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星の泉  作者: 詩穂
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27話 北の砦③

北の砦での日常回はこれで終了。

死の森の原因となった魔術式はこのまま無くすというのが最終的な結論となった。毒の力を利用するとしても、管理側の神鹿は人間側の都合では動かないので却下された形になったのだ。



「今後死の森から毒がなくなるという情報はモンターニュ側は知らない。確かにそれは大きなメリットだ。そして、情報差を狙って攻め入ることもなしだ。理由は中央の情勢が不安定だからだ。」



 スイが危惧していたような開戦は、もう1柱の力によってなくなったわけだ。勿論エルの影響も大きいが。



「君が情報を入手したスパイからもしっかりと暗号を聞き出した。彼自身はずっと監視下に置くが、身の安全は保証する。」


 この三日間、絶えず北に貢献してくれたことに改めて感謝してベルンハルトは3人に頭を下げた。


「12年前の戦争の傷跡は深いな。」

「ここから遠い中央ですら、未だに引きずってるからな。」

「俺の母も息子とご主人を亡くしてる。ここから遠い場所に住んでるのに。ウィルの父親も職を失うほどの怪我をした。」


 ベルンハルトは苦笑した。


「それもこれもあの当時の魔術師が動かなかったからだ。」


 彼らが動けていればここまで悪化することはなかっただろうとベルンハルトは憎々しげに呟いた。態々「当時の」とつけたのはアンジュと区別するためだろう。ベルンハルトの言いたいことは分かるが、アンジュは彼らが動いたところで変わっただろうかという疑問があった。



「……そうだろうね。あのお坊ちゃまたちは戦争なんて怖くて行けないだろうな。銃弾より弱いんだから。」


 ちゃんと戦争で戦えるような魔術師は100年くらい前にいなくなってしまったんだ。


「今の魔術師とベルンハルトさんが相対して戦ったとして、魔術師は負けるよ。彼らの魔術発動よりも早くベルンハルトさんの剣の錆になるし、砲弾の一つも防げない。」


 例えば500年前の猿山の彼らだったら、恐らく苦戦などしないし、モンターニュ戦争なんてきっと簡単に終わっただろうけれど、12年前なら、そんなに変わらないだろう。


「今の彼らは力が無いことを必死に隠してる。魔導技術で戦力を誤魔化しているけど、魔導技術だけならモンターニュが勝つんだろう。長く続いた猛き者もついには滅びんか。」


 自分の国とは思えないほどに淡白に口にするアンジュにベルンハルトは呆れたように咎める。


「魔術師殿は国に滅んで欲しいような言い方をするな。」


 アンジュは答えなかった。正直なところ現在の体制が崩壊するのは構わない。しかし、ルーグは人が多く住む大国で、影響が計り知れないから中々アンジュもミルフィーやリーラの事情を抜いても背を向けることができかねるのだけは確かだ。


「まあいい、ンヴェネ。元の予定では2週間は滞在だったが、どうなんだ?」

「中央から何も。」

「王国軍と魔術部隊の喧嘩は悪化していってるよ。俺が発端だから申し訳なくはある。」


 元より仲は良くなかったけれども、多くの魔術師たちと違って、ヤナ長官は先を見据えているし、視野が広い。だから、直ぐにエルからもたらされた魔術式の現状をリスクとして評価した。

早く体制を整えて備える必要があるのだと、1人に頼りきりの国防などあってはならないと説明しているが、それを彼らは納得できてない。システムを構築したのはエルでも、500年の間絶えず運営していたのは彼らだからだ。500年も正常に稼働したシステムに今更脆弱性があるなんて彼らにとって現実的ではない。


「でも、俺はともかくいつまでもンヴェネをノスランド領に置いておくわけにも、いかないよな。」

「別にね、監視は僕じゃなくたっていいんだよ。例えばサフィが代わりに君の監視になれば、僕は中央に戻れるよ。ヤナ長官にとっては僕より信頼できるはずだ。それをしないのはまだ大丈夫ってことでしょ。」

「ああ、それに、中央は第一師団も第二師団もいるわけだし、地方には俺たちのような国境警備隊がいる。五星士じゃないとダメということもないからな。」

「でも、冬眠前のモンスターが荒れる時期ではあるはず。」

「ここからでもモンスターを倒せばいいさ。それで、十分五星士としての活動はできる。」


 冬はモンスターの活動が減少して、更に今年は広報関連が殆ど自粛のため、五星士に鍛錬以外にやることはなさそうという見通しだ。


「このままだと今秋はずっとノスランド領かもね。折角ミルフィーちゃんやリーラさんに来てもらったのに。」

「会いに行こうと思えば、王都内には簡単に行けるし、ここにもベルンハルトさんを起点に帰れる。」


 

