27話 北の砦①
アンジュ・クラント(現在はエル・ウォッカ)
スイ・クラント エルの兄
ンヴェネ・ルーイ(25) 五星士のリーダー 雷の銃
スイはエルが1番だという生活を送ってきたが、
「あの夫婦の血縁者に会ってみたい。」
と思うようになった。エルも手伝うとは申し出たが、彼らは子供がいなかったから直系はもういないだろうとその時には口にした。そして、数日経たずエルは、現状調べうる限りの結果を伝えた。
「ドルク・クラウズ伯爵家の当時の領が、大体現在のラシェルの街なんだけど、300年前にマクスウェル家に変わってて勿論土地の線引きも違う。因みにドルク・クラウズ伯爵家は昔ながらの騎士の家で魔術師を輩出してない貴族だ。」
「へぇー、エルはそういうのも詳しいんだな。」
「兄さんが知りたいというから、王宮書庫に忍び込んだだけだよ。そこは昔から入り浸ってる僕の庭だけど、家系は気にしてなかったから初めて貴族名鑑を読んだ。」
「ってことは、クラウズ伯爵家は今どうなってるんだ?」
「クラウズ伯爵家はドルクさんの後は甥のサヴァ・ウォッチャーが継いで…、プルミー・クラウズの時代で断絶したようだよ。これが今から250年前。どこかに女系はいるかもしれないけど、男系ではもう追えない。…どこかにはいるだろうけど、王国の公式記録にはないね。奥方も調べてみるよ。」
「ウィルが奇跡的に直系なんだってのが分かるな。」
「平民だからなおさらね。僕の魔術式の影響下にいたのも良かった。それでも奇跡。生まれ変わりという言葉を信じるくらいにはウェンにもよく似ている。」
それにはスイも同意し、運命というものを信じ始めたきっかけた。
「会えそうな気がするんだけどな。」
「うん、会えるよ。きっとね。」
貴族の家系なんて何の興味もなかったが、調べ出すと意外と面白い。エルが憎んだ相手の記録も着々と歴史を繋いでいる。
「王国魔術師側は近親婚も多くて病気家系も多いな。」
「近親婚ねぇ。」
「叔父と姪とかね。年が近いこともあるけど、10以上離れることもしばしば。」
「それって神獣側でも起きたりしないのか。」
王国魔術師が相手が魔力家系であることを求めて近親婚をすることがあるが、神獣自身はどうだろうと首を傾げた。
「さあ、基本的には自分が永遠で、僕らのような血筋の方が先に死ぬことも多いんじゃないかな。神獣と神獣の血縁者というのは似て非なるものだから。」
「それって俺たちのような双子がいて、片方が神獣になって、片方が神獣にはなかったら、神獣にならなかった側が先に死ぬのか。」
「あくまで推測上ね。僕もホラのレベルで話しているからなんとも。神獣の交配については竜の神獣がとてもよく観察しているから、今度聞いてみるか。」
「殆ど蛇の血の竜の神獣か。」
エルは頭半分を貴族名鑑に取られながら、スイの疑問に答える。スイの方が様々な神獣に出会っているが、ルニアは今までにあったことない例外だ。
「神獣になると、お前とお別れしなきゃいけないなら、俺はなりたくないな。」
「…そうだね。でも、僕らは神獣じゃない。現実的には兄さんの方が早く成長しているから、俺の方が生き残りそう。」
「俺は死なないよ、エルが生きている限りはな。」
「すっごい自信。」
「だってそうだろう。いつもエルが俺たちの健康や生活に気を配っていたんだから。エルがいなくなってから、生活を維持することの大変さに気づいたよ。」
エルがいなくなった後のスイは生活の小さなところ、例えば洗濯や服の修繕、歯や爪の手入れなどが行き届かなくて苦労したと話すと、エルが幼少の頃は全て魔法で解決していたことを思い出す。
そこへ暫く留守をしていたクルルが2人の元へ戻ってきた。
「久しぶり、クルル。」
【エル、気分は悪くないか。】
「どうした、もう猫被りは終了?」
アンジュが尋ねるとクルルは首を振る。今思い出せば何故かユピテルはずっとエルの振りをしていたのだ。
エルも所々アンジュらしさをついつい失って昔のような話してしまう癖がなかなか抜けないから、ある意味同じか。
【エルの記憶があるのに、あのように話すとなると恥ずかしくなるのだ。余もここまで己の感情があるとは思わなんだ。】
スイの肩に乗り、スイの頭の陰に隠れながらチラチラとアンジュの方を見やる。
「乙女か。何でユピテルはそんなにエルが気に入ったんだ?」
【エルだけではないぞ。余のほうにスイの情報が無かったからスイが省かれていただけだ。】
「クルルは父さんが好きだったんだよ。」
「へえ、助けてくれなかったのに。」
【ぐっ。】
「クルルは父さんが死んだことを知らなかったんだよ。」
「結局それだけだったってことだろうさ。」
【悪かった、本当に謝る。当時、余が神獣のトップだったが、何も守れなかったんだ。ナイが残した忘形見も結局守れてない…その通りだ。】
「兄さん。」
「分かってるよ、ユピテルが本当に俺たちを大事に思ってるのは。だから、罪悪感に駆られて、他種族であるアンジュのことを見守っていた。分かってる、全て終わったことだ。」
「…兄さんはそんなこと思ってないことないと思ってた。」
エルも似たようなことを思っていたが、神獣ユピテルの事情を知っていた自分はもうそれを口に出せなかった。だからなのか、スイが口にした。
「なんだろう、昔なら思わなかったのにな。ぶつけて悪かった、ユピテル。」
【……いいや、助かった。】
スイがクルルの頭を優しく撫でる。それはアンジュ・クラントの仕草と全く同じだった。
【魔法とは恐ろしいものだな。】
「なにが?」
