20話 サネカズラ
アンジュ・クラント(16) 魔法使い 迷いに迷って生きている。
ウィル・ザ・スミス(19) 炎の斧使い アンジュと同室の気のいいお兄さん
ミルフィ―・テロット(16)リレイラ村でアンジュに一番最初に話しかけた少女
ンヴェネ・ルーイ(25) 雷の銃使い 五星士リーダー 弟が目の前で死んだトラウマがある
エリカ(12) アンジュと仲のいい少年兵隊所属の少女
クルル 鳥の神獣 アンジュのことはお気に入りでも、偶にしか役に立たない。
過去500年間、王都は戦火に包まれたことはない。その大きな要因が魔術式防御システムの存在だ。世界にはモンスターや人間を憎む神獣、人間を殺す竜の一族と言ったものがいるのに、この王都はその被害を受けたことがない。彼らにとってそれらは対岸の火事だった。王都民は世界でも屈指の平和ボケの集まりだった。
王都にいるものは全て魔術式防御システムに登録されており、決して勝手に入り込むことはできない。ただ完全に排他的であると商工業は発達しないので、観光ビザや就労ビザを取得するのは、そこまでは難しくはない。しかし、たとえ王国民だとしても王都のビザの発行が必要となる。そのビザは紙面ではなく王都の魔力結晶に血を登録することであり、偽造は不可だった。犯罪を犯し捕まれば王都追放となり、2度と王都の地は踏めなくなる。そのため、他の場所よりも多少治安は良い。
それでも貧民街という地域が存在するのは、人間の自由な社会においては仕方ないものなのかもしれない。
その日、ウィルは非番のため親に顔を見せに行っていた。すると母ヘリアがミルフィーの母から電報が届いたと伝えた。ウィルはこれでアンジュの憂いが消えたと思ったのだ。ここ最近のアンジュはどこか遠くへと消えたそうに空ばかり見ているから、そばにいてとても不安だったが、リーラが側に来られればそれも変わるはずだ。
「これで漸くアンも安心できるなぁ。」
「ふふ、ウィルもこれで安心できるわね。」
「俺は別に。」
「アンジュくんが王国軍に入ってから、ウィル昔のように元気になったもの。」
「……母さん。」
「ごめんなさいね、余計なことを言ったわ。」
母ヘリアは、少し前までずっとウィルが落ち込んでいたことをよく知っていた。それでも、今まで母は触れてこなかった。心配かけまいと明るく振る舞っていたつもりだったが、母はやはり隻眼の持ち主だった。
「…いや、ありがとう、母さん。」
ウィルは実家に帰って休むつもりだったが、すぐにでもアンジュにそれを知らせてやりたくて一度宿舎に戻ることにした。
結局伝えることはできなかったが。
ーーーーー
カンカンカンカンカンカン
王都の滅多にならない警報の鐘が鳴り響く。
いつもなら非番の時は軽めの剣しか持たないが、今日は魔導武器を念の為持ってきて良かったとウィルは自分の斧を握る。
王都でその鐘を聴くことは滅多にない。しかし、その音はウィルは聞いたことがある。思い出したくもない6年前のあの日、100年振りに王都の警鐘が鳴ったのだ。
6年前ーーー王都
「何があった!」
「学生が貧民街や下町の人間に焚き付けて、武装蜂起したんです。」
普段鳴らない王都の警鐘によって王宮にある王国軍の宿舎はとんでもない騒ぎだった。何故か、500年前の天才が生んだ王都の魔術式防御システムによって、王国軍はほとんどと言っていいほど王都戦を想定していなかったからだ。
「…何が共和制だ。魔力を持たない民も王国の魔術式の恩恵を受けているのに。」
王都戦の相談のために来た魔術師の1人が、腹立たしそうに呟いた。どんなに性格が曲がった人間が多いとはいえ、魔術師たちが王都の守りを堅牢にしているというのは誇りらしい。王都はだから「平和」なのだと。