 王都内に楽に行けるのは、魔術式から毎秒王都の最新の情報を吸い上げているからで、アンジュが安全に人を移動させるには王都の魔術式で情報を得られる範囲のみだ。王都御前町は、王都の魔術式から得られる僅かな情報と既存の地図と少しのリスクでボブと移動した。だが、今はベルンハルトという魔力起点がある移動場所もえることができたので北への移動は簡単になった。


『その移動方法、余も知りたいのだが。』


 戻ってきたクルルが、羨ましいと言った。


「竜の一族ほど自由には移動できないよ。」

『構わん。」


 とは言ってもクルルには眷属もいないし、設定した移動起点もないから対して役には立たなそうだが。

 アンジュの移動技術はさておき。


「魔術部隊が魔術師殿をそう邪険にするのなら春までここにいたら良いのではないか。雪が降ったら移動が難しい。ここら辺は50インチは積もるぞ。馬でも移動は時間がかかる。」

「それは流石にどうでしょう、バーニー隊長。雪が降る前に帰るべきかと。」

「あの部隊は、決まりごとを取り決めるのに時間がかかる。王国軍長官殿がここに魔術師殿を避難させたのには理由があるだろう?」



 ベルンハルトは補佐のサフィにそう尋ねた。


「ルートヴィヒ・ラドカーン以外の魔術師との相性が良くないと父からは。」

「今は大分畏って話せるようになったけれども、バーニー隊長やサフィにこんな感じですからね。権威が一番の彼らと話す機会を意図的に減らしてました。」

「ああ、そういえば、気が抜けてた。」

「我々も君が魔術師だという認識だから、何も気に留めてなかったな。」


 公表されている情報では、平民出身で五星士、魔法が使えるということのみだから、本来であればアンジュの立場は彼らに恭しい態度を取るべきなのだ。ただベルンハルトの初対面でアンジュが神の血筋を名乗っているし、魔術師としても一流となれば砕けた態度を取られても違和感を抱けなかった。


「まあ、我々に対してはそのままで構わん。」

「イェーガー隊長だけなら、エルの方が主人だしな。」

「そう言えばそうなるのか。」

「一介の護衛に過ぎない君は直したら?護衛くんは慣れてるでしょ。」


 アンジュ・クラントのコミュニケーション能力の高さはほとんどがスイに依存していたもので、エルの方は必死にアンジュ時代に倣っている。スイは納得してンヴェネの言う通りにした。


「まあ、そうしておくか。知らん奴から何か言われる方が面倒臭い。」


 スイはンヴェネに注意されれば甘んじて受け入れて、ベルンハルトに丁寧に謝罪をした。


「君は貴族の家にいたのか?」

「ええ、分かりますか。小姓(ページボーイ)として長い間主人の雑務を引き受けておりました。彼らに子供がいなかったので、後継にならないかという誘いも受けるくらいには学んできました。」


 ンヴェネは雑なスイのところしか見ていなかったから、面を食らった。


 春になるまで北に留まる可能性を考慮に入れたところで、アンジュがあっと何かに気づいたような声を出した後難しい顔をする。


「何かあった?」

「ウィルが任務で怪我したようだから。ちょっと酷めの打撲、完治は一か月(ひとつき)かかりそう。」

「ああ。」

「遠隔で魔術使えるのか?」

「俺自身は流石に遠すぎるけど、俺と繋がっていてある程度の知恵があるあの魔術式の彼に力を渡せばこのくらいの怪我なら治せる。ちょっとそれでも魔力の消費があれだけど。」