【いいや、エルやスイとアンジュは別人だが、同一人物なんだなと思ってな。ものだな?】
「僕が人格のベースとなっただけの別人だからね。俺はアンジュらしく振る舞うように心がけているんだけど、何が正しいかは分からなくなる。王国魔術師として振る舞おうとするとアンジュじゃなくなる。恐らく魔術師や大人を怖がらないようにする魔術を使っているから。」
「そんな魔術使ってたのか、無理してんならもっと俺を矢面に立たせろ。」
【無視しておけ、お前を尊敬しない奴らなど。】
「2人とも優しすぎる。いくら子供の身体とはいえ、30年は生きているんだよ。」
【それでも、子供は子供だ。エルは成長が遅いのだから。】
「そうはいかないよ。さ、そろそろ寝ないと明日辛くなる。」
本を閉じてエルは立ち上がり、話を変えようとするがクルルの追求は続いた。
【そうして無理して、結局大爆発起こしたらどうなる。エルが結局王国に残った理由は愛している人たちがいるからだろう。彼らを傷つける、もしかしたら、殺してしまうかもしれないぞ。エルは自分の力を過小評価するな。】
エルは態とらしく耳を押さえて、
「耳が痛いからやめて。」
と、親の言いつけを無視しようとする子供のように振る舞う。
「それでも、500年前は10年は耐えたんだよ。今は兄さんがいて、たまにクルルもいるんだよ。さらに会いに行ける範囲でミルフィーもリーラもいるんだ。」
「エル。それでも、500年前は真っ新だったんだろ。今は500年前の傷を抱えている、治ってないはずだ。」
「兄さん、確かに未だに怖いけど、今こうして五星士としていられることは幸福だよ。さっさと、部屋に戻ろう。」
腰の重いスイを立たせるが、スイは少し不貞腐れた。
「俺も客室じゃなくてエルとウィルの同室が良かった。」
「ベッドを置く場所がないよ。」
「寝るときだけエルが魔法を解けば同じベッドで寝れるじゃん。」
「兄さん、今のこの国では同じベッドで寝るのは夫婦だけなんだってさ。ただでさえ、ンヴェネやウィルに極度のブラコンだと揶揄われているのに。」
「彼らは所詮ただの人間だよ。」
スイは何かに執着するような性質ではない。でも、エルだけは違う。
「100年後、生きているのは俺たちだけだよ。ミルフィーもウィルもそこにいない。」
「はいはい、兄さん。100年後常識が変わっていたらその時に同じベッドを使えばいい。」
「流石に100年後にはお前も大人の身体になって狭そうだからそれはいいや。…エルは自分の時が他人とズレていることで苦しんだことはないのか。」
「ズレることを悲しむくらい大切な人間がいなかったんだよ。兄さん、俺もう寝るよ。」
いつもならこんなにスイは面倒くさくないのに、エルが話を切ろうとすると妙に食い下がった。偶然メンタルが落ち込んだのかもしれないからし、500年前の大切な人の子孫が見つからない悲しみを想起させたのかもしれない。
スイは大袈裟に首を竦めて、悪かったと謝罪した。エルが今触れられたくないなら触れるべきではないとスイ思いつつも、聞かないと一生分からないままエルが1人で苦しんでいきそうな気もしてしまうから、追求し確かめたくなる。そのバランスがスイは難しいなと頭を悩ませた。スイが悩んでいる隙に、アンジュはじゃあと手を振ってウィルがすでに休んでいるだろう自室の中へと戻って行った。
【虫の神獣と深く話したらどうだ。スイの気持ちを慮ってくれるだろう。】
「むしろ何でユピテルはからっとしているんだ?」
【余は何時如何なる時も自分を優先しているからな。…そのせいで失ったものは幾つもあり、後悔も多いが。】
「例えば父さんとか?」
【その通りだ。しかし、思えばそれからだな。後悔をするようになったのは。】
「エルは多分もうほとんど父さんのことを覚えてない。よければ聞かせてくれよ、父さんのこと。」
【ああ、今度な。あの頃のエルは家族のことを覚えておらず、結局ナイの話もほとんどできなかったからな。】
「……そうだったのか。」
エルは一度もそんなことを言ってなかったから、まったく気づかなかった。しかし、当時父親の首が落ちたことをすぐに理解して魔力暴走させたエルを大人しくさせるために王国魔術師がしそうなことでもある。
「ミーシャと同じように忘れてしまったんだな。」
サンセット・ブリッジで父親の首を落ちるのを目撃する羽目になった少女ミーシャは、500年前のエルと同じだった。だから、あの時のアンジュは激怒したのだ。だが、思い出そうとするとスイは父の頭を持って逃げたあの日が脳裏に写って苦々しく歯ぎしりした。
「助けて欲しかったなぁ。」
スイは落ち着かないので、渋るエルを説き伏せて床でもいいから同室で寝る許可をもらってこようと思った。
【…スイ。】
ーーーーー
「ンヴェネと2人、護衛のスイを含めて3人で、モンターニュの国境にある北側の国境警備隊に向かってもらいたい。」
翌日ヤナ長官に呼び出されたと思ったら、アンジュは新しい任務を与えられた。
「何をするのですか。」
ンヴェネがリーダーとして代表で尋ねるとヤナ長官は、
「国境警備隊に頼まれた仕事は全て行ってくれ。判断が難しい場合は都度電報を打つように。」
「これはまた珍しい任務ですね。五星士が雑用任務ということですか?」
「これは広報だ。北側の国境警備隊は中央を毛嫌い、特に魔術部隊に対して憎く思っている。」
「…つまり、魔術部隊の悪印象を減らす為でしょうか。」
「それと中央の信頼回復もだな。」
貴族たちが勝手に広げた穴を平民が回復するのは、腹立たしいがいつものことだ。しかし、それ以上の理由があることをアンジュは知っている。
