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星の泉  作者: 詩穂
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26話 王都御前町

アンジュ・クラント 中身はエル・ウォッカという天才魔術師 魔術以外は微妙

スイ・ウォッカ アンジュの双子の兄弟 身体の成長速度がエルより速いので兄を名乗る。

ウィル・ザ・スミス(19)アンジュと同室の気のいいお兄さん アナトールという親友と死別

ルサリィ・ウェンディ(23)風使いの優しいお姉さん エリスの謀略の内乱によって亡くなった宿場町出身

ルジェロ・ビトレーイ(18)幼いころ竜の一族によって生まれた村を失った

ンヴェネ・ルーイ(25)12年前の戦争で弟が敵国の捕虜となり、母国の軍の砲撃で殺された瞬間を見た。

 エル・ウォッカの罪といえば、魔術師や当時の王宮の人間を惨殺したことが真っ先に上がるが、それはもう忘れ去られてしまった。しかし現在も存在するもっと根深い罪というのが王都の近くにある「王都御前町」だ。

 全員が全員王都で暮らせるわけではない。治安を守るために、入る人間を制限したり、追い出すことがある。そして、それをはっきりと物理的に区別したのが魔術式防御システムだ。王都まで仕事を求めてやってきたが入る許可も得られず帰ることが出来なくなった人や罪を犯し王都から追放された人間が集まったところだ。

それだけで、治安は王都に近いのに王国内でも底辺に近い。それでも少し仰々しい町の名前をつけたのは彼らの下らないプライドと王都への愛憎故だ。


「そんな町があるのを知ったんだけど。」


 アンジュが口にすると、ルサリィやンヴェネは悲しそうに眉を顰めた。


「治安は最悪だし薬物や病気が蔓延してるから、特別な理由がない限り行ってはいけないよ。それでも、いろんなコミュニティから爪弾きにされた人間の最後の居場所となってる側面もあるから、ほとんど黙認状況かな。」

「でも、魔術式のせいで分断されたのなら、何かしないといけないかと。」

「誰に言われた?」

「第五師団のルシフェル・シュゼットが言ってた。」

「第五師団は下手すればそこの住人になりかねない性質の人間が多いからね。」


 ンヴェネが子供のアンジュを諭すように、もう一度いいすくめた。


「魔術式のせいじゃないし、君の責任じゃない。人間がそういう生き物なんだよ。それに、あの町でないと生きられない人もいる。そっとしておきな。」


 アンジュはうんと頷くが、完全に納得できたわけではなかった。ンヴェネの隣でうんうんと頷いていたルサリィはアンジュに


「私も田舎出身で分からなかったけど、エリスがいなくてもエリスがいる町のようなそんな恐ろしさがある町なの。ンヴェネの言う通り、コミュニティで生きていけなかった人間の最後の砦ではあるんだけど、生半可な覚悟では死んでしまうわ。」


 と伝えた。

 ルサリィはアンジュの瞳の奥の悲哀や憤怒の感情が見えた気がした。ルサリィは自分の言葉が出てこないことを悔いた。何一つアンジュの心に引っかかった気がしない。アンジュがいい子のような聞き分けのいい言葉を返すのがその証拠だ。


「…死にはしないだろうけど、でも。」


 ンヴェネは更に説得を続けようとした。

 神の力を持っていることを知っているのはンヴェネとウィルだけだ。スイがウィルに伝えたが、それでさえアンジュはウィルには伝えたく無さそうだった。ルサリィにもきっと伝えたくないのだろう。ンヴェネの言葉をさえぎって、アンジュは首を振った。


「心配しないで、無茶なんかしないよ。兄さんが怒るしさ。」

「…一応頷いておこうか。」


 ンヴェネはお人好しのウィルと森以外ではブラコンというスイに密告はしておこうと思った。


 リーラ、ミルフィー、スイや五星士の優しい人間に囲まれて幸せだと感じつつ、罪深い自分にそれを受け取るのなら、アンジュは何かしらの対価が必要な気がしてしまう。

 500年前はどんなに献身を捧げても暴力や暴言しか返ってこなかった。あの人間たちに捧げてしまったのなら、今のそばにいる人たちには更なるものを渡したい。それが平等だと思うからだ。でも、優しい彼らはそれを求めない。


ーーーー


 明らかに身内なスイがただの軍人であるアンジュの護衛というのは、とてもではないが軍内部の怒りというのは当然だった。アンジュが大切にしているマントも「貴族的」であるし、五星士には相応しくないのだと言われる。それはアンジュもそうだと思う。それまでの王国への、そして現在の王国への魔術式での献身は現在の王よりもあるが、それを公表していないから非難される。勿論王国軍の師団長各位には伝えられているのだが、それだけで反発を止められるわけはない。五星士はその状況を危機的に見ているが、当の双子はケロリとしている。特にスイはンヴェネに


