公正/欺瞞)基盤,(忠誠/背信)基盤・(権威/転覆)基盤・(神聖/堕落)基盤・(自由/抑圧)基盤
この6つの道徳基盤のモジュールそれぞれのスイッチを入れることが人を説得する方法だとされています。
ここで不思議なことが起きています。リベラルと呼ばれる人たちは人を説得するとき説得する相手の6つの道徳基盤のうち,ケアと公正及び自由を重視しているが,それ以外の道徳基盤は重要視していないという結果が出ています。
逆に保守と呼ばれる人たちは説得するときに,この6つの道徳基盤すべてのモジュールをオンにしているという結果が出ています。
つまり人を説得するならば道徳基盤のモジュールすべてに語りかけるべきであり,特定の道徳基盤にのみ依存しては意味がないということです。
ハイトのリベラルがなぜ勝てないのかという結論をまとめると,
・人に何かを語りかけるのであれば,理性ではなく情動に語りかけるべきである。
・特定の道徳基盤だけでなく,すべての道徳基盤を駆使する方が人は説得されやすいということ。
この二点になります。
リベラルがなぜ保守に勝てないのかという理由を簡単にまとめさせていただきました。ではそもそもなぜ社会は右と左に別れるのかという理由とともに正義の反対はまた別の正義という話をさせていただきたいと思います。
リベラルとは不公正や抑圧をなくし,すべての人に対しての平等をうたっています。すべての人ということは,貧困層や裕福層,そして犯罪者や福祉の女王も等しく権利を手に入れることです。裕福層はお金を持っているので税金などでそれを回収し,貧困層に分配する。そうすることですべての人は平等と自己の幸福を追求する自由を手に入れることができます。共産主義のようなものを連想していただくのがわかりやすいと思います。
確かに抑圧や不公正がなくなることはいいことだと思いませんか?
保守とは伝統的な家族の価値観や文化を守り,働いた人には働いた分だけの対価を得る,公正さをうたっています。また,他者から抑制されず,他者に迷惑をかけなければ(法律に違反しない程度)個人の自由が認められている社会です。資本主義のようなものを連想していただくのがわかりやすいと思います。
労働に対する対価が認められ,自国に誇りを持ち愛することができるのはいいことだと思いませんか?
リベラルと保守の理念的なものを記させていただいたのですが,これを読んだとき,どちらの方が正しいと思ったでしょうか。リベラルの方が正しい。いやいや,保守の方が正しい。
でも,どちらも正しいんじゃないかと思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。それこそが社会が右と左に別れる理由であり,正義の反対はまた別の正義であるということです。
どちらの人たちも自分が正しいと思っているんです。だから社会は右と左に別れてしまいます。どちらかが悪だって言い切れませんから。
と書いて終わりたいのですが,もう少しだけ続きます。
これは面白い研究結果なのですが,リベラル,保守それぞれに相手の理念を考えさせたとき,保守はリベラルの考えを受け入れることも理解することもできるという結果が出ています。しかし,リベラルは保守の考えを受け入れることができないもしくは理解することができないそうです。
自分にとっての理念(道徳)は同じ考えを持つ人々を結びつけると同時に盲目にしてしまいます。相手が間違っていると断言し,相手の言葉に耳を貸さないのであれば,議論するのは無駄な時間になります。
国会中継を見てみるとこの言葉の意味がわかるのではないでしょうか。自民党の言葉に対して,野党勢力は発言を途中でぶった切り,ヤジを飛ばし続けます。
もっと建設的な議論はできないのでしょうか?
人は正義と悪というものに別れるのではなく,自分が所属する集団に質する正義を志向するように設計されているのです。
相手が悪なのではなく,自分とは違ったみたものの見方をした正義なのです。
ちなみに民進党による自民党への批判として安倍政権が続くと,国民は徴兵され戦地に送られ死ぬんだ!という主張を見たのですが,こういう根拠のない批判というものは批判ではなくただの中傷です。
(安倍首相は集団的自衛権の行使が認められることになったとしても徴兵は実施しないと言っています。将来はどうなるかわかりませんが……)
相手のことを理解しようと書いておいていうのもあれですが,会話にならない人はいますし,理解できない例外というのは存在します。そういうのは放っておきましょう
(e.g. アフリカ東部のジブチに取り残された日本人がいるというニュースが流れたときにリベラルの政党の方が安倍は民間人を見殺しにするのか!と安倍首相を中傷し,防衛大臣が救出を決定すれば,安倍は自衛隊の隊員の命を危険にさらすのか!と中傷していますが,こういうのはただ相手を中傷したいだけなので理解しなくていいと考えますし,そもそも相手にする必要性はありません。)
つらつらと書いてきましたがこの話はこれで終わりにさせていただきたいと思います。
ハイトの本はもともと学術書ではなく一般書籍として売られているので興味があれば読んでみてください。少なくともアメリカではベストセラーになるほど読まれているようです。
ジョナサンハイト,高橋洋訳(2014). 社会はなぜ右と左にわかれるのか 紀伊國屋書店
Jonathan Haidt(2012). The Righteous MInd Why Good People Are Divided by Politics and Rellgion