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星の泉  作者: 詩穂
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5話 王都探索

アンジュ・クラント(16くらい) 記憶喪失で6年前以降の記憶がない。世間知らずで少し天然


ウィル・ザ・スミス(19) アンジュと軍の寄宿舎で同室 お人好しで面倒見の良いお兄さん


ルーグ王国の王都の上空は煙で汚れていた。森神様の森はあんなにも空気が澄み、優しかったのに。故郷のリレイラを思って空を眺めに寮の共用バルコニーに出てきたにも関わらず、これでは同じ空を見ることすら叶わない。


「おーい、暖かくなってきたとはいえ、まだ朝は寒いだろ。煙と霧で景色なんてあったもんじゃねえ。」

 

1人でむくれていたアンジュにウィルは声をかける。


「ウィル、早いな。」

「俺が朝寝汚いのを馬鹿にしてんだろ。」

「ああ、俺の物音で起こしてしまったか、悪いな。」

「全然静かでしたし、気付きませんでしたよっと。」


 ウィルは微妙に話が噛み合わないアンジュに呆れながらも、降参と両手を上げ話題を変えた。


「街、行ったことねえだろ。行ってみないか。」

「行っていいのか?」

「ちゃーんと俺が外出許可取ってくるし、ストール隊長も王都内なら問題ないってさ。」

「なら、行きたい。ウィルはそれでいいのか?」

「ここは俺の生まれた街だ。お前にも悪いところばかりじゃないって知って欲しいからよ。」


 ここには知人どころか、アンジュに好意的に捉える人間はほとんどいない。ポジティブに考えてくれるのは「使えそうな若い魔術師」という上層部と面倒見の良い同室のウィルだけだ。


「ああ、ありがとう。」

「まあ、まあ、そんな毎回畏まる必要もないぞ。少しずつ剣の腕も良くなって字だって読めるようになってきたんだ。俺以外だって見てくれてるさ。」


 ウィルはばんばんと肩を叩いて大きく笑った。

そんな人滅多にいないだろうと思いつつも、ウィルの率直な優しさに、ミルフィーの顔が脳裏に浮かぶ。最後に見たのが彼女の泣き顔だったから、心が痛んだ。



 馬車からは見た事があったが、実際の目で見る王都はとにかく人で溢れ、建物と建物の隙間がないくらいに並んでいて、とにかく賑やかだ。


「あれはガス灯だ。暗くなったら点けられるんだ。」

「ラシェルの街で見たことあるけど、王都はその倍にはありそうだ。」

「大きな街には最近どんどん増えてきてるから、流石に見たことはあるか。」

「こんなにあるとつけるの大変そうだな。」

「できた頃は魔術師の自動魔術式で勝手に点いてたんだけど、本当最近は魔力の節約節約って言って全部人力。…まあ、ある意味雇用が増えてるからいいのかも。」

「…魔力の節約。」

「そ、どんどん魔法を発現できる人が減ってる。俺がすっごい小さい頃は色んなところで魔術が見れたもんなんだけど。ああ、だから、アンには窮屈だろうけど、オッサンたちの期待はでかいのよ。」

「ええ、やだなぁ。」

「でもでも、王女様とか貴族の綺麗なお姫様と結婚できるかもしれないぞ。」

「結婚かー、そんなこと考えたこともなかった。」

「女の子だと俺らのくらいの年齢で結婚してるじゃん。そんな遠い話じゃあねえだろ。」

「へぇ、ウィルは結婚したい人がいるんだ。」

 アンジュがははと笑うとウィルは赤面して怒鳴る。

「だだだ、だれが!そんな人いねえ!」

「…素直な人だな。」

「ごっほん。この話は終わり!」


 無理矢理咳き込んでウィルは話を止める。2人は他愛無い話をしながら、中央街から東町の方へ入った。中央より商店の品物が庶民的になり、価格表示がしっかりと出るようになった。貧農出身のアンジュからすれば、こちらも贅沢品になる。


「あら、ウィルじゃないの。非番?」

 