「まだ魔術師たちは僕の存在を否定しているんですね。」
「…そうか、そうだな。お前たちに隠し事ができないのだったな。」
「ええ、王都内、特に二重の魔術式の中の王宮内は全て筒抜けです。それに、魔術塔は古巣ですから彼らの頭の堅さもよくわかります。比較的柔軟な考えを持っているロイであっても半信半疑でしたからね。」
するりとアンジュが口にしたロイというのは、何度かアンジュ自身も会ったことがあるこの国の王太子だ。
「待て、いつの間に話をしているんだ。」
「俺ではないです。」
「僭越ながら、僕がロイ・ガウェイン・モルガン王太子殿下とお話しいたしました。」
ひょこりとアンジュの陰から、魔術式防御システムの中の彼(ウィルに名付けを頼むと悩み続けまだ決まってない)が顔を出した。アンジュが彼の自由意思で出現できるように設定をしたら、最近様々なところで幽霊伝説を残してくれている。
「…だから、王家との話は早く進んだのだな。それを魔術部隊にもお願いしたいところだが。」
「それは叶わぬ望みです。彼らは僕という存在を認めておらず、話を聞こうとはしません。」
「そうだよな、分かっていた。」
ンヴェネの方は納得できていないが、当事者のアンジュはケロリと受け止めていた。ンヴェネは任務の内容に不信感を抱きつつも拝命した。ヤナ長官の執務室を出てンヴェネはちょっとした苛立ちから疑問をアンジュにぶつけた。
「君、あんなに魔術師を怖がっていたのに、今はあっさりだね。」
「怖いのは過去の亡霊。今の魔術師に大した力がないのを理解した。……それでも、実際に目の前にいるのは嫌だけど。」
「500年前とどれくらい違う?」
「そうだね…、魔術塔はもっと魔術が飛び交って騒音だらけだったけど、今は魔術が飛び交うことはかなり減った。あの時の彼らは騎士のようなルールがなかったから、喧嘩もすぐ勃発して魔術で殴り合いしていた。」
「貴族なんだよね?」
「500年前の基準になるけど、頭はある程度良かったと思うよ。ただ儀礼的な秩序が無くて、魔力豊富さと魔術の上手さだけで上下が決まったから、喧嘩が起きやすかったんだ。それをよしとしていた。」
「じゃあ、君もかなり上だったということ?」
「僕は喧嘩が苦手だったから、魔力が多い割にヒエラルキーは低かった。あそこは貴族社会のはずなのに、猿山と同じヒエラルキーの作り方だったんだよ。…いや、家格がほとんど同じだったからなのかもしれないけど。」
アンジュはリレイラの村の中でも底辺に居たし、根本的に人の上にいくということが苦手らしい。リレイラの村ではせっせと下働きをしているし、魔術塔の中でもたくさん魔術式を開発し、あげくには名誉だけ横取りされるという流れを作っている。
「君1人ならいいんだろうけど、これからはミルフィーちゃんを巻き込みかねないんだから、もっと上に行くように努力しなよ。」
「……頑張る。」
スイはある程度人との交渉関係が得意そうだから、2人で協力すればなんとかはなるはずだしと、アンジュは苦笑する。
五星士たちと鍛錬していたスイに任務があることを伝えると、嬉しそうだった。
「1週間以上も外出てないと鬱屈していたから助かるわぁ。」
「ああ、そうだよね。」
アンジュはスイや王国にバレないように偶に王宮の外を出ているが、彼はずっと王宮の中に留まっていた。
「他人事だなぁ。」
長く離れて暮らしていても双子のせいかスイは怪しんで鋭い視線を投げる、アンジュはびくびくしながら訂正する。
「10年近く王宮の中だけで生きていたから慣れてるんだよ。」
「あのエルが?」
「どういう意味?」
「興味があったら父さんの忠告を無視して、1人で勝手に冒険するやつ。」
ミルフィーもアンジュは1人で冒険するのが好きだと認識していたし、本来の自分とはそういうものだったかもしれない。今も秘密裏に外に出ているし、王国魔術師時代がおかしかったのだろう。
「どういう思考していたのか分からないけど、あの魔術式を作ろうと思うまで、外の世界に出るという意識がなかったんだよ。そういう思考パターンになるように教育されていたのかもしれないけど、今はそんな思考にはならない。」
「ってことは今のエルは外に勝手に出てるな?」
「そんなことは言ってない。俺も大きくなったから人の言うことは守るようになった。」
「昔のエルを知っていると本当にそれが信じられねぇ。」
「それを言ったら、何も興味もなくただの傍観者だったスイがここまで普通の人間になるなんて思ってもみなかった。」
褒めているんだか、貶しているんだから分からない言い合いが始まりそうでウィルは割って入って止めると、すぐに二人は言い合いを止める。双子はウィルにはとても従順だ。
「で、結構大変そうな任務なのか。」
「ううん、お使いみたいなものだから難しくないよ。兄さんも自由に神獣と喧嘩してきてもいいかもしれないよ。」
「いやいや神獣と戦っていたのはエルを助ける為に実力が欲しかっただけだ。今はその必要はないし、ちゃんと護衛するよ。」
似ているのは見た目だけで、性格が全く似ていない思春期の彼らは微妙に馬が合わない。
ーーー
北側の国境警備隊があるのは、ノスランド伯爵領だ。王国全体から見ると少し東寄りに存在する。特に敵国のモンターニュ側と隣接しており、ディラン辺境伯領とは打って変わって薄暗い雰囲気のある地域だ。ノスランド伯爵領はかつて辺境伯領だったが、辺境伯の本家の継承できる人間がいなくなり、分家だったノスランド伯爵がノスランド辺境伯の地位も継いだらしい。
