31話 胡蝶の夢①
アンジュ・クラント 中身はエル・ウォッカ 天才的な魔術の才能を持つが、結果は伴わないことが多い
スイ・ウォッカ エルの双子の兄弟 運動能力は突出した能力があり、その才を磨き続けているが、その能力の使い道は、双子の兄弟を守ることだけに使われている。
クルル 鳥の神獣 雷の権能を持つ。
神獣はあくまでその種族の管理者であるため、世界から与えられた力を他の種族を助けるために使うことは許されない。使ったら力を奪われるといわれているが、体系的に研究されていたわけではない。
エリヤ エル・ウォッカが作った魔術式防御システムのうちの”余計な機能”の内の一つ。人を観察し、人のように喋るように学習するように作られた存在。エリヤを命名したのはウィル。
現在ルーグ王国は、非常に多くの問題を抱えている。
第一に、食糧問題である。これは先の水害から発生したことで、民衆の一番の不安であり、1番実害を受けている。亡くなっている人も多い。第二に、ずっと抱えている国境の問題だ。隣国であるモンターニュ共和国とノスランド継承戦争(モンターニュ戦争)は停戦はしているものの、頻繁に軍事行動は見せている。そして、第三にここ数百年の問題として、魔術師の減少である。ルーグ王国は、魔術を中心に発展した国だ。故に、他国に対する発言力も魔術にかなり依存してきた。少しずつ魔術から魔導技術へと転換しつつあるものの、既得権益である王国魔術師たちの反発も大きい。さらにまた、彼らは国教でもある星願教にも深く根ざしている。
王太子であるロイは、頭を抱える。国王陛下である父、エリファス・ラ・ルーグの体調もまた芳しくない。何か大病を患っているようではないのだが、不調を繰り返していた。
しかしながら、現状まだ表面化してないが、これらの問題に対して本人の意図とは別にアンジュ・クラントが深く根ざしているのである。
「救いの神か……、はたまた破壊者か。」
王族のお抱え医療魔術師がいなければ、恥を忍んでも父親を診てほしいと懇願しただろうに。
星願祭から1ヶ月弱で、あの日鮮やかだった空は再びくすみ始めていた。
ーー
ルサリィは、不思議な紋章がついた右目を隠すことなく堂々と歩き、王宮にある王国軍の塔を楽しそうに歩いていた。
「おはよう、ルサリィ楽しそうだね。」
「おはよう、アンジュ。来月は春祭りよ、楽しみだわ。」
春祭りにも地方差があるが、王都の春祭りは男女が、この地域で春になる少し前に咲くネルの花を頭につけて広場でダンスをして楽しむ祭りだ。冬祭りほどではないが、露天も多く出るのでとても賑やかなものだ。
「アンジュもミルフィーちゃんと出るでしょ?婚約者なんだし。」
王都の恋人同士であれば、当然のことだ。しかし、アンジュは分かってなかった。
「色々あったからなぁ。でも、春祭りが例年通り開催されるなら、アンは絶対ミルフィーちゃんと出ないとダメだ。週刊誌がくだらねえ騒ぎをする。」
アンジュの隣にいたウィルが、うんざりとした様子で言う。アンジュとミルフィーのリボン交換が週刊誌に撮られ、若者たちの間で流行した。五星士はただでさえ、ヒーローとして人気があるのに、これが星願祭で活躍した魔術師となれば影響力は桁違いだ。
アンジュ自身は騒がれたとしても「他人事」だが、ミルフィーにとってはそうではないとウィルは伝える。
「たしかに。」
「ミルフィーと隠れてれば、別にとやかく言われないんじゃないか。ミルフィーがとやかく言われるのは本意じゃないけど、エルも慣れてない。今まで人前に立つことなんてしてこなかったんだ。」
アンジュが不安げな顔をした一瞬を見逃さなかったスイは庇うように言うが、大丈夫だとアンジュは腕を掴む。
「大丈夫だよ、なんとかなる。」