小さな果物屋の年若い大人の女性が声をかけてきた。


「カナン!今日は非番だよ。それからこっちがアンジュ、新しい同僚だ。」

「は、初めまして。アンジュです。」

「あらあら、随分可愛い男の子が新しく軍隊に入ったのね。大丈夫?」


 カナンはぐいぐいときてアンジュの痩せた腕を掴んだ。いくら商売しているとはいえ、女性に腕の太さで負けるのはショックだ。


「可愛そうだからやめてやってくれ、カナン。これでもちゃんと剣は持てるんだから。」


 ウィルのフォローもカナンには届かない。


「たくさん食べて大きくなってね。これサービスするから。」

「…はい、ありがとう、ございます…。」


 ミルフィーには勝ってたのに、と思いながらカナンの厚意で大きなリンゴ2つ貰った。


「そのうちたくさん給料貰って、カナンを困らせるほど果物買って見返してやろうぜ。」

「いや、なんかそれすらも器小さすぎて負けた気する。」

 貰ったリンゴを大事そうに抱えながらも、アンジュは俯いた。

「あら、私はたくさん買ってくれる日を待ってるわ。ウィルはなんか買ってく?」

「え、俺にはサービスないの?」

「当たり前でしょ、稼いでるんだから町の売り上げに貢献しなさい。」

「ちぇー、じゃあ、プラム5つくれ。」


 渋々言った割に、金を払うのは早かった。元々この店で買う予定だったようだ。


「毎度ありー、ウィル。」


 ウィルは少しだけ照れていた。

 店から離れて、果物を歩きながら食べてながら話す。


「もしかして、昔好きだったとか。」

「おまっ…、鈍感そうなのに意外とよく見てんな。」

「そうなんだ。」

「くそー、俺ばっかり不公平だ。お前も幼馴染の子が好きなんだろ!」

「ミルフィーのこと?好きだけど。」


 顔色ひとつ変えることもなくさらりとアンジュが言うので、ウィルは嘘だと頭を抱えた。


「なんでそんな冷静なんだよ。普通もっときゃっきゃっうふふみたいな感じになるだろ。」

「何で?」

「NANDE?!」


 ウィルがギャアギャアと騒いでいるが、アンジュは優しく微笑んだ。


「ミルフィーは、言葉も分からなかった俺に優しくしてくれたんだ。」

「言葉も分からなかった?」

「うーん、何となくは分かるような分からないようなみたいな感じだったんだよな。」

「アンの住んでいた辺りだと、訛りは少しあるけど王都と言語はほとんど同じだろ?だとしたら、よっぽど遠いところから来たってことか。」


 やっぱり不思議なことがあるもんだなぁとウィルは感慨深げに言った。


「それこそ、星の泉からきたってことかもな!」

「…星の泉?」


 ふざけて言ったつもりが、アンジュには全く伝わってなかった。


「え、ああ、王都じゃ有名な御伽噺なんだけど。」


 幼い頃の記憶がないアンジュからすれば当然のことだろうとウィルは気を利かせて、アンジュが一つの林檎を食べ切ったのを確認すると、ウィルはこっちだと手招きした。

 辿り着いたのは平民たちが暮らす東町の中では赤い煉瓦屋根が立派な石造の二階建ての屋敷だった。


「ここは私立図書館!使用料は掛かっちまうが、安く本が読めるところだ。昔商人をやった人が趣味で集めた本を引退後町人たちでも読めるようにって公開したんだ。」


 丸い獅子の意匠が綺麗なドアノブをウィルが回した。

 中央には丸い階段と天井には花の蕾のような明かり、天井までまで届く本棚には溢れるほどの本の山、それでも入りきらなくて床の上の箱にも本がぎっしり積まれていた。2階部分はロフトのようになっていて、そこも本棚で埋め尽くされている。本が傷まないようにするために、窓はないから外界から切り離されたような錯覚を覚える。


「おーい、シェーラ。」


 大量の本にアンジュは圧倒されていると、ウィルが大きな声で呼んだ。暫くすると、階段の上からガタガタと物音がして、ずたーん何かが派手に転がるような音がした。


「…だ、大丈夫だろうか?」

「見てくるか。」


 ウィルと2人で顔を見合わせていると、上からさっと体を乗り出した少女がいた。町娘らしいワンピースを着て、地味なエプロンを身につけていた。肩口で切りそろえられた髪と、少し太めな眉毛が特徴的な女の子だった。歳はアンジュと同い年ぐらいに見える。


