8話 不思議な鳥
アンジュ・クラント(16くらい) 主人公
ウィル・ザ・スミス(19)アンジュと同室の面倒見の良い兄さん。
ルサリィ・ウェンディ(23) 右目が髪で隠れている。アンジュに昔会ったことがある、気がする。
ルジェロ・ビトレーイ(18) 剣士 赤い髪をしているが、氷の魔導武器使い
スーザンの護送をし、再び灰色の空と煙の街、王都へと戻ってきた。青い空と青い海、白い壁と赤い屋根が既に懐かしい。この都は折角のウィルの故郷だが、アンジュにはそうは思えそうにはない。
「2人ともよく戻ってきたな。そして、犯人確保、竜の一族の情報、感謝しよう。」
ヤナ長官は険しい顔を少し緩ませてアンジュとルジェロを労った。
「…スーザンはどうなりますか。」
女将のメアリーの絶望した表情は、離れることはない。ほんの数日で、しかも、ずっとお互い腹の探り合いをしていたが、どうしてもただの殺人事件をした凶悪犯だとは思い切れなかった。
「魔術部隊によって、暫くは狼と融合していた件に関して調査されるだろう。その後は裁判にかけられるが、死刑は免れまい。」
当然のことである。警察の記録によれば、彼女は14名の殺害をしている。それは、貴族から土木作業員までの様々な立場の人間だ。家計を支える大黒柱が居なくなり、生活が立ち行かなくなった遺族もいる。それを考えれば、その命一つで赦されるのであれば安いのだろう。ただやはり思うのはその悪虐非道の所業をした彼女は全くもって悪人の性質ではなかったことである。
「お前は真っ当に任務を遂行した。肩入れする必要はあるまい。」
励ましなのか叱責なのか分からない心持ちの言葉をアンジュは受けとる。そのアンジュが先に部屋を退室したのを確認してからルジェロは疑問をヤナ長官にぶちまけた。
「『この時代にマトモな魔法使いが現れるとは』と竜の一族が言っていた。竜の一族と魔法使いは何か縁でもあるのか。」
しかし、ヤナ長官も首を横に振る。
「私も知らなんだ。ただ、ある地域では星竜戦争という古い話が伝承されていると聞いたことがある。」
「…星。」
「星というのは昔から『願いを叶える』象徴だ。そして、それは魔法と呼ばれた。」
「つまり、竜の一族は『魔法使い』を敵視している、ということか?」
「さあ、その話は2千年以上前から伝わるものらしい。それが正しかったとしても、現在もそうとは限らん。」
ルジェロはヤナ長官の話で現状のところは納得した。ルジェロにとっては、彼が竜の一族に寝返るということさえなければそれで良かった。
昼時だ。他の3人も任務なく、王国軍の宿舎にいるとのことだった。アンジュの頼りは同室のウィルと妙に優しくれるルサリィくらいで、食堂に彼らがいるかなと期待して向かった。
寄宿舎はバタバタとあちこちに人が駆けて、ずいぶん賑やかだ。
「なにが。」
そのアンジュに疑問を答えてくれる人はいないので、とりあえず先に進む。食堂に一歩足を踏み入れると、白金の髪の見知った女性がアンジュに声をかけた。
「アンジューー、おかえりなさい!」
歓迎一辺倒で、アンジュの肩をルサリィは優しく叩いた。
「この騒ぎは一体。」
「モンスターが寄宿舎に入り込んだんだよ。」
そのルサリィの後ろからウィルが相棒の斧を片手にやってきた。
「モンスター?」
ここはモンスターを倒すのに手慣れた兵士たちばかりではないのかと疑問を抱いたのを読んだらしく、ウィルは続けて説明をした。
「王都の中でも、王宮の魔術式防御システムは強いセキュリティだから、簡単にモンスターが入り込めるはずないんだよ。ただのドブネズミだって入れやしないのに。」
緊迫感があるのはそのせいだとウィルは説明したつもりだったのだが、アンジュのコメントはやはりずれていて、
「それは食糧を守るのに便利な魔術式だな。」
なんて宣った。
「いや、それは副次的な利益なんだけど。」
農家出身のアンジュからすれば、そちらの方がよほど重要に思ったのだろうが、軍にとっては違う。