「エルが見捨てられないっていうのはよくあるんだ。でも、これで決定的に事件が起きるなら、エルが王国を見捨てる決心がつくだろう。」

「ミルフィーちゃんとリーラさんがいても?」

「俺がその2人を説得するし、あの2人は本当にアンジュが好きなんだ。絶対協力してくれるよ。今はエルの意思を大事にするけど、エルの意思を大事にしすぎて、エル自身を苦しめるつもりはない。」


 と話していたので、王国側としてはあまり看過できない状況だ。


 スイは楽観的だったが、アンジュは自身エルの体になり、剣を持つことが出来なくなったことの違和感を拭えてはいなかった。簡単に振ることが出来ていたことを覚えていたから、その同じ剣の重さに驚いた。今の体では剣など持てそうにはない。今はその事実を直視することができず、鍛錬の時間はひたすら魔術に関連する勉強や練習を行なっていた。それが余計他の軍人からすればサボタージュに見えなくない。アンジュ自身としてはもうエリカと剣を交わすことはなくなってしまったことが悲しかった。エリカに誘われても苦笑して、代わりに隣にいるスイが引き受ける。


「おい、今休憩時間なんだろ。俺とやろうじゃねえか。」


 そのような事情がある中、第五師団の人間たちが珍しく五星士がいる鍛錬場へと踏み入れてアンジュに声をかけた。スイが自分が相手をするというが、王国軍人の身分でないと否定された。


「なあ、聞こえてるんだろう。」

「聞こえています、ボブ・ジョンソン二等兵、その隣も二等兵のジョニー・ブラウンとビリー・マーシャル。」

「…俺の名を知ってんのか。」


 エルに戻る前からアンジュは無意識に魔術式防御システムにアクセスして人の名前などの知識を得ていたが、エルに戻ればより容易に意識的に調べられる。だから、知っているというよりは「調べるのが早い」というのが正しい。

 知られていないと思っていた男たちは自分の名前を呼ばれて得たいの知れない恐怖から身体を強張らせながらも続けた。


「第五師団は今補給訓練中らしいですよ。グレイグ副師団長が点呼の時に貴方がいなかったことを怒ってる。」

「ふん、うぜぇ。なにがわかんだよ。」

「そちらに連絡はしたので、手合わせやりましょう。」


 彼らはアンジュより体格のいい男だ。エルはとても苦手なはずだが淡々と話を進める。それがスイは1番心配だった。エルらしさが出てきていないというのはエルが耐える為に心を閉ざしているということで、一歩間違えれば再び人を殺しかねない。だから、このような喧嘩はスイが引き受けたいが、それをエルが拒んだ。


「おうよ。やってやる。」


 ボブとその仲間たちはニヤニヤと笑う。


「勿論五星士なんだ、魔法はなしだぜ。」

「魔法が使えるから、五星士なんですよ。剣だけなら、こんなところいやしない。でも、そうですね。魔法を見破れたら、貴方の望むように。」

「見破るぅ?」

「いきますよ。」


 アンジュが近くにいた取り巻きのジョニーの肩を叩くと彼が何か呟く暇もなく消えてしまった。


「てめぇ、なにしやがった!」

「だから、魔法です。もう一回やるので種明かししてください。」


 ボブが振り上げた拳を魔法でかわし、もう1人のビリーの背をポンと軽く叩くと再び姿を消した。


「テメエ!」

「最後の一回。」


 ボブの蹴りをギリギリで避けると、男の首に手を回してそのまま男は姿を消した。あっという間の出来事に五星士たちは口を挟むこともできずに待っていた。スイは本当に何事もエルが起こさなくて良かったと胸を撫で下ろした。