しかも、ルーグ王国は他の国よりは比較的自由な国だ。近頃では職業婦人なんて流行りもある。それでも、その年違う国で「平等」の謳い文句で起きた革命の煽りを受けたのだ。比較的余裕のある学生を中心とし、下町や貧民街の不満をある人間が集まって革命をこの国でも起こそうとした。
「王都の戦いは、王都民に任せるべきだ。」
王都戦に慣れていない王国軍は特別に部隊を編成した。それは、孤児院出身や貧乏な家庭出身の子供が多い少年兵隊や、その少年兵隊出身の人間を中心にしたのだ。
その中にはそうウィルもいた。ウィルはその戦闘の才は開花していたし、王都の地理も詳しかったから、適任だったのだ。
しかし、ウィルは今まで人間を相手に殺し合いをしたことがなかった。加えて相手の中に知り合いもいるらしいことがわかってる。彼らと戦うのはしたくなかった。
「おーい、ウィリー。召集がかかってたぞ。早く行かねえと教官に怒られるぜ。」
手に持った剣を握り、ハッと振り返った。そこにはウィルの軍でできた親友のアナトールがいた。そして、ウィルは彼のことをこう呼んだ。
「アン。」
アナトールは不安そうにしているウィルの頭をくしゃくしゃにする。
「随分動揺してんじゃん。なんかあったか?」
「…だって、王都の人間と戦うんだよ!知り合いもいるって。」
「ああ、ウィリーは王都で顔広いもんな。俺は次の第3陣の予定だけど、代わってやるよ。その頃までに覚悟決めておきな。その顔じゃ死ぬのはお前だぜ。」
「でも、アン。」
「次の第2陣の人選が王都に深く知ってるやつの中でも期待値たけえ奴って聞いたからな!」
「アンだって昔養護施設にいた頃の知り合いが。」
「ウィリー、俺は軍に入った時から、当時のヤンチャ仲間とは殺し合いになる覚悟くらい決まってんだよ。」
アナトールは孤児で養護施設出身だったが、よく施設を抜け出しては浮浪児たちと遊んでいたと言う話はウィルもよく聞いた。
「でも、ウィリーはそうじゃないのは俺もよく知ってる。だから、今は代わるって話。どうせ出動するには変わらねえんだからな。」
アナトールはすぐに指揮官にウィルが体調不良であり、自分が代わりに出ると言うことを告げて、第2陣として出動した。
しかし、その後ウィルが出動することは無かった。第2陣投入後に片がついたからである。主要メンバーもほとんどが捕縛、自刃などで死亡したため指揮系統がなくなりすぐに終わったのだ。
ウィルは、戦いの後アナトールの姿を探した。普段とは編成が大きく異なったため王国軍自体も混乱が大きい。いつもなら勝手な行動と教官に怒られるところだろうが、この時は誰にも咎められなかった。けれども、アナトールは見つからなかった。別の仕事をしているのかもしれない。例えば死傷者の運搬は少年兵隊がよく担っている。そう思って向かった死体安置の場所に、アナトールはいた。既に体温はなくなった状態で。
戦後の喧騒の中、1人で彼の遺体を抱えて泣いていたウィルに声をかけるものはいなかった。
虚しかった。明るい彼は慕われていたはずなのに、亡くなった彼を引き取る人間はいないし、ただ共同墓地に集団で埋葬されていく。自分の弱さも全てが苦しかった。
アナトールは、ウィルと1つしか違わないが、達観した少年だった。
彼と最初に会ったのは、王国軍少年兵隊の入隊式の後だった。同じ寄宿舎に割り振られたことが理由だ。自分で親を説得して入ったとはいえ、当時はまだ8歳で、親と離れて暮らしたことがなかったからホームシックになっていて、1人で泣いていた。そのウィルに対して話しかけてきたのがアナトールだった。そして、ウィルが落ち着くまでそばにいてくれたのだ。落ち着いた頃には、ウィルは歳が近い少年に慰められていたのが恥ずかしくなった。
「あの、ありがとう。」
「気にすんな、これからは仲間だろ。」
