03 異世界なう
方向を指し示すには、ほぼ役立たずな方位球とスマホをしまうと、山道などを越えてきた体は疲労困憊だった。
「休みたい…」
周りを見渡すと近くに座れそうな岩がある、とにかく疲れた。あそこで休もう。
マウンテンバイクを岩に立てかけ、リュックとヘルメットを降ろすと、体に掛かっていた重圧から一気に開放される。
「ふうーっ、ぅぅ」
ぐっと背伸びをしながら深呼吸をすると…腹が鳴った。
リュックに食料が入っているのを思い出し、取り出して広げてみるが、固そうなパンに干し肉が少ししかない。
パンは店で売っていたりする、表面に十字の切れ込みが入った、確か…カンパーニュとか言うそんな感じだ。
引き千切って口に入れると、噛みごたえがしっかりとしていて美味い。
干し肉は結構固く、一気に食べるのならそのままかぶりついてもよいのだが、今の状況で食料は貴重だ。
計画的に食べないとまずいだろう。
腰から短剣を引き抜き座っている岩に干し肉を置き、短剣を押しつけると簡単に切れる。
なんの肉か疑問に思いはしたが、少女の荷物なのだから変な肉ではないだろう、たぶん。
切り分けた物はかなり美味く、全部食べたくなるが、我慢我慢。
リュックから水筒を外すと、中身は半分もないようだ。ふた口程飲んで、パサパサとなった口を潤す。
そしてポーチから残り一個の飴玉を取り出して、口に放り込む。
「!? おおおっ……なんだこれ」
変な味がしたかと思った瞬間、口に含んだ飴玉が消え、体が一瞬光った気がする。
同時に体が引き締まるみたいな、シャキーンという感じがした。
でも疲れは残ったままだ…何かのアイテムだったのだろうか?
とか思いつつ、ぼーっと道の方向を眺めていたが、誰も通りかかる気配がない。
ここはそういう道なのだろう――
気が付くと心なしか日が傾いてきているようだ。
立ち上がり服の汚れを落とすように服をパンパンと叩き、荷物を纏め移動の準備を終えると、ふたたび看板の前で考え込む。
ポーチからすっと方位球を取り出す。くるくると針が回り、今度はぴたりと止まった。
「こっちかな…」
直感で方向を決め三又の左に向かって、マウンテンバイクに乗り走り出す。
暫く進むと岩だらけの山道から景色が一変し、視界の先にはうっそうとした森が見えてきた。
このまま行ってもいいのかと迷うが、道は狭いが普通に続いている。
道があるのなら大丈夫だろう、そのまま森に入って行った。
森の中は見た事もない植物などが生えているが、危険はなさそうだ。
そのまま森の道を進むにつれ、どんどん薄暗くなってくる、日の傾きが進んでいるのだろう。
走りながらライトを点けると、突然マウンテンバイクの挙動がおかしくなる。
こけそうになりながら降り、ライトを外して確認すると後輪のタイヤがパンクしていた。
「こんな時にパンクとか…マジかよ」
少しだけイラつくが、サドルに装着してあったポーチに、パンク修理キットが入っているので修理は出来る。
パンクした穴を探す為の水は…水筒を使うしかない、か。
薄暗い中、修理にとりかかろうとすると、突然気配を感じた…気がした。
周りをライトで照らしてみるが何も居ない。
「……気のせいか」
少しほっとしながらマウンテンバイクのほうに向き直すと、衝撃音と共に意識が飛んだ。
――目を開けると自分の下半身の上には、ぐにゃりとひしゃげたマウンテンバイクが被さっていた。
体中が痛いが下半身を引き抜き、なんとか立ち上がろうとする。
「痛っ、いったいなにが……?」
気配を感じ見上げると眼前には、何かが佇んでいた。
熊?でも目が光っ…、思う間もなく切っ先が光ったようなものが迫ってくる。
やばい! 思った瞬間、頭に衝撃を受け体ごと吹き飛ぶ。
……木に叩き付けられたのか、寄りかかるように座っていた。
頭からは生暖かいものが滴り落てくる……おそらく血だろう。
ヘルメットは紐ごと千切れ、何処かへ弾き飛んだようだ。
被っていなければ更にひどい事になっていたはず。
更にそれが迫ってくる気配を感じる。心臓の鼓動が早い…それって何だよ?
ずっと右手に握りしめていたライトが、偶然それの顔を照らし出す。一瞬光に目が眩んだようにみえた。
「ちくしょう…こんな所で、訳も分からずに死んでたまるか!」
――気付くと左手に短剣を持ち、それの足の辺りを深く突き刺していた。
突き刺した短剣は輪郭が光って見える。
直後、既に暗闇となっていた森に、おぞましいほどの咆哮が響き渡り。ビリビリと周りの空気が振動した。
恐怖に怯みかけるが、ポーチの中から何か割れる音が聞こえ、恐怖も怯みも吹き飛んだ気がした。
今しかない! 突き刺したままの短剣を離し、ライトをおとり替わりに放り投げ、一心不乱に木々の間をすり抜けながら駆けだした。
後方からは地鳴りと共に、大木が倒れるような音が聞こえてくる。
追ってくるなよ、足に傷を受けたんだ。無理だろう? そうだよな?