「お、お客様、ですか?!」

「あ、ああ。」


 彼女はつんのめるように階段を降りて、2人の前に現れた。


「大丈夫かよ。」


 支えようとしたウィルはさながら夢見る少女の王子様のようだった。この慌ただしい少女だが、彼女がこの図書館の主人のシェーラ・オルコットだった。


「って、ええ、五星士のウィル様じゃないですかぁ。」

「知り合いじゃないのか?」

「そ、そんな滅相もございません!」


ひゃぁぁと不思議な声を上げながら、少女は顔を手で覆った。


「俺はそんなに本読むの得意じゃなくて、ここには来ないからさ。」

「それでも、名前知ってるもんだな。」


 アンジュが素直に感心しているとウィルはいやいやと手を振った。


「はは、流石にこの私立図書館の人は町では有名だよ。」

「ぴえ、私なんかがすみません。」

「何が?」

「わ、私は偉大な祖父の名を借りているので…。」

「よく分かんないけど、お爺ちゃんが大切にしていたのを大切にしてるってこと?」

「そそそそんな大層なものなんかじゃなくてですね…。」


 アンジュは何故彼女がずっと恐縮しているのかが分からず首を傾げた。名前を知っているだけで親しくはないウィルもさあと肩をすくめるだけだ。


「えええと私のことなんかどうでもよくて、何か探しているのではないでしょうか。」

「ああ、そうそう、星の泉伝説の絵本かなんかねえ?アン、この金髪の男が世間知らずで。」

「アン様はこの国の出身ではないのですか?」

「あ、ごめん。自己紹介してなかった。俺の名前はアンジュ・クラント。」

「すみませんすみません。私なんかが渾名で呼んでしまってぇ。」

「え、ええ?何で謝るんだ?そういう意味じゃなくて。」

「ああ、気を悪くさせてすみません!」

「いや、また謝ってる…。気にしてねえから、好きに呼んでくれ。」

「は、はい、クラント様。」


 このままでは何をしても謝り倒すだけだと、諦めた。それから、彼女は慌ててウィルが頼んだ本を取りに行った。またドンガラガッシャンと大きな音を立てていたので、不安になって覗きに行くと何故そうなったのかという程に本に埋もれていた。


「立てる?」


 ミルフィーはしっかりした子だったし、村のやんちゃ坊主やお転婆娘だってこうはならなかった。アンジュはシェーラの腕を掴んで立たせた。


「す、すみましぇん。」

「派手に転んでるから、足とか怪我してないか?」

「だ、大丈夫でしゅ!」


 しかし、本の角に手をぶつけたのか手首のあたりが派手に切り傷ついてしまっていた。


「慌ててるからだろ。気をつけろよ、シェーラ。れ

 アンジュが魔法を使ってたちまち治してしまうと、シェーラはのけぞった。


「ま、魔法使い様!?」

「アン、ホイホイ魔法使うなって。」

「今日はヒバンだし、他にウィルしかいないし。」

「そうだけど。」

「すすすすす、すみません!私が鈍臭いばかりに!」

「だから、そうやって慌てると…。」


 ガターン。足元に散らばっていた本に足を取られて結局また滑ってしまっていた。


「シェーラ、落ち着け落ち着け。深呼吸。」

「いや、アンが慌てさせてるんじゃねえか、これ。」


 アンジュはミルフィーが泣いている村の子供にするのと同じようにシェーラにしてしまっていたが、ウィルにはシェーラが男慣れしておらず、パニックを起こしているように見えたのだ。