アナトールはそう言ってくれたが、他の子供たちからは泣きじゃくった子としてからかいの対象だった。しかし、アナトールは彼らを諌めた。アナトールは底がない明るい人間だったし、体格にも恵まれていたから、アナトールが入れば大抵頷くものだった。ウィルは無条件で懐いたが、どうしてそこまでよくしてくれるのかと尋ねたことがあった。
「そりゃあ、お前がいい奴って分かったからだろ。」
なんて恥ずかしがらずに言ってのける。
「でも、初めて会った時からだった。」
「あの時は打算だよ。だって同室のやつだぜ。休む部屋でギスギスしてたら嫌だろ。」
アナトールの言っていることは凄く当たり前ではあるが、それを実践できるかなんて難しいところだった。アナトールは、ウィルだけではなく当然のように同じ部屋の人間をフォローしていた。だから、必然的にその部屋の子供は彼のことが大好きだった。
「シェリーズ教官、マジでくそ。俺ばっかり怒ってさ。」
「あれはムカつくよなぁ。でも、ロミー期待されてんじゃね?今だって、体の使い方本当に上手いしさ。もっと上手くなれるってことだ。」
アナトールが泣き言や恨み言を口にしている事を見たことがない。保護者らしい保護者がいないのがほとんどの少年兵隊にいる彼らにとってアナトールは兄貴分で、人の話ばかり聞いて、自分の話はしなかった。ウィルが心配して無理していないかと訊ねても、アナトールは笑い飛ばした。
「大丈夫だって、浮浪児の生活と比べればここは遥かに天国だぜ。」
「…アン。」
「心配性だなぁ、ウィリー。そんなんで軍でやってけるのか?」
「アンが自分の事を大事にしないからだよ。」
「えー?そうかぁ?」
というのも、アナトールはすぐに怪我をする。彼は他の少年が嫌がるような変な場所での補給任務や火薬の管理などを率先して行う。少年兵隊だから、本当の戦闘に参加することはないが、王国軍の師団に入ったら真っ先に死にに行きそうだった。
「ま、俺は孤児だし、人として生きるためにはここで出世するしかないんだよ。」
「…そうなのかもしれないけど。」
アナトールはそれでも心配するウィルを笑う。
「俺は素直なウィリーが軍でやってけるか心配だよ。絶対誰かに騙されて良いように使われるぜ。」
「お、俺だって頭使えるんだから、大丈夫だって!」
「いやいや、こないだグレイグに騙されてグレイグの仕事代わりにやってたじゃねえか。」
「あれは本当にグレイグが妹に会いたいのかと思ってさ。まあ、あれくらいなら全然大した事ねえし。」
ウィルは弁明をするとアナトールは何か言いたそうだが、口を閉ざした。
「ま、可哀想なウィル坊の面倒は見てやるぜ。」
「かわいそうじゃねえって!」
アナトールは誰にでも分け隔てなく優しい人間だったが、ウィルには殊更優しかった。アナトール曰くウィルはかわいそうらしかった。ウィルにはそのアナトールの感覚は理解できなかったが。
革命を起こそうとしたあの学生運動の少し前のことだ。当時五星士だったヒューイ・ウォーカーが怪我を理由に五星士を引退した。五星士は5人である事が既定であったから、この引退で誰かがまた選ばれる。モンスターとの戦いの最前線であることから、若い軍人から選ばれるのだ。軍の英雄なのだから半端者を選ぶわけには行かないために選考に時間をかけるから、現在少年兵隊にいてももうすぐ王国軍に正式に所属するウィルの年代もチャンスがないわけではない。
「次大きな戦いが起きて功績を立てたらきっと選ばれるに違いないよ。」
若い軍人はそうして浮き足だった。ウィルは流石にまだ早いだろうと思って他人事だったが、アナトールは違った。
「少年兵隊は似た境遇のやつばかりだけと、師団は士官学校を卒業したやつもいてそうも行かねえし、これはチャンスだ。」
「でも、ほらライオネル・ロバーツももう30になるし、まだチャンスは巡ってくる。ヒューイ・ウォーカーの後釜じゃなくても。」
「この何百人、何千人のうちの1人だ。ライオネル・ロバーツの時もチャンスはあるかもしれねえけど、それでも何%だ?限りなくゼロに近くてもチャンスが回ってくる時には気合を入れねえと。」