自分に言い聞かせるように、心臓が張り裂けそうなくらい走る。
興奮していたせいなのか、痛みも荷物の重さも忘れていた。
どれくらいの距離を走っただろうか、気がつくと森の中を歩いていた。
途中で食料をばらまき、方向を変えて歩く。
辺りがやけに明るい、見上げた木々の隙間から大きな丸い月が見える。
スーパームーンてやつか?、にしてもネットで見た事がある写真より大きいし、白っぽい…。
いや……明らかに異常な大きさ。でも綺麗だ。
襲ってきた何かが追いかけてくる気配はなさそうで、
少しほっとすると、体の節々と頭の傷がじわじわと痛み出す。
歩き疲れた……月も傾き、また暗闇が広がり始めている。色々と限界だ。
周りを見渡すと、木の根元にくぼんだ隙間が見える。入れそうだ。
完全な暗闇になるとまずい、ここで野宿するしかない…。
擬態になるかもしれないと考え、リュックから紺色のレインコートと布を取り出し、
レインコートを被り、頭の傷を布で軽く抑えると、いつの間にか眠りに落ちた。
――森に入って二日目、目が覚めると夜明け前らしく、辺りは明るくなりかけていた。
横たわっていると少しずつ明るくなってくるが、空腹感も同時に増してくる。
だが昨晩食料をばら撒いてしまったせいで、食べる物がない。
水筒には中身がまだ残っていた。それを少し飲むと頭の傷を確認した。
傷にあてた布は結構な血で染まっていたが、血は止まっているみたいだ。
体の痛みはまだ残ってはいたが、レインコートを畳み、辺りを警戒しながら歩き始める。
途中、スマホと方位球を使用してみるが、無駄でしかなかった。
どの方向へ歩けばいいのか、やみくもに歩くのはまずいのではないか?
その日は自問自答しつつ、太陽の位置を確認しながら水筒の中身を少しずつ飲み、休み休み歩いた。
薄暗くなる前に大きな木の根元を見つけると、隠れるようにレインコートを被り横たわったが、夜中に何度か微かに何かの鳴き声が聞こえてきたので、あまり眠れはしなかった。
――三日目、目覚めると空腹、疲労、眠気で起き上がるのが辛い。
その日はリュックを下ろしたままそこから動かず、最後の水筒を飲み干し横たわった。
…何気にスマホを取り出しSNSを覗いてみる。
数少ないフォローワーから、『それ、ただのぼろい看板じゃん』とコメントがあった。
そうだよなぁ…スマホの時刻を見ると18時の表示。時間がずれている?
まぁ、細かい事はいいや…スマホの電源をオフにし、そのまま横になり眠て過ごした。
――四日目、ゆっくり目を開ける。薄暗い…朝なのだろうか。
もう三日も固形物を食べていなく、空腹も限界に近い。
「腹、減った……」
呟き、横たわったままぼんやりと思った……このままだと…、死ぬ。
「…それもいいか」
いや、こんな所で死ぬのは駄目だろう。何故こんな体になったのか、何か意味でもあったのか。
結局、人知れず死んでしまったら、せっかく蘇ったこの体にも申し訳ないんじゃないか…?
この体も何処か、行き先か帰る場所があっただろうに……そう思うとここで、
「デッドエンドは無いよなぁ」
リュックを背負い、ゆっくりと重たい体を起こそうとするが力が入らない。
木の根元を掴みながらどうにか立ち上がり、歩き出す。
途中でいい感じの棒を見つけ、つっかえ棒代わりに手に持ち、ふらつきながら歩く。
今更ながら重い荷物は捨てるべきだった。と思うが後の祭りって奴だ。
何気無しにポーチから方位球を取り出して目の前にかざす……いつの間にか中身が壊れ、
透明の球体みたいな感じになっていた。
その壊れた方位球をよく見ると、森の切れ目のような景色が微かに見える。
ふと視線を上げる。遠くの木々の隙間から明るい光が見えていた。
透明となった球体に、景色が映りこんでいたのだろう。
重たい体を引きずるように歩きを早めると、森の切れ目にたどり着く。
――そこには広大な景色が広がっていた。
見上げると真っ青な青空、眼下には遠くに草原、川、街、山々などが見える。
これぞ異世界ドーン、異世界間違いなし、異世界異世界な光景だ。
「……助かっ…た?」
スマホを取り出す気力はなく、脳内で『異世界なう』と呟き。
街に向かって小高い丘をゆっくり、つっかえ棒を支えに、ふらつきながら下って行く。
心なしか足が軽い…けれど足を地面に着ける度に、疲労が蓄積していくようで、気が遠くなりそうだ。
「はは、地面が…ふにゃふにゃ…」
――意識も朦朧に、城壁みたいな門を通り過ぎ、街の中を歩いていた。
行き交う人がこっちを見て何かを言っているようだ。
でも、頭がぼーっとしていて何を言っているのかが分からない。
「何を言っているのか分から……ないよ…」
体の力が抜け、地面が見えたかと思うと急に目の前が暗くなった。