そのノスランド伯爵領は、ンヴェネの出身地でもあり、その国境警備隊はンヴェネが五星士になる前所属していた古巣だ。今回アンジュと一緒に任務に向かうことになったのは五星士のリーダーというよりも、そこをよく知っているからだと思われる。
巻き込んだことを謝罪すると、ンヴェネは首を振った。
「ついでに僕に里帰りでもさせてやろうくらいの気持ちだよ、ヤナ長官は。父はノスランド領に住んでるしね。」
「そうなんだ、呼び寄せないのか?」
「新入りくんみたいに母だったらそうしただろうけど、まだまだ元気だから息子に頼りたくないよ。きっとね。」
「仲が悪いならまだしも、仲良いのなら一緒にいたいもんじゃないんだ。」
「それに、つい最近あの戦争で未亡人になった人と再婚したらしいからいいんだよ、会わなくて。」
「新しいお母さんなら会ってみたくならないのか?」
「ならないよ。母というよりは父の妻でしかないから。」
ほとんど会ったことがない父親の再婚相手なんてそれもそうかと思うが、アンジュだったら会いたい気がする。もしリーラが再婚相手を見つけてきたとしたら、自分は喜ぶし、ちゃんとリーラを支える人なのか見極めたいと思う。いろんな人がいるものだと、世間知らずはまた一つ賢くなった。
『北の地か、暫くは随行が可能だろう。』
「神さん、またキャラ変した?」
『五月蝿いぞ。アレはエルに怯えられないようにするためのものでこれが素だ。』
クルルの返答は、スイと同じようにンヴェネを呆れさせた。
任務の出発の準備をして、いつものように御者を待っていると、
「王都の隣町であるクイーンズタウンからは、列車を使いますが、そこまではこちらで向かいましょう!私は魔導技師のジョセフ・アイリーン、少しばかりよろしくお願いします。」
が、来たのは何故か魔導技師で厩ではなく、3人が向かったのは王宮の外にある魔導技師の研究所だった。魔導技術は新しい分野であり、十分な広さの研究室を王宮内に確保できなかったので、大部分は外の研究所で行なっているようだ。
「これが自動車!」
「なかなか燃料が高くて、貴族でもごく一部しか所有していない魔導自動車です。」
「ただ10マイル走るだけにこれを?」
「それを走るのがまだギリギリなんですよ…。」
「…まだ馬車に勝てないね。」
「でも、すぐに追いつきますよ。」
「なんで10マイルが限界なの?」
「ああ、それ以上の魔力結晶を積むことができないんですよ。それを継ぎ足してもモーターが熱くなりすぎて動きが悪くなるんですが。」
エルに戻る前からアンジュは魔導技術に興味津々だったが、その元となったエルはもっと好奇心が隠せず矢継ぎ早に質問する。
「クラント准尉は魔導技術にご関心が強いですよね。」
「うん、好き。」
幼児のように素直に頷いたアンジュにンヴェネはこそりと耳打ちする。
「おーい、新入りくん?アンジュ・クラントの仮面が外れかかってるよ。」
「あ、ああ、あはは…。」
苦笑しているアンジュの横で、スイはどこか納得がいっている様子で
「俺は全く分からん。そういや、エルは魔法で何でもかんでもやるくせに、本で見た機織りの機械とか再現して作ろうとしてたよな。そういう人間の技術全般好きだよな。」
「…はいはい、帰ってからやろうねぇ。」
双子を後部座席に押し込めて、ンヴェネは運転をするジョセフの隣に座った。動き始めた車にドキドキワクワクしながらエルは窓の外を見る。時速20マイル程度出るようだ。クルルもスイの頭の上で感心していた。
「すげえ機械がちゃんと動いて移動している。」
『素晴らしいぞ。』
「スイも感動してんじゃん。」
「魔導技術の数式だけ見て興奮しているエルが異常で、俺は普通だろ?」
「……数式は人間の叡智なんだよ。あの頭がいいとされた竜族は0の概念がなかったから、発展しなかったんだ。」
「そ、そうだよな。人間を愛しているが故の数式への愛なんだよな。」
双子の掛け合いに耳を傾けながら、魔導技師ジョセフとンヴェネの顔につい口元が緩んだ。しかし、それも束の間、6マイルすぎた辺りから緩やかにスピードが落ち、8マイル過ぎる前に止まってしまった。
「な、なぜ!どうしたんだぁ、マイ・スイート・ベイビー!」
ジョセフが転がるように外へ出てボンネットを開けて、魔力結晶や魔術式を眺めている横で、アンジュは魔術式と車全体を眺める。
「ああ、今朝降った雨のせいで想定より泥が車に付着して歯車が噛み合わなくなったんだな。」
「2マイル程度普通に歩いたほうが早くない?」
「ンヴェネ、エルは足が遅いことを加味してくれ。」
アンジュ・クラントの運動神経が良かったのは、それがスイの身体だったに過ぎず、今のエルの体では運動神経に限れば普通の人間にも劣る。魔術や魔法で補強することはできるから、どうにかこうにか誤魔化すことはできているが、魔力が減れば元のポンコツの身体に成り下がる。
「この車はちゃんと元に戻せるから待って。」
アンジュが魔術をかけるとあっという間にまるで新品のように綺麗に戻る。ジョセフが歓喜の声をあげて元の運転席に戻り、ンヴェネは釈然としないまま車の中に戻る。
ジョセフがエンジンをかけると更に嬉しそうに微笑む。
「凄い、馬力が最初の頃に戻ってる。時速30マイルまで上げられる。」
「エルは元に戻すの得意だよな。よく服や靴を直していたし。」
「今回は全く別物だよ。最初に設定されている魔術式の規定通りの機械にしただけだから、元に戻したわけじゃない。設定が不足している部分は大分俺の想像が入っているけど、まあ、そんなにズレてはないはず。」