「星願祭で目立って恥ずかしいと言ってセンチメンタルだったのはエルだぞ。」
「……それは、まあ、そう。」
ほら見たことか、とエルを守ることが第一使命のスイは、本人に胡乱げな目を向ける。そんな暢気なやりとりを打ち消すようにンヴェネが入ってきた。
「新入りくん、付いてきて。」
「俺も行っていいか。」
「……ついてきな。」
ンヴェネに連れられたのは、王国軍最高長官であるヤナの執務室である。そこには、険しい顔をしたヤナ長官の他に、第一師団団長ラモラック・ハワード、第二師団団長ロナウド・セシルも立っていた。王国軍の中でもトップの2人である。そこにただの作られた英雄五星士のンヴェネやアンジュが入るのは異例だ。
「来たか、早速で悪いが話を聞いてもらおう。」
ヤナは重苦しく口を開いた。
「魔術部隊が、王国軍の不当要求に対して、王都の魔術式防御システムの1週間の稼働停止をすると宣言してきた。実行日は1週間後だ。」
魔術式防御システムは、約500年前にエル・ウォッカが作成し、現在までほとんど修正されることなく運用が継続されてきたものだ。エルの体と入れ替わっていたスイが、何かに魔力を吸われているのを煩わしく思ってそれを切ったところ、王都の魔術式防御システムが正常稼働しなくなり、多くのモンスターが攻めてきたのは、記憶に新しい。
そして先日、任務の不可抗力で供給が切れてしまった際、システムに穴が開くギリギリのところだった。それが1週間。
王国軍はこの魔術部隊の稼働停止の宣言を重く受け止めているらしい。
しかし、アンジュは、無感情だった。
「それがどうかしたか。」
2人の師団長は、それほどアンジュのことを知らないからギョッとする。
「魔術部隊の権威は、今魔術式の運用に基づいている。それを彼らが放棄するなら、それでいい。国のためにならないなら、切ればいい。王国魔術師とはそういうものだった。」
そこにアンジュ・クラントはいなかった。元王国魔術師エル・ウォッカが淡々とそれを伝えたのだった。
ヤナ長官は、重く息を吐く。
「君のいた500年前とは違うのだよ。それに我々は王国魔術師ではない。」
この国の基盤に深く棲みついているのが、王国魔術師。おいそれと切ることはできない。
「この事態を王家も深く受け止めているものの、王国魔術師は星願教にも繋がりが深いため、大きく王国魔術師の勝手だと罰することができない。」
アンジュは目を逸らすと、白いマントのフードを深く被る。アンジュの背後にいたスイは続ける。
「王国魔術師の言い分は?」
「アンジュ・クラントの言い分は虚偽である。500年続いた王都の魔術式を10年後に破棄するなどと妄言である。また不正に魔術式にアクセスした形跡があるとのことだ。故に身柄の引き渡しを要求している。」
それを聞いたスイは極めて冷静に、
「普通だな。」
と返した。
「しかし、勿論俺は断固拒否する。これは王国の為でもある。エルが自分自身に魔術をかけているから、今は冷静なんだ。それでも、こちらに好意的なルートヴィヒ・ラドカーンですら、エルにとっては心を乱される存在だ。それを王国魔術師の中に置けというのであれば、今度は『イカリアナ』だけじゃ済まない。」
500年前、エル・ウォッカの暴走により多くの王国魔術師や要人が殺害され、政治が混乱した際に、モンターニュの騎士団によりイカリアナが占領され、その領地は戻ってきてない。
そして、先般のオルガンの町の調査で、ルートヴィヒから意識を逸らすためにスイは態々「悪戯」なんて面倒くさいことをしたくらい、慎重にならなければいけない。
「勿論貴方に『俺たち』を庇えとは言っていない。切ったっていい。」
「兄さん。」
アンジュは、スイの服の裾を引っ張る。
そして、少しばかり逡巡した後冷たい声でエル・ウォッカは言う。