そう話していたのだ。アナトールが孤児であるが故に、出世を強く望んでいたのは知っていたし、功績を焦っていたのも知っていた。それなのに、ウィルはアナトールに出陣を代わってしまった。知っていたのに。止められるのは、優しいアナトールが本当は野心家である事を知っていた親友のウィルだったのに。
自分の怖さを優先してアナトールが死にゆくことをみすみす許してしまった。
結局ヒューイ・ウォーカーの後任には、国境警備隊でも、先のモンターニュ戦争でも前線で活躍したンヴェネ・ルーイだった。誰もが納得する人選で、やはりアナトールに勝ち目はなかったことを考えると、ウィルは更に自分の不甲斐なさを悔いた。
現在ーーーー
ウィルは市民に逃げるように叫んで、迫り来るウサギのようなクマのようなB級モンスターであるラビーをたたき伏せた。
「走れ!」
王国軍は今何をしているのか確認しに行くことすらできない。守るべき市民がいるからだ。ここは魔術式防御システムで守られた結界の中で、500年間一度もモンスターの襲撃を通さなかったのに。
「戦えるものは一緒に戦ってくれ!動けるものは動けないものに手を貸してくれ!」
ただでさえ先日の雨の神獣の被害が大きく、今年どうなるかが分からない中の襲撃だ。この先の仄暗い暗示なのか。
ーーーー
その日ミルフィーは、花嫁学校のクラスメートのマルゲリータと出かけていた。授業で使う布を買いに行くためだった。
「素敵な布が買えたわ。ありがとう、マルゲリータ。」
「絶対愛しのダーリンは喜ぶはずよ。」
「えっ、違うよ、授業で使う…。」
「えー規定の大きさより随分大きかったけど、余分でダーリンに何かあげるんじゃないの?」
「…もう!」
アンジュの髪に結ぶリボンをまた作ろうと思って、ミルフィーは授業に使うよりも大きな布を買ってはいたのだが、すっかり筒抜けだったとは思わなかった。
「はぁ、羨ましいなぁ。両思いで。」
「あはは、今はまだ両思いじゃないよ。まだアンジュは分からないのよ。」
「そんな強い力がある髪紐をもらって?」
何かあったらミルフィーを守ると言ったそれは、あくまで命の危険からだとミルフィーは思っていたが、そんな生優しい力じゃなかった。
田舎人だとバカにして笑いものにした商人の娘に天井以外何もないところから、バケツのような水が降りかかった。出来が良かったミルフィーの刺繍を自分のものとして提出しようとした男爵令嬢は、作品が勝手にミルフィーの元に戻り、意気揚々と作品を取り出そうとした彼女の鞄の中は無数の蜘蛛が蠢いていた。意地の悪い先生がミルフィーを何度も指した時は、途中から舌が回らなくなり、それ以降の授業では話すことができなかったらしい。
「昔はこうじゃなかったの。」
「離れて暮らしていたら、やっぱり大切と言うことに気づいたのよ。」
「そんなことないよ。結婚という言葉には怖がっているみたいだったし。」
「けど、女遊び激しい人じゃないでしょ。」
「そんな子じゃないよ!でも、昔は村の女の子たちはアンジュに興味なかったけど、王都では普通にアンジュも囲まれているみたいだから心配だよ…。」
「えー、じゃあ、ミルフィーのことを愛してないっていうの?」
「…それもないというのは流石に分かってるよ。アンジュは言葉を躊躇う人じゃないから、手紙でも…、なんでもない!」
アンジュから貰った手紙の一文を思い出してミルフィーは顔を赤くする。
「えー、いいじゃん、教えてよ。」
マルゲリータがミルフィーの手を握って駄々を捏ねていた時だった。王都中にカンカンカという警鐘を鳴らす音が響いた。
「えっ、何。」
多くの人がいるメインストリートは不安な変えで作られた喧騒が大きくなる。
「ま、魔術式が突破されたんだ!」