「凄いです、スルスルと運転ができます。」
「…事故を起こさないでね。」
ジョセフは悲しんだり、喜んだりでたった数分のうちに気分の昇降が激しい。ハンドルを切る操作が先ほどより荒くなっている気がして、先ほどまでは窓の外や動いている歯車に集中できたが、今はジョセフの方から目が離せない。
『愉快な人間だな。』
「素直でいい人だよ。怖いけど。」
『まあ、そうだな。』
子供のようだとしてもそのほうが良いに決まっている。
車が元に戻ればたった2マイルの距離は10分程度でたどり着く。距離よりも、関所の方が時間かかったくらいだ。
クイーンズタウンは王都御前町とは反対の西側にあり、正式な交易用の都市で、王都に入る前の手続きや準備のために作られた街だ。第三師団が主に警備を担っていて、五星士たちはあまり利用しない。
「列車といっても魔導列車じゃなくて馬の列車か。」
「王都から兵や食糧を北の国境警備隊に補給するために古く作られたものなので安定していますが、魔導列車はまだ新しいので少しそこまで行くには不安定なんですよ。」
勿論行けなくはないが定期的に動いている馬車列車を止めるほど大々的な物ではない。
「ということで、私は帰ります。」
「何のための自動車だったんだ?」
「記憶が戻ったクラント准尉は魔術式に詳しいとお伺いしたので、見せたかったんです。また魔導技術で語りましょうね。」
本当にそれだけだったらしいジョセフは浮かれポンチなまま帰って行った。
「平民なのに魔導技師、優秀な人なんだろうけど変な人だね。新入りくんとは仲良くなれそう。」
「知り合いなのか?」
平民ということを知っているところからスイは尋ねると、ンヴェネは首を振った。
「この国の貴族の姓は、地名か昔の官職からつけられている。名前が姓になっている人は十中八九平民だよ。地方の中小貴族は例外だけどね。」
「そうだね、貴族名鑑を読んでみたらそうだった。でも、ジョセフ・アイリーンは貴族の落胤だよ。アイリーンは娼婦の女性だった。」
「君、また調べたの?」
「あ、ははは。でも、だから、他の王都民より魔力があるんだよ。」
気になったらすぐに調べてしまう癖があるアンジュに簡単に知る術があるのは最悪だ。それを分かってアンジュは話を変えて、列車を指さす。
「この列車も楽しみだな。」
「どっちでもオッケーなんじゃん。」
「今までで一番遠出だ。」
『それもそうだな。旅に行くならいつでも誘ってくれてよいぞ。スイもな。』
「俺は正直あんまり興味はないけど、エルが行くならついてく。」
『面白いのか、それは。』
「エルがいれば面白いさ。俺の経験上。」
「護衛くん…。」
列車は、定刻通りに出発した。
窓を開けると新鮮な空気が入ってくる。クイーンズタウンも王都と負けず劣らず空は澱んでいるが、数分も経てば街の外になる。
「これどれくらいで着くんだろう。」
「休憩とかも含んでノスランド領までは5日だね。」
『5日もほとんどこの乗り物のでの移動時間か。ならば、余は先に向かっておこうか。』
「最近クルルどこに行ってるんだ?」
『世界を飛び回っているぞ。鳥の神獣なのでな。エルならばアンジュより強いから、心配事が減った。』
「そんなこと言ってると、新入りくんは弱いふりするかもしれないよ。」
『そんなことができるのなら、アンジュという存在は産まれなかっただろうがな。』
「……俺が景色を見てるからって聞いてないわけじゃないんだけど。」
『また何か分かれば合流する。列車にお前たちのいう北の砦も知っている。』
有耶無耶にするようにクルルは窓から外へ出て行ってしまった。空を見上げながら、何がまた構えているのか分からないアンジュはワクワクとしていたが、ンヴェネはそうではなかった。
「言っておくけど、北の国境線は停戦がされているだけで終戦していないから、王都の雰囲気とは違うよ。」
「冬支度で一番忙しいだろうしな。」
「兄さんは行ったことがあるのか。」
「ああ、いつかは忘れたけど、素朴でいい奴が多かった気がする。」
「どうだろう、まあ、昔はそうだったかもね。」
ンヴェネの声音がそれ以上は触れないでくれというような物言いだったのでアンジュもそれ以上は尋ねず、再び窓の外を眺めていた。
「あれ神涙草だ。初めて見た。500年前は神が泣いたときだけに咲くと書かれていたけど、今の新しい図鑑だと満月の時に咲くと記載が変わっていた。」
「へえ、全然違う。500年前にあそこまで寄生虫の研究が進んでいたのにね。」
「その分野のマッドサイエンティストがいたから…。当時の植物学は農民たちの方が詳しかったんじゃないか。魔法や魔術とは関わりがない人間たちの方が。」
「ああ、なんか分かる気がする。」
窓の外を眺めて指差して、あの鳥は、あの花はと楽しそうに語る。おンヴェネは弟を思い出し、雑に応答しつつ外を眺める。
「今日は雲がなくて良い天気だね。」
アンジュが話していたし神涙草が花を咲かせるのを待ってゆらゆらと線路脇で揺れていた。
ノスランド領に入ったのは5日後の夕方で、まだそこから半日かけて国境へと渡ることになっていた。国境近くはほとんど森となっているので、今から移動するのは難しいため、宿を取ることとなった。
降りた場所は、ノスランド領の中心都市のモルド都と言って、雪が降る地域のためほとんどの屋根が鋭利な三角形の形となっており、別名とんがり帽子の街と呼ばれている。戦地からそう離れていないためこの都市は高い壁で囲まれており、物見やぐらの役割を持つ高い塔が複数建てられていた。