 その程度ならわざわざ力を使う必要があるかとンヴェネは思うが、双子にしてみれば贔屓の彼の怪我は何をおいても心配なのだろう。


「…寝る前にしたら?」

「そうする。」


 ンヴェネの年長者としての物言いに素直に頷いたアンジュを見て、ベルンハルトはつい噴き出して笑った。


「何か面白いことでも、バーニー隊長?」

「いや、何。魔術師殿は素直なプレティーンの子供のようだなと思ってな。」


 魔術を使う前の体が大体それくらいだから、ベルンハルトの話は合っているが、指摘されると妙に気恥ずかしい。


「分かります?」

「気になったことをどんどん口にする辺りな。」

「本当、嫌なこと思い出しますよ。」


 ンヴェネはそういうのは心底嫌なのだという表情で首を振る。


「それはさておき。我々としては魔術師殿の長期滞在をいくらでも歓迎しよう。ンヴェネも、元々は北の砦の仲間だからな。」


 ンヴェネはいろんなところに行くアンジュを見張っているので、あまり旧友と会うことがないが、ここには一番苦しい時期を乗り越えた仲間がいるのだ。


「言葉は感謝します。」


ーーーー



 夜。1、2時間ああでもないこうでもないと考えたのち、魔術式の彼にウィルの怪我を治せる程度の力を与えた。後はあの彼の判断能力次第だ。


「死の森は綺麗な森なんだ。人がいないから、昔の俺らがいた森のようだった。」


 スイはアンジュにポツリと呟いた。


「エルが毒にやられなければ、本当は見せたかった。」


 あの静かで穏やかに積もるように時が進む森を。それに対してアンジュは情緒のかけらもなくあっさりと答えた。


「兄さんが望むなら、迷いの森でも作ろうか。」


 それはきっと簡単なのだ。王都を管理する魔術式を作るよりもっと。だから、本当に気軽に、昼ごはんを作るような気楽さでそういったのだろう。


「…なるほど、エルなら可能か。」


 例えば100年後、ミルフィーやリーラ、五星士の気のいい人間がいなくなった未来で、安息の地を求めるならそれがいい。


「リレイラの村の近くの森を少しずつ変えちゃおうか。元々クルルの領域だし。」

「今からか?」

「いきなり変わったら、周りは適応するのが大変だからね。」


 あまり人を殺したくないエルなら当然か。住む場所が奪われるだけで人は生きることに非常に苦労する。その結果の王都御前町でもある。


「ルーグ王国が終わっても、続く場所があるなんていいな。」

「ん、いい場所になるように作るよ。」


 任せて欲しいと嬉しそうにアンジュは笑った。


ーーー


 ところ変わって王都。

 ンヴェネたちが北の砦へ向けて旅立ってから1週間程経過していた。

 ウィルはヘマして全身強く打ち付けたせいで身体中が痛い。ルサリィは心配してくれたが、ルジェロは軽蔑した視線をよこした。

 痛い身体を我慢してなんとか夕飯を食べ終えると、待っていたルサリィは2人に笑いかけて立ち上がった。


「報告書は私の方であげるから、2人は自由にしてていいわよ。アンジュがいないから暫く大きな怪我は気をつけないとね。」


 アンジュが王国軍にいたのなんて半年程度なのに、アンジュが怪我を治してくれるのに慣れきってしまっていたから、ウィルは暫くこの怪我と共に過ごすことに憂鬱さを覚えてしまった。

 ルサリィの気遣いを受けて、今日はもう安静にするしかないと自室まで戻ったが、寝ようにも普段は起きている時間で目が冴える。ルサリィは今報告書を書いているところだから邪魔になるし、どうせルジェロは剣を振っている(振っていなかったとしても話すことなんてないのだが)。


 五星士じゃない人間に会いに行ってもいいのだが、わざわざ痛い身体をおして会いに行くのも億劫になっていた。呆然とベッドの上から天井を見る。


「あなたは暇そうですね、ウィル・ザ・スミス少尉。」


 見ていた天井からぬっと現れたのは魔術式防御システムの中にいる彼だった。エル・ウォッカにしか知られてなかった彼に名前は無かった。最近アンジュに命名してほしいと言われたが、未だ決めかねていた。