王国軍人たちがバタバタと慌てた様子で走り体制を整え、少年兵たちが部屋の中で鍵をかけて隠れるようにと指示をした。
「モンスターがちらほらと入ってきている!早く!」
「モンスターは所詮獣だ!部屋の中で隠れろ!窓は塞げ!扉は鍵をかけろ、」
「落ち着け!ここはまだモンスターは来ていないから走るな!」
「歩いて建物の中へ!」
そんな事あるはずがないと悠長にしている老人たちの少年兵は尻を叩く。
「マルゲリータ、早く行かなきゃ。」
「そ、そうね。」
魔術式が突破されたのは城壁寄りの下町がある方だった。中心都市はまだモンスターへの実感は無かった。しかし、それはなぜかふわりと地上から地面に降り立った。
「なっ!」
近くにいた王国軍人があんぐりと口を開けていた。それは、大きな獅子、ミルフィーの何倍もの大きさがある獅子だったのだ。
ミルフィーは獅子の宝石のような青い瞳に一瞬見惚れてしまった。次の瞬間ミルフィーの顔の前には獅子の大きな口がミルフィーを食らわんと開いていた。マルゲリータの絶叫が響く。
「ふざけるな、殺すぞ。」
聞き慣れているはずの聞き慣れていない声が響いたと思えば、庇うように片手で抱きしめられていた。予想外の攻撃にライオンは魔法で吹き飛ばされていた。
「…アンジュ!」
その一挙一動を逃すまいとライオンを睨んだアンジュは、ミルフィーが呼ぶ声にも応えらない代わりに抱きしめた左手に力を入れる。
「……神が何故こんなところに油を売ってるんだ。」
【人間の癖に魔法か。】
ライオンの神獣は、世界に轟かせるようにアオーンと遠吠えをする。特に何の攻撃をしたわけではないはずなのにビリビリと肌を痛む感覚を得る。
アンジュは、ミルフィーを腕の中から離すと小声で逃げてと伝えた。今まで、鳥、猪、虫、アメフラシ、竜の神獣に会ってきた。しかし、弱い種族であったり、本来の力が失われている者ばかりだった。今までこんなにも神の威光を感じたことはない。死を感じるとき、いつもすぐに諦める気持ちになってしまうのに、ミルフィーが背後にいるだけで、死ぬわけにはいかない、負けるわけにはいかないと強く思った。
剣を抜いて、アンジュはライオンの神獣に切りかかる。神獣の能力も分からないが、何かしら活路を見つけ出さなければいけない。ミルフィ―が危ないと気づいたとき、魔法でこの場に移動してきてしまったから他の誰もアンジュがここにいることを知らない。他の五星士たちがアンジュもどこにいるかなんてわからない。
いや、全く力が欠けていない神獣と彼らが相対していいのか。
アンジュが剣を揮っても、ライオンの腕の一振りで叩き落される。
魔法と剣を合わせることができればよいのに、剣に力を入れようとすると魔法の使い方が分からなくなる。魔法で戦うことにアンジュは慣れていない。アンジュにとって魔法は防いだり、搦手を使うくらいのものだった。
「アンジュ!」
避難誘導していたエリカがアンジュに声をかける。
「エリカ早く逃げろ。」
炎を纏ったライオンの爪からエリカを守る。
「ご、ごめんなさい!伝令として走るわと言いたかったの!」
「ああ、行ってくれ。」
神の力を受け継いでいるとはいえ、神獣ではない。その神獣に遊ばれているだけだ。証拠に彼は能力も、魔法も使用していない。ただ楽しそうにその腕を振るうだけだ。しかし、どんなにアンジュが剣を突き立てようとしても、毛皮を汚すことすらできない。
「くそっ!」
吹き飛ばされて体勢を立て直すアンジュは、自分の身体に苛々していた。自分が知覚している動きと多少ズレるのだ。そのズレが有効な一打を消すし、攻撃を完全には避けきれない。
しかし、珍しく自分が心の底から戦いたいと思っているのも認識していた。
「…絶対、倒す。」
【はっはっはっ。忌々しい王都の人間を潰すことができればと思ったが、どうでも良くなってきたぞ。若いというのは楽しいなぁ!】