「特にまだこっちに攻撃はしてきてはないんだけど、入り込んだっつーのが、皆怖がってな。どうしてすり抜けしたのか調べるために捕縛しておけって魔術部隊からも言われてるし、捕まえるならアンの魔法の力を借りたい。」
「ああ、勿論、協力するよ。」
「じゃあ行きましょう。」
アンジュに断る理由はなく、快諾してルサリィとウィルの後を追う。寄宿舎の廊下を駆けていると、向かうその先からアンジュは妙な懐かしさを覚える。
「アン、見えるか。あの先だ。」
倉庫の屋根の上、100ヤード離れていても視認できる大きな鳥。幾人の兵が銃を担いでも、槍を持っても、全て当たらない。その翼を広げると3ヤードにもなるだろうそれに、より近づけば、さらに彼への親しみが思い出される。
「おいで、クルル。」
全ての兵を無視して、アンジュが知った名を呼ぶと彼は意気揚々と翼を広げて、アンジュの方へとやってくる。
「は。はあ?」
ウィルもルサリィも近くで見ていても理解は及ばず、素っ頓狂な声を上げるしかなかった。クルルはアンジュのそばで光に包まれ、やがてそれが消えると、11インチ程度のアンジュの知る大きさになり、その腕に止まった。
「ちょいちょいちょいまて、その鳥はなんだ。」
「クルルってミルフィーが名前をつけた不思議な鳥だよ。」
「いや、まあ、確かに変なんだけど!それペットか?」
「ペットじゃないよ。リレイラの村の近くに住んでいる…、友達?」
アンジュが友達と告げると嬉しそうにクルルは翼を広げる。
「その友達、世界最高のセキュリティを悠然とくぐり抜けたんだけど、どういうこと。」
『その世界最高のセキュリティを作ったのが、我が友人だから。友人をシャットアウトするような奴はそうそういないよ。』
その声にもならない思念が、アンジュだけでなくウィル、それからルサリィにも届いた。その衝撃に言葉を失っているが、
「クルル、喋れたのか。」
6年間クルルの言葉を聞いたことがない友人様は、大した驚きもなく不思議だなぁと頷いているだけで。
『アンジュだけなら大したことないけど、ただの人間に言葉を伝えようとするのは酷く疲れるか聴こえるようにしなかっただけ。今は特別に頑張ってるよ。』
アンジュにしか聞こえない言葉で話しかけたら、人間たちはアンジュを更に気味悪がるだろうと気を遣って話しかけなかったらしい。
「へ、へぇ、なんかもうほんと色々規格外って感じだなぁ。」
「脳の処理が追いつかないわ、ウィル。」
何しろ一番驚いて欲しい人間が、全然驚きを見せないのだから、余計に驚いてしまっている。何故かこの場で冷静なアンジュは、クルルを手に抱いてはたと気づき、撫でる手を止めた。
「そうか、クルルって神獣ってことなのか。」
『そうだよ。まさかぼくの留守中にアンジュがいなくなっているとは思わなんだ。慌てて探したよ。』
神獣が治める地域では、滅多なことが起きない限りモンスターは暴れない。だからこそ、アンジュは平穏な暮らしをしていたのである。アンジュはクルルが神獣であることを知らずに、少し不思議な鳥としか思ってはいなかったが、影響はかなり大きかったらしい。
「あ、なるほどー、アンの世間知らずさは友人さんのせいでもあったのか。漸く合点がいったよ。…ってあれ、神獣が態々探しにここまで?」
『友達だからね。』
クルルはアンジュに撫でられて、気持ちよさそうに目を閉じる。
「…神獣が友達だってさ。」
「凄いな。」
「お前だよ。」
「違うよ。偶々クルルが俺と仲良くしてくれて…、あれ、クルルって呼んでよかったのかな。」
神様は周りから畏怖されるものだと、それはいくら世間知らずでも分かる。そんな存在に勝手に名前をつけるのはとんでもない侮辱に当たるのではとアンジュが考え込んでいると、クルルは嘴でアンジュの腕を優しく噛み付いた。
『ぼくは今「クルル」の名以外持っていないよ。』
「愛されてんなぁ。」
アンジュは少し照れたように、しかし、どこか悲しげに笑う。ウィルはそれが妙に気にかかったが、尋ねてもきっと分からないというだけだ。