「いっそのこともう少し強く叩きのめした方が良かったかもしれないけどさ、慣れてない事で自分を追い込むなよ。」

「第五師団の副師団長の前に放り投げたし、グレイグ副師団長が代わりに怒ってくれるとは思う。」


 だから、問題ないとアンジュが告げると、静観していたンヴェネはため息をつきながら話す。


「それで、いつもより丁寧に話していたのね。」

「俺は丁寧に話せる。一回忘れてしまっただけで。」

「じゃあ、僕にもちゃんと話しなよ。」

「でも、ほら俺の方が年上だし。」

「アンがンヴェネより年上とか信じられない。でも、ンヴェネに敬語なアンも違和感がありすぎる。」

「一度赦してしまったのだから諦めましょう、ンヴェネ。」


 リーダーに敬語を使えと言ったら、アンジュ以外からも反論が来てしまったンヴェネは拗ねたふりをした。


「っていうか魔法を見破るってなに?」

「魔法でなにをしているのか分かったら見破った判定にしようかと思ったんだけど、ボブ・ジョンソンにとっては侮辱だと思われたみたい。」

「アイツもエルのことを貶めようと企んでいた訳だから仕方ない。完全に鍛錬じゃなくて私闘だったし、組織としては強制送還で正しいだろ。」

「スイは自由人のようだけど、そういうところ思慮深くて、結構組織人だよね。」

「第一目標であるエル奪還のために、変な所で波風立たせたくないからな。なー、ルジェロ。」


 水分補給をしていたルジェロの肩にスイは手を回す。ルジェロは対して強く睨みつけてもスイはにこやかに笑い返す。


「なんだテメェ?」

「タラリアたちを倒したいのなら、俺が1番練習相手になるぞ。」


 スイもルジェロが王国軍で1番剣の扱いが上手い分かってるので、態々煽って練習相手にしている。

 アンジュは兄が剣の練習をする傍らで、最新の知見がある医学書に目を通していた。勿論そこには魔術の力もあるのだが、この500年で魔術や魔法の力が落ちて、魔力を持たなくても医術が使えるように少しずつではあるが変わっていったからだ。そして、門外不出の魔術や魔術としては成立しなくとも数多くの実験結果もエルは知っているから、それらの知識を組み合わせられれば新たな魔術が生み出せるだろうと思った。


「アン、攻撃魔術は練習しなくていいのか?」

「あ、ああ、うん。練習相手はしたことあるんだけど、自分が練習したことないから分かんない。」

「練習相手してんならわかるんじゃないのか?」

「ただのま…ではなくて、あんまり役に立ってなかったから。」

「今『ただの的』って言ったか?」

「誤魔化されてくれよ。」


 アンジュが戯けて見せても、ウィルは笑えなかった。でも、触れられたくないのはウィルもわかっているので、


「俺も魔導武器の戦いにもっと慣れたいんだ。森の中だと使いづらくってさ。」


 と、自分の話をして流した。


「火は難しいよ。木は燃やさずに対象だけを燃やすってどんな現象になるんだろう。延焼を防ぐなら、ウィルの努力じゃなくて魔導技術士の努力だと思うよ。」

「そうかぁ。」

「でも、火力の制限をもっと恣意的に行えるような魔力のコントロールくらいなら教えられる。」


 以前のアンジュ・クラントとは違ってエルは魔術にブレはない。魔術で炎を出すと、火の大きさを大きくしたり小さくしたりと自由自在に動かす。


「アンは自分の魔力だけど、俺はほとんど魔術結晶の魔力だし、それができるのか?」

「コントロールの難しさは多分上がるけど、練習次第だと思う。ンヴェネを見ているとそんな感じがする。」

「おや、僕は上手いんだ。」

「ンヴェネの想定通りに動いているんだから、そうだと思う。過去のデータと比較してみる?」

「いいや、確かに試行錯誤をして、思う通りに動かすようにしていたけど、それが魔力のコントロールだとは思ってなかった。」

「私の風使いの方の力ももっと練習したいわ。」

「うん、俺の知識が役立つなら。」


 アンジュはちゃきちゃきと話を進め、ルサリィとウィルの鍛錬を手伝いを始めた。

 ウィルは魔導武器の火力のコントロールの練習をしてから気がついたことがある。


「そういえば、アンに魔力流されて魔力の流れを見るように指示されてからやりやすくなったんだよな。アレはめちゃくちゃ気持ち悪かったけど。」

「…俺が説明なしにしてしまったことは謝る。人の血液型が相違するように、魔力の形が異なれば下手したら拒絶反応を起こしてもっと事故を起こしていた。知識がないのは本当に恐ろしい。運良く気持ちが悪い程度で済む相性の良さで良かった。俺は感覚で行けそうと思ったのかもしれないけどさ。」