「戦争から10年とそこらしか経ってないけど、全然綺麗だね。」
「ここら辺は戦火がほとんど来てないからね。」
「ああ、そうか。」
慣れたンヴェネの先導で宿屋に向かおうとしたところに、失礼と呼び止め、振り向くとそこには黒髪に翡翠の色の目をした男装の麗人と言われても疑わないくらいの美しい少年が立っていた。
「こんばんは。五星士のお二人と付き人の方ですね。初めまして、私、国境警備隊隊長補佐、サフィ・ヤナと申します。どうぞよろしくお願いします。」
「あ、ああ、はい。すみません、迎えが来るとは知らず。」
その麗人は、噂だけは知っていたヤナ長官の息子で、慌ててンヴェネが謝罪してこちら側の紹介をした。
「いえ、急に予定のないことをしたのは私の方です。大変申し訳ございませんが、すぐに砦の方へ来ていただけないかと。」
「何かありましたか?」
「急患です。一刻も争う状況で、アンジュ殿は医療魔術が優秀だとお伺いし、いてもたってもいられず迎えにあがった次第です。状況は馬車の中でお伝えしますので、何卒。」
高位貴族のサフィが平民の3人に頭を下げるので慌てて頭を上げさせて、サフィの案内で馬車に乗り込んだ。
「患者の情報ですが、砦に所属する軍医は中毒によるものと診ております。」
「毒の種類は?」
「残念ながら不明です。」
直後ガタンと石に当たったのか馬車が大きく揺れ、アンジュが倒れ込みそうになるのをスイが受け止めた。
「私も気が動転しておりまして、どこから話すべきか迷います。」
皆様は死の森はご存じでしょうかとサフィは語り始めた。
死の森というのは、現在モンターニュ国との国境になっている深い森だ。ンヴェネはそんな森を知らないといったが、ここ数年間の話だとサフィは話す。
「あの森は元の名を妖精の森と呼ばれておりました。」
この国で妖精というのは、人を騙したり、物を盗んだり、お気に入りの人は拐かすとも言われる厄介な存在の総称で、ほとんどは討伐対象のモンスターとされる。御伽話では人の形をしているように描かれるが、多くが虫型や蝙蝠やリスなどの小型哺乳類型だ。そして、この妖精の森に限れば、敵国の兵の場合もある。元々そういった厄介な森だったが、ここ数年の間に死の森と改称されるほどに変貌を遂げた。
「何が原因だったのか不明です。ただ数年前から毒性のある植物や生物が棲みつき、今やほとんどの在来種が死滅し生態系は激変しました。現在は5分歩けば死ぬとまで言われた毒の森に変わったのです。」
「死ぬのは人だけ?」
「耐性のない動植物も死にます。ただひたすらに毒性の強い動植物の森です。」
「ンヴェネは全く知らないんだよな。」
「知らないね。ただずっと妖精の森は戦場だったから、兵器としてどちらかが持ち込み、制御が効かなくなったのかもしれない。」
「こちらは持ち込んだ記録はありません。しかし、それはモンターニュもそう言います。今や死の森は国境線になっており、最も破られない国境線とまで言われております。」
「そんなことになっていたとは…。」
「中央は恐らく師団長クラスで情報が止まっているでしょう。頭を悩ませたところで現在その森を攻略できる手段がありませんので。民間の方で言うならオカルト系のジャーナリストが取材に来ましたが、結局死してしまいましたしね。」
と話を聞いて、なるほど誰も今は近づかないはずの森だと納得して、じゃあ、とアンジュは訊ねた。
「なぜその人はその死の森に入ったの?」
「非難はしないでほしいです。森の近くに小さな集落があります。そこで、親子げんかしてすねた子供が親の反対を振り切り、死の森に入りました。それを聞いたあの方は自分が一番毒に耐性があるからと子供を探しに出たのです。」
ンヴェネは苦しそうに顔をしかめた。
「あまり日が差さない森で怖くなった子供は比較的近場でうずくまっており、すぐに救出されました。森を脱出したころは2人とも元気そうでしたが、軍医が念のためと国境警備隊で様子見をしていたところに、2人とも容体が急変しました。」
「その二人が助けを求めているということか。…ある程度僕も毒に関しては承知しているつもりだけど、状況が悪そうだな。」
と、アンジュが口にすると、サフィは悲しそうに首を振った。
「子供のほうは死亡しました。」
「…そうか、体が小さいし毒の周りが早かったんだな。」
上から静寂に潰されたような気分の中、スイは何もかも報われないなと冷静につぶやいた時、馬の吠える声が上がって馬車は止まった。
「何事だ!」
「野盗です!」
「暗くて軍部の紋が見えなかったか。」
御者の返答を聞いたサフィが外に出ようとするとスイは制止した。
「急いでるから俺1人でやってくるよ。」
「兄さん。」
「偶には思いっきりやらせてくれ。」
タイミングを見計らって勢いよく馬車の戸を開けて外にいた野党1人にぶつけて、怯んだところを肘で顔を殴りつけ、腹に蹴りを入れて転ばせた。
「まず1人。んで、生命反応はあと3人、銃火器はなし。」
スイは剣を抜くと、馬を殴ろうとした男を切りすて、地面に転がせたあと首を軽く踏みつけて気絶させた。残り2人が一斉にナイフで襲ってきたのを避け、片方の肩を掴むともう片方に投げ飛ばして重なった2人を上から剣で刺して黙らせた。
「はいはい、終了。」
馬車の戸を開けて、アンジュの方に声をかけた。
「エル、馬が怪我をしているから回復させてやってくれ。」
何一つ容赦がなかったスイが、何事もないように馬を気遣う素振りを見た御者は、1人恐怖心を抱いていた。