「…戦闘狂が。」
アンジュが吐き捨てると、ライオンはおおと感激の声を上げる。
【もしやと思ったが、やはり神獣の血を引いているな。ふむ、若い意思に敬意を示そう。】
ライオンは居住まいを正して、アンジュの前に立つ。
【戦を司る獅子の神獣マルスだ。】
毛で覆われていて表情などわからないが、マルスの青い瞳はワクワクとした子供のようであった。アンジュは、少し遠くから様子を見守っている人には聞こえない程度の声で答える。
「どうも。神獣の血縁、生を司るアンジュ・クラント。」
マルスはアンジュの自己紹介にニヤリと笑うと再び牙を剥いた。マルスの攻撃に応戦するが、いつまでこの彼の遊びが続くのか分からない。負けたくないと食らいつくが、冷静な頭では勝てない相手であることは悟っていた。
王国軍の第一師団がアンジュが戦っている間にバリケードを築き、大砲などの準備をしているのを横目で見ていたが、それは恐らくマルスには通じない。しかも、戦いを愛するマルスはそれらを不満に思ったらしい。
【横槍を入れられるくらいなら全力で叩きのめそう。そして、アナンタに自慢してやろう。】
マルスが雄叫びを上げると、全身が炎に覆われた。瞬きすら許されないスピードで彼の炎の爪がアンジュに降りかかってきた。諦めるつもりはなかったが、間に合わない。
しかし、そこへ一つの声が割り込んだ。
「ふざけんな、マルスのクソジジィ。」
透明な壁によってマルスの爪はアンジュに届かなかった。こんな高技術の魔術を生み出す者をアンジュは知らない。
『お待たせ、アンジュ。』
ずっと待ち望んでいたクルルの声と共に、彼らは空から飛来した。
【…なんだぁ?】
マルスは乱入者に気を取られ空を見た瞬間に地面にヒビが割られて足を取られていた。その間にクルルの背から彼は優雅に降り立った。
「やあ、エル。元気か?」
「…スイ?」
いつもの厚手のマントを脱いでいたから、竜の一族の協力者だった魔術師スイだとはすぐには気づかなかった。アンジュと同じ金色の髪を靡かせながら、スイはアンジュに笑いかけた。 ずっと憂いを持って何も映さなかった赤い瞳は、今はすっきりとして真っ直ぐにアンジュを見ていた。
「細かい説明は後だ。今の俺たちじゃあ、あのクソジジイには勝てない。俺は微妙に魔法は上手く使えないし、エルも剣を思うように使えてないだろ。」
スイはテキパキと話す。今までのスイとは全く違う。
【さっきから糞爺とはなんだ。糞餓鬼が。】
マルスが怒りの炎を吐いたが、スイの魔法の壁がなんとか耐える。もう少しで割られてしまいそうな中、スイは言った。
「エル、“僕”の魔力を使え。俺には無理だけど、エルの魔法ならクソジジイをここから飛ばすことくらいなんとかなるはずだ。」
「もっと恨みを買わないか、それ。」
「これは時間稼ぎだ。俺たちがクソジジイを倒すまでのな。」
ほら、とスイはアンジュに手を差し出した。この手を取った時、何か起こるかアンジュには分かりかねた。
「大丈夫だよ、エル。俺は何があっても、何を裏切ってもエルの味方だ。それは信じてくれ。」
鳥の神獣クルルは人とライオンの戦いに介入することはできない。神を前にして他の五星士を待つこともできない。そして、ミルフィーを失わないためには戦いから背を向けるわけには行かなかった。勝てない戦に、生きる道筋があるという彼の言葉を今は信じるしかなかった。
アンジュはスイの小さな手を取った。人の魔力を使って魔法を発動するなんて分からないと思っていたが、彼の魔力は自分の魔力よりもよく馴染んだ。
「…これ。」
説明は後だとスイは言った。乱入者によって相手が集中が途切れているタイミングを失えば勝てなくなる。
マルスの足元に、巨大な魔術式が現れると、周囲の石畳や街灯も悲鳴を上げながら宙に浮かぷ。
「吹き飛べ!」
マルスは水素爆発に巻き込まれたような弾け飛んで行った。