「これは僕らの手を離れた。あとは人間たちの選択のままに従おう。」
そして、双子は扉を使うことなく目の前から姿を消し、残された者たちは静寂の中で動揺していた。
ーーーー
ひらり、ひらり。
キラキラとした蝶がアンジュのそばで舞っている。本物ではないと一瞬で理解できるくらいの模型のようなそれを作っているのは、手遊びのようなものだ。
「暗い顔しているけれど、何かあったかしら。」
「ううん、『俺』には何も起きてないよ。」
ルサリィの優しさは今日も変わらず。スイはルジェロを挑発し、ウィルにもつき合わせて稽古をさせている。そして、本当にアンジュにも何も起きてない。しかし、その周囲では、目まぐるしく状況が変わっているらしい。ルートヴィヒがオルガンの町に行くことをすぐに決めたのもそう言った背景があるのだろう。
「花祭りは、準備が必要?」
「そうね、衣装が必要よ。アンジュはとりあえず五星士の盛装で問題ないわ。ただミルフィーちゃんは、春祭り用の衣装があるといいわね。何も言ってこないってことは、自分で用意してるのかもしれないわ。」
「そう……かなぁ。」
リレイラの村にいた時は、彼女のことを一番最初に知るのは、自分だったからもしそうだったら寂しさがある。
「聞いてこようかな。」
「おーい、そこの不良魔術師ぃ。」
やたら不機嫌そうな顔のンヴェネが、ちょいちょいと手招く。褒められた態度ではなかったことを自覚しているアンジュは大人しくンヴェネの元へと来る。
「君が500年前の天才だろうがなんだろうが、今は新入りの五星士の軍人。ってことで任務だから。」
「来週の稼働停止までに戻れそうか。」
「気にはしてるんだ。」
「ミルフィーやリーラがいる。彼らは魔術式のエリヤがいる領域までは弄ることはできないだろうから、彼に見張らせることはできなくはないけど、有事の際にはそばにいたいから。」
ンヴェネは、アンジュの人間らしいそれに怒りなどは消え、大きくため息をついた。
「任務は、水害地域の慰問だよ。まだまだ復興には程遠い状況だからね。」
「慰問……、何すれば。」
「それを考えるのは君への課題だと思う。通常の僕らならただ歩いてモンスターや犯罪者がいれば打ち払えばいいだけだけど、そうではないだろう。こないだの星願祭で司教からも期待を背負っている。今の国内政治が、全て君にのしかかっている状況だ。」
何が困ると言うと、アンジュが何もできないからではない。できることはたくさんある。水害が発生した直後も、エルの記憶と身体がない割に、人々の怪我や病気を癒した。今や神獣の血の力も発現し、天才魔術師エル・ウォッカとしての知識や技量が戻ってきた。
しかしながら、それら全てを提供するのは、“人間”という種族には毒薬にもなりうるのだ。
「なになに、新しい任務か。」
「兄さん。」
ンヴェネとアンジュが話しているのを見て、スイはウィルとルジェロをおいてやってきた。護衛であるスイに、今回の任務内容を告げると彼もまた険しい顔をする。
「エルならきっと町の復興には大活躍するだろうな。王都の役人を差し置いて。でも、エルの力を公益に使うのは、他の人間による再現性がないから、やめておくべきだろうな。やって飴配りやマジックショーが限度だろ。」
「護衛くんって、頭いいよね。」
「いろんな人間に師事してきただけの受け売りさ。」
「もう少し新入りくんの先導をしてくれてもいいんじゃない?」
「残念だけど、旗振りは不得意なんだ。」
大袈裟にスイは肩をすくめた後、静かに返すのだった。
「生は渇望するもの、死は受容するもの。俺たちは人であるが、人よりも“制限”が意外と多い。」
これは親が子供が困ってるからといって全てを助けないことと同じである。彼らは人間の「成長」を一番に考えているからだ。