「その通りだ…、やっぱり名前がないとなんな難しいな。アンは何か言ってたか?」

「本体は自分が決めると碌なものにならないと仰っていました。」

「アンの方が色んなこと知っているだろうに。」


 と、ウィルは疑問を口にすると、恐らくですがという前置きの元口にした。


「本体は具体的な『誰か』を作りたかったのでは無いだろうかと僕は思うのです。」

「…作る?」

「でも、それを作れなかった。だから、本体はその名前をつけられなかったのだと僕は考えています。ただそれ以外の名前をつけることも抵抗があった。」


 ウィルは納得してそれ以上を口にしなかった。


「頼みがあるんだけど聞いてもらえるか。」

「なんでしょう。」

「俺は今身体中が痛くて動かすのも億劫なんだ。だから、なんでもいい。人名辞典とか、教典・神話とかの本を持ってきてくれないか。」

「あなたが僕の名前を考えるということですか?」


 ウィルは同意すると実体を持たない彼は大きく頷いてみせた。


「そうとなれば、僕が手伝わない選択肢はありません。」

「助かる。」


 すぐに彼が目の前から消えたと思ったら、ものの数秒後にはバサバサとウィルのベッドの上に本が落ちてきた。、


「あのさ、どこまでアンと繋がっているんだ?」

「それは僕にはとても難しい質問ですね。僕から本体へ連絡を取る手段はありませんし、本体の感情を窺い知ることもありません。」

「でも、アンはお前の目を使うことができるんだよな?」

「本体ですから。僕は魔術を使うこともできません。僕に与えられたものはあの魔術式を終わらせることと話すことだけです。」


 それらの機能に付随してデータを参照することはできるらしいが、話すことを求められた彼が約500年の間只管待つだけだったのは、ウィルは惨いと思った。


「んー、やっぱりそこまで放置したアンを許せないことはないのか?」

「以前も話した気がしますが、そこまで僕に感情がありません。僕も本体と再び出会い、本体の記録を探したのです。魔術式がしっかり稼働した1年3ヶ月程度の情報しかありませんでした。その中で見るにやはり今のアンジュ・クラントとは別物なのです。」

「別?」

「その時のエル・ウォッカというものはほとんど心が壊れていて、人間というよりは僕のような作られた絡繰でした。」


 スイがいうには、エルは好奇心旺盛で落ち着きがなく、1人でどこまでも行ってしまう人間だったらしい。現在はそれよりは落ち着いているが、そんな性格をした人間が絡繰のようだったというのは俄かに信じがたい。


「500年前のスイ・クラントやリーラ・クラント、ミルフィー・テロットの力は偉大でしたね。よくここまで戻るものです。」

「アンはなんだかんだ人に愛されているんだよな。」


 敵も多いが、深く愛してくれる人間が周囲には揃ってる。ルサリィは、ミルフィーに遠慮しつつも姉のようにアンジュを構っているし、ンヴェネは嫌悪感を出しながらも見守り続けている。ルジェロは好いてないのは確実だが、対等な人間だとは思っているだろう。


「そうですね。」

「なんか言いたい?」

「ただの雑談ですよ。」

「の割に重い話題だな。雑談なら、美味い酒の話でもしてくれ。」

「高い酒はバルバのウィスキーですね。味は知りません。」

「飲めんの?」

「あなたはどう思いますか。」


 どうみたってそんなはずがない。彼はあくまで情報体なのだから。その考えは筒抜けだったようだ。


「この王国の魔術式内であれば僕はどこにでも現れますし、消えることもできます。」

「そう言っていたな。アンが今はそういう設定にしたって。」

「それは僕が情報でしかないからそうなるのですが、あなたは本体の魔法を知っているでしょう。」

「どれのことを言ってる?」

「本体は本物の生物を出現させることができるのです。」

「…そういえば。」

「一度僕は本体によばれたことがありました。」

「アンは本物の生物を出せるっていうことは。」

「そう、本体の魔法や魔術でよばれたときに限って、僕は肉体を得ている。その時なら僕も飲んだり食べたりすることが可能でしょう。」


 エルの魔術というものは誰にも想像がつかないほど優秀なのだろう。


「じゃあ、その時、酒飲もう。」


 見た目は10歳くらいの少年だけれど、中身の年齢は500歳近いのだから飲酒なんて瑣末なことだろう。


「ウィル・ザ・スミス少尉、貴方が本体にお願いしてくださいね。」

「分かってるよ。」

「僕はその日を楽しみにしていますよ。」


 そんな雑談を重ねつつ、本をめくる。気がつけば夜も深くなってきた。


 その時、不自然に一瞬彼の動きが止まった。その挙動は人間らしくはなく、途端に作り物のように感じる。しかし、すぐに動き出すとウィルに目をやった。


「本体が魔術式を通して貴方のけがを察し、僕に治療する魔術を与えました。」

「え、見てたのか。」

「いつもというわけではないようです。そんなことしていたら本体の脳が幾つあっても不足します。ただ貴方は目印があるから異変に気づきやすいんです。」


 目印と言われて、父より受け取ったカフリンクスを思い出す。


「そっか。見守ってくれてたんだな。」

「治しますよ。」


 彼がウィルの肩に手を置くと、大きな円の魔術式が現れた。アンジュの魔術のはずだが、使う人間が違うからか非常にゆっくりでじんわりと滲むように力が染み渡った。


「なあ。」

「なんでしょうか。」


 ちょうど開いていた人名を見て、彼に話す。


「エリヤ、ってどうだ?」


 魔術をかけ終え、彼は一拍置いた。


「畏まりました。これより削除システムはエリヤという名前になります。」


 恐らくそういうようにプログラムをされていたのか、作り物の回答をした。


「な、何にも考えずにそれでいいのか。」

「あなたは真面目ですから、ふざけた命名などしないという認識があったようです。」

「確かに真面目に考えたのは間違ってねえけど…。」

「本体は、貴方に…。待ってください。」



 何かを言いかけたあと、暫く彼は固まった(フリーズした)