『アンジュ、村に帰らない?守ってあげられるよ。ここは随分煙と魔術が厳しくてあまり力が出せなけど、あの村なら。』
こんな人間たち放っておこうよ、とクルルはアンジュを説得し始めた。ウィルはアンジュが無理矢理連れてこられた経緯を知っているから、神獣に力を借りて出て行ってしまうのではないかと息を飲む。ルサリィは胸の前で手を握りしめながら、次のアンジュの言葉を静かに待った。
「帰らないよ。」
その決断にルサリィとウィルが安堵したのも束の間、その後に続いた言葉にはやりきれない無力感を抱く。
「俺とクルルだけだったら、帰れたかもしれないけど、リーラやミルフィー、リレイラの村を人質に取られたら何もできやしない。それくらい、国はやってのけるだろう。」
『そう、だね。』
いくら閉鎖的な村とはいえ、近くの街や村々との繋がりはある。それを国によって孤立させ、部落差別のようなことだって簡単なでききる。もしそんなことを引き起こされたら、村の中で忌避されるのはアンジュやリーラだろう。
ルサリィとウィルが勝手に悲しんでいると、クルルの妙に明るい声がする。
『じゃあ、ぼくも、ここにいよう。この都じゃ大して力にはなれないだろうけど、アンジュの話し相手くらいにはなれる。』
「クルル。」
アンジュはきょとんと首を傾げてから、静かに笑ってありがとうと告げた。
「そうは言ったけど、俺が逃げ出さず、ちゃんと仕事してれば、優しくしてくれる人もいるんだ。そんなに辛いこともないよ。」
アンジュの目配せにウィルは空元気にああとアンジュの肩を叩く。
「何があっても味方だと言う自信はない。俺にも守りたい家族がいるから。でも、仲間として尊敬しているし、誠実でいたいってのは間違いじゃない。」
「勿論私だってちゃんと仲良くしたいのよ。まだ会ったばかりだから信用はできないかもしれないけど。」
気休めなんかではない、2人の真剣な言葉にアンジュは再度ありがとうと口にした。
「…な、不思議だろ。会ってそんなに日が経ってないのに、良くしてくれてるんだ。」
『…確かに。こういう時人って捨てたもんじゃないって思うよね。』
「神獣でも?」
『神獣だからこそかな。とても汚いものも、綺麗なものもよく見てきた。』
過去を愛おしそうに、クルルは言った。
モンスターの出現で大騒ぎし、アンジュとクルルの様子になんの口も挟めず黙って見ていた王国軍の兵隊たちは狐につままれたとでもいうように、意外とすぐに日常へと戻った。
説明が下手なアンジュを放って、ルサリィとウィルが協力して、五星士のリーダーであるンヴェネに伝え、彼がヤナ長官に説明し、そうして王国軍にクルルの存在を認めた。勿論、神獣に追い出せとも言える程、人間たちは出来ていないから、やむ得ず承認するしかないのもあるだろうけれど。
その日少しばかりルサリィやウィルと鍛錬した後アンジュはあっさりと眠りに落ちた。
「サウスポートまで行っていたし、疲れてんだろうなぁ。」
アンジュの枕元で鎮座していたクルルにウィルは話しかける。しかし、ウィルと話すのには、アンジュと言葉を交わすより大変だと宣った神獣は一瞥をくれるだけだ。
「…クルルはアンジュが失った記憶を知ってるんじゃ?」
どうせ返してくれないだろうと、思っているととても受け取りづらい思念(電波の遠い通信のよう)でクルルは話し出した。
『全部は知らない。でも、一端なら知っている。ただそれを僕がアンジュに伝える気はない。』
「なんで。」
『アンジュがそれで幸せだから。アンジュが心の底から望まない限り、ぼくからは伝えない。』
「アン本人は気になるとは言っていたけど。」
『その程度じゃダメだよ。彼はいつも記憶を取り戻すトリガーを持っている。ただの他人に引かせちゃダメなんだよ。』
「どうして。」
クルルは目を伏せて、静かに眠るアンジュの頬に体を寄せた。
『彼が忘れたいと、願ったからだ。そして、それができる魔術師だった。』
人は忘れることで、生きていけることがあるだろう。
クルルが態と仰々しく伝えたその言葉がウィルの頭からなかなか離れなかった。