必殺のトラック、女神の崩壊
「あざっしたー」
我ながらやる気の感じられない、客への見送り声だった。
飲食店のバイト風情が、変にやる気を出すのも何だかなぁと思うのは、俺なりの哲学だろうか。
そんなどうでもいいことを考えながら、客席の食器を淡々と片付け、それを洗い場へと持って行く。
休憩室の出口の方から、おはようございまーす、と元気な声が聞こえてくる。
ふぅ、ようやく今日の仕事も終わりか。
交代の人に簡単な伝達事項だけを伝えて、お先に失礼します、とお決まりの文句を吐いてから、仕事場のフロアを後にする。
それから更衣室で着替えをして、店を出た。
今日も働いた。
重たい疲労感が、頭と体を支配している。
「あー、異世界行きてー」
日が沈みかけた夕方の道をトボトボと歩きながら、ぽつりと愚痴を吐く。
徒労感を覚えたときに出る、最近のお決まりの愚痴だった。
現代の日本に生きていても、生きている実感がない。
ただ毎日働いて、飯食って、アニメやらゲームやらラノベやらの娯楽を消費して日々を過ごす。
どこか無為に思える日々。
俺は何のために生きているんだろう、なんて問いに答えは出ないまま、とっくに三十路を過ぎた。
「……ん?」
そんな道行くだけの俺が、交差点に差し掛かろうとしたとき、その視界にふと違和感を捉えた。
交差点の向こう側で、井戸端会議をしている二人の女性。
一人の子どもがその横から、手持ち無沙汰に遊んでいて落としたボールを追って、交差点へと飛び出す。
信号は青、問題はない──
──いや、違う。
交差点の右手から、大型トラックが猛スピードで走って来ていた。
赤信号なのに、止まる気配がない。
運転席のおっさんが、居眠りをしている──!
「──くそっ!」
俺がとっさに計算したのは、俺の無為な人生と、あの子どもの有望な将来、どっちの価値が大きいかということだった。
結果、俺は交差点へと飛び出し、子どもを突き飛ばして、自分がトラックに撥ねられた。
俺の体が、嘘のように大きな放物線を描いて吹き飛ばされる。
その滞空時間で俺は、あの子どもの将来が有望な補償なんて、どこにもないのになと苦笑する。
そして、コンクリートの地面に落下、強く頭を打ち付けて──俺は意識を失った。
人生が終わるときは、意外と呆気ないもんだな……そんな感想が、俺の最後の思考だった。
と思ったら、俺は真っ白な広い部屋にいた。
いや、部屋なのか分からない。
見た目では、四方八方見渡しても扉一つない密室なのだが、どこか現実感がない。
ここが死後の世界か──?
そんなことを思っていると、前方の視界の先に、何かキラキラと光が集まり始めた。
その光は人間大の形へと集まってゆく。
それから光が弾けた。
弾けた後には、一人の美少女が立っていた。
──いや。
美少女、という気はするのだが、認識が定まらない。
髪の色は何色なのか、服装はどうなのか──そういった認識情報の一切を、何故だか言語化できない。
「女神……?」
俺の頭になぜか浮かんだその言葉を、つい口に出していた。
それだけが、俺の認識の限界だった。
その女神(仮)は、俺に向かって微笑む。
「──ええ、その認識で構いません。私はあなたたち人間の魂を管理する存在です。──あなたは自らが暮らしていた世界において、残念ながらその命を落としました」
女神(仮)から、お前死んだんだよ、と明言されてしまった。
そんな気はしていたので、やっぱりかーという想いである。
「ってことは、ここは死後の世界?」
「いいえ。世界と世界の狭間のような空間と考えてください。──ところで、モノは相談なのですが」
「相談?」
「はい。──通常、命を失って体から抜け出た魂は、浄化の過程を経て、再び胎児へと宿ります。ですが、あなたの魂には、別の世界の別の体に、移っていただきたいのです」
「はあ」
なんか突然、とんでもない話をぶち込まれた気がする。
俺の口から生返事しか出ないのは、仕方ないことじゃなかろうか。
要は、今の俺は肉体を失った、魂だけの状態で。
その俺(魂)に、異世界に行って、別の肉体に入れと言っている……んだよな?
「あなたにそうしてほしい理由は、こちらの都合なので伝えても仕方ないと思うのですが──もし承諾してもらえるのであれば、タダで、とは言いません。あなたの魂の転移先は、剣と魔法の世界、危険なモンスターも蔓延る異世界です。あなたが元いた世界のような、平和な世界ではないのです。こちらが無理を言って移ってもらうのですから、あなたが不慣れな世界でも巧く生きられるだけの力と、案内役を授けます。それでどうでしょうか?」
うーん……元いた世界が平和、というのも違和感はあるが、そこを突っ込んでもしょうがない。
それよりも今は、授けてもらえる力とやらのほうが重要な気がする。
「力っていうのは、具体的にはどんなのを?」
「能力やスキルに割り振れるポイントを100ポイント、余分に与えます」
…………。
……目が点になる、というのはこういう心境を言うんだろうか。
えっと……何だそのゲームっぽい話は。
よく分からんけど、そういう世界なのか……?
いやいや、否定していても仕方ない。
ここまでだってツッコミどころはたくさんあった。
順応だ。
順応するのだ俺。
──しかし、100ポイントか。
それがどのぐらいのモノなのか分からないが、もっともらえるものならもらっておきたいな。
そう思って俺は、ちょっと交渉してみることにする。
「もう一声、200ポイント!」
「うっ、ぐっ……200ポイントですか……でも、私にも使えるリソースに限界というものが……いや、でも……ぬぐぐ……」
俺が試しにごねてみると、女神(仮)が苦悩し始めた。
何か知らんけど、この人にも事情があるみたいだな。
ていうかこの女神(仮)、会話を重ねるごとに、神々しさ的な何かが失われてゆく気がする。
「……わ、分かりました、いいでしょう。200ポイントであれば、異世界に移ってもらえるのですね?」
しばらく待っていると、何かとても大きな葛藤を終えたあとの女神(仮)が、そう言ってきた。
ちょっと目がヤバい、気がする。
……うん、これ以上ごねるとキレられそうだから、このぐらいにしておこう。
「あと、魂を異世界の別の体に移す、でしたっけ? 俺の今までの記憶とか、どうなるんです?」
「それは、本来ならば魂の浄化の過程を経て送るので、その際に記憶も消去されるのですが……今回は浄化をせずに転移してもらうことになるので、元いた世界の記憶を保持したままとなります」
「言語の問題とかは? 日本語通じないですよね?」
「共通語の能力に関しては、自動的に付与いたします。それ以上の言語能力を望む場合は、ポイントを消費してスキルとして取得してください。一種類の言語につき、1ポイントで取得できますので」
どこまでもゲーム的だった。
まあ、分かりやすくていいな。
そんなこんなのやり取りをして俺が異世界行きに承諾すると、女神(仮)はちちんぷいぷいといった感じで、俺を異世界に送り込んだのだった。