「本体から貴方にお願いがあるようです。」

「え、何だ。」

「場合によっては、なかなか王都に帰れないかもしれないようです。もしミルフィー・テロットからお手紙を受け取った場合は、この部屋の上に置いて欲しいとのことでした。そして、返事もここに置いておくので気づいたら渡して欲しいとのことです。魔術式内なのでミルフィー・テロットの部屋も見ることは可能だけれど、気が引けるのでとのことです。」

「そういうところアンは意外と常識あるよな。何も気にしてなさそうなのに。勿論それくらいなら余裕でやってやるし、ミルフィーちゃんに渡すのも、俺の実家に持ってけばいつかミルフィーちゃんに渡るだろ。」

「本体が魔術式を通して聞いてる可能性がありますよ。」

「そうだった。」

「手紙の件は了承の信号を送っておきます。」


 勿論ミルフィーとのアンジュの恋愛に全面協力するつもりのウィルは手伝うことはむしろ歓迎する。しかし、漸く近くなったのに、再びこうして離れ離れになるのだから、部外者のウィルでも恨めしい。


「何かありましたか?」

「この国の国境で一番危険なのが、その北なんだよ。」

「ああ、500年前から変わりませんね。497年前エル・ウォッカが多くの魔術師を殺し、王都の要人を何人も殺した影響で政治が混乱して、モンターニュの騎士団が隙を見て北西にある都市イカリアナを占領し、国を作った。」


 それもまたエル・ウォッカの罪の一つでもある。とはいえ、数式を使った魔術式の開発、王都での感染症予防も含む王都防衛で多大な貢献も残しているわけで恩恵と罪なら、恩恵の方が大きいから、ヤナ王国軍長官もアンジュの肩を持っている。(勿論国のことを鑑みたら、一度王国を憎んだ人間に強権を持たせている状況は非常に危険だというのが最も大きな理由だ。)


「そっから始まったのか。モンターニュなら、アンジュが建国の祖父レベルじゃん。うーん、そういえばイカリアナって大きい遺跡があったっけ。」

「クルス遺跡ですね。文字の情報しかないので確実なものではありませんが、古代文字の石版などが多数発掘されています。多少の解読が進んでいるようですが、モンターニュ戦争の弊害で現在は停滞しているようです。」

「アンなら古代文字読めんのかな。」

「500年の文法や文言がわかっても、さすがに本体は2000年近く前の文字は分かってないと思います。」


 500年前と文字や文法の体系はほとんど変わっていない。


「本体の知識は、500年前ならば最新でしたでしょうが、今はこの500年の学問の進歩に追いつくのに必死ですよ。」


 最近のアンジュがところ構わず本を読んでいるのはよく見る光景だったし、夜目覚めた時に彼が部屋にいないこともあった。精神的に疲れているからというのもあるだろうが、そう言った時間としても使われているのだろう。


「長生きだから、そんな不健康そうに生きなくたって、たくさん読めるだろうにな。」

「本体は知識さえあれば魔術に転用できるので、簡単に武器になるんです。」


 そう言った後少しだけ考えて、


「いえ、身の安全のためかもしれませんね。知らない魔術は打ち破るのが難しいですから。」

「俺たちがひたすらに剣を振るうのと同じか。」

「はい、そう思います。」


 ほとんどがアンジュの話となってしまったが、ウィルがエリヤと名付けた彼はウィルが眠くなるまでそばにいて話を続けた。


ーーーー



 日が明ける直前にアンジュは城砦の塀から外を眺めた。空気は既に冬のような鋭さを持ち、息が白い。闇の中に広がる広大な森は境界を曖昧にさせているが、森の向こうは異国であるモンターニュの土地だ。ここら辺はまだ死の森ではないが、この途中から突然死の森に切り替わるところがある。


 闇の中から何かが光った。人工的な光だ。


 それとほぼ同時に、北の砦のラッパが鳴り響く。


「配置につけー!」

「いつもいつもアイツらは元気だねぇ。」

「気を緩ませるな!」

 