「ほら、大切な本が可愛そうだろう。」

「ああ、拾わせてごめんなさい!」

「シェーラは落ち着け。一度顔洗ってこい。」


 ウィルは焦って片付けようとするシェーラをその場から引き離した。これが意外と頑固で、一度では聞かず何度も繰り返して漸く彼女は洗い場の方へ行った。


「とりあえず、背に書かれた番号順に並べればいいか。」

 さっさと散らばった本をアンジュは片付け始めた。

「手際がいいな。」

「そんなことねえよ。」


 それから、机が置いてある所でシェーラを待っていると、彼女は申し訳なさそうな顔でいくつか本を持って来た。


「すみません、でした。」

「そう気にすんな。」

「あの、先程ウィル様が仰ってた絵本です。幾つか持ってまいりました。」

「お、悪いな。」


 どの絵本にも「星の泉伝説」と書かれていたが、キラキラした装丁の本、重厚感のある皮の表紙の本、ペーパーバッグなどたくさんあった。


「文体などが違ったりしていますが、どれも内容は同じです。絵本なのでお気に入りの絵があれば。」


 アンジュは何気なく一番古そうなハードカバーの本を手にした。読みやすい文体で書かれているが、所々まだ読めない所はシェーラとウィルによって補足した。



 今は昔のこと、ある男がおりました。

 彼はとても勇敢な男で、誰より剣の使いが得意でしたので、王様に気に入られておりました。

 男は忠実で、王様が命じたことはなんでもやり遂げておりました。

 そんな折、王様は彼に言いました。

 東の山に住むドラゴンを倒してきなさい。

 これは大変困りました。そんな大きな魔物を男一人で倒せるはずがないのです。

 しかし、男は挑みました。ドラゴンはとても凶暴で、大きな力を持って、人々を困らせていたのです。だから、男は剣を手に戦ったのです。

 男は死力を尽くして戦いました。

 剣が折れても、盾が折れても、手を失おうとも、最後まで戦いました。

 その執念によって、ドラゴンは殺されました。

 フラフラの足で、山を下りましたが、やがて力尽き倒れました。

 ここで死ぬだろう、まだ生きたかったと覚悟したその時、目の前にキラキラと輝く泉があったのです。

 なんて綺麗な泉だろうと男は感涙しました。

 そして、あることに気付きました。

 失った手が、失った盾が、失った剣が、力尽きた身体が、元に戻っていたのです。

 男は元気な体で、王様の元へ戻りました。

 王様はそれはそれは喜んで彼に褒美をたんまりと上げました。

 男が国の英雄となり、もう一度助けてもらった泉に行くと、泉のほとりに綺麗な女の人がおりました。

 彼女は家族と離れ離れになり、困りはてその泉で泣いていたそうです。

 英雄は数年間、彼女の家族を探しましたが、結局見つかりませんでした。しかし、探しているうちにいつしか2人は惹かれ合い、結婚いたしました。

 そして、彼女は言いました。

「あの泉は願いを叶えるという星の泉」だと。

 だから、こうして運命の相手に出会えたのだと。

 英雄は深く頷いて、もう一度お礼を言いに泉へと向かいました。しかし、そこには泉なんて無かったのです。 

 ああ、もう一度あの美しい清泉を見たかった。そう思いながら、山を降りたのでした。

 彼が仕える王様にその話をすると、王様が探しにゆきましたが、やはり見つからなかったそうです。

 星の泉に出逢えるのは、選ばれた人のみなのだろうと落胆しました。

 しかし、英雄はもう2度と泉には出逢えませんでしたが、彼は最愛の妻と仲良く暮らしましたとさ。

 めでたしめでたし


 初めて読んだ話だった。だが、あれ?と引っかかった。


「この話知ってる、かも?」

「王都じゃ一番ポピュラーだし、王都じゃなくてもそこそこ有名な御伽噺だからな。」


 しかし、アンジュは首を傾げた。


「でも、結末違うような?」

「そ、うなんですか?色んなバージョンのこの話を読みましたが、エンディングは決まって『奥さんと幸せに暮らしました』だったと思います。」

「この英雄は、最後同僚の男に裏切られて冤罪で処刑された気がするんだけど。」

「別の御伽噺と混ざってるんじゃねえ?」

「ああ、そうかも。」

「あるいは元々は口伝だったので、そこで話が変わってしまったのでは。」

「この話に出てくる王様は昔のルーグ王国の王様で、英雄は五星士って言わてるから、その同僚が英雄を裏切るなんて話作れねえと思うけど…。」

「それもそうですねぇ。」


 ウィルが言ったことにアンジュは納得してそれはそうだと返した。

「借りられますか?」

「借りれるのか?」

「はい!五星士の方なら身分もしっかりされているので、名前を記入して、レンタル代を払っていただければ。」


 アンジュは来たばかりで殆どお金は持ち合わせていなかったので、残念だと断ろうとするとウィルが使用料とともにレンタル代金を払った。


「先輩ってありがたいだろう?」

「そこまでしてもらえる理由がない。」


 出世払いで払ってくれればいいなんて、ウィルは茶化す。アンジュはウィルの親切を受け取り、古い本の表紙を撫でた。


「お、お二人はとても仲が良いのですね。」

「ウィルがお人好しなんだよ。」

「前にも言ったけど俺は、自室を快適に暮らしたいだけだ。」


 シェーラは羨ましそうに二人を見つめた。


「シェーラはいつもここで仕事をしているのか?」

「は、はい。日曜日以外は。」

「他に手伝いしてくれる人いないのか?」

「ここは祖父の道楽で作った図書館で、大した利益もないので。」


 あははと苦笑いをした。


「大変だなぁ。」

「いえ、全然…そんなことは。」


 いくらなんでも女の子1人で図書館を切り盛りするやは、いくら王都の治安は他と比較してそこまで悪くはないとしても危険すぎるが、今まで無事にやって来れたのは町人たちがこの図書館を大切にしているかららしい。


