小部屋の約束
どうも、緋絽と申します。
短編です。どうぞ!
「ねえ、お花供えに行こうよ」
隣の部屋から忍び込んできた彼女が、夜中に俺を起こして言う。俺は寝ぼけてぼんやりしていたけど、彼女の言葉に一気に覚醒した。
「どこにだよ?」
「すぐそこの、川。ほら、窓から見えるでしょ」
彼女は俺のベッドに乗り上げ、俺を乗り越えて窓のカーテンを少しだけ開け外を見せる。
小さい頃からこの病院でずっと一緒にいたため、彼女は俺に対して遠慮がない。そもそも、彼女とあいつが俺に殊勝な態度を見せたことがあっただろうか。だいたいこういう時は、あいつが後から俺を驚かすのだ。
もう、死んでしまったけれど。
「お前、もう14歳だろ。もっと自重しろよ。仮にも女子だろ」
「仮にもとは何さ。今更じゃないの。それより、ねえ、行こうよ」
手を引っ張られ、諦めてベッドから降りる。彼女はしーっと指を口に当てて、俺に靴を手で持っていくように告げた。
俺達は病院を抜け出したことはない。俺はこの小部屋で繰り広げる3人の世界で満足だった。
けれどあいつは、外に行きたがっていた。外で遊んでみたいと。その願望が叶う前に、死んでしまったわけだが。
きっと、だからなのだろう。彼女が、川に花を供えたいと言ったのは。彼女の思考回路は単純で、だからこそ俺も共感できた。
14年間。生まれてから死ぬまでの期間。俺達はずっとこの小部屋の中で一緒に生きてきた。
ここまで生きられたのが奇跡と言われる俺達が、外に出ることなんて許されるはずもなく。
でも、もういいだろう? 最後に、3人で、外に出るくらい、許してくれたって。
途中滑って転びそうになった彼女を抱きとめる。彼女はばつの悪そうな顔で拝むようにして謝った。
彼女のこんなところが可愛いと、あいつと俺でこっそり話していた。どっちが彼女を射止めるかなんてことを、本気で。…………もう、そんなこともできないけど。
外に出て風に当たると、少し肌寒かった。病院の屋上で当たる風より、柔らかく感じる。
開放されたように思うからだろうか。
「これでいーかな」
彼女が表玄関に植えられていた花を抜き取り、土を払う。
明らかに花壇に植えられていたものだけど、仕方ない。俺達は買いに出ることができないのだ。
「いーんじゃない。あいつ、花ならなんでも好きだったし」
見舞いにも持ってこられる花を、あいつは年中飽きずに喜んでいた。俺はもう香りに敏感になるほど飽きていたが。
あれ、でも、なんかの花だけは嫌いだったな。なんだったっけ。
そこまで考えて、ギクリとした。
あいつが死んでから、まだ長いこと経っていないのに。どうして、忘れてるんだよ。
川の橋の上に立つと、丁度朝陽が昇るところだった。
彼女が持っていた花にキスをする。まるで、別れの挨拶のように。
「やる?」
「やらない」
今更、ついてきたことを後悔した。病院で言われたときに、断るんだった。
俺はまだ、あいつに別れを言う覚悟なんて、決まっていないのに。突きつけられるじゃないか。あいつは、もういないことを。
あの日。普通に話して、また明日と言い合って。翌日、あいつは死んでいた。
発作が起きて、もう手の施しようがなかったらしい。
さよならの準備をする前に、逝ってしまった。別れの覚悟なんて。する暇もなかったのに。
「なんで、そんなことしなきゃいけないんだよ。俺は、まだ、認めてない。あいつが、死んだなんて」
ずっとずっと、一緒にいたのに。いつか死ぬって言われても、まだまだ先だと思っていた。
なぁ、どうして―――どうして体調が良くないって、言ってくれなかったんだよ。そうしたら、覚悟したよ。いきなり横っ面殴られたみたいによろめいたりしなかったし、いついなくなっても後悔しないように、言いたいことをすべて伝えた。
負けるつもりはないとか、でも例え彼女がお前を選んでも、俺はお前と彼女が大事だから、ずっと助けてやるんだとか、お前と仲良くやれて嬉しかったとか、彼女と同じくらい大好きだ、とか。
なのに、なんで、急にいなくなるんだよ。
滲んだ涙を瞬くことで誤魔化す。
「忘れたくない。俺はまだ、忘れたくない……! なのに、そんなのしたら、俺、絶対、」
言葉が出なかった。
忘れてしまう。あいつとしたくだらない話も、あいつの笑った顔も。別れを自覚した途端に、忘却は加速してしまう。
「でも、やってよ。こうやってお別れしないと、あの子未練がましく残るかもしれないじゃん。私、もう一回会いたいんだから」
「はあ?」
「転生。今から、信じる」
淡々と別れの挨拶を済ませたと思っていた彼女の目が、うっすら光を帯びていた。なんで簡単に別れられるんだとたぎっていた怒りに似た感情が、水をかけられたように鎮まっていく。
「……本気かよ」
「本気だよ。だから、お願い」
言われるままにキスをして、花を川に落とす。流れていく花を見ながら、どちらともなく手を握る。
「…………あんたは、置いていかないでね」
「…………そっちこそ」
勝手に消えてしまわないで。互いを、一人にしないために。
俺達は強く手を握りあった。
ご読了ありがとうございました!