 魔術、魔法全般、それからある程度人体の知識を持つエルからすれば、感覚でやっていたアンジュ・クラントの行為はあまりに恐ろしいことだった。


「でも、アンほどは細かく魔力の流れなんて分からないけど、前より魔力が分かりやすくなったよ。」

「…結果的には良かった。」


 そんな自分の行動に恐れつつ、アンジュはウィルの魔力のコントロールの練習用に、蝋燭を作り地面に置いた。


「芯に火をつけるようにして、無駄に燃やさないように。」

「なるほど、弱い火力にするってことか。」

「そう。どこまで最大火力出せるかも確認したいけど、場所をある程度作らないと。今回作った蝋部分は普通のよりも融点下げてて溶けやすくしてる。」


 ウィルはやる気を出して、魔導武器を手にして炎を生み出し蝋燭を狙う。最初はやはり全てを溶かし尽くしてしまった。その度にアンジュは魔術で新しい蝋燭を立てた。


 そして、ルサリィとは正面から戦ったエルは思ったことを伝えた。


「風使いの力にルサリィの魔力は関係ないんだ。ルサリィが力を使う時にも魔力を感じない。それでも、ルサリィが生み出した風には魔力がある。…何故。」


 今ルサリィの右目は隠れてしまっているが、確か以前見た時、その瞳に紋章のようなものが入っていたのが見えた。


「あれは何らかの契約術だなぁ。そういえば昔人がモンスターを使役する魔術にもそんな術が…。」


 アンジュはふと思ったことがあって、昔読んだことのある本を呼び出した。


「アンジュ、それは。」

「魔術塔に所蔵されている本だよ。俺が存在を知らない本は呼び出せないけど、俺がそこにあることを知っている本なら呼び出せるんだ。」

「へぇ。知らなかった。」


 ルサリィとの会話にスイがにゅきと入ってきた。


「兄さんは無意識に俺の体にいた時にやってたけどね。」

「そうだったか?」

「靴磨きの報酬として渡した本も昔僕がまとめた本だからね。」

「靴磨きの報酬?そんなことあったっけ。」


 スイの最大の犯した罪であるトリパスでのカンカラ事件をスイはほとんど覚えてなかった。あれで死んだ人間はやりきれないだろうとエルは悲しんだ。


「そうだったけ?」

「そもそも兄さんが魔術を使う理由になったあの子が虐められているのが許せなかったのは500年前王都で兄さんと懇意にしていた女性の子孫だからだよ。」

「もしかしてエリーゼの?全く覚えてない。何で俺はそんな芸当ができたんだ。」

「あの時の兄さんは僕でもあったわけで、僕の力や頭を利用していたんだよ。気づくよ、王都民は血を登録していたんだから。」

「……そうだったかもしれない。」


 最終的にスイは耐えきれなくなってエルのことを全て抑え込んだ影響で、今やエルの意識が強かった時代の記憶がほとんどない。


「アンジュ・クラントが厳密にはエルではないのと同じで、魔術師スイも俺とは厳密には違うんだな。」

「そうだと思う。僕はアンジュの記憶をほとんど保ってはいるし、僕もアンジュとして生きようとしてなぞっている節があるからより近いと思うけど、兄さんはそうじゃないからね。」


 アンジュはそこまで話した後、ルサリィの契約術に話を戻す。


「契約術は、使役術とも近く体のどこかにその紋章が入ることが一般的だ。俺にもあるよ、壊れているけど。使役術の方がより強い力を持って相手を屈させることができる。契約術はそこまで強いものではなくて、両者の合意の元に作られる術だ。ただ不可解なのはルサリィの力は風のみで対象が目の前にいないことところだ。」

「なるほど、私は誰かの風の力を利用していると言うことね。」


 でも、誰のかしらと首を傾げた。アンジュは一つだけ馬鹿げたアイディアを思いついたが、それを口にすることはできなかった。


「より強い結びつきにする、と言うことも俺にはできないし、力を増やすと言うよりはもっと共鳴させると言う方が正しいのかな。」


 ルサリィは目を抑えて、思案する。確かにあの悲劇が起きたあの時、誰かの声を聞いた。姿形も見えないのに、協力している誰かに想像を巡らす。


「難しいわ。」


 声を聞いたのは一度だけだ。アンジュもまたそれ以上は分からないと首を振った。


「目に見えない誰かって幽霊とか魂とかそんな非現実的なものなのかしら。」

「魔術の世界では魂や幽霊の存在は否定されているけど…兄さんとしてはどう思う?」


 死を司るスイも首を振った。


「神の世界でもそれらは信じられていないな。肉体が存在してこそ精神がある。多分エルが作った魔術式の彼が例外じゃないか?」

「彼もまた俺の体に帰属しているからちゃんと例外とは言いづらい。俺の意識外に活動できる点が肉体と伴っていないと言うのなら確かに例外ではあるけど。」

「なんだか難しい話ね。」

「でも、そうか。遠く離れた場所から魔力だけ飛ばして会話できれば、ある意味で精神だけの存在と言えなくもない。どっちにしろ確実にルサリィに力を渡した存在はどこかにいるはずなんだ。」