「……そうなんだろうね。」
ンヴェネがそう独りごちるのは、また見えているものが違うからだろう。
ーーー
水害地域への慰問は、第二師団とスイとエルだけで向かった。同行するのが五星士のリーダーであるンヴェネでは、双子によりすぎるという判断があったらしい。
第二師団団長であるロナウド・セシルーーー通称白百合のバーサーカーとこうしてしっかりと話すのは初めてのことである。
「名目上は、軍の英雄である『五星士による慰問活動』、しかし、本命は『魔術師アンジュの慰問活動』である。一挙手一投足が見られることになる。」
長いプラチナブロンドを一纏めにして、一瞬は眉目秀麗な優男に見えるが、軍神の如く戦場をかける男らしい。12年前のモンターニュ戦争で当時20代になったばかりだった彼は、数多くの不利な戦線を押し返した、らしい。
「……願われれば助けたいと思う。苦しんでいるのであれば、取り除きたいと思う。ただ、それが、彼らのためになるのかはわからない……です。」
ロナウドは軍人である前に貴族である。人を導くのが、生まれてきた時からの使命だった。しかし、目の前の白いマントを被った軍人を何かに導くなんてことは、おそらく神だってしない。
「正直に言おう。私には君が分からん。私には世界をひっくり返す力などないからな。」
明朗快活に告げる彼は続ける。
「だが、何をしてもいいし、何もしなくてもいいと私は思うぞ。」
「何をしてもしなくても。」
「例えば慰問で王族が来たとする。そこで彼らがするのはお手振り程度だ。それでも、民はどこか救われた気持ちを得られるものだ。その程度の活躍でも全く構わないのだ。」
しかし、民衆は王族が奇跡を起こすような力を持っていないのを理解しているではないかという疑問は口にはしなかった。
「確かに、そうなのかもしれません。」
被災地を歩いてから、考えよう。
そう思ってアンジュは、兄や第二師団と共に被災地に降り立った。
あの神が起こした洪水被害は、ルーグ王国史の中でも最大級の被害をもたらした。後の歴史書には「ベルの怒り」と名がつくほどだ。未だに川の近くはヘドロだらけで、さまざまな農作物や小麦が育っていた場所は見る影がない。
ここは、王都でアンジュの足にナイフを突き刺してきたトーマス・カービンの故郷である。あの子は何かを助けて欲しいとアンジュに乞い、それに気づかず恨まれてしまったのだ。
「中途半端な救いは、憎しみを生む。」
あの日一度アンジュの姿を見たことがある人は、また助けて欲しいと懇願するし、どこかで王都の星願祭の情報を聞いた人間たちもまた救いを求めている。
星願教の教えには「正しく勤めたものを助ける」と言われている。しかし、ここに間違いを持って懇願する人間はいない。
王族のような手振りすらアンジュにはできなかった。
「魔術師様!魔術師様!」
アンジュは兄の言葉を思い出しながら、唇を噛み、その手を高く上げた。
すると空から尾の長い虹色に輝く鳥が、悠然空を滑空し、春夏秋冬全ての季節の色とりどりの花が降る。そして、アンジュの周囲は、いつものキラキラと輝く幻想の蝶が舞っている。以前、王宮で見せたアンジュの魔法よりも、より細かくより繊細な魔術。
それらを見た町の人々は、わあと歓声を上げる。花祭りが有名なデュラン領だってここまでの花はない。寒さで悴んだ手足にそっと大輪の花が温かさをもたらす。
現実は苦しく、直接の水害が終わってもなお、衛生環境の劣化や食糧不足などその余波によって人は心身ともに疲弊していく。
集まってきた子供達には1人一つ飴を配る。彼らの心が少しでも休まるようにと願いを込めて。
ーーーー
ーーー時を同じくして
ーーー王都 魔術塔