 アンジュが見たその光の元というのは、小さな火薬だ。同じように発見した国境警備隊たちは慣れた様子で迎撃体制をとる。規模としてはお互い威嚇のようなものらしく、どれくらいで対応されるのかを見ているらしい。


「俺も役に立とう。」


 国境警備隊から見限られている中央の魔術師のようにはなるまいとアンジュは頭上に大きな魔術式を展開させる。魔術式は力の発露によりキラキラと輝き、遠くでもはっきりと視認できる。何の話も聞いてない国境警備隊は何だ何だと騒いでも、真面目な人間たちは向こうの遊撃隊から目を離さない。


「大丈夫、俺も威嚇だよ。」


 その大きな魔術式から大きな竜が顔を出した。アンジュとしては明らかに能力値が低く竜の再現性は低かったが、向こうも本物なんて知らない。敵も味方も等しく口を開けて驚いている。威嚇のためなのだから見えづらいと困るので、光の粒もつけて目立たせる。


 悠然と空に舞う竜を見て、森の中にいたモンターニュ兵はあっさりと撤退していった。(開戦をする予定などないから、遅かれ早かれ撤退する予定ではあったはずだが、それが想定よりも早まっただけだが)

 完全に撤退したことを竜の眼を借りて確認した後、竜は泡となって消えた。その瞬間アンジュの背に何か小さなものが高速でぶつかった。


【ちょっと、アンジュってばどういうこと!】


 その小さなものは、小さな竜でルニアだった。彼女は持てる魔力を持って全力で飛行してきたようだった。そして、ルニアは夜明け前の薄暗さも相まって周囲を気にせず、人の姿になり、人の腕でアンジュの襟首を掴んだ。


「る、ルニアはどうしてここに。」

【いるはずもない同族の気配を感じたんだよ。だから、すっごく慌てたの。】

「ご、ごめん。もう消したよ。それに竜の再現性は低かったはずだ。」

【それでも、僕の力に呼応したんだから、本物だよ。怖いなぁ、ホンモノが作れるんだ。雨の神獣の時のミニドラゴンは竜族の力を感じなかったのに。】

「俺が俺自身を取り戻したからじゃないか?」

【……そういえば、以前のように魔力がぼやけてないね。】


 ルニアがマジマジと舐めるように全身を見る。


「エル、何やってんだ。」

「新入りくん、こんな朝から浮気?っていうかあれ、君あの村の……。」

『まだ生存していたのか。』


 2人と一柱が騒ぎを聞きつけてアンジュの元にやってきた。

 薄暗闇の中でルニアが両手でつかみかかっているのは、側から見て抱き合っているように見えたので、ンヴェネは軽蔑な視線を送っていたが、アンジュはそれどころではなかった。


【鳥の神獣……!】

【その様子だと、神獣の血縁者以外に話すことはできなさそうだな。】

【クロノスを殺しておいてよくノコノコと顔を見せるじゃん。】

【御前こそ弱体化している癖に、よくそんな口が聞けるな。】

【見てる限り君もそろそろ代替わりしないと厳しそうだけど?いつまでしがみついているつもりなの。】


 ンヴェネだけが彼らのやり取りがわからず、アンジュが何故顔を顰めているのか分からなかった。


 アンジュの足元が魔力を帯びた光を放つ。しかし、それが魔術式となる前にスイがアンジュの首に剣を突きつけた。


「エル、それは止めろ。」

「どうして?」

「それは喧嘩の仲裁にはならない。」


 アンジュは納得いってなさそうだが、魔術を発動させるのをやめ、スイは剣を下ろした。


「…で、ルニアとユピテルはその喧嘩腰なのをやめてくれないか。エルと俺の顔を立ててさ。」

【そうだね、今更鳥の神獣に怒っても仕方ないことなんだ。1000年近く昔の話だし、正直僕は関係ないし。】

「……クロノスを殺したの俺たちの父さんだから、クルルに怒らないでほしい。」


 ルニアが怒りを取り下げようとしたところで、アンジュは余計なことを言った。天真爛漫のルニアの顔が止まった。


【エル、ややこしくなる。そもそもは余が売った喧嘩だったから、発端としては正しいんだ。】

【アンジュ……。折角の初めての友達…。】

「ごめん、ルニア。」


 スイはどうしたものかと考えていると置いてけぼりのンヴェネが目に入った。


「状況だけ説明すると、ユピテルとルニアは神獣で仲が悪い。原因はユピテルが竜の神獣であるクロノスを殺した云々が理由らしい。それをエルがややこしくしている。」

「端的でわかりやすいね。ルニアちゃんも神獣だったわけか、どうりで話してないのに仲がいいはずだよ。」


 ルニアは、うーんうーんと頭を悩ませた。ルニアは元より激情家ではない。真にアンジュとは仲良くできると思っていたから、漸く600年の孤独から解放されたと思ったから、信じたくないと言う思いの方が強い。