「返しに来なきゃいけないし、また来るよ、シェーラ。」

「は、はい、お待ちしてます、」


 ウィルは再び苦虫を噛み潰したような顔をしたが、すぐにウィルも同じようにシェーラに礼を言って、図書館を後にした。


「なんか言いたそうだな、ウィル?」

「シェーラに勘違いさせそうだからさ。」

「なんの?」

「異性として意識させちゃうってことだよ。」


 アンジュが世間知らずなのはよく分かったウィルは、分かりやすい言葉で言い換えた。


「それはシェーラに失礼じゃねえ?彼女は、都会の女性だし。」


 そういうアンジュも都会の女性に対しての偏見がありそうだ。全員が全員、男慣れしていると思ったら大間違いだが、ウィルにはアンジュがミルフィーのことが好きなのだと認識しているから、もう何もいうまいと口を閉じた。

 昼飯時となり、更に街は活気付いていた。アンジュはご飯を買うお金もないし、城に戻るかと尋ねるとウィルは問題ないと告げた。


 どんどんと街の奥に入っていき、ご飯や食糧を売っている場所ではなくなり、町工場の匂いが広がると、隅にある小さな鍛冶屋があった。木で作った看板には色褪せたペンキでで「鍛冶屋スミス」と書かれていた。


「あれ、この名前って?」

「俺の実家。ここならタダ飯食えるからさ。」

「結局ウィルの奢りじゃ。」


 ウィルの父は戦争で負傷して思うように働けなくってしまったと言っていた。だから、この家の稼ぎの大半は国の英雄として働くウィルのはずだ。


「ただいまー。」


 アンジュの躊躇いを無視して、ウィルは家の中に入った。中から、ウィルのお母さんらしい人との会話が聞こえてくる。


「アン、入ってこいって。」


 グイッとアンジュの手を引っ張って、中に招き入れた。少し驚いたような女性があらあらと声を出した。


「は、初めまして。」

「はい、初めまして。貴方が新しい同僚さんね。ウィルの母のヘリアです。」

「アンジュ・クラントです。いつもウィルにはお世話になってます。」

「こちらこそ、ウィルと仲良くしてくれてありがとう。さあ、座って。」


 ヘリアは嬉しそうにダイニングテーブルへとアンジュを連れて行った。


「けど、随分幼そうに見えるわ。よほど優秀なのね。」

「え、えっと。」

「そうだぜ、なんといっても最年少記録のルジェロを更新したからな。」

「る、るじぇろ?」

「ああ、今丁度長期任務でまだ紹介してないけど、お前が来る前まで五星士最年少だったのがルジェロ・ビトレーイ。多分そろそろ会えるぞ。」


 有名な五星士の人間を知らないことに、ヘリアも驚いていたが、ウィルが簡単にアンジュのことを説明してくれた。


「記憶喪失なんて、大変でしたでしょう。」

「俺は全然。周りの大人の人たちの方が大変そうだった。」

「ふふ、アンジュくんは優しいのね。」


 優しいのだろうか。アンジュは腑に落ちないが、否定する間もなくヘリアは昼ごはんを作りに行ってしまった。


「そんな微妙な顔するなって。褒め言葉は素直に受け取りゃいいんだから。」

「あ、うん。ありがとう。」


 ウィルは、アンジュの前にお茶を出すと、横に座った。


「王都も別に悪いところではないだろ?」

「うん、さすがウィルの育った町だ。」

「それは恥ずかしいな。」

「褒め言葉は素直に受け取るんじゃなかったのか?」

「早くもブーメランが。」


 ウィルは大袈裟に肩をすくめたが、満更でもなさそうに笑った。

 他愛無い会話をしていると、ガタンガタンと部屋の奥から物音がして、振り返った。杖をついたウィルそっくりの髭面の男が、アンジュを見てほほ笑んだ。


「おお、ウィルの友達か。宜しくな。」


 彼は左足の義足を引き摺るように椅子まで歩き、ぎごちない動作で座った。


「父さん、新しい同僚だよ。」


 ウィルの紹介でアンジュはすっと頭を下げた。


「アンジュ・クラントです。」


 アンジュが名乗ると、彼は目を丸くした。


「もしかして、リレイラの出身か?」

「え、ええ、はい。」

「お母さんはリーラ・クラントさんか?」

「リーラを知ってるんですか?」

「いや…そうじゃ、ウィル、寝室の棚の右端のクッキーの缶を持ってきてくれ。」


 ウィルはアンジュの顔と顔を見合わせてから、足が悪い父親の代わりにすっと立ち上がり、奥へと入っていった。