ルートヴィヒは、荒む心を抑え切ることはできなかった。王国魔術師のほとんどが、既得権益に溺れており、未来が見えてない。自分が彼らと同じ場所に所属しているとは思いたくない。
先ほどまで魔術師たちの会議に参加してきたが、王国軍に対する制裁ばかり考えており、辟易としていた。
彼らを今生かしているのは“歴史”のみで、現在の彼らに何もないのである。
苛立ちのまま、ルートヴィヒは自室を出た。火の魔術を惜しみなく使う魔術師はかなり減ってしまったが、ルートヴィヒは、綽々と自分の炎で魔術塔の暗い階段を降りていく。
数百年も前に呪われていると封印された部屋があり、魔術師の子供たちは大抵一度は肝試しでここへやってくる。曰く中に何もいないのに音が聞こえるらしいのだ。ルートヴィヒも子供だった頃に行ったはずだが、あまり覚えてない。覚えていないということは、何も起きてないのだろう。
いつ封印されたかは分からないが、それに使われている魔術式は、現在の「天才」ルートヴィヒにとっては子供騙しだ。それ以前に生きていたエル・ウォッカの魔術式に隠された「これは自分のものである」と小さな抵抗を示す暗号の方が何倍も難しかった。
そこの部屋が何を示しているのか、ルートヴィヒは考えられていなかった。なぜなら、ここに歩みを進めた理由は、荒んだ心からだった。
そこが本来幽霊を信じるはずがない王国魔術師が、呪いであるとして恐れて封印を施したのか。そんな部屋ができてしまったのか。それらの理由を開ける前に考えなければならなかった。
開いて、ルートヴィヒの頭脳は、それらをすぐに認識することを拒んだ。
それはルートヴィヒが正常な人間だったからだろう。視覚も聴覚も嗅覚も持ちうるすべての感覚器官がその場所を否定し、叫びたい声も奪われた。
それでも、ルートヴィヒは辛うじて目を動かす。
部屋にこびりつく夥しい血の痕。数百年前に封印されたはずなのに、まだしっかりと赤い。びっしりと書かれた羊皮紙の数々が何千枚と床に散らばっている。その中身を描いているインクも黒いのもあるが、ほとんどが赤い。そして、大量の虫の死骸もまた紙とともに散らばっている。その多くが蚕、それに類する蝶や蛾だ。そして、最も理解を拒んだものは
<ニンゲンダ、ニンゲンダ>
<ムシ、ムシ、マジュツ。>
<ツクレナイ、ツクレナイ。>
<アタマ、アタマ。>
一部の魔術式から学術言語である祭祀言語でつたない言葉がリズミカルに発されていることだった。
「そこで何をしているのです、ルートヴィヒ・ラドカーン。」
狂気の世界から引っ張りだしたのは、王都の魔術式防御システムの一部であり、近頃「エリヤ」と名付けられた存在だ。彼が魔術式防御システムの中にいたことが明らかになったのも、アンジュ・クラントが500年前王国から消えたエル・ウォッカであることが分かってからだった。今は、こうして自由に王都の中で現れたり、消えたりして、様々なところで幽霊伝説を作り上げている。
「何も、してなかった。……キミはここが何かわかるのかい?」
「封印された部屋ですね。」
「それは私も知っている。」
「では何を知りたいのですか。」
エリヤは、人のように話すが、実際には人ではない。思考部分をエル・ウォッカの脳の無意識領域を利用しているとはいえ、人と同じ感情はもたない存在だ。
「……ここは何の部屋だったかな。」
「使用用途をお尋ねしているのであれば、ここは日常を過ごす部屋です。」
「……日常、これが。」
「日常の言葉の定義を再確認します?」
ルートヴィヒは、逡巡した後に返す。
「これは、誰の”日常”なのだ。」
エリヤはアンジュと同じ色の赤い瞳は、瞬きすることなくルートヴィヒを見つめる。