「隠したくなかった。」

「よく分からないけど、新入りくんたちの父親が竜を殺したっていうのは本当だよね。」


 ルニアは何かを言いたげだったが、そうして騒いでいるうちに日が登り始めて部外者のルニアの姿が周囲にもバレ始めた。ルニアは砦の外へ行かせないと不味いかと思っているうちにベルンハルトに呼ばれた。


ーーーー


 事情をあらかた聞いたベルンハルトは頭を抱えた。


「すごいな、魔術師殿。たった数日で俺の世界がひっくり返ったぞ。」

「本当ですよね。まだ出会ってから一年経過していないと言うのが信じられないくらいです。3年は経過しているでしょ。」

「俺もそんな気がしてきてるから、揃いだな。」

「おい。」


 竜を魔術で生み出しただけでも、意味がわからないのに、それに釣られて絶滅した竜の神獣がやってきたなんてあまりに意味が分からない。ンヴェネが馬鹿にしたように言っても、当の本人であるアンジュが他人事のように信じられないと同意してくるから少し腹が立つ。


「神獣って正直俺は伝説的なものだと思っていたよ。こんなに身近にホイホイいるなんて思っても見なかった。」

「バーニー隊長、少なくとも五星士は全員同じ気持ちです。」

「神鹿は度重なる戦争で人間嫌いで、モンスターが人間を襲うのを推奨しているから、神鹿の領域のように気付かないでしょうしな。最も神鹿の領域はもう少し山の方だけれど。」


 スイの方がアンジュよりも人間のことがよく分かっているようで、スイが補足したことで多少納得したようだ。当事者のアンジュが一番他人事のように彼らの話に耳を傾けていた。


「竜を出しただけで大事だなぁ。」

【だって、もう500年前に絶滅しているんだよ。君のその力を使えば、絶滅種さえ復活させられるんだ。】

「あんなに偽物でも?」

【僕が分かった時点で本物なんだってば。】

「ルニアは逆になんで分かったの?普通気付かないだろ。」

【多分これは絶滅危惧種や絶滅種の神獣だけが分かるんだよ。同族がまた1人と消えていく感覚が分かるようになって、数少ない子供が生まれた時も分かるようになるんだ。】

『エル、竜の神獣の声は神獣の血縁者以外に聞こえない。1人で会話しているようになっているぞ。』


 クルルのようにその血縁者を媒体としてその種族の別の者にも声を届かせるということがルニアにはできない。だから、アンジュは1人ごとを話しているように聞こえる。


「そうか…、でも、大したことは話してないよ。」

「エルは偽物の竜、竜の神獣であるルニアは本物と言い張るっていう張り合いをしてたな。」


 普通の人間たちからしたらどうでも良いことだったが、アンジュは頭が良い種族なのに、脳の再現が全くできてないからルニアが気にしているのを納得できなかった。ただルニア曰く竜は人間ほど均一ではなく、大きいもので体長10メートル、小さい物で10センチメートルしかなく、頭の良さというのも、かなり体によって大きく変わるのだという。


【アンジュが生み出した生物は魔法は使えるの?】

「理論上は可能だけど、俺が作った生き物には魔法を使うだけの頭はないよ。」

「だから、エル。ルニアの声は人間に聞こえてないんだってば。」

「でも、何を尋ねられたか分かるだろ。」

「今のはそうだけどな。」


 ンヴェネやベルンハルト、ベルンハルトの側に控えていたサフィは、アンジュの発言に頭を悩ませた。中央貴族出身のサフィは、魔術師が減少している現状を重く受け止めているので、眉間に皺を寄せながら口にする。


「つまり、魔力持ちで意思がない人形だけれども、人間が作れるということでしょうか。」


 それなら、ルニアの竜族復活も、王国の永遠の課題である魔力持ちの人間の増加も、アンジュの力一つでクリアできるのだ。そして、アンジュは躊躇わずに“研究者“として、


「理論上は可能。」


と、あっさり答える。


「でも、実際にやってみないとどうなるかは不明で、やってみる気はない。俺が作成したということは俺の一存で勝手に消せる。結局あの魔術式以外の厄介が増えるだけだし、俺は擬似的な眷属のような存在が増えるのが無理。」

