孤独感の話
深夜テンションという勢いと寂しさから書いておりますので内容としては支離滅裂かもしれません。。。
「人は孤独な生き物である」
そんな風に言われてあなたは納得するだろうか。人は社会の一部である限り決して孤独にはなりえないとも言えるだろう。しかし、世間では孤独死なるものが横行している。
「孤独感とは青年期の宿命かつ特徴的かつ代表的な生活感情である。「自分はなんの為に生きているのか?」「自分は一人であるのか」ということを日常生活において痛感させられる瞬間は少なく無いだろう。」(simuzu et al.2014)
これを読んでいる方も一度は孤独というものを味わってきたのでは無いだろうか。そしてなぜ生きているのかを考えたことがあるだろう。
人が子孫を残そうとするように、人と関わりたいと思うのは当たり前の感情である。人と関わらなければ寂しいという感情を抱くだろう。辛く思うだろう。なぜ生きているのだろうかと考えるかもしれない。
筆者も学部から唯一、院に進んだ結果、友人知人と呼べるものは就職し、地方に行ってしまった。そして院に入院するとまさかの入院したのは筆者一人だけだったのである。そうなると必然的に人と関わることが少なくなった。その結果、孤独に耐え切れず、研究もほっぽりだして、これを書いている。
今、こいつ馬鹿じゃ無いかと思ったかもしれないが、入院生活を送ろうとするやつなんてよっぽどの馬鹿(頭が悪いという意味では無い)か院を卒業しないと就職が無い奴くらいである。
ここで哲学や心理学を学んでいるものなら必ずと言っていいほど、そして一般教養としても知られているフランクルの夜と霧から引用させていただく。
「もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、私たち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考え込んだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることに他ならない。
人は社会の歯車の一つである。しかし、その歯車は必ずしも必要とされているわけでは無い。そう言われるとどことなくしっくりくるのではないだろうか。」
自らが生きることの意味を問うのではなく、常に生きる意味を問われているのである。
筆者はどうしてもしんどくなったとき夜と霧を読み、またアニメPSYCHO-PASSを見る。そうするとどことなく落ち着くことができる。しかし、それで孤独というものが解消されるわけでもなければ、承認欲求が満たされるわけでも無い。
孤独な夜は続いていく。
「孤独感を強く意識している個人ほど友人関係が表面的なものになりやすく,自分の本音を開示する機会
が少なくなる」(simuzu et al. 2014)という研究結果も出ている。
なので孤独だと感じる方はできる限り人と接することを強くおすすめする。筆者も友人がほしい(白目)
引用文献
・「人は孤独な生き物である」はアニメPSYCHO-PASS 槙島聖護のセリフです。
・Theinfluencesoflonelinessfeelingandhowtograspsolitude onfriendships KenjiShimizu,HisayoShimizu,HirofumiKawabe 2014
・ヴィクトール・E・フランクル (著), 池田 香代子 (翻訳) 夜と霧 新版 2002