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被災地の隅から隅まで、アンジュは巡り、華やかなマジックショーを行った。がれきをどかし、町を修復し、怪我人を治すことよりも、魔力と体力を消費した。それでも、兄の言う通り公益になるようなことをするよりもこの気休めのほうが、ずっとましであると思った。
被災地の壊れた田園がある場所の隅で、アンジュは座りこんだ。日が沈めば、そこには復旧作業をしている人間もいないので、漸く息を吐くことができた。
「さすがだったな、五星士の魔術師殿。」
ロナウドは、片手に温かい紅茶を手にしてアンジュに手渡した。
「さすが、でしょうか。」
「少なくとも、以前災害直後の、手当たり次第に人のけがを治した際のような混乱は起きていない。」
「……すみません、あの時の俺は。」
「もう、違う人物になってしまったか。」
「……いいえ、あの時があったから、やってはいけないことを認識したんです。」
当時も第二師団とともに行動をしていたが、当時はまだスイの身体だった。エルは、「アンジュ」であることにこだわっているけれども、やはり自分の身体ではないアンジュ・クラントは人格として不安定だった。
「ロナウドさん、俺は、過ちばかりです。人を救いたいと言う驕りから多くの人を犠牲にしてしまった。」
「クラント准尉、貴族である私も大して変わりない。いいや、最も君は人の命を救っている実績があるから、私の方がろくでなしだろう。」
ロナウドは、自身の持つ紅茶に映る少しだけぼけた像をみて、自嘲する。
「モンターニュ戦争で、私は多くの部下を死なせてしまった。愚か者だよ。」
いいや、「人を救いたい」などと言うのも誤魔化しだと多くの王国魔術師に、民に、後ろ指指されるに違いない。
あの狂った世界で、エル・ウォッカは壊れて、たくさん壊した。
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夜、空に浮かぶ月を見ていた。いつものように手遊びの蝶と共に。
【また眠れないのか。】
鳥の神獣であるクルルが、珍しく夜にアンジュの元へと戻ってきた。そして、チラリとアンジュの周りで舞っている蝶を見た。
それを見たクルルは、羽毛で隠れて表情は見えないが、劈くように叫ぶのだった。しかし、その声が届くのは、この王都には2人だけ。
【エル、エル、お前はまだ!】
「クルル?」
クルルは元の大きな形に戻ると、その羽で覆い隠すように包み込んだ。
【エル、お前がもう苦しまないなら、人間を滅ぼすことだってやぶさかではない。】
「……クルルは何を言ってるんだ。俺は人の神獣の血を引く存在だろ?人を失えば」
【神獣は耐えられないが、ただの神獣の子でしかない今なら神性を失うだけで済む。】
クルルが何をそれほどにも苦しんでいるのかが、アンジュには理解できず、ただ羽の中に埋もれていた。
クルルの叫び声を聞いたもう一人、スイ・ウォッカは、そこに静かに立っていた。
【ああ、スイ。起こしてしまったか。】
「ユピテルがエルと悲痛に叫ぶから、何があったのかと。」
クルルに包まれたアンジュもまた、訳がわからないとスイに状況を伝える。
【スイ、余は……。】
「大丈夫、俺はユピテルのことを疑ってない。エルに何かあったんだよ。」
スイがクルルに近づくと、クルルはその翼の中に引き入れた。
【すまない。取り乱した。】
「蝶が苦手だったか?あんまりはっきりとした像ではなくあくまで形だけど。」
クルルは押し黙ってしまう。何の思い当たる様子のないエルに、己の震えなど伝えてはならない。
「ユピテル。」
勘のいいスイは、それが何を意味するのか、察してしまった。
「大丈夫、俺がいる。」
「……、そう、だったな。」
あの時とは違って、今のアンジュには、スイがいる。クルルはそうやって双子を抱きしてめてやることしかできなかった。