「そうか。でも、まあルーグ王国も少しずつ転換してきて、魔術師頼りではなくなりつつある。それこそ、王都くらいだ。」

「隊長、ルーグ王国の権威は恥ずかしながら魔術師たちから始まっています。今中心となりつつある魔導技術も、要である魔力結晶から魔力の転換に魔術師の素養が必要なんです。あのモンターニュに負けている部分でもあるのです。モンターニュの魔術式は単純明快かつ転換技術が絡繰なのです。」


 王国の中心を見なければ、魔術なんて不要。でも、簡単にそうはいかない。


「ああ、確かに。王国のは複雑だから、たくさんの魔力変容が使われている。一長一短ではある。お陰でルーグ王国の魔導技術の方が省エネルギーで、魔力結晶を多く使わない。」

「でも、使える奴がいなくなるなら、そんなこと言ってられないだろ、エル。」


 魔術を基盤としているから、エル・ウォッカに対する依存度が高くなる。本当は王国からエルを引き離したいスイからすれば、モンターニュのような国になっていってほしいのだ。


「基本的に才能頼みの世界から、技術と努力で万人が平均値の能力を得られるようになりつつある人間社会において、魔術だけが未だ才能の世界だ。才能を中心としている社会は不安定で、才能が尽きた瞬間とともに崩壊する。それは確かに望んでない。」


 スイやアンジュの話を聞いてサフィは大きく頷き、父親が彼らの意見を受け入れていることに納得した。


「いくらでも自由に振る舞うことが可能でも、王族の命運すら握ることができても、貴方たちは人間社会を壊すことはしないのですね。」

「だって、僕らは目の前にいる人間を生かすことはできても、この国に生きる全ては見きれない。」

「当然です。」


 国境警備隊の隊長ベルンハルトは本来中央所属の若い彼らを見て微笑んだ。


「国の中枢にお前たちがいる未来は安心するよ。」

「ベルンハルト隊長が安心して北を守れるように頑張ります。」


 聡い人間たちを見て滅んだ竜族のルニアは、頭が良いとされた竜が最終的に滅んだ理由がより明確になった気がした。

 ルニアともう竜は出さないと約束するとルニアは元の場所へと戻っていった。


ーーー


 すぐに治せる人間は、すべて治癒してしまったから魔術をかける対象は減っていたが、数日置きにアンジュは病院で患者を診ていた。

 その帰りのこと。目の前にふらふらと歩いているアルベルトを見かけ、思わず駆け寄って声をかけた。


「だ、大丈夫…、ですか。」

「あ、ああ、うん、ごめん。立ちくらみで。」


 アンジュからしてみれば、アルベルトが普通の軍人としての生活をおくっているのは、異常なことだ。殆ど彼は意地だけで今立っているのだ。無理をするなと言うのも可笑しいくらいだ。


「痛いだろう、少しだけ魔術で和らげるよ。」


 あまり痛みを忘れてしまうと大事なシグナルも失われてしまうし、感覚が朧げになってしまうから、完全に取り去ることはできない。ボロボロのアルベルトの手を掴んで少しでも楽になるようにと願う。


「……なんで。」

「ん?」

「なんでお前が泣いているんだよ。」


 アルベルトに指摘されるまで、アンジュは自身の頬を伝う温かい水滴に気づかなかった。でも、ニコリと笑って答える。


「ごめん、泣き虫なんだよ。」


 アルベルトは綺麗に泣いて笑うアンジュに口をつぐんだ。背後で見守っていたスイが静かにアンジュと隣にぴたりとくっつく。


「気にしないでくれ。俺の弟は、言葉にするのが苦手なんだ。」


 アンジュが魔術をかけ終わってふと手を離す。アルベルトは、離れた温もりの名残惜しさを感じて、握られていた手を眺めた。


「……痛くない。」

「うん、寒くなってきたから気をつけて。」


 その魔術師が目の前から立ち去ってもなお、アルベルトは暫く立ちすくんだ。


 幾つも存在する悲劇の一つ。

 それでも、出逢ってしまったから。目の前に現れてしまったから、できることなら手を差し伸べたい。



「結局それで救えることなんてなかっただろう?」


 エルの頭の中で殺した人間の声がずっとバカにしている。


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