ご主人様の視点
──カイル視点──
部屋からティトがいなくなって、胸にぽっかり穴が開いたようになった俺だったが、かと言っていつまでも部屋に引きこもっているわけにもいかない。
のそのそと服を着終えると、寝起きの頭を掻きつつ部屋を出る。
……いや、まあ、出て行こうとするティトをひっ捕まえて、もう一回ぺいっとベッドに押し倒して、そのまままた飽きるまで二人でずっとらぶらぶいちゃいちゃしようとか、そういう妄想も一瞬頭に浮かんだけどさ。
さすがにそこまでってなると、なんかこう人としてヤバい領域に突入しそうだし、ティトからもさすがに愛想尽かされそうでちょっと怖い。
いやまあ、それでも愛想尽かされるってことはないと思うけど、ないと思いたいけど、一応ね。
それに、今後も夜はいくらでも来るのだから、焦る必要もない。
また今夜のお楽しみってことで、楽しみはあとにとっておこう。
そんなことを考えながら、顔を洗うため、井戸と水桶がある庭へと向かう。
すると──先客がいた。
さわやかな朝の空の下、パメラがちょうど顔を洗い終わったところのようだった。
「ふあ~……おはよう、パメラ」
「……おはよ」
パメラは俺のほうをちらっとだけ見て、そっけなく挨拶を返す。
そしてすたすたと、家の中へと消えて行ってしまった。
庭に残された俺氏、首を傾げる。
……なんだあいつ、機嫌でも悪いのか?
普段だったら「おはよー、ダーリン」って、えへらっと気の抜けた笑顔を向けてきてくれるんだが。
そう言えば、昨日の夕食のときも、様子がおかしかった気がするな。
俺の気持ちのほうがそれどころじゃなくて気にもしなかったが、今思い返してみると、やっぱり妙にそっけなかった気がする。
……ま、いっか。
どうせパメラだし、なんか今そういう気分なんだろう。
深く考えるようなことじゃないな。
俺はそれから顔を洗い終え、縁側からリビングに上がる。
すると今度は、リビングでばったり、アイヴィに出くわした。
「よ、おはよう、アイヴィ」
「あ、かかかカイル! お、おはよう……」
アイヴィの返事は、なんだかすさまじく変だった。
顔を真っ赤にし、目は泳いでいる。
いやまあ、こいつが変なのは今に始まったことじゃないが、変の方向性がいつもと違う気がするぞ。
「どうしたアイヴィ? 熱でもあんのか?」
「わひゃあっ!」
おでこに手を当てて熱を測ろうと思ったんだが、アイヴィはバタバタと慌てて後ずさり、さらには足を滑らせて尻餅をつく。
運動神経のいいアイヴィにしては珍しい。どんだけ慌ててんだ。
「痛たたた……」
「何やってんだよ。なんか変だぞお前」
尻餅をついたアイヴィに向かって、手を差し出す。
するとアイヴィはまた顔を真っ赤にして、俺の手と顔を、窺うように交互に見てくる。
「あぅぅ……ご、ごめんなさい、ボクなんかのために、カイルの手を煩わせて……」
俺が差し出した手に、ためらいがちに自分の手を重ねてくるアイヴィ。
俺はその仕草に、ちょっとドキッとしてしまった。
……なんだよこいつ、乙女かよ。
乙女チックな綺麗なお姉さんとか、普通に反則だろ。
そして、俺の手に重ねられたアイヴィの手は、柔らかくて温かい女の子の手だった。
ごくりと息をのむ。
……ヤバいな、ティトとの情事の後だからか、いや後だっていうのに、アイヴィのことをちょっと可愛いと思ってムラムラしてしまっている俺がいる。
ヤバいヤバい。ダメだろそれは。
──でも。
ハーレム有りの価値観で、その辺ってどうなんだ?
複数の女の子を同時に好きになっちゃいけないとしたら、そのハーレムって、逆にどうなんだって気もする。
複数の人を同時に好きになったらいけない、それは不貞だ、裏切りだっていう観念は、俺が元いた世界に特有のものなんじゃないだろうか。
心理学用語に「合理化」という言葉がある。
人は何か自分にとって都合が悪いことがあると、自分にとって都合のいいように物事を解釈しなおして心理的安定を保とうとする、ということらしい。
だとするなら、俺が今考えていることも、その類なんだろうか。
そうかもしれない。
でも、自分の考えが間違っているとも思えない。
そして、眼下でいじめてオーラを出してうるうるしているアイヴィを見ると、いたずら心が刺激される。
だから──
ちょっと驚かしてやろうという気持ちが半分で、もう半分はやましい気持ちで。
俺は、行動を起こしてしまった。
俺はアイヴィの手をぐっと引っ張って、尻餅をついた彼女を起こし、そのままその身をぎゅっと抱き寄せた。
「ふぇっ……? なっ、ななななな何してるのカイルっ!?」
目の前のアイヴィの顔が、先にも増して真っ赤になっている。
今にも鼻と鼻がくっつきそうな距離感。
俺はアイヴィの耳元に口を寄せ、ささやく。
「何って……ご主人様の手を煩わせたお前には、お仕置きが必要だろ?」
「なっ……あっ……あぅ……」
ぽひゅー、ぽひゅーと頭から湯気を噴き出しそうなアイヴィ。
それを見ると、なおも嗜虐心が刺激される。
俺はさらに、アイヴィの背へと腕を回し──
「……カイルさん?」
──ドッキーン!
心臓が飛び出た。
手で引っつかんで慌てて仕舞う。
横手から聞こえてきたのは、さっきまでベッドで一緒に寝ていた少女の声だった。
ぐぎぎと顔を横に向けてみると、リビングから台所へとつながる廊下の先に、手桶を持ったティトが立っていた。
その少女の顔は、凍り付いているように見えた。
驚きと、割れたガラスが混ざったような、一瞬の表情。
でも──
「……うん、そうですね。それがいいと思います。パメラちゃんにも、ちゃんと構ってあげてくださいね。結構拗ねてるみたいですよ?」
ティトは次には笑顔を作りそう言って、俺とアイヴィが密着した横を通り過ぎて行った。
そして庭の井戸で水を汲み、再び台所に戻ってゆく。
「……あ、あの……か、カイル……?」
目の前で茹でダコ状態のアイヴィが、若干泣きそうな顔をしていた。
俺ももう、どうしていいか分からなくて、とりあえずアイヴィを解放する。
「あ、えっと……じゃあ、また朝食でね」
「あ、ああ」
アイヴィがパタパタと、リビングから去ってゆく。
一人残された俺。
……やっべー。
何だこの中途半端なギャルゲー状態。
何これ、爆弾とかあるの?
怖いんだけど。
超怖いんだけど。
そんなことを思っていると──
「おっはよーございますー! カイルおるー?」
家の玄関のほうから、そんな声と、戸を叩く音がした。
その声は、冒険者ギルドのギルドマスター、ターニャのものだった。
俺は助け船が来たとばかりに、玄関に向かった。
このとき俺は確かに、自分のことをクズだと思った。