「本当なら力だけではなくもっとちゃんとお話ができると言うことかしら。」

「俺はそう思うよ。それができないなら、魔術や神獣の枠から外れている。」

「それってつまり“君たち風”に言うなら『世界の理から外れている』ということ?」


 アンジュやスイが神獣の血筋であり、世界から与えられた権能を持っていることを知っているンヴェネはそう尋ねると、2人は頷いた。ンヴェネは納得していながらも、些細な疑問無くならずふと口に出していた。


「この6年、王国魔術師も学者も理解できなかったのに、500年前の知識しかない君の方が分かるんだね。」

「契約術についてはこれが古い術だから。500年前の時点で解術の方が強くなっていて500年前もほとんど利用はされなくなったよ。」

「解術ね。」


 アンジュが稀代の天才魔術師であることには間違いないのだろう。突っかかったものの、ンヴェネは疑いようがない。


「君に使われている使役術が壊れていると言うのもそういうこと?」

「そうだね、今じゃただのダサい刺青だ。見える位置になくってよかったよ。」

「へぇそれでも君の力なら消せそうだけど。」

「面倒臭…。」


 本物の刺青とは違うが、壊れた使役術や契約術の紋章を消すのは骨が折れる。


「何故面倒なの。」

「効果がなくなったとはいえ、精神にまで及ぼす力を持ったものを何もないように剥がすのは結構苦労するんだよ。上から塗っただけの魔術式とはまた違うから。」

「何ともまあ恐ろしい。」

「繊細な術でもあるから、ただ無力化するだけなら大して難しくない。だから、廃れた術。」


 アンジュは口ではそう言ったが、解術も500年後の今は古い技術で廃れている、現在再び使役術を使う人間がいたらそれなりの脅威にはなりうるとは考えていた。そんなものの示唆はできないから、無意味と口にした。だけれども、ンヴェネはそこまで理解した上で、


「現状僕たち五星士に関しては、その術を乱用する奴が現れても新入りくんが知っているから不安がることはないね。」


と、返したので、アンジュは驚きつつもそうだなと返した。



ーーーー


 日中五星士たちと鍛錬に取り組み後、彼らが寝静まっただろう夜中にアンジュは懲罰室を訪れた。そこには、日中はアンジュに絡んできたボブ・ジョンソン二等兵が罰則を食らって1人で謹慎していたのだ。訪れたと言っても無許可で鍵のかかった部屋に現れたと言うのが正しい。

 ボブはその突然現れたアンジュに悲鳴をあげそうになり、アンジュは口を抑えてしっと口に指を当てた。


「聞きたいことがある、君の出身は王都御前町だろう?」

「えっ、な、何故それを。」

「君が教えてくれたら、君の質問に答えるよ。」

「……確かにその町の出身だが、なんだ、それで突き出すとでも言うのか。」

「ボブ、軍規や王都の条例で、王都御前町出身を許してはならないということは規定されていない。君が正規の方法で王都に入ることが許可された時点で、罪を犯していないのに王国が追い出すことは法律上許されない。」

「法律なんて関係ねえ。貴族たちやお上の意に添わなきゃ、簡単に冤罪で追い出すことなんて簡単だよ。」

「んー、俺が知っているボブの違法賭博の件を伝えれば冤罪じゃなくても追い出せるけどな。」

「…何故。」

「簡単な話なんだ。ボブ、僕は王都をよく知っている。でも、王都だけだ。御前町に関しては全く知らない。だから、知りたい。」

「知ってどうする?」

「分からない。」

「はぁ?」

「何も知らないから、このまま僕が何もしない方がいいのか、何かしら手を貸した方がいいのかの判断がつかない。」


 ボブはアンジュのことを信じられなくて凝視したが、その赤い瞳に写っている自分が恐怖していることしか分からなかった。


「教えるが、何故そんなに俺のことを知っているのかを教えろ。」

「僕が五星士になるより以前この国の魔術師だったからだ。あの王都を守る魔術式に深く関わっていた魔術師だから、君が魔術式内に入るために登録した情報を、僕は簡単に得られるんだ。これで君の疑問は解けた?」


 本当に伝えたくない情報は避けた言い方だったが、ボブは合点がいったようだった。


「喧嘩を売る相手を間違えたな、俺。」

「納得いったようだから、早く行くよ。」

「は、ぁ?知りたいって今から?」

「日中は五星士として活動するから、夜じゃないとダメなんだよ。」

「俺がここにいないことがバレたら、それこそ簡単に軍追放だ。」

「大丈夫だよ、扉から出入りしないし、念の為に誤魔化すような魔術はかける。王国魔術師の中でもごく僅かな優秀な人しかバレない。たかが王国軍の懲罰室から脱走者がいるかどうかを確認するのに軍が魔術部隊に頼むと思うか?」