「…リーラさんは息災か。」

「はい、元気が取り柄ですから。」


 シータンのおじさんに対して言う時よりアンジュは歯切れが悪かった。村を離れる時、リーラが何度も叫んでいたのをよく覚えている。それから、様子は分からない。


「…そうか。君はどうして軍に。」

「魔法使いだからと、連れてこられました。」

「君の希望じゃなく?」

「は、はい。あの村でずっと生きていくつもりだった。あ、でも、ウィルが良くしてくれるので、全然辛くないです。」


 ウィルの父チャールズは、アンジュの本意とは違って軍に連れてこられたと知ると痛ましいと顔を歪めるので、慌ててアンジュは言い直した。チャールズもかつて徴兵された戦争で負傷したと聞いたことがある。


「ウィルが君の支えになっているようなら何よりだ。」

「おーい、父さん。クッキーの缶ってこれ?」


 丁度ウィルがある女の子絵が描かれたお菓子の缶を持ってきた。デザインが少しだけ古い。


「ありがとう、ウィル。」


 チャールズが、大事そうにクッキーの缶を開いた。


「これはカージュ・クラントとセルジュ・クラントから預かっていたものだ。」

「…もしかして、リーラの旦那さん?」


 その名前を少しだけ聞いたことがあるが、村人もリーラ自身も家族の話は中々してくれなかった。


「父さん、アンは記憶喪失で6年前以前の記憶が無くて、それをリーラさんと言う人が拾って育ててくれていたらしいんだ。」

「そうだったのか。カージュがリーラさんの旦那で、セルジュは彼女の息子だ。こんな話しない方が良かっただろうか。」

「いいえ、教えてほしい、です。俺もリーラの家族だから。」


 アンジュを育てると言ったリーラに村人たちは驚いた。働き手が欲しいなどと言っていたが、季節は冬で、女で1人生きていた世帯に十分が蓄えがあったとは言えない中、見返りもなく彼女は引き取ってここまで育ててくれた。


「12年前、モンターニュ戦争が起きて、激化した際に俺と同じく民間から兵隊に入ったんだ。当時マトモにご飯を食べるなら兵隊に入るのが一番だと言われていて、2人ともそれが理由で兵隊になった。2人と私は同じ部隊で参加していて、特に仲が良かった。」


 アンジュにはその頃の記憶がない。チャールズは、些細な会話が戦時中の唯一楽しみで、特に家族の話でよく盛り上がったと話してくれた。


「民間上がりの兵は、元々戦い慣れしてないから元より死にやすい。俺もこのような身体になってしまった。あの時戦況が悪く、敵の砲撃が部隊の後衛に降ってきたんだ。ほとんど壊滅状態、俺もよく生きて帰ってこれたと、今でもあの時のことは夢に見る。」


 大量の死体は、家族の元へ帰ることなく共同墓地へと埋葬されて、遺族には何も残されなかった。


「これは2人が持っていた、リーラさんの手作りのお守りだ。」


 2人の遺品をどうしても彼らの家族に渡したくてずっとチャールズが持っていた。

 それはネックレスのようになっている幸運のクローバーの刺繍だった。お世辞にも上手とは言えない不器用な優しさが、リーラらしかった。


「…渡すのが遅くなってしまった悪かった。」

「いえ、嬉しいです。」


 これを持っていていいのか分からないし、リーラの元へ帰る許可が下りるのはいつになるかはわからない。それでも、絶対にリーラの元へ帰らなければならないと誓った。


「今日君に会えてよかったよ、アンジュくん。」

「俺も。まさか王都でリーラの家族の知り合いに会えるとは思ってなかったです。」


 ウィルの家族と語らった時間はとても穏やかで優しかった。中でもチャールズが言った、


「ウィルは俺たちの自慢の息子だから、何かあれば頼りにしてくれ。」


 これがウィルの優しさを表しているようで、心がじんわりと温まった。そして、ウィルも恥ずかしそうではあるが、父親のその言葉に喜んでいた。離れてから大して時間も経っていないのにリーラに酷く会いたくなった。


 

 寄宿舎に戻り、ベッドの上でアンジュは二つのお守りを壊れないように握った。


「俺も貴方たちの家族になっていいのかな。」




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