馬の確認のために馬車から降りた、エルは息も絶え絶えになっている野盗たちを横目に見ながら、馬の怪我を治した。幸い大きな怪我もなかったので軽く体力も回復させた。
「馬は大丈夫…、けど、野盗たちは夜置いて行ったら絶対死ぬ。」
「エル、助けなくていい。」
「でも。」
「すぐにダウンさせる方法を選んだんだからさ。人助けをした人を助けるために。」
躊躇うアンジュにスイは言った。
「いつも俺はエルの望む方を選んだ。偶には俺の望みを選んでくれないか。」
そうエルの望みを選んで、エルが後悔してきた。だから、スイは自分自身の望みと言った、エルに後悔させないために。
アンジュは苦しむ人のうめきを振り切って馬だけを治してすぐに馬車へと戻った。
「とりあえず邪魔な野盗は退かしたから進もう。」
「自分だけで良いと豪語するだけありますね。」
「これだけが得意だからな。」
「お二人は双子とお伺いしましたが、得意分野は相反しているのですね。」
「エルがそういうの下手っていうのももう見破られているんだな。」
「馬車が揺れた時に身のこなしが不器用に見えました。」
「確かに体幹がない人のふにゃり具合でしたねぇ。」
サフィの推察に付け加えるようにンヴェネが言ってみて、アンジュが何かしら言いたいことはあるのかと顔を覗いてみたが視線を逸らされた。
「…ともかく、旅疲れはあると思うのですが、すぐにでもアンジュ殿にはあの人を見ていただきたいのです。」
「その人はサフィの親友?」
「…いいえ、違います。ルーイ大尉もご存じだとは思いますが、ベルンハルト・イェガー隊長です。北の国境警備隊のトップです。」
ベルンハルト・イェガーは、勿論ンヴェネもよく知っている。ンヴェネの技量とやりたいことを察して中央に配属できるように推薦をしたのも彼だ。人情に篤い彼が、子供を助けに行った人であることを覚悟していたが、実際にその人が中毒で危険な状況だとは思いたくなかった。勝手ながらすぐに助けてやってほしいと願ってしまう。
「そういえば、新入りくんは魔法か魔術で一っ飛びできるんじゃないの?」
「安全に移動するにはその場所をよく知っている必要がある。地図を見て行くこともできなくないけど、あまり知らない場所に行くとズレて足や腕が千切れてしまう可能性がある。ただでさえノスランド伯爵領が王都から離れていて魔力の減少が早いのに、自分の体を治して、さらに未知の中毒者を治すとなると魔力が不足で今度は王都がどうなるか分からなくなるよ。」
魔術での移動ができないということ以上の発言が出てきてンヴェネは頭を抱えた。
スイが魔力の供給を切ったせいで、王都にモンスターたちが乱入し混乱を齎したのは記憶に新しい。
「あのさ、もしかして王都から離れるとけっこう大変なの?」
「そうだね。川が遠くまで水を運ぶのに大量の水が必要なのと同じ。でも、魔力結晶の魔力を基本使用しているから、魔法を躊躇うほどではない。ただ王都と同じようには使えないから気をつけないといけないくらい。」
サフィは深い事情は分からなくても休憩もなしに移動をさせたことを謝罪したが、アンジュは胸の前で違うと手を振る。
「俺は大丈夫。今一番安全な選択を選んでると思う。」
「ならいいんだけどね」
「お心遣い痛み入ります。」
3人の会話に耳を傾けながら、スイは窓の外の景色を眺める。
「死の森か。」
――――
北の砦に着いたときは、草木も眠る時間、梟の声が静寂に僅かな色彩を与えている。
「死の森は北の砦すぐの彼方側です。非常に危ないので紐と鳴子で侵入を防いでいます。迷い込んだ子供の村は先ほど脇を通ってきましたが、そこから数百メートルも離れていません。歓迎もできずすみませんが、こちらに来てください。」
『遅かっな、待っていたぞ。』
「と、鳥が喋った。」
クルルがスイの頭の上に乗っかる。人語を話す鳥のことも気にはなっても、サフィには隊長が心配で、すぐに向かうようにアンジュにお願いする。
彼がいる場所道中サフィが変な人間を連れてきたという目で見られていたが、お構いなしに進む。
「こちらです。バーン先生、サフィ・ヤナです。王都の魔術師のアンジュ・クラント殿をお連れしました。」
ガチャリと扉が開いて初老の男、身なりからして彼が軍医バーンだろう。
「なんとまあ、本当に連れてこられたか。断られるかと思ったぞ。ささ、中へ。おお、ンヴェネくんも久しぶりじゃな。」
「お久しぶりです。彼が五星士の魔術師のアンジュ・クラントです。悪いけど、新入りくん頼んだよ。」
アンジュは紹介されて頭を下げるとすぐに部屋の中へ入った。噂の隊長であるベルンハルト・イェーガーは中央にあるベッドに寝かされており、顔は土気色で呼吸も浅く汗も酷かった。アンジュは脈や呼吸を確かめながら呟く。
「このままだと保って3時間。モルドで一泊していたら間に合わなかったな。」
「…そ、そんな。治りますか。」
「ほとんど毒が回っていて体のあちこちがダメになってる。だから、ほとんど取り替える必要があるけど、後は魔力耐性と彼の生きる力次第だ。」
「魔力耐性…?」
「医療魔術や治癒魔法の範疇を少し逸脱するから。だから、兄さん。」
「……分かった。」
アンジュの一瞥の意味を解したスイは部屋を出て行った。スイの頭に載っていたクルルは場所を変え、ベッドの端に体を下ろす。
アンジュが血の中心となる心臓付近に手を当てると、アンジュの手を中心に光と風があふれた。神のはしごが今目の前に降りてきている、そんな気がした。今まで複数の柱の神獣を見てきていたンヴェネだったが、その光景は何よりも“神の御業”に見えるくらい幻想的で美しかった。