「…思わないが。なるほどな、お前は王国魔術師たちにも詳しいのか。」

「王族も、王国魔術師も、それから神獣もあの魔術式に例外はない。」


 目の前にいるアンジュは、ボブが以前見たアンジュ・クラントとは全くの別人に思えた。彼自身とこうして会話をしたことはないが、五星士の人間たちと話している彼とも一緒には見えない。


「なんなんだ、お前は。」

「アンジュ・クラント。五星士の魔術師、ただそれだけ。」


 ボブが困惑している間に、アンジュが魔術を使った。気がつけば2人は王都の城砦の外側にいた。東側の関所の前だが、そこに衛兵などはいない。風に乗って下水のような汚物の匂いが蔓延していた。


「臭いが凄いけど、この時間に関所が開いてないのはまだしも衛士もいないんだな。」

「知らないんだな、もう100年は開いてねえし、衛士もいねえ。」

「理由は?」

「ここの関所なんてこの通り王都御前町の人間しか使わねえし、許可が降りることがねえから意味ねえってな。ああ、ちなみにあそこの壁に補修跡があるだろう。」


 ボブが指差した関所の門の隣の壁には確かに他の壁と比べて新しい石が使われている。


「ここの関所に衛士がいなくなってから、御前町の荒くれが壁を破壊して入ろうとしたんだ。」

「へえ。」

「結果は壁だけが壊れた。誰も中に入れなかった。」

「そこにある魔力結晶が壊れたとしても、魔力供給が途切れない限りはよそ者を排除する機能には関係ないね。壁側に設定されてるのはあくまで補助。」

「本当に詳しいんだな。」

「そうだね。俺に対する信頼は増えたか?」

「な訳ねえだろ。」


 実際エルだって気軽に話しているように見えても、この男に対する恐怖心がなくなったかと言うと嘘だ。ただエルも王国魔術師として生きていた時間が長かったからその恐怖心の隠し方を知っていた。少しずつその隠し方も思い出せるようになってきた。ただそれはリーラの息子のアンジュ・クラント像とは程遠いし、スイの知る弟のエル・ウォッカでもないから、彼らの前でその態度をとるのは非常に恥ずかしい。


「朝になる前に帰らないといけないから、さっさと行こか。」

「4時間もねえ…。おい、その貴族然とした格好で町に入るんじゃねえよ。追い剥ぎにあうぞ。」

「なるほど、どんな服がいいか分からないし、追い剥ぎからおいはごう。」、、

「大した自信だな。」

「王国軍人が歌舞伎者に負けると言うのか?サボりはほどほどにしなよ。」

「うぜえ。悪目立ちしてバレたらどうすんだよ!」

「王都御前町の情報は王都になかなか入ってこない。それは僕が1番実感してるよ。」

「にしてもっ。」

「大丈夫だよ。」


 何を根拠にと怒っている間にアンジュは町の中に入って行った。すぐに路地に入ると少し歩いただけで、追い剥ぎが襲いかかってきたのだが、本当に何の問題もなかった。言わんこっちゃないとボブが抗議しようとした時には既にその追い剥ぎは地面ですやすやと寝ていた。そして、追い剥ぎから追い剥ぐなどと言っていたが、実際には今着ている服を魔術でその追い剥ぎの服装に似せるだけだった。


「よし歩こう。」


 髪型も合わせてボサボサにして、アンジュはその汚い町を歩き始めた。町の建物の多くは平屋で、建物に使われている材料も多種多様様、草、木、土が多い。木に布を引っ掛けただけのテントのような家もある。荒屋が多い中でたまに石造りや煉瓦造りのしっかりした形の建物もあるのが、逆に目立つ。


「…この辺りは薬物中毒者が多いな。あの煙もヘロインと同じような成分が含まれてる。吸わないようにな。」

「お前は。」

「魔力が多いから、薬とか効きづらい。ボブは違う。」

「俺必要だったか?」

「案内してくれていいよ。」

「何が見たいんだよ。」

「どんな生活をしているのか見られれば、今日はそれでいいよ。」

「ただ見て回るだけなら案内なんていらねえじゃん。」


 恨みがましくボブが睨みつけるが、アンジュはそれを無視するように地面でぐったりとしている人の側による。ここら辺にはそのような人間が多いので、気にかける必要もなさそうだが、アンジュは手を握って声をかけた。