【覚えてろ、糞餓鬼!】
「お前こそ耄碌して忘れんじゃねえぞ、クソジジイ!」
王都の魔術式防御システムの向こうへと飛んでいくのを、スイはニコニコとして見送った。
「やったな、エル!」
「…スイ。」
分かるような気がするのだが、混乱して何が正しくて何が間違っているのかも分からなくなった。呆然とニコニコする彼を見ていると、人混みをかき分けてミルフィーがアンジュに抱きついていた。
「無事で良かった!」
「…ミルフィーも。」
アンジュがミルフィーに抱きつき返すと、狡いと宣ってスイは2人に上から抱きついた。ミルフィーは急に抱きついた幼い子供を確認するために手を離した。
「…あの、貴方は…。あれ、もしかして。」
ミルフィーがスイに何かを尋ねようとした時だった。
「おい、新入りくん、どこ行ってたのさ!」
ンヴェネが怒った顔つきでアンジュを睨んだ。そう言えばミルフィーを助けに行く直前まで一緒にいたのに、魔法で瞬間に飛んできたので王国軍では行方不明になっていた。
「エリカが伝令に行ったと思ったけど。」
「来たよ、だから、今ここに辿り着いたんだ!何していたんだ!」
怒られているアンジュを見てミルフィーはおずおずとンヴェネの前に出る。
「あ、あの、アンジュは私がモンスターに食べられそうになったところを助けてくれたんです。」
「…ん、あれ、君、もしかしてミルフィーちゃん?新入りくんの最も大切にしたい人ランキング1位の。」
「…なんでそんな変な言い方。」
ミルフィーがいることで、ンヴェネはアンジュの行動理由を理解した。
「…っていうかその隣にいるのもしかして。」
「エル、誰コイツ。」
「話せるってことはクルルの変身した姿じゃないわけね。」
スイは今までアンジュに見せていた笑顔とは逆に、殺さんばかりの鋭い視線でンヴェネを見た。
「君、竜の一族の魔術師だよね。あの時はマントで隠れてたけど、その声はカンカラの魔術師だ。」
「へー、会ったことあったけ?」
「スイ」
何故か最初から喧嘩腰のスイを抑えて、アンジュはンヴェネに謝る。
「命令違反は悪かった。」
「まあいいよ。ここは片付いたみたいだし、他の場所の応援に行くよ。」
モンスターが闊歩する中でミルフィーの側を離れることに、アンジュは心臓を握りつぶされるような痛みを感じたが諦めた。
「じゃあ、ミルフィー。また。」
「あ、あの、…うん、またね。」
『この戦いに参加できないから、僕はミルフィーのそばにいるよ。』
ミルフィーは何かを言いたげだったが言葉がまとまらず、アンジュも後ろ髪引かれながらもンヴェネの後についていった。クルルがミルフィーのそばにいてくれるのだけが救いだった。
「なんで君までついてくるのさ。」
ンヴェネはアンジュの横にピッタリと付いてくる少年スイに苦言を呈すが、スイはやはりつっけんどんな態度で返す。
「エルはまだ分かってない。俺がついて行った方が安全だと思うし、この王都も救えると思うぞ。」
声は確かにあの時の魔術師だったが、態度は大きく異なる。ンヴェネはその姿を睨む。最初にあった既視感は、サンセット・ブリッジで人に変化していたクルルに酷似しているからだ。
「君が入って来れるなら、すぐにでも魔術式を直さないとじゃん。」
「この“僕“が王都の魔術式に弾かれるはずないでしょ。それに、お前が懸念する竜の一族は今年は襲って来ないよ。あの水害のせいでこの冬たくさん人が死ぬからね。その間に補修くらいできるだろ。」
そうこう話している間に魔術式の穴が閉じたことをアンジュは感知した。
「直った。」
「ならやることは簡単だ。魔術式防御システム内に入り込んだモンスターや獣を倒せば良いだけ。それくらいなら魔法が下手な俺でもできる。」
「下手ねぇ。」
あの時混乱に陥れたのは彼の魔術式のせいである。それはアンジュも知っているから、彼が戦いに参加するというのを少し躊躇った。