まだ生気は感じられないが、うすらとベルンハルト・イェーガーは瞳を開けた。
アンジュは小さく低い声声で宣う。
「願え、生きることを。」
彼の唇が少しだけ動いた。
夜中なのにそこは真昼のように暖かい。森の中に生まれた小さなギャップの明るさのようだ。その集積された暖かさは、少しずつ光とともに細くなっていき、それが彼の体に収束にしていった。
「…終わった。」
アンジュの一言を聞いてサフィや軍医のバーンはベルンハルトに駆け寄った。彼の眼はゆっくりと彼らに焦点があっていく。
「…フィ、に、せんせ、か。」
「お、おお!」
「隊長!」
2人の歓喜の声を聞いてアンジュは微笑んだ後、気が抜けた「あ」という声が呟く。そして、その直後には5フィートくらいの背丈の少年の姿に“戻っていた”。魔力をギリギリまで使っていたせいで、自分自身にかけていた魔術が消えたのだ。自分の意思で魔術を解くときは衣服の大きさも考慮するが、自然に解けてしまったせいで服も袖や裾があまり、脱げそうな状態になっていた。
「大丈夫なの、君。」
「魔力不足で強烈に眠い。回復のため眠る。目が覚めるのは10時間後から12時間後。」
簡潔に自身の状況を言い残してアンジュはバサリと倒れた。慌ててンヴェネはアンジュを背負った。本当はサフィたちとともに、ベルンハルトの回復を祝いたかったがそれどころではない。
「バーニー隊長が復活したようで良かった。ヤナ隊長補佐、申し訳ないけど、今度はこっちが限界になったみたいで寝られる場所を案内していただいても?」
「正直聞きたいことはたくさんありますが、夜も遅いですからね。案内します。」
サフィが案内しようとしたところをベルンハルトが呼び止めた。
「…ンヴェネ、助かった。」
「バーニー隊長、僕は何もしていないのでお礼はこの馬鹿にお願いします。」
「…そうか、そうだな。」
「では、また明日。彼と話せるのは昼頃になるとは思いますが。…クルル、スイを探して来てくれない?」
『勿論、そのつもりだ。』
「…鳥が。」
「それについてもまた明日。」
ベルンハルトは軽く手を上げて、毒との対抗で体力を消費したのだろう。再び眠りについたようだった。
ーーーーー
アンジュがベルンハルトを治している間、スイは一人で死の森の前にまでやって来ていた。
「やっぱり。」
騒動を起こさないように注意して鳴子の罠を飛び越えて薄暗い森の中に入った。
「似ている。」
かつてスイとエルが暮らしていた森はもっと王都に近かったし、毒虫や毒性の植物の数は少なかったが、人が入らない静かな森はスイに懐古させた。あの森は獰猛なモンスターだけで守られていたから、とっくに切り拓かれてしまったから存在しない。父親の頭を埋めた場所もきっともう分からない。
「綺麗な森だ。」
森の中に開いた小さな木の隙間から月や星を眺めて木のそばに腰掛けた。既存の生態系が壊れて大変な状況であるとはいっても、それは人間視点の話にすぎない。人が関係しないのならこの場所は穏やかで優しい場所だ。木々の隙間からは王都では見れなくなった星が輝いているのが見える。ここなら、星にも願いが届くのかもしれない。
一人で父が昔教えてくれた歌を口ずさむ。少し音階が違うからルーグ王国のものではないだろうその歌をもう忘れないように丁寧に思い出して歌う。
ゆっくりと時が過ぎるのを待っていると、砦の方からエルの強い魔力が少しずつ細くなっていくのを感じて、腰を上げた。
ーーーーーー
スイを探しているクルルと出あい、さっさとンヴェネと合流した。アンジュはすやすやと穏やかに寝ているようだ。
「取り乱すと思ったけど、冷静だね。」
「ん?いや、そうなるだろうと思ってたからな。魔力がないと言っていただろうけど、旅疲れと寝不足のトリプルパンチで寝てるだけだよ。」
「王都の魔術式で取られてるんだから、クワトロパンチのような気がするけど。」
何も冷静になるものじゃないだろうとンヴェネは思う。
「こう見えても神々の末席にいるからな。致命傷がなければ大丈夫。」
「…そう。双子の君がいうならそうなんだろうね。僕も眠ることにするよ。僕は隣の部屋のベッド使うから、そこの空いているベッドを君が使ってね。」
「はーい。じゃあ…また明、もう今日だな。今日もよろしく。」
「サフィから今日は一日中休んでもいいってよ。」
「本来の日程なら、今日の夕方に着く予定だったもんな。」
「そういうこと。」
部屋が静かだから、ンヴェネが隣の部屋に入る扉の音までよく聞こえた。スイは気持ちよさそうに眠る双子の兄弟の手を握った。スイがその元のエルの姿を見るのは久しく感じた。
【…眠らないのか。スイだってずっと移動して疲れただろう。】
「俺はちゃんと鍛えてるから平気さ。まだ元気だよ。王国魔術師時代からエルの睡眠は疎らだったみたいだ。最近ウィルが夜中目が覚めると大体エルは起きているらしくて、心配だと俺に言ってきたよ。」
【スイの体にいた時に身につけた健康的な習慣は無くなったというわけだな。】
スイは幼くなったアンジュの手を握って自分の頬に当てる。
「久しぶりに穏やかな夜だ。」
翌日の9時ごろになってンヴェネは、彼らの部屋の戸を叩いたが反応はなかったので声をかけながら中に入ると、一つのベッドは空いていて、もう片方のベッドの横にアンジュの手を握って寝るスイとアンジュの間に寝て幸せそうな神の姿があった。
「…まだ起こすのはかわいそうか。」
今日は休みをもらえるとベルンハルトから許可を得ているので、2人と一柱を置いていくとンヴェネはベルンハルトの部屋へと向かった。