「…お疲れ様。来世ではいい旅を。」

「そいつがどうかしたのか。」

「たった今心不全で亡くなったんだよ。」


 アンジュはその人の体を動かして丁寧に横たわらせた。


「何故。」

「何となく分かるんだ。似たような人間をたくさん見てきたから。」

「魔術師が?」


 この100年の魔術師は違うので躊躇いながら曖昧に笑った。


「まあ、珍しいかも。」

「お前はコナー・キャンベルに似たような魔術をかけていたしそうなんだろうな。」


 アンジュは立ち上がると再び歩き始めた。


「ボブは行きたいところある?」

「あるわけねえだろ、こんな汚ねえ町。」

「王都のボブの記録は、君が9歳の時からあるし…この町はあんまり覚えてないか。」


 ボブはギロリと睨んだ後、そうだよと口にした。


「…でも、20年経っても全然変わんねえよ、この町は。相変わらずクッセェし、きったねえ。掘立て小屋ばっかで。娯楽といやぁ、喧嘩と女しかねぇ。酒なんて嘘っぱちの別物だ。」


 アンジュは500年前の魔術塔を懐古して、あんまり変わらないような気がしてしまった。多少魔術師にほうが身綺麗だったが、500年前の衛生環境なんてたかが知れてる。当時は鼠死病というものが流行っており、処理が追いつかなくて王都でも死体がゴロゴロしていた。


「薬の匂いが至る所に広がっているのも、似てるな。」

「んな場所他にもあんのかよ。」

「探せばあるよ。」

「けっ。」


  ボブは心底嫌そうな顔を浮かべる。アンジュが連れきたので、少しだけ罪悪感を覚える。


「ここがあることは大人にとって最後の砦のコミュニティかもしれないけど…子供は選べないからな。」

「すげえぞ、このまちは。たくさん子供が産まれて子供が死んでる。赤子の死体がたくさんゴミ箱にいるんだ。育てる能力がねえ奴らばかりの集まりで、中絶・去勢すると言う考えもねえ。まあ、だからなのか運良く生き残ってる奴はゴキブリ並みにシブてえけどな。」


 ここが王国最大でかつ最悪の貧民街なのだろう。王都の目と鼻の先にあるにも関わらず、全く異なる。王都の中にある貧民街の住人は、ほとんど薬物は広がっていないし、安い賃金ではあるが働いている者が多い。ここを見れば、王都の貧民街の方が何倍も秩序が存在しているのが分かる。


「王都から追い出された者、王都で仕事をしようとしたが入ることすら叶わなかった者たちか。」

「あっちは賭場と女がいるよ。王都のような立派な娼館じゃなくて、個人個人がやってる奴。」

「でも、そっちはそれなりに生活はできてはいそうだな。」

「…まあ、俺の父親と母親がそのカップルで、9まで生き延びられたんだからそうかも知んねえな。」

「探しに行くか?」

「会いたくもねぇよ。」


 とても嫌そうな顔をした。

 この王都御前町で、ギリギリ人間らしい生活をしているのは、賭場や水商売をしている人間で、しっかりとした家を持っているのは、


「お前ら見ねえ顔だな。」

「げ。」


 それがこの麻薬カルテルの人間だ。王国としても目の上のタンコブの存在だが、麻薬カルテルも王国軍人と王国魔術師と大きな抗争をしたくないようで、王国内で大きく暴れたことはない。その王国が治安維持を放棄している王都御前町を拠点の一つに構えているのは、彼らにとって都合のいい場所だからだ。アンジュは顔を見ておやと思った。


「この3人、入都許可を持っている。」

「あん、なんだてめぇ。」

「王都内では治安悪化に繋がるようなことはしていないみたいだけど、世界の商人たちと悪巧みの話をするため王都で話しているんだな。」

「お、おい。」


 アンジュは顔を見て、彼らの王都の魔術式のデータを参照し、それを口に出した。


「お前ら王都警察ヤードか。」


 アンジュは今の所自分の面が割れていないというのが分かったので嘘をつく。


「俺は王都の魔術式防御システムを管理する王国魔術師だよ。隣は念の為の王都の貧民街でゲットした案内人。」

「ほう、それはそれはお偉い様が何の用で?まさかここも王都魔術式に組み込んでいただけるとでも?」

「さあ。俺はその魔術式がどれだけこの地域の治安悪化に寄与しているのかを確認がしたかっただけ。貴族の悪趣味だよ。」

「なるほど、随分な悪趣味だ。」

「疑っているのなら、何か魔術でも見せようか?」


 怪訝そうな目を向ける彼らを挑発するように笑う。悪垂れだったボブの方が焦り、怖がってアンジュの手を掴む。


「いいや、お前の名前を聞こう。」

「へえ、王国魔術師に知り合いがいるんだ。俺はサスール・ドルミ。」


 アンジュは適当に王国魔術師リストの中からピックアップして名乗ると、男はさらに睨め付けた。


「ドルミは有名な魔術師の家系だが、お前のような若い魔術師が目立たないはずがない。22歳だったルートヴィヒ・ラドカーンが王国魔術師になった時は国内外に轟いたものだが。」