「大掛かりな魔法さえ使わなければ、大丈夫だよ。それにエルの側からは離れないから、何かあればエルに魔法を消去してもらうよ。」
残ったモンスターの掃討にアンジュは視界にスイを入れながら戦っていたが、心配するようなことは起きなかった。下手と称するには、魔術師たちが恨むくらいには出来がいい。クルルに言わせれば、魔力の消費がマチマチだと言うかもしれないが、現状彼は戦うことができている。
周囲の敵を粗方倒した時、ルサリィがンヴェネの元に飛んできた。
「大変なの、ウィルが!」
慌てるルサリィの案内で下町の方へ向かう。1番数としてはモンスターが入り込んでいた地域だ。多くの町人が取り囲んでいる中に顔面蒼白で倒れているウィルを発見した。
「何があった!」
ンヴェネが周囲に距離を取るように言った隙に、アンジュはウィルの顔を覗いて脈や瞳、体の状況を手早く確認する。
「…大きな外傷はなし、脈も正常、瞳孔も正常。」
「気絶しているってことか、担架をこちらへ。」
アンジュは首を振った。
「…いや、おかしい。…あれは。」
アンジュが不自然に存在する魔力の痕跡を辿るとその先にあの赤い魔力結晶が剥き出しになっているのに気付いた。
「ここで起きたことが分かるやついる?!」
「新入りくん?」
「まさか、ウィルあの赤い石を触ってないよね?」
アンジュの疑問に近くで見ていた町人は詳細に話してくれた。戦いの中突然浮かんだ赤い石をモンスターに壊されまいと掴み、モンスターが倒された後もウィルはその魔力結晶を抱えていたらしい。
「新入りくん、どうしたの?」
「そうか、魔術式が回復したのは魔術師たちの功績じゃない…、ウィルのおかげだったんだ。」
「えっ。」
「魔術式防御システムが、一部魔力切れで壊れていたんだ、きっと。それで、それに気づいたモンスターが入り込んだ。ウィルは多分魔術式防御システムを修復できないかと試したんだ!」
「…ウィルが?」
そんなこと思いつくか?と至極真っ当な疑問だった。
「いや、ウィルは多分しっかりと修復しようという意思はなかったけど、きっと誘われるように触って無理やり。」
思えばアンジュはたくさんのヒントをウィルに与えていた。魔導武器を発動するのにか少なからず魔力が必要ということ、魔力の流れを読む方法、極め付けはエリカを探す際に、魔力結晶の存在を伝えて、その役割まで教えてしまった。
「…この魔術式は少なからず意思がある。自分で考え判断する力を得ている。近くにウィルという少ないながらも魔力を持った人間がきたから、誘ったのか。」
「でも、魔力はほとんどないんでしょ。君が探れないくらいには。」
「だから、危険だ。今はまだ何も取られてないけど、そのうち生命が削られるよ。」
「つまり?」
「まず、ウィルと結びついた魔術式を取らないと。」
「…また魔術防御システムに穴が開く?」
ウィルの力で封をしたのであればその代わりの力が必要だ。
「俺ならウィルより魔力あるし気絶までは行かないと思う。」
「気絶するのがデフォルトになってる君には説得力ないから。」
2人の様子を見ていたスイは不機嫌そうにする。
「…エルはまた犠牲になるのか。いい加減この国の魔術師に託せばいいだろ。」
「でも、ウィルを助けないと。」
「ウィルウィルってなぁ…。」
スイが煩わしそうにウィルの顔を覗き込むと、固まった。
「…も、しかして、スミスか。」
「スイ、知り合い?」
「…いや、知り合いに似ているだけだ。でも、確かに救う価値がある。」
スイは気は進まないがと一つ言う。
「今“アンジュ”の魔力を使うのは得策じゃない。“僕”の魔力を使ってくれ。エルならできるだろ。」
スイはアンジュの肩に手を置いた。やはり彼の魔力は自分の魔力よりも使いやすかった。
スイ アンジュのことを気に入っている 竜の一族と一緒にいた魔術師