「若く見えるだろ、でも、若くないんだよ。」

「…そんな術を聞いたことないが。」

「全ての手の内を明かすわけないだろう。」


 アンジュはニヤリと笑って動揺するボブの腕を掴み魔術を発動した。


「あ、ああ、おい。」

「時間切れになったからな。」


 男たちが手を伸ばそうとしたところで、アンジュとボブはその場から何も残さず消えていった。


 気づけばボブは懲罰室に1人でいた。服も汚い追い剥ぎの服ではなく、いつもの王国軍から支給されたタンクトップとズボンだった。不思議な五星士の姿はどこにもなく、全てが夢だったような気がした。



ーーー

 翌日、ボブは罰則が終わって通常の朝ごはんの時間に戻れた。その時五星士と護衛のスイが食べ終えて鍛錬室に移動しようとしていた。他のメンバーは少しボブを気にかけていたが、何も口にしなかった。最後に横を通り過ぎたアンジュだけが、ボブに声をかけた。


「昨日はよく眠れたか?」


 何も知らなければ懲罰室で一夜を過ごすことになったボブへの嘲笑だったが、ボブにとってはこれが昨日のことが現実に起きたことを伝えていた。


「テメェのせいで寝不足だよ。」


 力無く返したのは何も寝不足だけのせいではない。


「そうか。でも、今日はサボるなよ。」


 自分は疲労困憊なのに、アンジュは何故か元気そうで憎たらしい。他の五星士たちがソワソワしていたが、それ以上ボブは奇想天外な魔術師に付き合うのは御免で何も言わなかった。何も知らない第五師団の連中が噛みつきそうだったが、力無く制止した。


「止めとけ。アイツに関わったら命が幾つあっても足りねえよ。」


 その日から第五師団のアンジュへの侮辱は半分ほど減った。


 皆が鍛錬に費やしているのを視界に入れながら、アンジュは医学書を広げて読んだフリをしながら削除システムの横で呟いた。


「王都に入れなくなって困ってるなぁ。」

「何故そんなことをしたんですか。」

「麻薬カルテルなんて要らないよ。何か重要な取引があったみたいだけど、面目丸潰れでこのまま没落してくれるかな。」

「この程度で?」

「すぐにじゃないけど、徐々にね。少なくとも後10年は王都に入れないから、閉め出し決定。」

「他の外国商人はいいのです?」

「そっちは本業を王国が認可してるから、追い出そうとすると国際問題になりかねないんだよ。俺の勝手な行動でミルフィーたちの生活が脅かされるのは困る。あんまり僕は国際的なことは一切合切勉強してこなかったから、手を出しづらい。」


 アンジュはそこまで言ってつまらなそうな顔をする。


「100年前に薬物の影響で死んだ魔術師の名前を選んだのに、彼らが調べる手段を閉じちゃった俺。」

「本体は結構黒いんですね。」

「500年前の王国魔術師は腐っていたんだよ。僕がそこにいた時間は長かった。物心ついた時から計算すれば兄さんや父さんと過ごした時間より長い。」

「本体は王国魔術師の中では人間性を保っているという評価にいたします。」


 アンジュは苦笑いして、魔術式システムの彼に言う。


「全然似てないな、俺たち。」

「本体のデータが揃ってませんから。」


 エルは確かに自分を作ったつもりはないが、他の人を作るには詳細な情報が不足していたから見た目や声は自分に似た結果になってしまったのに、肝心の中身は自分の情報が不足して似ていないのだからあべこべだ。でも、似てなくて助かった。似ていたら真っ先に削除したくなったはずだ。


「ミルフィーに似せたら会うだけで楽しくなるかな。」

「それは気持ちが悪い行為です。」

「…確かに。本当は違う人間が作りたかったのにな。」

「僕の制作意図は、寂しさだけではないのですか。」


 その質問にアンジュは曖昧に答えた。


「それで間違い無いよ。君の名前、そろそろ考えてあげないと。ウィルに名付けてもらおうかな。」


自分で名前を付けたら、どうしようもないものになりそうだからとつぶやいた。



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